20:その魔導師 前
―――君は魔導の力を"弾く"でも"消す"で無く"吸収"している。
それが魔導を使った相手の"色"として、髪と瞳に―――
「―――現れているのだよ…か」
治療を受けた時も、紋を刻まれた時も、わたしに現れていたのはルキさんの色。
陛下から攻撃された時、わたしの髪と瞳を変えたのが陛下の色。
そう言われて、理屈では分かる様な状況ではある。
まるでカメレオンの様で、自分が面白人間になった様な気分だ。
「ただ色として現れて、それでどうなる…と言われたら現状何も分からないね。どうやら時間が経過するとミオの中に吸収された"魔導の力"も消えてしまう様だから」
自分の髪を弄び、陛下が言ってた事を思い出す。
異世界に来て身についた、特殊能力かと思いきや、ただ吸い込んでお終いとは。
どうせ身に付けられるなら、言語や識字能力が欲しかった。
そう言っても無駄ではあるけれど。
ため息を付いて、頭上から降り注ぐ月光を仰ぎ見る。
この世界の月は、プラトンとフォントネルと言う二つ並んだ兄弟月を指す。
隣り合い公転感覚も同じのため、空に浮かぶ様は二つの眼球の様だ。
柔らかい光を降り注ぎながら、じっと見ていると、月の光が降り注いでいるのか、自分が月の引力に引っ張られているのか錯覚を覚える。
月を見ているとなんとも言えない気分にさせられる。
月には魔力があるだとか、月を狂気と表した昔の人の感性がよく分かる。
こんな夜には心が騒ぐ。
昨日の今日で危機感が足りないのかもしれないが、全ては"月"の所為にしてしまいたい。
傍らのテーブルには、先日彼の人にと置いておいたバスケットが"同じ場所"に置かれてある。
空っぽの中身に、上に被せてあった布は綺麗に畳まれてあった。
(―――…食べてくれたのなら嬉しい、中身だけ捨てる様な人では無い気がするし)
自分でも何故また"此処"に来てしまったのか分からない。
―――わからないのに、夜になったら、こうして足が此処に向かっていた。
この想いは恋ではない、愛でもない。では何がわたしを動かすのか。
思えば初めて会った時から"灰色の瞳"には安心感を覚えた。
まるで最初から知っていたかの様に、わたしはあの色に―――を感じるのだ。
「ミオ?」
反対側から聞える声に、意識を呼び戻された。
こちらからは暗がりなので人影でしかないが、声からドアの所に陛下が立っていると分かる。
「陛下?」
(―――なぜここに?)
思えばこの部屋で"彼以外"の人と会うのは初めてだ。
そもそもこの部屋で人と会うなんて、この世界で目覚めた最初の一回だけだが。それだけこの部屋には人の気配を感じない。
長年放置された別荘の様なのに、何故か木々などは定期的に手入れをされている様な感じがする。
陛下はゆっくりとわたしの方に歩いて来た。
こちらの方に近づくにつれて、暗がりで見えなかった陛下の姿が明確に浮かび上がる。
「…部屋に居ないからまさかと思ったけれど、此処には頻繁に来ているのかな?」
月明かりの下で見る陛下は、いつも以上に何を考えているのか分からない。
なんと言えばいいのか、別に部屋の主に断わって入っている訳でもない。
かといって、陛下に許可を貰うのもおかしい気がする。
「…別に責めているのではないよ、本人が拒否をしていないのだろう?」
「……拒否…してない、のでしょうか」
昨夜の"最後の言葉"が思い出される。
―――初めて向けられた彼自身の感情的な言葉
彼は今まで"良い"とも"悪い"とも、わたしに対して"何か"を伝えて来た事は無い。
陛下やミシュやリリアーレさんの様な、親しい会話なんて全くしていない。顔だって合わせたのは片手で足りるくらいだ。
彼はただ"其処に"存在している、そういった人だ。
森から連れ帰ったと言った後も、あくまでも"魔導師"として接しており、一体彼自身が何を考えて行動していたのかは分からない。
彼は何も言わない。
ただ其処に在る、たったそれだけなのに、わたしに強烈な印象を残していく。
"あの日"から外套はずっと椅子に置かれ続けている。
いつも朝目覚めると、不自然なくらい綺麗に外套に包まって寝ている。
(何故寝ている時でしか、"彼"に会う事が出来ないのだろう)
「ミオはこの部屋に入ってから、鏡を見た事あるかい?」
「…え、いいえ?」
「そうか通りで…この部屋には鍵が付いているけど、使われていない事が不思議ではない?」
陛下は何が言いたいのだろう。
鏡と言ったと思えば、ここの鍵?
「あの、それはルキさんが面倒だから、気にしていないのだと…」
「…此処には他人が立ち入れない様にルキ自身が張った純密度結界がある、下手に触ると身を傷付ける程のね。だから此処に近づく者はまず居ない。わたしは解除方法を知っているから入って来れた、ミオは…もう気付いたかな」
陛下が話している途中から、わたしの手は自分の髪に触れていた。
この部屋に来るのは、いつも夜だから、今まで全く気付かなかった。
先日昼間に来た時に感じた不思議な感覚も、昼間に来た事が珍しかった事を原因だと思ったが、自分の髪の色が変わっていたから無意識に感じたのだろう。
つまり此処に夜来るたびに、わたしは自分でも気付かない内に"変わって"いたのだ。
「ルキはあれでかなり神経質だよ。他人の気配がする所では、決して身を横たえる事は無い。そして自分の領域に他人が近づく事を善しとしない」
「…わたしが、此処に居る事をルキさんは…」
「……どうかな?そうかもしれないし、違うかもしれない。最近のあの子はわたしにも予測不能でね。ただ……その外套があの子の本音だとは思うよ」
外套が急に重みを増した様に感じた。
また顔に熱が集中している気がする。
「……どうして、人を遠ざけるのですか?」
「遠ざける…そうかもしれない。遠ざけられたから、遠ざけたのか、今ではどちらが先なのかは分からないけれど」
陛下は遠くを見ている様に、まるで独り言の様に言った。
遠ざけると言うのは、いつか見た城の人たちの態度の事だろうか。
ルキさんは、構うなと言った、あの時。
陛下の性格だったら、止めさせる事も出来るだろう、あの人達の態度。
それなのに、陛下が何も言わないのは何故。
陛下の近くに居る人達でさえ、一歩身を引いた様に接している。
わたしが知る中で、ルキさんと対等な会話をしているのは、国王夫妻だけだ。
この国での魔導師の地位がどういった扱いなのかは分からないが、それは酷く不自然にわたしの目には映った。
「……」
自分の体の事を昼間に聞かされてから、ルキさんと歩いている時などに感じた違和感が漸く分かった。
魔導を吸って色が変わるのなら、初めて陛下に会いに行く時にフードを被らされたのも、回廊で怪我をした時に外套で包まれたのも、昨夜の事も共通して、ルキさんは外套で"わたし"を外から隠している様に感じた。
"わたし"に気付かせない為なのか、"別の人"に気付かせない為なのか。
それは一体"何"を隠したかったのか。
「……」
ルキさんと関わる事に異常な反応を示した、魔導師。
陛下が、わたしに紋を刻んだルキさんの話しをした時に、見せた異常な反応。
わたしに現れた"色"に反応を示したミシュ。
感じた違和感は、全て一つの事に終結している気がする。
その時陛下が此処に来たのは、偶然ではなく、わたしに何かを話す為だと気付いた。
陛下の弟弟子ではない、魔導師ルキウス・ベルとは一体何なのだろうか。
「…ルキの話しを聞きたいかい?」
わたしは迷わず頷いていた