プロローグ
赤い、いくらなんでも赤すぎるんじゃないかというほど真っ赤な夕焼け空が俺の頭上に広がっている。
「あれ……ここ、どこだ?」
ふと気がついたら、目が覚めたら、そんな感じで、いつの間にか見知らぬ場所に俺は立っている。
自分が何故ここにいるのか、さっきまで自分は何処にいたのか、何をしていたのか、そういった記憶を模索するよりも、反射的に周囲を見渡して視界に入ってくる情報の処理に脳のメモリは回された。
とりあえず、今の時刻が夕方であるというのは空を見れば一発で判別できる。そして、鬱蒼と生い茂るとまではいかないが、林立する緑の木々に囲まれているのも分かる。だが、ここは単なる林の中ではなく、どうやら神社の境内であるというのは、目の前に立つ朱色の鳥居と、背後に立つあまり立派とは言いがたい小さめな本堂を見れば即座に理解できた。
「この神社は、確か、えーと……」
どこの町にもあるような、このこじんまりとした境内には、見慣れてはいないが、確かな見覚えがある。
そう、この神社は名前こそ思い出せないが、俺は過去に一度だけ立ち寄ったことがあるはずだ。それも、こうしてすぐ思い至るということは、割と最近の出来事であるはず。
「そうだ、ここは合格祈願した神社か」
思い出した。あれはそう、俺、黒乃真希那が公立桜木高校を受験した帰り道に、何となくの思いつきで立ち寄った神社だ。
一度思い出してしまえば、後は芋づる式に当時の出来事が脳裏に蘇る。
わざわざ田舎から出てきて、この少しは都会的と呼べる地方都市にある桜木高校へ進学するために、満を持して受験に望んだ。そして、受験生特有の気の弱さは特に信心深くも無い俺に、偶々目に付いた学校近くの神社で賽銭を弾ませるような行動をとらせた。
あの鈴のついたガラガラを引っ張って、都合の良いときだけ神様に縋る人の性を全開にして祈りに祈った。
そうそう、俺が必死にこの神社で祀られている名前も知らない神様に向かって祈っている間、後ろのほうで遠足だかなんだか知らないが、小学生の集団が歳相応にギャーギャー騒いでいたのもよく覚えている。全く、厳かな雰囲気も何もあったもんじゃない。
さて、そんなあまり美しいとは言えない思い出のある神社に、何ゆえ俺はポツンと一人で佇んでいるのだろうか。
「……何でだ?」
答えは出ない、ついでにここで目覚める直前の記憶も実に曖昧で、全く推理の糸口が見つからない。
だが、明確な記憶こそ蘇らないものの、この事態を理路整然と説明できる状況証拠を見つける事はできた。それは、この最初に見上げた赤すぎる夕焼け空である。
つい先日、この神社のご利益かどうかは分からないが、俺の元に桜木高校の合格通知が届いた。そして、飛行機に乗らねばならないほど遠く離れたド田舎の故郷より、通学のために俺はこの桜木市へとやってきた。それは多分、今日か昨日のことだと思う。
そこで、下見と受験を経て三度目の来訪となったこの街で、俺は夕暮れ時を確かにこの目で見ていた。
海と山に面した桜木市は、朝日は海から上り、夕陽はこの神社と桜木高校が建つ山の方へ没していく。
だが、今俺がこの山側にある神社の境内から眺める夕陽は、東に広がっているはずの海から差し込んできている。つまり、陽は西から上り東へ没するという、バカの代名詞的な‘ありえない’状況となっているのである。
地球の自転運動がある日突然逆回転になりました、なんていう天変地異のレベルを遥かに超える重大ニュースなど聞いた事は無い。俺の知るかぎり、この母なる大地地球は今日も俺たち人類を乗せて、太陽の周りを365日かけて公転しつづけ、さらに自身も地軸を23・4度傾けた状態で永劫変わるはずの無い向きで回り続けているはずだ。
ならば、今ここで俺が目にしている東へ沈んでいく太陽を指して、何ていうべきだろうか。
ありえない? 地球はもう終わり? 人類は滅亡する?
いや、どれでもない、これを見ても万人が納得できる論理的にして科学的な答えが、一つだけある。
「ああ、そうか、これは夢なのか」
夢、そう、どんなありえない事態も、この一言で全てカタがつく。
この、いきなり神社の境内に立っているという謎の状況も、陽が東へ沈んでいく天変地異も、全て夢の中の出来事と言えば納得できる。
ただ一つ不安なのは、こんなあべこべな世界観を創り上げた俺の脳が正常に機能しているかどうかであるが。まぁ、それは自分で確かめる術は無いだろう、少なくとも、今の俺は正気でいるつもりだ。
「はは、そうか、なんだ夢かよ」
完全無欠に納得のいく答えを見つけた俺は、さっきまでの戸惑いと緊張などすっかり失せてしまった。
何かやけにリアルな夢だけど、これが明晰夢ってヤツなのかな? そんな呑気なことを考えつつ、改めて周囲を見渡してみると、
「は?」
目の前に、黒い影が立ちはだかっていた。
「なんだよ、コレ――」
俺が向いている方向には、神社の本堂が建っているはずである。だが、視界を完全に塞ぐように、真っ黒い何かがそこにいるのだ。
いや、ソレが何であるか誤魔化すのはやめよう、黒い影だとか何かだとか、そんな曖昧なものではなく、もっと端的に目の前にいるコイツを指し示す表現に心当たりがある。
「――死神?」
ソレは、漆黒のローブを身に纏った、大きな髑髏だった。
その手に魂を狩る大鎌こそ持っていないが、黒衣を纏った骸骨なんていうタロットカードに描かれるほどストレートな姿をしていれば、死神としか言い様が無い。
ただ、そのステレオタイプな死神姿とやや異なっているのは、人間の頭蓋骨ではあるはずのない、長大な二本のねじれた角が生えていることと、下顎に並ぶ歯列の両奥から、天を衝く様に鋭い牙がでていることだ。
その禍々しいデザインは、まるで鬼の頭蓋骨のよう、いや、事実、そうとしか思えない。
そして、何も映さない空虚であるべきの眼窩には、揺らめく炎のように紅い光が宿っていることから、コイツがただの等身大スケールのリアル死神フィギュアじゃないことを示している。
「これは、また、随分と不吉な夢を見るもんだな俺も……」
可愛い女の子、とまでは言わないが、もう少し夢と希望が持てそうな素敵なモノが現れてくれてもいいんじゃないのかよ。
そんな文句とも現実逃避ともつかないしょうもない考えが脳裏に過ぎっている最中に、このリアル死神はどうしようもないほど俺の注意を引いた。
要するに、動いたのだ。
「うわっ!?」
反射的に逃れようとするが、死神の大きな白い骨の両手は、ガッシリと俺の両肩をホールドしており、
「え、ちょっ、待っ――」
そのまま、禍々しい鬼の髑髏で熱烈なキスでもするかのような勢いで俺の顔面に迫ってくる。
マジで、最悪の夢だろう、ファーストキスが死神髑髏、いや、そうじゃなくて、コレ、もしかしなくても、俺、襲われて――
この作品は、私が連載中の『黒の魔王』とは、あんまり関係ありません。スピンオフ作品でもない、れっきとしたオリジナル作品ですので、『黒の魔王』読者様も、新規読者様も、どうぞ気にせずお読み下さい。