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第二章 銀髪の少女(2)

 果たして、死神は現れた。呼べば応える、当然のように。

 悪霊的な存在にとり憑かれるとはこういうことなのだろうか。無論、そんな恐怖の心霊体験などこれまでしたことのない俺には分からない。

 分からないが、この体に宿る死神は、すでに一心同体とでも言うべきか、そういうもののような気がする。

 それはつまるところ、立てば歩くように、水に入れば泳ぐように、意識すれば当然のようにできる身体的行動と、全く同じ感覚なのである。

 今は、それが理解できれば十分だ。

 この死神がいれば、あの薄気味悪い赤色の犬どもをぶっ飛ばすことが出来るのだから。

 飛び込んだ路地裏には、白銀の槍を携えた小さな少女と、それを取り囲む犬の群れ。

 わざわざ説明されるまでもない、一目で襲われていると分かるシチュエーションだ。

 だがその少女も只者ではないのか、凄まじい速度で槍を振るい襲い掛かる犬を次々迎撃する。

 それでも、その実力差を覆すだけの数が犬にはあった。

 攻撃を潜り抜けた三頭の犬を前に、リーチの長い槍で対応するのは不可能だ。

 もう一秒もしない内に、犬の牙は、爪は、彼女の身に届く。

 だが、そうはならない、そうはさせない。

 俺だってもう、あと一歩踏み込めば犬に拳を叩きこめる距離までやって来たのだから。

「はぁあああああああっ!」

 気合の雄叫びをあげながら、躊躇も容赦も無く思い切り犬をぶん殴る。

 硬く握られた死神の拳が狙うのは、俺から見て一番奥にいる犬、その手前にいる二頭は、俺が突っ込んだ勢いのまま、体当たりの要領で吹っ飛ばす。

 ギャン、と短い鳴き声が届く直前に、ゴムのような質感の塊を打ちつけた感覚が拳に走る。

 渾身のストレートパンチは見事に飛び掛る犬の肉体を捉え、その胴に炸裂した。

 パンチを食らい血反吐を吐きながら路地の向こうへ勢いよく吹っ飛んでいく犬と、死神の巨体に弾き飛ばされた二頭がコンクリートブロックの塀に強かに叩きつけられている姿が見えた。

 三頭は身を翻して受身をとることもできずに、そのままアスファルトの路面に沈んだ。

「君、大丈夫か?」

 とりあえずは、追撃よりも少女の安否確認をすることにした。

 彼女の方へ向き直り、まじまじとその姿を見つめる。

 ふむ、どうやら怪我している様子はなさそうで一安心だ。

 だがそれよりも、正直に言って、少女の容姿があまりに特徴的なことに、内心驚きを隠せない。

 だってこの子、青い瞳に銀髪なのだ。

 本当に日本人か? と思うが、顔立ちからいくとやはり日本人であるように見える。ハーフ、というヤツなのだろうか。

 しかも、とんでもなく整った綺麗な、いや、可愛らしい容姿。亜理紗ちゃんに匹敵する愛らしさだ。

 そんな彼女が纏っているのは紺色のブレザーで、どこかで見た覚えがある。

 確か、何とかいう私立の学校の生徒だったか。

 小学生で制服姿というのは目立つ、俺も通学途中にブレザー姿の男児女児を見かけたことがある。彼女はその学校の生徒であることは間違いないだろう。

 きっちりと制服を着こなしている少女は、何と言うか、どこか現実離れした存在のように見える。生きた人間というよりも、精巧な人形と言われたほうがよほどしっくりくる。

 だが、目の前にすれば即座に分かるが、彼女は紛れも無く生きた人間だ。

 驚きに見開かれた澄んだブルーの瞳、ふっくらした桜色の唇の間から漏れる吐息、僅かに震える小さな体、どれも人形では再現できない、人間の反応である。

 そして改めて思う、そんな反応をする人間の感情というのは、恐怖心を抱いているんじゃないのかと。

「きゃあああああああああああっ!」

 耳をつんざく少女の絶叫。これを聞いたら普通の人はどんな悪漢が現れたのかと正義感を燃やして助けに参上するだろうと思えるほど、パーフェクトな悲鳴。

 しかし、この声を上げさせているのは、他でもない、俺だ。

「いや、待て、ちょっと待って! 俺は怪しい者じゃない!」

 反射的に言い訳を口にするが、果たして大きな死神を纏う男を指して『怪しくない』と言えるだろうか? いや、言えない。

 そうだ、とりあえず死神を引っ込ませればいいのだ。

 えーと、うーん、頼むから戻ってくれ!

 俺の願いが通じたのか、ホログラムのように浮かび上がる死神の黒い影は、そのまま空気に溶け込むように消え去った。

「え、あ……人間、なの?」

 その麗しい美貌に半分涙を浮かべる怯えた表情の少女だったが、どうやらちゃんと俺の変化は認識してくれたらしい。

 死神が消えれば、俺は普通の高校生に見えるはずだ、学ラン着てるし。

「ああ、俺は普通の人間だよ」

 危害を加えないよアピールのために、両手をホールドアップして、少女から一歩下がって距離をおく。

「あの変な赤い犬に襲われてるようだったから、助けに入ったんだ。大丈夫? 怪我とかしてないか?」

 務めて冷静に、少女へ声をかける。

「あ、そ、そう……だったんですか。えっと、その、ありがとう、ございます……」

 俯きながら、消え入りそうな声でお礼の言葉を述べてくれる。良かった、どうやら俺はモンスター認定されなかったようだ。

 もしそう思われたままだったら、次の瞬間には彼女の槍でブッスリ刺されていたかも知れないのだ、ゾっとするね。

 そうだ、そういえばこの槍、やけに装飾過多で実戦を想定したリアルな武器には見えないが、俺はこの子が目にも止まらぬ早業で犬を斬り飛ばしたのを目にしている。

 だとすれば、この槍は俺の死神のように、何か超常の力を秘めているのだろうか。

 正しく魔法の武器、とでも言うべきか。

 彼女が戦国武将もビックリなほど槍の扱いに長けた達人少女であるというよりも、何か別の力が働いていると考えた方が納得できる。

 いや、そもそもこの少女が死神のような夢の中限定の存在なのかもしれない。現実離れした容姿だし。

 けど、何故かこの子はどこかで見た覚えがあるのだ、ということは、現実世界で彼女が存在している可能性は高い。

 それにしても、これほど特徴的な少女だ、見かけたらそうそう忘れないとは思うが、その分、他の何時、何処で、という部分が抜け落ちてしまっている。

 ええい、ごちゃごちゃ考えるより、分からない事は聞けばいいだろう。ちゃんと日本語は通じているみたいだし、コミュニケーションをとるに不自由は無いはずだ。

「無事なようでなによりだ。とりあえず、名前を知りたいんだけど、いいかな? 俺は黒乃真希那だ」

「あ、えっと……その……」

 うわ、やっぱり警戒されてるぞ俺。

 ちくしょう、顔が怖いせいか? 出来るだけ爽やかに言ったつもりだったんだが、所詮はつもりか……

「私は――っ!?」

 名前、を言いかけたんだと思う。

 だがその名乗りは届く事無く、代わりに、彼女が握る槍が煌くように空を走った。

 ギャウッ! という悲痛な鳴き声が耳に届いた時、ようやく理解できた。

 彼女は槍を振るって、俺の背後から襲いかかってきた犬を倒してくれたのだと。

「あ、ありがとな」

「いえ……どういたしまして……」

 何故か恥かしそうに俯く少女。さりげなく槍を振るって刃についた血を振り払っているのが凄いギャップだ。

 いや、それよりも、事態はこの奇襲をしかけた一頭で終わりじゃないってのが問題だ。

「くそ、援軍か」

 気がつけば、そこかしこからさっきブッ飛ばしたのと同じ赤い犬が姿を現し始めた。

 すでに十以上もの同胞が地に伏せって死んでいるというのに、全く恐れを抱いた様子は無く、牙を向き出しに唸りながら、今にも俺たちに襲い掛からんばかりの気迫を見せる。

 それだけ強気に出るのも当然か、なんてったって、路地の両側から挟み撃ちするような配置、しかもその数は前方も後方も十頭以上は確実にいる。

 最初に少女を襲った十頭は偵察部隊とか斥候部隊とか、そんな感じのやつで、もしかしたらコイツらが本隊なのかもしれない。

 だとすれば、ここからは見えない奥の方にもまだまだ沢山潜んでいるかもしれない。

 さて、どうするか。

 ここは俺に任せて君は逃げるんだ、とか言えれば格好いいのだが、如何せん前後を挟まれてしまっている。

 それに、相手は何十頭いるか分からない大きな群れだ、俺がここで一人奮戦しても、別働隊を繰り出されればそれまで。

 ならば、ここでとるべき最善策は、

「君、戦えるか?」

 彼女と共闘することだ。

 この少女はただの小学生じゃないことは、先の一撃を見れば理解できる。

 彼女は俺の死神と同じく、このモンスターと戦う為の力を持っているのだ。

「は、はい! 私、戦います!」

 思った以上に、勇ましい返事が返ってきたものだ。細い眉をキリリと吊り上げて、力強く頷く彼女からはヤル気がみなぎっている。

 話が早くて助かる。この犬どもがこちらの準備が整うまで悠長に待ってくれるとは限らない。

「じゃあ、背中は任せる」

「はい、頑張ります!」

 良い返事だ。特に恐怖を感じていないようだし、もしかして、戦いに慣れていたりするんだろうか。

 まぁいい、とりあえずはコイツらを叩きのめしてから、ゆっくり自己紹介なり話を聞けばいいだろう。

 今は、目の前に迫る敵に集中しよう。

「よし、行くぞっ!」

 一歩踏み込むと同時に、俺の体は再び黒い死神に包み込まれた。




 ドスン、と重い一撃を腹にもらった。

「ぐほぉあっ!?」

 あまりに唐突、あまりに理不尽な攻撃に、潰された蛙の様に無様な声をあげながら、すわ何事かと閉じられていた瞼が一気に見開かれる。

「お兄ちゃん、朝だよー、起きてー」

 目の前に、天使がいた。

 そうか、ここは天国――じゃなくて、今は居候させてもらっている黒乃家にて、俺に割り当てられた自室、そのベッドの上だ。

 それで、さらに俺の上に跨っているのは、天使あらため従妹の亜理紗ちゃん。

 サラサラの長い黒髪に、円らな瞳、こんなに可愛い生き物がいてもいいのかと思えるほどの顔が、吐息が鼻先にかかるほどの距離にあるのだ。

 見つめ合うこと数秒、何かが俺の中で覚醒する前に、正気を取り戻すことが出来た。

「朝か……おはよう、亜理紗ちゃん」

「うん、お兄ちゃんおはよっ!」

 弾ける彼女の幼い笑顔。ああ、やっぱここ、天国だわ。




 そんな素晴らしすぎる朝の目覚めを体験した所為で、夢で見た出来事について思いを馳せるのは学校に向かうバスに乗り込んでからであった。

 通学中でも授業中でも、一人寂しく過ごす昼休み中でも、考える事は出来る。

 だが、実地で確かめることは、放課後を待たなければならない。

 もっとも今日中に確認できるのは、コンビニで読んだ週間少年チャンプの内容くらいだが。

 現状で一番気になる銀髪の少女については、恐らく、この現実にも存在しているのだと思うが、会えるかどうかは分からない。

 まさか小学校に突撃して所在を確認するわけにもいかないだろう。

 母校でもなんでもないのだ、不審者として警察のお世話になること確実である。

「結局、名前も分からなかったしな」

 参った、とばかりに呟く。

 二人で赤い犬の大群と戦い始めたのだが、まさか日没して夢が終わるまで戦闘が続くとは思わなかった。

 別にあの犬が特別にタフだったというワケじゃない、単純に数が多すぎたのだ。

 前後を挟まれた状態でスタートしたのだが、その後も増援が出るわ出るわ……途中からはほとんど逃げながら戦っていたような感じだ。

 おまけに犬が一時的に退いたと思ったら、今度は入れ替わるようにスライムの群れがどこからともなく出現するのだ。

 再び気持ちの悪い触手の網を投げかけられながら、一つ一つ叩き潰す作業に従事することに。

 そして、それが終われば、兵力を補充し終えた犬軍団が現れるのだ。

 なんと言うか、一騎当千をウリにするアクションゲームでもやっているかのような感覚だった。

 それでも、かなりの時間をフルに動いてもあまり疲労しなかったのは、夢の中だからか。

 俺も彼女も最初から最後まで、致命的なまでに動きが鈍るほどでは無かった。

 いや、最初にスライムと戦った時は結構疲れた気がするのだが……もしかして、死神を使って戦うのに慣れ始めた、とでも言うのだろうか。

 聞いても死神は応えない、アイツは基本的に俺の動作に合せて動いてくれるだけで、自発的に動くのは壊れたスライムの核や、倒れた犬を自分の口に運び食べるというモーション限定だ。

 戦いの合間に勝手に拾い食いする死神を止める術は俺には無かった。

 その様をすぐ横で目撃することとなった少女の、ちょっと怯えた視線が心苦しかった。

 スライムの核はまぁいいが、犬を頭からバリバリ食べるのは見ていて気持ちの良いものじゃないからな……今度会ったら、ちゃんと弁解しよう。

「しかし、寒いな。やっぱり、まだ外で食べるには早かったか……」

 俺が物思いに耽りながら、百合子さんお手製の弁当を平らげた場所は、何故か年中開放されている桜木高校の屋上である。

 暖かな春の陽気に誘われて、なんてお上品な理由でここに来た訳ではなく、すでにクラス内で友人グループが固定化されかけ、学生らしい賑わいを見せる教室にて一人で昼食を摂るのは少しばかり心苦しかったからである。

 要するに、孤独に耐えかね逃げたのだ。

 と言っても、こんな寒い思いをするくらいなら、大人しく教室で食べた方が良さそうだな。

 噂ではトイレで飯を食うという孤高の狼もいるらしいが、俺にはとてもそこまでの高みには行けそうも無い。

 弁当の包みをまとめ、屋上に設置されたベンチからさっさと立ち上がる。

 まだチャイムが鳴るまでに時間はあるが、このまま思いのほか冷たい春風にあたるのは願い下げだ。 さっさと教室に戻るとしよう。

 空になった弁当を片手に、教室までの帰路を歩く。

 廊下にはクラスが違う友人同士なのだろうか、幾つかのグループが会話に花を咲かせている。

 しかし、俺が傍を通ると一気に声のトーンが落ちる。

 ついでに、道行く生徒達もみな、あからさまに俺を避ける。

「おい、アイツだろ、七組のヤンキーって」

「やだぁ、顔コワーい」

 そんな内容のヒソヒソ話が背後から聞こえてくるのも、ここ一週間でちょっとだけ慣れてしまった。

 最早、俺が札付きの不良(ワル)だという噂は一年生全員に広まっている。もしかしたら、上級生まで及んでいるかもしれない。

 なんとも気の重くなる話である。まぁ、それでもヤンキー漫画にありがちな、

「生意気な一年が入ってきたようだな」

「気にいらねぇ、ちょっとシメてやっか」

 みたいな先輩ヤンキーとエンカウントするイベントが起こっていないだけマシだろう。

 そもそも桜木高校は偏差値高めの進学校だ、くわえ煙草にリーゼントのステレオタイプな不良など存在しない。

 精々がワックスで髪を立てているとか、学ランのボタン全開とか、腰パンとか、そんなちょっと崩したファッションをする程度である。

 俺は勿論これ以上疑われないように、キッチリと校則通りに制服は着こなしているし、髪型も特に弄ったりはしていない。

 顔の事を抜かせば、俺はまだ何のルールを破ったことのないごく普通の生徒である。

 お陰で、教師から目をつけられたり、特別に注意を受けたなんてことも無い。

 だが、噂があまりに広まりすぎると、そういう事も起こるかもしれないな。

 まぁ、その時はその時で、と楽観的に考えながら、俺は教室のドアを開いた。

 ガラガラと音を立てながら開かれたスライド式のドアを潜り、俺が教室内へと一歩踏み込んだ瞬間、直前まで賑わっていたクラスメイトの談笑がほぼ一斉に止んだ。

「……」

 俺は複雑な気分を抱えたまま、そのまま真っ直ぐ自分の席へと向かう。

 特に俺がアクションを起こさなかった所為か、クラスメイト達は再び昼休みのお喋りタイムに戻っていく。

 だが、それはどこまでいっても俺が居ない時よりも、声を抑え気味のやや静かなものになっていた。

 正直、気まずい。

 明らかに俺はクラスで異質な存在となってしまっている。

 これは拙い、こんな調子じゃあ楽しく高校生活を三年間過ごせるはずも無い。

 友達獲得、まで行かずとも、せめて変な気を使われないレベルには、クラスに溶け込まなければいけないだろう。

 だが、どうすれば……と、思っていると、前方の席に集っている男子生徒二人組みの元に、今週発売した『チャンプ』があるのを目撃した。

 そういえば、中学の時は定期購読している友人が何人かいて、学校に持ってきては回し読みをしたものだ。

 高校生になったからといって、いきなり漫画を読まなくなるわけでもない、勿論、俺だって今でも楽しく漫画を読む一人だ。

 そうだ、何もあのコンビニで立ち読みしなければならないというワケでもないし、話をするキッカケとしては、まずまずではないだろうか。

 内容も確認できて、一石二鳥だ。

 俺も不良だなんだと言われているが、中身はほとんどオタクみたいなもの。

 少なくとも、毎週日曜日の朝は『フェアリープリンセス・リリィ』を見ようと決意している程度に。

 彼らが普通に漫画好きというのなら、話が合う可能性は十分に見込める。

 よし、折角の機会だ、話しかけてみよう。

 俺は意を決して席を立ち上がり、『チャンプ』を開いてああだこうだと談笑している男子生徒のコンビへ向かう。

「なぁ、良かったら俺にもソレ、読ませてくれないか?」

 どう話しかけるべきかアレコレと悩みはしたが、やはり単刀直入に切り出すのが一番だろうと思い、そんな台詞を口にした。

 ついでに、警戒されないよう爽やかな笑顔も浮かべているつもりだ。

「あ、くっ、黒乃くぅん……も、勿論だよ、ほら、俺たちもう読み終わったから、あげるよ」

「くれるのか? いや、別にそこまで――」

「いや、ホント、気にしないでっ! 黒乃君が読みたいなら、持ってってよ、な、それでいいよな?」

「う、うん、いいよ、ってか、俺、ちょっとトイレに……」

「おい、ズルっ――や、俺も行くわ、おい、ちょ、待てって!」

 気がつけば、半ば押し付けられるように『チャンプ』が俺の腕の中に、そして、二人の男子は脱兎の如く教室を後にした。

 二人共、そんなに尿意を催していたのか――なんて思えるほど、俺は幸せな性格はしていない。

 完全にビビって、逃げられたのだ。

「うわ、見たかよ、チャンプ奪ったぜ」

「すげぇ、教室で堂々とカツアゲかよ」

「やだぁ、超コワーい」

 周囲からヒソヒソと聞こえてくる言葉の端々から、自分が今どう見られているかなど、嫌でも理解させられる。

 何か弁明すべき、と思い顔あげるが、全員示し合わせたように、一斉に顔を俯かせる。

 そして、そのまま数秒間の沈黙が教室内を支配する。

 廊下側から聞こえる生徒の賑やかな声が静寂の室内に虚しく木霊する中、俺は大人しく『チャンプ』片手に自分の席へと戻った。

「はぁ……なんで、こうなるんだよ……」

 複雑な気分のまま読んだ『チャンプ』の新連載は、やっぱり面白くなかった。




 放課後、俺はクラスメイトからありがたく譲り受けた『チャンプ』を仕舞いこんだ鞄を手に立ち上がる。

 掃除当番は無い、そのまま教室を後にする。

「一応、行ってみるか」

 校門を潜り抜けた俺がそんなことを呟きながら向かう先は、桜木高校前のバス亭では無く、昨晩の夢の中で歩いたルートだ。

 昼休み、今週の『チャンプ』を読んだことで、あの夢がほぼ確実に現実世界の再現であることが確認できた。

 オリジナリティという言葉を作者がド忘れしたとしか思えない、使い古しのネタ満載の新連載は、全て夢の中で読んだとおりの内容だった。

 あそこで得た知識は現実と全く同じ、ならば、あの夢は間違いなく俺の脳内にある情報だけで構築された世界では無いという事だ。

 自分に百発百中の予知夢を見る能力があるというよりかは、やはり、魔法か超科学か、そんなただの高校生では想像のつかない別な要因が働いているように思える。

 現実離れした出来事に直面しているはずだが、それでも、やはり夢ということもあってか、俺にはまだ背筋が薄ら寒くなるほどの不安や恐怖といった実感は湧いてこない。

 それでも、全く分からないからこそ、少しでもあの夢について理解できるよう努めるべきだろう。

 ただでさえ、あの夢はスライムやら犬やらのモンスターが闊歩する危険な世界観だ、この先、俺の身に何が起こるか分かったものじゃない。

「やっぱり、何も無いよな」

 すでに学校から、夢で『チャンプ』を立ち読みしたコンビニまでやって来た。

 勿論、そうそう異変などお目にかかれるワケは無い。

 俺と同じ桜木高校の生徒から、スーツ姿のサラリーマン、買い物袋を提げた主婦、などなど、表通りには当然のように人通りが多い。

 一つ先の交差点には赤信号が点灯し、通学に使う路線の市営バスが止まっているのが見える。

 そこそこに活気のある、どこまでも普通で、当たり前の街並み。

 異常なんてあるはずが無い。

「よし、入ってみるか」

 俺は昨晩の夢と同じように、コンビニの店内へと踏み入った。

 当然、夢と現の区別はついている。

 一本十円の駄菓子とはいえ、いきなり無銭飲食なんてしない。

 店内は当たり前だが、店員がおり、白い蛍光灯が灯り、BGM代わりの有線放送が流れている。

 同じ建物でも、無人で電気の灯らない、廃墟のような夢の世界とは全く雰囲気が異なっている。

 そういえば、やはりあの夢の世界では電気は通っていないのだろうか。

 他にもガスや水道なんかも止まっていそうだ。まぁ、あそこで暮らすわけじゃないし、滞在時間は昨晩の数時間が最長だ、トイレの心配すらいらない。

 だが建物は勿論、飲食物や雑誌など、コンビニにはそこにある商品はちゃんと揃っていた。

 その品揃えは恐らく、夢の世界が模した現実の当日であるはず。

 つまり、昨晩の夢でいうなら、昨日の日曜日のものであったはず。

 俺は雑誌コーナーに足を運ぶと、夢の中ではあった『チャンプ』が、もう売れてしまったのか、無くなっていることに気づいた。

 もし、今日また夢を見たとすれば、このコンビニには『チャンプ』が置いていないように再現されるのだろう。

 しかし、学校で読んでおいて良かったな。

 下手するとあの面白くない新連載を確認するためだけに、近くのコンビニを廻ることになってしまうところだった。本屋はここからだとちょっと遠いんだよな。

 快く譲ってくれた、まだ名前の覚えていない男子生徒に感謝の念を捧げながら、俺は何も買わずにコンビニを後にした。

 そして、また歩道を行き交う人の波に混じろうかという、その時だった。

「あ、あの、黒乃真希那さん、ですよね?」

 声をかけられた。

 消え入りそうな、幼い少女の声音で。

 真っ先に目に付くのは、煌く白銀の髪。

 次に透き通る空色の瞳、白皙の美貌。濃紺のブレザーとプリーツスカート、白いソックス。

 最後は‘初めて’見る赤いランドセル。

 その姿は、紛れも無い現実世界にあっても尚、幻想的で、まだ夢の続きを見ているような気分にさせる。

 そう、銀髪の少女は、早くも俺の前に現れたのだ。

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