2:その邂逅
2012-09-04改変
ルキが今居るのは、この国の国主の部屋だった。
呼び出した男は部屋の持ち主でもある、国主、ロゼウィン・カナン・セイファートその人。その当人は正しく執務最中である事が分かる様に、自身の執務机に向かい書類に目を通していた。
自身も恩恵を受けた優秀な魔導師の素養がありながら、この国の王を務め上げている。国民からの支持も高く、自身の力で立派に治世を築いている実力者。自信家でありながら、生来穏やかな性格の持ち主の為、その性質も嫌味にならない。良くも悪くもルキが苦手としている人物である。
部屋の中はあらかじめ、人が下げられており王とルキだけしか居ない。
恐らく旧知であるルキに非公式の話があるのだろう。王は内々に進めなくてはいけない面倒事があると、ここぞとばかりにルキを扱き使ってきた。今までも同様の呼び出しを食らった事がある為、既に気構えは出来ていた。
それに王はルキが他者と一緒の空間に居る事を苦手としている事を知っているので、いつも話合いは必ずと言ってもいい程二人だけで行われる。
彼は入室してきたルキを笑顔で出迎え様とし
―――ルキの顔を見た瞬間に噴出し爆笑し始めた。
「ぶはっ!!!ははははははは!!」
顔が大きく歪み、髪を振り乱し腹を抱えて笑う男には王の威厳は欠片も感じない。
「ちょっまっ、いくら、なに、も、ぶっふはぁっっつ!!」
まるでひきつけを起こしたかの様に笑い声は止まらず、言葉もキチンと話せない有様。終いには座っていた椅子からも転げ落ちてしまった。それでも笑いが止まらないらしい、床上に蹲り体を震わせている。そしてチラチラこちらを見ては「山賊」だとか「雪男」だとか呟き、その度に噴出している。豪快に笑う様は、見た目の貴公子然とした雰囲気を悲しい位に裏切っている。
――ちなみに、普段の彼は礼節と格式が服を着て歩いている様な完璧な紳士である――
何も知らない者が見たら、泡吹いてぶっ倒れるに違いない。
暫く放っておけば落ち着くだろうと、様子を見ていたルキだが、全く収まらない様子に段々不愉快になってくる。いい加減落ち着いてはどうかと、口を開いたがその声は氷の様に冷え冷えとしていた。
「陛下」
「ぶっっほおっ!!!!……ふっひっひっ…なっん、だね?」
人を待たせておいてのその態度、漸く元居た椅子に座りなおしたものの、懸命に笑いを堪えようとしているのか、口がブルブル震えている。しかも笑いを我慢しようとし過ぎて、顔の筋肉が引き攣り可笑しなことになり、通常ならば整った顔立ち故に、筋肉との反発で顔にえも言われぬ不協和音を作り出している。
それ見慣れているルキでさえ、殺意を覚える酷い顔。ルキの苛立ちはますます増した。
「…ロゼ、用件だ」
段々と面倒になってきたルキは、さっさと公用語を止めて、身内としての名を呼ぶ。
「……………ああ、そうだったね」
ルキにしか許していない呼び名と、漂ってくる不機嫌な空気に「これは結構苛立ってるな」と気付き、王は居住まいを整えた。
まだくつくつと笑っているが、先ほどまでの醜態に比べればだいぶマシと言えるものだった。確かに呼び出しておいて、姿を見た瞬間に爆笑の上、放置と言うのは気分が悪くなっても可笑しくない。ただし―――
「その前に一つ、次からは部屋を出る前に髭や髪を整えて来るんだよ。その格好はあまりに酷いんじゃないかな?」
(……?)
一瞬何を言われたのか分からなかったルキだが、目に掛かった自身の髪と手で触れた顔を覆う髭に、そういえば暫く自分の身なりには無頓着であった事に気付いた。そして漸く王が爆笑していた理由に思い当たる。それにしたって王は笑い過ぎではあるが。ルキにとって王の笑い癖は慣れたもの、今更である。
外に出ず全て部屋の中で用事が済ませてしまう為、気付いたら髪も髭も伸び放題と言う事はルキにとっては有り触れた事で、人(主にロゼウィン)に言われるまで気付かないことも多々あった。
普段モッタリしたローブを着用し口数も少ない為、相乗効果でルキを年齢不詳に見せていた。実際に王を含めた数人を除いて、ルキの容姿や年齢を知っている者は皆無である。
(本当はわたしよりずっと若いのにねぇ…)
じっと考え込むルキの様子にロゼウィンは苦笑する。
「師を同じくした仲で今更取り繕いも無いけれど、困った事に一応わたしは王と言う立場だから周りがうるさいんだよ。そして何より君の素行を注意するのも、わたしの役目なんだ」
一応にワザとらしく力を込めて言うあたり、本当に困っている様には見えなかった。寧ろロゼウィンの言い方は失敗した弟を諭す兄の様なそれが強かった。
「…次からは」
ルキにもそれが通じたのか、先程までの冷気を消し去り素直に同意する。それを見てうんうん、と満足げに頷くと、ロゼウィンは本来の用件を口にした。
* * * * * * * * * * * * * * *
そして今、ルキは王の依頼で、生命樹の中に足を踏み入れていた。
国の象徴たる生命樹は一本ではなく、本来その樹が密集して出来た《白き森》の事を指す。
《白き森》と呼ばれるのは名の通り、生命樹自体が白い樹だからである。白い幹は樹というよりも、陶器の様な滑らかさで、葉は淡い銀色で陽光に当たってキラキラと光り幻想的だ。
森の中は一定の気候・温度を保っており、雨や強風なども起きない。その姿は植物の持つ温かみよりも、神聖さを醸し出している。
生命樹はしかし、その名の通り命を芽吹かせ、命に対して活力を与える作用がある。この国が豊かなのも生命樹の作用によるものが多い。
森は代々魔導師に大事に守られ続け、今も変らず国に恩恵を与えている――
そんな《白き森》には樹が作り出す特殊な地場があるのか、魔導師しか寄せ付けず、また森の中心に向かうにつれ、より強い恩寵を持った高位魔導師でないと近付く事も難しくなっている。一般人ならば、まず森の周囲に近付く事も、辿り着く事も出来ない。その上、物理的な影響も一切受け入れない。その為森を守護する者は、自ずと限られていた。
ルキはその数少ない一人だった。
魔導師にも恩恵の強さでランクがあり、それは身体に"色"として発現する。
濃い色を持つ者ほど恩恵が少なく、逆に薄い色を持つ者ほど恩寵が多い。主に上位魔導師がそうである様に、恩寵が強い者は皆、金の髪を持つ者が多かった。恩恵を持たない一般人は、大抵が緑髪や赤髪や茶髪の色を持つ。
その他に《特級色》と呼ばれる物もあり、《銀》や《白》がそれにあたる。稀に現れるこの特級色を体に持つ者は、生命樹から受ける恩恵が桁違いで、現代にはたった一人、過去にもこの色を持つ者は稀な存在だった。
ルキの瞳は灰色、髪は白銀。
当代唯一の《特級色》を身に宿す、同属である筈の魔導師たちからも一線を画す存在。
(あいつ…!)
ルキは心の中で舌打ちしながら、先ほどの事を思い返していた。
ロゼウィンがルキに依頼した事は二つ。ひとつ、森に異変が無いか、守護者として見回って来る事。ふたつ、森に落ちた「落し物」を回収してくる事。
森は立ち入る者・物を選ぶが、何故かこの世界に存在しない「落し物」だけはその例に漏れ、森の中にも時々落ちてくる。その際落下の衝撃で枝が折れたり、樹が傷付けられてしまったことがあったのだ。
森を乱す可能性がある物を徹底して排除する役目を担っているのが上位魔導師である。森が持つ地場とは別に、魔導師自体が守護を掛けていた。
しかし「落し物」はそれをも容易く突き破ってしまうのだった。恐らくこの世界に存在しないモノなので、森の地場も魔導の影響も受けないのだろうと考えられている。その為、守護に揺らぎや異変を感じた時には上位魔導師が森へ向かい「落し物」を回収し、傷ついた樹があったら補強してくるのである。魔導師からしてみれば、何の為に使うのか役にも立たない「落し物」の為に振り回されているのだ、いい迷惑である。
引き篭もりである事が有名すぎるほど有名なルキは、滅多な事ではその役目を担う事は無い。しかし今回は、守護を通り抜けた「落し物」が与える揺らぎがいつもと雰囲気が異なる事と、森の中心と言える母樹付近に落ちた事、それらの懸念に対応出来る魔道師の派遣を、となると該当する魔導師がルキ以外居なかった為である。勿論事を大きくしない為、即行即決で事を進められる人材で、ルキ以上に力を発揮出来る者は居ない、と言う王の信頼もあったのではあるが。
役目とは言え、体の好い雑用を任されてルキは何度目かの舌打ちをする。森に入った時点で、すぐに森全体に危険が無いかも確認済みの為、気負いは全く無い。結局はいつも王の思い通りに動かされてしまうのだ。
嬉々として、自分を出送りした王のニヤつく顔を思い出す。
「物分りの良い弟で兄として助かるよ」
「…弟じゃない」
「君の養父に師事していたのはわたしが先だからね、―――後から来たなら従え、弟よ」
前半は王として、後半は魔導師として話す。
「………」
口ではこの男に勝てないと、ルキは口を噤む。だがその代わりにと、きつく睨み付ける。
けれど視線を受けた王には涼しい顔で軽く受け流されてしまった。
(やはりこいつは苦手だ)
まずは森の周りを見回り、守護の綻びている所があれば修復する。そういった地道な作業を黙々と続けていた。面倒だ何だと思いつつ、ルキはこの森を嫌っていない。寧ろ体に触れる空気は優しく、居心地が良かった。
(この森は変わらない)
普段は自室の中でも気を緩める事が無いルキだが、この森の中ではそんな必要もなく、無防備なまま過ごす事が出来た。身に宿る魔導の賜物か、恩恵母体とも言える森は、ルキ自身に良く馴染んでいた。
一際大きな母樹が見えて来た為、そろそろ森の中心近くだと気付く。
今回の派遣理由となる結界を越えた物はこの辺りに落ちている筈と、回りを見回し―――しかし、そこに物など落ちていなかった―――代わりにあった、モノ。
地面に横たわる物体を見つけた。
一見人の形をしているが、ピクリともせず転がっている。その姿は打ち捨てられた人形の様で、手足は力無く投げ出されている。全身ボロボロで生きているのか、死んでいるのか分からない。
ふと鼻を掠める生臭ささに眉を顰め、物体を赤く濡らすものの正体に気付く。酸化して所々黒く変色している部分もあるが、いまだに流れ出し体の下の地面を赤く染めていた。
目線をそのまま上に向けると、折れている生命樹。枝を巻き込み落ちてきたのか、折れた枝や葉が回りに散らばっている。
再び、物体に目線を戻す。
落ちてくるものは、いつも"物"だった。
「これが?」
返ってくる答えは無い―――
見た目人型である為、何より漂う血生臭さに人間である事は間違いなく、物体に近づき、膝をつく。
うつ伏せの為顔は分からないが、身体つきから若い女性の様に見える。怪我の状態から体を動かさない方が良いだろうと、体の上に手をかざし治療を試みる。
(森の力を受けない"もの"に果たして魔導が効くか分からないが――)
意識を集中し、自己治癒力に活性の力を与える。合わせて再生を同時に加える事で、急ぎ表面の傷を塞ぐ。思っていた抵抗も受けず、上手く治癒が進んだ事で、知らず寄せていた眉も元に戻る。
目に付く外傷を治した事で、ずっとうつ伏せのままだった体を抱き起こた。
何の反応も返って来ないが、小さく上下する胸に、確かに生きている事が分かる。顔に掛かった黒髪を避けてやると、顔が良く見えた。頬には少しだけ赤みが差し、暖かい。触れる肌は肌理が細かく触り心地が良かった。
次の瞬間、それの口が笑みを浮かべるのを見て、ギクリとする。
(何…だ?)
思わぬ反応に、訳も分からず混乱する。
そして瞼が震え、現れたのは黒曜石の瞳。
視線があった瞬間、金縛りにあったかの様に視線が外せなかった。