1:その前
2012-09-04改変
ドンッと体に衝撃を感じた後の、一瞬の浮遊感――――
「えっ?」
何?――という澪の声は言葉にならなかった。
いきなりの下から来る風圧が凄まじく、口を開くこともままならない。耳元を轟音と冷たい空気が通り過ぎていく。直接あたる風の強さに体が千切れそうだった。
一体どうなっているのか確認しようとして、目が開けない事に違和感を感じる。
(…何これ…一体どうなってるの)
何だかわからないけれど心なしか、下に引っ張られる力が強くなった気がする。その時一つの予感に気付いて、背中から嫌な汗が流れる。
(…これ…違う、引っ張られてるんじゃなくてわたしが―――)
「落ちてるっ!!!」
もがいてバランスを崩した事で、増す落下速度に心臓がうるさく鳴った。状況にはまだ追い付けないが、間違いなく自分は何処かから落下している最中である。理解した恐怖で体が強張った。
突然の事に理解が追いつかないのは尤もだが、それよりも肌で感じる恐怖に、何とかしなくてはと焦る。相変わらず目をあける事は出来ず、自分が何処から落ちているのか、何故いきなり落ちているか、どういった落ち方をしているのか何て事も分からない。それでも、このままだと間違いなく待っているのは、死。
もしかしたら、地上はもう目と鼻の先なのかも知れない。この速度でパラシュートも無いまま地面に落下したら死体が残るいぜんに、正しく粉砕されてしまうだろう。
自分の今後を想像してぞっとした。
何とかしなくてはと思うが、何も見えない状態ではもがく事しか出来ない。焦る気持ちを堪えて、必死に瞼に力を入れる。
(早く目をあけなくちゃ―――!)
早く、早く、早く。思うように動かない瞼がもどかしく、それでも少しずつ光を捉えはじめ、微かに目に入ってきたのは
眼前一杯の銀色
あっ、と思った瞬間に全身を襲う痛み。
体に当たる衝撃や耳に入ってくる音から木の上に落下したのだと理解した。枝を巻き込みながらも止まらない落下速度。
咄嗟に手で顔を庇ったものの、むき出しの手足を枝葉が容赦なく傷つけて、うめき声が口から漏れる。肌を裂く痛みに悲鳴を飲み込み、それでも必死に枝を掴もうとしたのは、生きる事への本能だったのかも知れない。
そして体に触れるものが無くなり―――
一拍、全身が叩きつけられた。
「…っかっは」
一瞬息がつまり、咽から悲鳴にもならない声が漏れた。
地面に着いた事で漸く落下は止まったが、全身を駆け巡るのは熱の様な強烈な痛み。息をするにも痛みが走り、体中の骨がバラバラになってしまったかの思える程に、指一つ言う事がきかなかった。
(痛い、痛い、痛い、熱い…!!)
打ち身や切り傷でボロボロであろう体は、弱く息をするだけも全身に痛みが走った。何処からか出血して居たのか、それとも落下に寄る衝撃か、意識を保っているのも難しく、段々と全身の感覚が無くなっていった。
――――もしかしたらこのまま死ぬのかもしれない
地面に吸われている血と同様、今度こそ意識は暗闇に吸い込まれていった。
* * * * * * * * * * * * * * *
『何か』が澪に触れていた。
首に少しの間指を当てて何かを確かめた後、頬を撫でた後に顔に掛かった髪をよける指。
(……誰?おかあさん?おとうさん?)
優しげに撫ぜる手が心地よかったので、これは大丈夫と安心して息をはいた。その時はっ、と息を呑む音がして、頬に触れていた指も離れてしまった。
心細さを感じ、それがあるであろう方向に顔を向けた。瞼を閉じているので何も見えないが、段々と意識がはっきりとしてきた。
重たい瞼をゆっくりと開けると、ぼやけた視線の先に灰色の瞳がわたしを見下ろして居た。