4:その美女と野獣
2012-09-04改変
―――空気を感じて、立ち止まる。
肌の上を静電気が走り、パチパチと音がした。
突然の事に驚いた所に、追い討ちをかけるように不協和音が鳴り響く。
それまで聞こえていた、雑音が全て、その音で塗りつぶされた。
何処、ではなく、空気が、空が―――鳴いていた。
不安と恐怖が綯い交ぜになり、声から悲鳴が出たがその音もかき消される。
そして音は鼓膜を破る程に大きく音がなり、地面を衝撃が走った。
一瞬体が浮いたと思った時には投げ出されていた。
地面と空の感覚が無くなって、ガラスを引っ掻く様な音が上から聞こえてくる。
顔を上げようとして―――
* * * * * * * * * * * * * * *
覚醒は緩やかだった。すぅと目が覚めて、視界に天井が映し出される。
たった今まで夢を見ていた気がしたが思い出せない。何度か瞬きをして、顔を左右に動かす。どうやらベットに寝ている様だけど、触れる布団の感触や匂いが、慣れ親しんだ自分の物では無い為、自分の部屋では無い事に気付く。
(すると此処は何処?)
何処かに泊まった記憶が無いので、益々知らない部屋に疑問を抱く。
体を起こし、部屋の様子を見回してみる。枕元に小さな間接照明があるだけで、部屋は薄暗い。窓も無いので、今が朝なのか夜なのか分からない。
そういえばと、腕時計を覗き込むと4時過ぎ。
(何だか中途半端な時間…)
もう一度部屋を見回してみるが、やはり全然知らない部屋だった。
部屋の中はこれでもかと言う位、目に映る限り本で覆われている。壁際に大きな本棚があるが、明らかに棚に入りきらず床に直置きされて積み上げられている本の方が多い。本の山はよく崩れないなと思う絶妙なバランスで、まるで本のピラミッドもしくは本のジェンガの様だ。
辛うじて、澪が寝ているベットのある場所だけ空けた空間があるだけで、それ以外は本。本。本。本しか見渡す限り無い。ベットはあるが寝室と言うよりも、書庫の中にベットを置いた。と言う方が正しい様なので、仮眠用のベットなのかもしれない。もしくは物凄くモノグサなだけか。部屋はその所為か少しだけ黴臭かった。
酔っ払って不法侵入して、寝潰れてしまったのだろうか一瞬思ったが、そんな漫画の様な事起こりうる筈が無い。そもそも酒を飲んで意識を無くすと言う事が有り得ない。会社の同僚と飲みに行って他人を介抱する事はあっても、逆に介抱されたと言う事が一度も無い。意識もしっかりしており人に送って貰うと言う事も無かった。送ると言ってくれる人は居たがけれど、辞退してしっかり自分の足で返っていた物だ。
隙が無さ過ぎると同僚の娘には言われたが、それが自分の性分なのだから仕方ないだろう。おかげで酒に関わる色っぽい情事何てこれっぽっちも無い。
ハッと思い当たり、自分の身体を確認する。半そでのブラウスにスキニーパンツ、ちゃんと服を着ている事にそっと息を吐く。人生初の大失態をした訳ではなさそうだ。
ふと手元を見ると、自分が見慣れない服を掴んでいる事に気付く。それを掛け布団変わりに今まで寝ていた様だ。無意識に失敬したのか、どなたかの好意かは分からないが、寝てる間にしっかりと握り締めていた様で皺が付いてしまっていた。
慌てて皺を伸ばそうと広げ、その形状に疑問が持ち上がる。厚手の防寒着の様だが、今まで見た事も無い。袖が無いケープコートの様だけど、大き過ぎるほど大きいフードが着いておりバランスが変。いつだか映画で見た魔法魔術学校の生徒が着けているマントに少しだけ似ている。この部屋の持ち主はコスプレが趣味なんだろうか。
もう少し状況を確認しようと身体を起こしたら、想像以上の肌寒さを感じ肩がぶるりと震えた。室温がどれ程かは分からないがクーラー病にでもなってしまいそうな温度だ。半袖から出た手を擦り、何か無いかと周りを見渡すが温度調整が出来そうなものは見当たらない。
「…………」
ちらりと視線を下に下げると、どなたかの防寒着もといさっきまでの掛け布団。仕方ないと、心の中で持ち主に断りをいれて、コートを羽織る。すると人が身につけていた訳でもないのに、コートはほんのりと熱を持ち暖かかった。その事に疑問を抱くが、自分が今まで掛けていたので熱が移ったのだろうと心の隅に追いやった。
ゆっくりとベットから下りると素足に床の冷たさが直に伝わった。靴は見当たらないが仕方が無い。よく見ると本と本の間に少しだけ人が通れるスペースがあるのを見つけた。
本を倒さない様に慎重に歩くと、それほど離れていない所にドアを見つけて、六畳位の部屋なのだと気付た。
(ここは何処だろう…)
ドアの取っ手に手をかけ、もう一度部屋の中を振り返る。このまま此処に居ても埒が明かない。意を決して取っ手を回そうとしたら、ドアの向こうから聞こえて来るのは誰かの足音、咄嗟に一歩引いてしまった。
次の瞬間ドアは勢いよく開かれた。
「―――!!!」
「起きたか」
目の前の人はそれだけ言った。
わたしはと言うと、何とか誰とか思う余裕もなく驚いてしまった。何故なら目の前に居る人は顔も髪と髭に隠されてしまい、顔面もっさもさ。もう一度言うモッサモサ。現代日本ではそうお目に掛かれない位、モッサモサ。白いムックがわたしの頭を飛来する。
何の反応も見せないわたしに、目の前のモッサモサな人が首をかしげる。モッサモサ。叫び声をあげなかった自分を褒めてあげたい。
目の前の人はわたしをジッと見下ろしている、髪の間から見える灰色の瞳と目が合うと何故か近視感を覚えた。
(…あれ?この人)
瞬きにして三度、記憶がどんどん甦ってきた。そうだ、この人とは一度会っている。そして同時に血を飲まされた事も思い出し、警戒して半歩後ろへ下がった。下手に近づいて、また何か突っ込まれたら大変だ。
そんなわたしの行動が気に食わなかったのか、鼻を鳴らすとクイッと顎を動かす。そしてそのまま何も言わずに元来た方向に歩き出してしまった。
(…着いて来いって事?)
一瞬だけ逡巡したが、すぐに彼の後を追う。まずは自分の状態を理解しないと何も出来ないのだから。
部屋の外に出ると、足元に小さな明かりがあるだけでやはり薄暗い。ここが彼の家なのだとしたら、視界の悪さで苦労しないのだろうかと思った。
少し先で立ち止まっている彼は、わたしがちゃんと後を付いて来ている事を見届けると、更に目の前のドアを開けてさっさと入って行った。
それを私も慌てて追いかける。
彼に続いて部屋に入った瞬間、目の前が真っ白に塗りつぶされて何も見えなくなった。光だ。暗い所から明るい所に来た事で、開いていた瞳孔がまぶしさで錯覚を起こしたのだろう。目が落ち着くのを待って、ゆっくりと目を開けるとそこは落ち着いた温室の様だった。
その部屋は奥の方に向かうにつれて天井が高くなっており、円形のドーム状をしているみたいだ。天窓がいくつか設置され、外からの光が取り入れられている。白く塗られた壁に光が反射して、少しの日差しでも部屋全体を明るく照らしていた。
温室―――と思ったのは部屋中にある植物の数から。幹が細く背の高い樹が植えられており、風にそよぎ揺れている。葉は日差しを適度に遮り木漏れ日を作り出していた。床を覆う芝生の様な草は所々小さな白い花を咲かせて、コントラストが可愛い。入り口近くには砂が引かれ、サボテンの様な植物が植えられてる、何だかちんまりと存在する様子が可笑しかった。足音からチョロチョロと水音がするので、床下に水を通しているんだろう。
色花がないから華やかさは無いけれど、わたしは一目で気に入ってしまった。先程の肌寒さが嘘の様にぽかぽかと暖かい。何だか昼寝したくなる様な部屋だ。
<―――澪は知らないが、その部屋の空気は生命樹の森に非常に酷似している>
そこで先に入った筈の彼の姿が見えない事に気付く。奥の方に小さなテーブルと椅子が置かれているのが見えたので、とりあえずそちらに向かった。テーブルの近くにある少し大きめの天窓が明けられて、風が入ってきている。けれどそこにも探す人の姿は見当たらない。
人様の部屋で勝手に椅子に座るのもどうかと思い、立ったままどうしようかと思っていたら、後ろから声を掛けられた。
「早く座ったらどうだ」
振り向くと、彼が手にトレイを持って立っていた。相変わらず言葉や何かが一つ二つ足りないんじゃないかと思ったが、言われた通り椅子に座った。
(はいはい、仰るとおりにしますー)
初対面に近い人間の言う事に大人しく従うのも癪だが、顔には出さず素直に応じる。元々あまり人に反発する性格でもなく、事なかれ主義なのだ。人に合わせるのは得意である。
それに最初は外見や態度に戸惑いも覚えたものだが、既に数度やり取りをして慣れた。寧ろ慣れなくては何も始まらない気がした。
それによく見てみるとモサモサしているのも味があって良いじゃないか。無口でぶっきら棒なのも、硬派だと思えば、許せる。
何だ実家の愛犬と同じじゃないか。愛犬はワンコなのに実に硬派な漢で、わたしがご飯を目の前に出しても尻尾一つ振らずじっと待っている。そしてわたしが目の前に居る時は決してご飯を食べず、わたしが立ち去ってからガッツガッツと食べるのだ。それもカリカリ1つ、肉片も残さず綺麗に食べきる。しかしわたしがお皿を片付けに行くと、毎回お座りで待っていてわたしの顔を一舐め。美味しかった?と聞くと、尻尾を三振り。毎度わたしは愛犬の硬派にメロメロにされてしまう。いけない犬の事を考えるとわたしの色々な箍が外れてしまう、軌道修正だ。真っ白な毛並みは愛犬と同じと思えば何だか愛嬌にも思えなくも無い。……無い。
勝手に愛犬と比べられてるとも知らず、彼はわたしの前に一つカップを置く。飲み物を注ぐと、また出て行こうとするので慌てて引き止めた。
「あのっ!」
「なんだ」
これ、と目の前のコップを指差す。―――これ、飲んでいいの?
わたしの為に入れてくれた――匂いから多分紅茶――だけど、一応伺ってしまうのは習性だ。
「疲労を回復させる、飲め」
そう言ってまた何処かに行ってしまった。扱い難い人だけど、恐らく元々そういった人なのだろう、危害は無いので我慢する。血を飲まされた事については、この際考えない事にした。
注がれたお茶からは、ほのかな甘い香りがしてくる。
「疲労回復ってハーブティーかな?」
見た目からは想像も出来ない、お上品なセレクトだ。本の部屋やらこの部屋やら、本当に同じ人の趣味なんだろうかと、疑問を覚える。強引なのか優しいのか、おかしな人と関係を持つことになってしまったものだ。お茶を口に含んで、ふんわりと広がるベルガモットの香りに、自然と笑みがこぼれる。
(美味しい)
何だかんだと緊張していたのか、お茶を飲んで一息つくと体から力が抜ける。疲労回復と言っていたが、本当のに体の中がポカポカして何だか疲れも取れたみたいだ。気持ちに余裕が出てきたので、もう一度回りを見回してみた。
そして、先ほどまでは気付かなかった部屋に入ってから感じた違和感に気付く。―――そう、部屋が明るいのだ。もう一度腕時計を見てみるが、4時半を過ぎている。しかし今部屋を照らす部屋の明るさはまるで昼の明るさと暖かさで、明け方にも夕方にも思えない。
腕時計は太陽電池式で先日充電したばかり――、遅れているとは思えなかったが、壊れている様にも思えない。これの意味する所は―――?
ここに来て色々とおかしな事が多々ある事に思い至り、慌ててもう一口お茶を飲む。こういう時こそ、落ち着かなければいけない。
そうこうしていると、人が戻ってくる気配を感じた。
(よし、彼にまずは話を聞こう。)
自分を落ち着かせて気持ちを奮い立たせると、彼が入ってくるであろう扉を見つめる―――
しかし入ってきたのは儚げな雰囲気の麗人でした。
* * * * * * * * * * * * * * *
森で彼女を連れて帰ってからが大変だった。
王城に帰還したら王に任せるつもりだったが、城に着いても彼女が目覚めなかった為に、出迎えに来た王に彼女を抱えている所を目撃されてしまった。
(全くあいつは―――王が出迎えるなんて、聞いた事が無い)
想像していた通り、驚愕の表情を浮かべた後にニタニタと嫌な笑いを浮かべ始めた。馬鹿笑いしないのは、一応ここが外で、回りに護衛の騎士なども居るためだろう。その騎士共は興味深い瞳を隠そうともせず、この状況を観察している。
(―――目を潰してやろうか)
二人になったら、何を言われるか。頭が痛くなる。
「この状況、詳しく聞きたいね。」
「………」
これ以上視線を集めているのが苦痛になり、さっさと彼女をロゼに押し付ける事にする。俺の意に気付いたのか、ロゼが腕を広げて受取ろうとするが―――
「おや」
クンッと服を引かれる感じがして下を見下ろすと、小さな手が外套を掴んでいる。おまけに胸に擦り寄られて硬直する。
「どうやら、彼女は君の方が良いようだ」
「………」
ぎこちなく顔を向けると、目の前のロゼは「面白いものを見た!」と言う表情で目を爛々と輝かせている。
「仕方ない、色々と聞きたい事はあるけれど、報告は明日に延ばそう。ちゃんと、しっかり、優しく、彼女の面倒を見るんだよ、ルキ」
何か余計な単語も混ざった事を言いたいだけ言って、ロゼは引き返して行く。直ぐに騎士共もその後に続いたので、俺だけがその場残された。
その後自室に帰るも目覚めない彼女に、仕方なくベットを譲ったものの、途方に暮れるしかない。
(これを一体どうしろと)
一度簡易ながらも王への報告へ行ったが、戻ってきても起きていなかったらと思ったが杞憂に済んだ様だ。酷い怪我だったが、治療が間に合ったのか後遺症も無い様子。今の所、魔導の反発も無い。体力回復を促す茶を飲ませたので、今はマシになっているだろう。
ロゼに引き合わせれば、あとは王が全て引き継いでくれるだろう。久々に外に出たが、半日出ただけでも数週間分の疲れが体に溜まった様な気分だ。
(―――早く、面倒事から開放されたい)
ため息をつき、彼女の所に戻ろうとした所で、壁に掛かっている鏡に映る自分の瞳と目が合う。そういえば、次に訪問する時には身なりを整える事を約束していた。面倒ではあるが、自分で約束を承諾してしまったので、守らない訳にはいかない。
<実は変な所で律儀な所が王にからかわれる原因なのだが、ルキは気付いていない>
髭を剃り、背中の中ほどまで伸びてしまった髪を切り、全体的にこざっぱりとした所で鋏を置く。久しぶりに見る自分の素顔は、まるで他人を見ている様で見慣れない。灰色の瞳も白銀の髪と合わせて顔全体をボンヤリとさせている。自分の無表情さに、気に食わなさを感じて鏡を裏にひっくり返す。
王や養父は好きだと言うが、忌々しい色を持つ瞳も髪も昔から嫌いだった。荒れた気持ちを抑えて、ルキは部屋を出る。
* * * * * * * * * * * * * * *
―――麗人が目の前にいた
切れ長の瞳に、伏せ気味の睫毛が目元に中性的な色気をかもし出してドキドキする。髪や瞳の色の所為か、ゆるく閉じた口元に物憂げな表情は、今にも風に飛ばされそうな儚さを醸し出している。髪が短いのが勿体無いが、男装の麗人風で美貌を損なっていない。
今までお目に掛かれた事の無い、整った顔に感嘆のため息をつく。
(えれえ別嬪さんが出てきたよっ!)
こんな人が会社に居たら、絶対仕事にならない。寧ろ絶対に居るわけが無いし、想像すら出来ない。こんな人が子供生んだら、これまたとんでもなく眉目秀麗なお子さんが生まれるだろう。将来がとても楽しみな人である。
ほぅ…と見惚れて、お茶をもう一口。
「それを飲み終わったら行く所がある」
「ぶはっ―――――――!!!!」
口に含んだお茶をそのまま盛大に噴出した。
「わっ汚い、ごめんなさい―――」
(―――じゃなくて、今なにか間違った声が聞こえた気がする!!!?)
口からお茶を垂れ流すわたしを見て、目の前の麗人が凄く驚いている。
「何をしている」
うわっまた聞こえた!!どう考えても目の前の麗人から聞こえて来る声は、低音で男性の声。女性ではない事にショックを受けたが、それよりも何よりも先ほどまで会話をしていた、彼と同じ声と言う事に驚きが隠せない。
確かに目の前のお方は白銀の綺麗な御髪をしているし―――そんな馬鹿な事があるんだろうか。まさかと思うが、あまり信じたくない。
目があった瞳も―――灰色だった。
「拭え、見るに堪えん」
「……は、はい」
そう言って麗人はハンカチを渡してくれた。
確かにわたしが見るに耐えない酷い有様と言うのは分かるが、もう少しこうオブラートに包んで言う言い方を知らないのか。
ああ―――と世を儚む人の気持ちが分かった。美女と野獣の映画が好きだったが、現実は物語より残酷だ。
野獣=美女だったなんて。