第一章 夢の世界(2)
春風神社、というのが夢の中で俺がスライムと戦った神社の名前だ。
思い出したわけではない、学校の帰りにこうしてわざわざ立ち寄ってみたのである。勿論、お一人様で。未だ寄り道に付き合ってくれる友人は出来ていない。
「何もないな」
誰もがそんな感想しか抱かないだろうと思えるほど、この春風神社には人気が無く、ただ静寂だけが支配している。
勿論、俺が夢の中で行った激闘の跡など、現実世界の方に残っているわけもなく、新たなスライム軍団が出現することもない。
「やっぱりただの夢、なのか……」
ここには、どこまでも現実的に寂れた神社の境内があるだけで、何か、超常現象と呼ぶべき異常を感じさせる気配は一切無い。そもそも異常な気配ってのを「ハッキリ感じます!」なんて言えるヤツはインチキ霊能者くらいのものだろう。
少なくとも、目で見て触れる異常、つまりスライムだとか、俺にとり憑いた死神だとか、そういうのが現れない限り‘何か’が起こっているのだとは断定できない。
所詮は夢の話、どんなファンタジーな出来事が起こったとて、何も不思議は無い。夢の中なら人は空だって飛べるのだから。
だが、それも死神が出現した最初の夢か、スライムと戦った二度目の夢、そのどちらか片方だけなら、何て事の無い、普通の夢であると俺も断じることができただろう。俺がどうしても‘ただの夢’ではないと思ってしまうのは、この二つの夢があまりに連続性があるということだ。
俺だって、生まれてこの方十六年、毎日とは言えないまでも、人並みに夜寝ていれば夢を見ることも、悪夢にうなされたこともあった。人によって夢の世界がカラーで見えるかモノクロで見えるかなどの個人差はあるようだが、特別気になるような、例えば、予言じみた正夢を何度も見るだとか、そういったことは一切無い。人間として、ごく普通の夢見であったと言えるだろう。
しかし、ここに来てあの夢である。俺はこれまであれほど五感のはっきりとした、かつ記憶も鮮明に残るほどの夢は見た事が無い。しかも、それは完璧な形で連続再生されたのだ、場所は春風神社、時刻は夕方、ただし日没は逆方向という異常な世界観で。
アレは夢を覚えている、というよりも、俺が現実に経験したという感覚に近い。夢を見ている最中は、ソレがどんなに可笑しな状況や感覚でもリアルと感じるものだが、一旦目が覚めてしまえば、その違和感に気づくか、忘却の彼方へ飛んでいくかのどちらか。
そのどちらでもない、あまりにリアルな夢が確固たる連続性をもって見た。もし、これで三度目の夢を今日も見たとするならば、俺が何らかの超常現象か、思いもよらぬ陰謀に巻き込まれたと考えても、あながち冗談だと一笑に付することは出来ないだろう。
ただ、神の悪戯なのか、それとも妙な毒電波が流れているのか、どちらにせよ今の俺には答えを探す術は無い。疑惑の根拠はどこまでいっても夢、現実との接点など存在しない。
もし、夢の中で俺が死神の力をフルにつかってあの小さい本殿を破壊すると、なんと現実の本殿も同じように壊れていたというのならば、確実に夢と現実がリンクしている証拠になる。
いや、そこまで大げさかつ罰当たりなものでなくとも良い、そうだ、何か目印のようなモノをつけるだけでも良いのだ。
「今度、試してみるかな」
もう二度とあの夢を見ないというのなら、それはそれで良い。信じがたいが、とてもリアルな夢を連続で見た‘だけ’であると納得もできよう。
だが、期待を裏切らず三度あの夢に入ることができたのなら、何らかの異常が俺か、あるいは世界に起こっていると考えて良さそうだ。
「ホントに、変な電波が流れているワケじゃないよな、この街」
夢の中の俺と同じように、境内から見える桜木の街並みを眺める。
まだ夕焼け空にはなっていないが、太陽は絶対不変の法則通り、この山の方へ沈むよう動いている。
そういえば、あの夢は海の向こうに太陽が完全に没すると、そこで終わりを迎えていた気がする。
高校に通い始め、最初の日曜日がやってきた。
スライム戦以降、三度目の夢を見ることはなかった。どうやら、毎晩あの夢の世界へ行けるわけではないようだ。あるいは、もう二度とあの夢を見ることも無いというのか。
やや釈然としない気持ちのまま、俺はベッドから抜け出す。目覚まし時計の時刻は、ちょうど午前八時を指していた。
昨日の土曜休みに引き続き、休日の予定など皆無ではある。
もしかしたら、早くも意気投合したクラスメイトのグループなどは、より一層の交友を深めるべく繁華街に繰り出すのかもしれない。そもそも地元から進学した生徒は、普通に遊ぶ友人がいるだろう。
果たして、俺はちゃんと休日遊びに誘えるような友人を作ることができるのだろうか――あまり考えすぎると鬱になりそうなので、適当なところで思考を切り替える。現実逃避とも言うか。
とりあえず、予定は無くともパーカーとジーンズの適当な服には着替え、いつもよりゆっくり朝の準備を済ませた。
「おはようございます」
リビングにある二つの人影に向けて朝の挨拶。
「あら、おはよう真希那くん」
「……おはよぅ」
朗らかな百合子さんの返答に続いて、亜理紗ちゃんからも何とか聞こえる小さな声が届いた。いくら俺を避けているとはいえ、顔を合わせればちゃんと挨拶を返してくれるのだから、五歳にして中々の礼儀正しさだと感心する。俺が幼稚園児の頃だったら、こうはいかない。
しかし結局のところ、ここ数日の間に俺と亜理紗ちゃんの関係に変化などは無く、彼女の「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみなさい」という四パターンの台詞しか聞けていないのが悩みどころである。
今も亜理紗ちゃんとの会話の糸口は断絶状態にあり、彼女はもう俺の存在など認識していないかのように、42インチのデジタルテレビに視線を集中させている。
「はぁ……」
という情けない溜息を聞かれたのか、
「ごめんね真希那くん、亜理紗、日曜のこの時間はテレビの前から絶対に動かないの」
朝食準備中の百合子さんからフォローが入った。
なるほど、今日は避けている、というより「お前なんぞに構っていられるか!」とばかりに他者を寄せ付けない孤高のオーラが出ている感じがする。
「何か好きな番組があるんですか?」
と、聞いてから、直後に愚問だったと思い至る。
「『フェアリープリンセス・リリィ』っていうアニメ、知っているかしら?」
「ああ、はい、タイトルくらいは」
日曜朝の八時といえば、子供向けアニメ&特撮番組が連続して流れる時間帯である。俺もつい数年前までは八時三十分から放送する特撮ヒーローモノを毎週欠かさず視聴していたもんだ。
であれば、現役で幼稚園児の亜理紗ちゃんは、八時から放送される女児向けアニメがお目当てのはず。今は百合子さんが言ったとおり『フェアリープリンセス・リリィ』という魔法少女系のアニメがオンエアされている。
ちなみに高校生の俺が何故タイトルに聞き覚えがあるのかと言われれば、それはオタクだからとしか言い様が無い。声優のファンクラブに入ったり、部屋にポスターを貼ったり、抱き枕を愛用しているワケではないので、まだライトな部類だと思うがどうだろう。
「亜理紗、このアニメが大好きなの」
「そうなんですか」
確か、前々回に放送していたアニメはやけに不人気だったらしいが、その次に始まった『フェアリープリンセス・リリィ』はかつての人気女児アニメ『ブレザームーン』の再来と呼ばれるほどの大ヒットであったらしい。その大人気アニメはどうやら、現役幼稚園児である亜理紗ちゃんのハートもしっかり鷲掴みにしたようだ。
「真希那くん、一緒に見てきたらどうかしら?」
「え、俺がですか?」
まさか、俺までリリィファンにしようという心算ではあるまいな、百合子さん。
「ええ、良かったら、亜理紗からリリィのお話を聞いてあげてちょうだい」
「あ、なるほど……」
つまり、亜理紗ちゃんと会話するきっかけにしようという事だ。百合子さんは何気ない頼みごとを装って優しく微笑んでいるが、サラっと俺にこんな作戦を授けてくれるのだから、中々の策士なのかもしれない。
ひょっとして真央叔父さん、百合子さんに陥れられて結婚したなんてことは――
「真希那くん?」
「あ、はい、是非、そうさせてもらいます!」
百合子さんからただなる気配を感じたのは、果たして俺の気のせいだったのだろうか。
ともかく、俺は亜理紗ちゃんと仲良くなる策として、一緒にアニメ鑑賞作戦を実行に移すのだった。
リリィは聖スパーダ女学園に通う、元気一杯の中学生。だが、その正体は妖精の国のお姫様、フェアリープリンセスだったのだ。王位継承権を持つリリィは次代を担う立派な妖精女王になるために、人間界で普通の女の子として生活しながら、魔界から現れる邪悪な魔女や魔物を退治するという過酷な試練を課される。
リリィは愛する猫のクロと共に、今日も妖精女王目指して戦う!
というのが、毎回オープニング前に挿入されるお決まりの作品紹介だ。これだけ聞いても、取り立てて斬新さはない、何だかどこかで聞いた事あるようなありがちな設定である。
だがしかし、
「何だコレ……超面白ぇ……」
「リリィーがんばれぇ!」
画面の向こうでライバルキャラの魔女フィオナと激しいバトルを繰り広げるリリィにエールを送っている亜理紗ちゃんの隣で、完全に見入ってしまっている俺がいた。
最初は、というか朝八時三十分から流れるリリィを見終わった時は、まだここまで思うレベルではなかった。それでも、今日から放送されるのは、『フェアリープリンセス・リリィ・シューティングスター』という続編の第一話だったというのが幸いして、初見の俺でもそれなりに把握できる内容であった。この時点では「ふーん、まぁ面白いんじゃないの」くらいの興味の引き方だったのだが、
「リリィ面白かった? リリィのこと好き?」
と、割と真面目に話しかけてくれた亜理紗ちゃんに心打たれた俺は、
「ああ、面白かった、でも最初から見たことないから、第一話からちゃんと見てみたいな」
なんて、全編通して見ればもっと亜理紗ちゃんと話が合うかな、くらいの不純な気持ちでそんな感想を述べた。
「じゃあねぇ、亜理紗が見せてあげるっ!」
だが、それが彼女のリリィ魂に火をつけてしまったと理解したのは、亜理紗ちゃんがテレビ台からおもむろに『フェアリープリンセス・リリィ・ブルーレイディスク第一巻』を取り出した時だった。
折角の好意を無碍にするなど当然できず、それにこのアニメに対し少なからぬ興味を持っていたのもあり、俺はお言葉に甘えて『フェアリープリンセス・リリィ』のファーストシーズンを鑑賞することにしたのだ。
そして気がつけば、
「うおぉ……ここで次回に続くとか、何て気になる引きなんだ……」
「あのねぇ、次はねぇ」
「あーダメ、言っちゃダメ、ネタバレ禁止!」
俺は大きなお友達の仲間入りを果たしていた。恥かしくもあり、だが、どこか清清しい気分でもある。それほどまでに面白かった、と言わざるを得ない。
「あんまり長くテレビを見ると目が悪くなるから、今日はこの辺にしておきなさい。それと、お昼ご飯できたわよ」
と、百合子さんのストップが入ったので、アニメ鑑賞は午前中一杯で終了となった。
「それじゃあ、ご飯食べようか」
「うん、お兄ちゃん」
笑顔で応えてくれる亜理紗ちゃんを見て、俺はちょっと、いや、かなり感動した。百合子さんの授けてくれた作戦は見事に大成功し、俺と亜理紗ちゃんの関係は、一気に改善されたのだった。
それから午後の時間も、休日に子供と遊ぶパパのような気持ちで亜理紗ちゃんの相手をして、この上なく満たされた気持ちで一日を終えようとしていた。
事実、この幸せな日曜日は終わっていた。電気を消してベッドに入り、そのまま訪れる睡魔に身を任せ、眠りの世界へ入っていくまでは。
だが、ふと気がつくと、俺は夕暮れ時の春風神社に立っていた。
リアルな夢の世界、三度目の訪れであった。