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00.雷鳴轟きて驟雨となる

 遠方から雷霆の低い唸りが響き、周囲には黒い雲が立ち込めてくる。


 背の高い大木が一本も見当たらない、この真っ平らな平原で雷雨の襲撃を受ければ、人の身で落雷を受ける覚悟が必要になってくる。しかもこの場所にいる大勢の人間の殆どが、金属を所持していた。


 だが彼らはそんなことを気にしない。やめることは今更許されぬのだ。


 エレアドールの野、と呼ばれるこの広い大地の上で、ふたつの陣営に所属する人間たちが殺し合いを行っていた。一方は国を守るため、一方は侵略するため。そして状況は、防衛軍の圧倒的劣勢だった。


 防衛軍の本陣周辺には、櫓が組んである。そこに登って敵を倒しているのは、弓を扱う狙撃手だった。彼らは的確かつ正確に敵を射落とし、味方を援護している。だが高所にいて目立ちやすいこともあり、常に敵から逆に狙撃される危険を伴っていた。しかもこの先は落雷の危険もある。そんな櫓からの狙撃をしていたひとりの若い金髪の男が、ある人物を目に留めた。味方が敵に向かって前進していく中で、本陣のほうへ駆け戻ってくるのだから、いくら狙撃手で視力が良いということを抜きにしても、かなり目立つ。騎乗したふたつの人影。一方はまだ少年で、もう一方も青年という域を脱するか脱しないか、といったところだ。その少年のほうに見覚えがあった男は、この場を部下に任せて急ぎ櫓を下りた。


 敵侵入防止のために積まれている土嚢の陰に身を潜めた少年に、男は駆け寄って声をかけた。


「王太子殿下! いかがされましたか」

「ああ……少し怪我を。でも大丈夫、大したことはないです」


 王太子と呼ばれた少年が、左肩を押さえつつそう言う。確かに怪我自体はそこまで酷くなかったが、彼には百人で組織された小隊が部下としてついていたはずだ。それなのに、傍にいるのがこのひとりだけとは。


「部下たちは残らず死にました。逃げ延びた者がいると、信じるしか……」


 王太子が悔しげに呟く。王太子付きの騎士である男も、沈鬱な表情で沈黙している。


 王太子につけた百騎は精鋭だった。突撃の最前線にいたからといって、壊滅してしまうなど、到底信じられることではなかった。だが残念ながらそれは事実だ。


「……左翼の軍も、勢いに押されつつあります。このままでは本隊が背後から攻撃を受けかねない」


 担いでいた弓を地面に置き、男は手早く王太子の傷の手当をした。少年は痛みで歯を食いしばっていたが、声はあげない。


「父上を……いや、国王陛下をお守りしなければ」


 少年が呟く。それには、男は沈黙をもって答えた。


 普段は内政に専念する国王が、国を守るために親征。聞こえはいいが、現場の騎士たちにとってみれば「勘弁してくれ」といった心境であった。王太子時代から戦場に出なかった国王に、戦場での全権をゆだねるなどとんでもない。だがそれが決まりであるため従ったところ、このざまだ。しばらくなりを潜めていた敵軍が、思いの外戦力を向上させていたこともある。だがもっと根本的なところで、国王は判断を間違えたのだ。


 そのことは、十八歳という若さにして既に歴戦と言っていいほど戦闘経験を重ねてきたこの王太子にだって、分かっている。だが彼にとって国王は命の父であるし、戦闘はからきしでも内政は確かに見事な手腕を誇る国王は、民衆に絶大な人気があったのだ。国王を守るのは当然のことであった。


「――王太子殿下。お逃げくださいませ」

「え……?」


 弓兵の口から出た言葉は、王太子の意表を突いた。


「私どもにとっては、王太子であらせられる貴方さまも、お守りすべき尊い御方。どうか、戦場を離脱なされますよう」

「そんなこと……! 私に、父や貴方たちを見捨てろと!?」

「恐れながら、然様でございます」


 淡々と言い切った弓兵に、王太子は言葉をなくす。弓兵は続けた。


「ただ逃げろとは申しません。殿下には、ある男と会っていただきたいのです」

「ある男……?」

「シャル・ハールディンという名に、聞き覚えはございませんか?」


 口の中でその名を呟いた王太子は、大きく目を見張った。


「【ローデルの英雄】……!?」

「ああ、まあ……その男です。もっとも本人は、その呼び名を何よりも嫌っていますけれども」


 かつて国王は、視察に赴いたローデルという街で、敵国の工作員の襲撃を受けた。護衛の騎士たちが次々と倒れていく中、たった一人で国王を守り、それどころか敵工作員を殲滅した騎士がいた。その名が、シャル・ハールディン。彼は当時十四歳、当然のこと護衛としてついていた騎士たちの中で最も若かった。そんな彼が果敢にも国王を守り、敵も倒したという。その武勇を国王に買われ、彼はみるみる内に出世した。一時は「次期騎士隊隊長では」「このまま行けば将官への出世もあり得る」と言われたが、そんな時に英雄はふらりと姿を消した。


 それ以降、彼がどこで何をしているのかは誰も知らない――。


「私はあの男の友でしたから、一応すべての事情は存じ上げております。が、それをいま詳しくお話するわけにも参りません。殿下、彼はいまフォロッドの街で暮らしています。そこへ行ってあの男と会って、彼の助力を求めてください。私の名を出せば、シャルも嫌とは言いますまい。粘れば必ず、彼は折れます」

「助力……戦場に立って戦ってほしい、と?」

「それが叶えば、一番いいのですけれども」


 弓兵が苦々しい笑みを湛える。目の前の弓兵とシャル・ハールディンが親しいというのは噂で聞いていたが、本人の口からそれを聞いたのは初めてだった。思えば、この弓兵もまだまだ若いのだ。その若さで出世を重ねているのだから、彼も只者ではない。


 フォロッドはこのエレアドールの野の北東方向にある小さな街だ。山間部にあることと、フォロッドという名前以外は王太子も知らない、田舎街である。馬に乗っていけば、半日ほどで到着するだろう。


「国王陛下や老将軍閣下のお叱りは、私が受けます」


 その言葉に、しばし沈黙していた王太子は頷いた。


「……分かりました。フォロッドに行きます」

「有難う御座います」


 表情を緩めた弓兵は、忠実に傍に控えていた王太子付きの騎士に目を向けた。


「君も、行ってくれるな?」

「は、はい……! 必ずや、殿下をお守りします!」

「ああ、任せる。本来ならば他部隊の騎士に指示を出すのは越権行為だが、この際、君の一上官として命じよう。インフェルシア王国陸軍弓箭(きゅうせん)隊隊長レオンハルト・E(イー)・アークリッジ中将の名において、王太子殿下の護衛を命ずる。如何なことがあろうと、その任を離れるべからず」


 騎士は直立し、敬礼を弓兵、レオンハルトに向けた。


「拝命いたします!」

「よろしい」


 レオンハルトは再び王太子に向きなおった。


「アレックス殿下、どうかご無事で。貴方のお戻りを、私はここで待っております」

「必ず戻ります。だから死なないでください、レオン……!」


 王太子の言葉に、レオンハルトはにっこりと微笑む。


「私はこう見えてしぶといので、死んでくれと頼まれても死ねそうにはありませんよ」

「ふふ……それは頼もしいな」


 アレックスも小さく笑みを浮かべ、愛馬の手綱を掴んだ。そして一瞬ののちには馬上の人となっている。護衛の騎士もそれに続く。


 馬上でレオンハルトに向けて頷いたアレックスは、馬首を返して駆け出した。向かうは北東、フォロッドの街だ。――それを見送りつつ、レオンハルトは弓を拾い上げる。


「……シャル、君には酷なことかもしれない。騎士に戻れとは言わない。それでも、せめて殿下を匿ってほしい――」


 レオンハルトはぽつりと呟き、ほんの少しの笑みを浮かべた。


 フォロッドへ向かうには、戦場を横に突っ切る必要がある。当然敵の目につく確率がかなり高く、アレックスに向けて矢を撃ち込んでくる。アレックスと護衛の騎士はそれを剣で振り落したが、横合いから剣を構えた騎士が肉薄してくる。アレックスが剣を打ちかわそうとした瞬間、敵の肩にぐさりと矢が突き刺さっていた。


 ちらりと後方を振り返ると、再び櫓に登ったレオンハルトが矢を番えていた。【遠弓(とおゆみ)のレオン】という二つ名で呼ばれるほどの腕前を誇る弓箭隊の隊長だ。常人ならばここまで矢が届くはずもないが、彼の剛腕にかかれば弓勢も飛躍的に増す。


 レオンハルトの援護に感謝しつつ、ふたりは戦場を離脱した。




★☆




 遠雷の音が聞こえ、シャルはつと空へ目を向けた。西の空から黒い雲がこちらへやってきており、今日中には雷雨になることは疑いようがなかった。


 ――雨の中の戦いほど、嫌なものはなかったな――。


「……シャール! ねえ、シャルってば!」

「……ん? なんだ、ティリー?」


 上の空だったのを急に現実に引き戻され、シャルは素っ頓狂な質問をする。目の前にいた十代半ばの少年が、怒ったように野菜が入った袋を差し出してくる。


「もう、買い物の途中でぼんやりしないでよ」

「ごめんごめん。そろそろ雨が降りそうだなと思ってさ」


 シャルは苦笑しながら袋を受け取り、代金として数枚の銅貨をティリーに渡す。すると、店の奥にいたティリーの母親がひょっこり顔を出し、シャルと同じように空を見上げて顔をしかめた。


「あらやだ、嫌な雲ねえ……国境のエレアドールじゃ戦いが起こっているとか言うし、大丈夫かしら」

「国を守るのが軍隊のお役目さ。きっちり仕事してくれないと困るね」


 皮肉っぽくシャルは呟く。ティリーが不安そうにシャルを見上げた。


「シャル……ほんとに大丈夫かなあ? だってエレアドールは、山を下ったらすぐそこなんだよ? この街に敵が押し寄せてきたりとか……」

「心配すんな。こんな山奥の街、見つかりっこねえって。インフェルシア王国軍の人間が、この街に逃げてきたりでもしない限りはな。そうしたら、そいつらを追ってきた敵さんに見つかるけど」


 さあっと青褪めたティリーの頭を、シャルはぽんぽんと撫でる。


「俺としてはさしあたって、今晩の雷雨のほうが心配だな。俺の家、ぼろいし。夜になるまでに少しは補強しておかないと」

「もう、シャルったら楽天的なんだから……」


 ティリーの母親が苦笑を浮かべる。だが、そんな自然体の彼を見ると、街の者は安心するのだ。それほどまでにこの若者は頼られていた。


 ひらひらとティリーに手を振り、シャルは店を後にする。そのまま市場を抜け、街の外れにある小屋へと向かった。そこがいまのシャルの自宅で、職場で、店でもある。


 荷物を家の中に置いたシャルは、すぐさま木の板を持ってきて、慣れた手つきで家の補強を済ませた。余所者であるシャルに家を貸してくれたのだから文句は言えないが、ぼろいものはぼろい。こうして頻繁に補強をしなければ、一晩中雨漏りに悩まされることになる。


 大工仕事も終えたあと、シャルはやりかけの仕事に取り掛かった。居住スペースの隣が、彼の仕事場である。そこには数種類の薬草、それを煎じる器具、すりおろす器具などが揃っていた。


 つまるところ、シャルの今の職業は薬師(くすし)だ。両親が共にそうだったこともあり、シャルは幼いころから薬の調合を習ってきた。このフォロッドという田舎町には医者がいないため、シャルの調合する薬は飛ぶように売れる。しかも効果は抜群だ。「当たり前だ、俺が作ってるんだから」と自他ともに認めている。そういうこともあり、それまで医者も薬師もいなかったフォロッドに住む条件として「薬がつくれる」と言ったシャルは、あっという間に街の一員として迎え入れられた。


 薬草をすりおろしながら、シャルは思う―――ここに住むようになって、もう五年になる。


 フォロッドには、「騎士シャル・ハールディン」を知る人間はいない。こんな田舎では、シャルがかつて【ローデルの英雄】と呼ばれるに至った事件の情報すら入って来ない。だからこそ、シャルはここに住むことにしたのだ。


「……しかし、こんなところで薬を調合している俺を見たら、奴ら腰を抜かすかもな……」


 呟いたシャルは、その光景を想像してひとり笑う。奴ら、とは勿論、陸軍所属時代の同僚たちだ。自分でも似合わないことをしていると思うのだから、同僚たちが驚くのは想像に難くない。


 それでもシャルは、今の生活が気に入っていた。退役してから一度も剣を触っていない。剣は家の物置の奥底に封印して、視界に入れることすら忌避している。


 もう二度と、剣なんて――。




★☆




 夕方を過ぎるとぽつぽつと雨が降りだし、風が吹き出した。そして真夜中を過ぎるころには、完全な雷雨となっていた。豪雨が小屋に吹き付け、補強したにも関わらず早速雨漏りをしている。仕方がないのでシャルはそこに桶を置き、硬いベッドに横になった。


 娯楽もなければ、夜中は光源すらまともに確保できないフォロッドでは、夜は寝るしかない。騎士として王都レーヴェンにいたころはそれなりに夜も遊んだものだが、ここではそうもいかない。おかげで早寝早起きの癖がついたシャルだが、こういう健康的な暮らしも大いに結構。


 完全に熟睡していたシャルが叩き起こされたのは、戸を叩く物音が聞こえたからだ。はっとして身体を起こし、ベッドから起き上がる。寝起きでもぼけたりしないのは彼の長所である。


 扉を叩く音は確かに聞こえる。しかもかなり強い。


 急病人だろうか、とシャルはすぐに考える。別に医者ではないのだが、夜中に突然体調を崩したりした人間は、必ずシャルの元へ運び込まれるのだ。だがこんな雨の日に出歩くなど、そっちのほうが危険だ。


 シャルは急いで扉を開けた。同時に勢いよく雨風が室内に吹き込んできた。しかし戸口に立っていた人間を見て、シャルは眉をしかめた。


 それは若い二人組だった。どちらもフォロッドの住人ではない。


 ただひとつ分かるのは―――。


 ふたりが着ている群青の服は、この国の陸軍騎士隊の制服だということだった。

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