17:その結末 *
若干きわどい表現があります。
「――――、―――!!」
「はい、すみません言ってる意味が分からないです」
「―――…―――!!!」
「そう言われましても、何を言ってるか解らないのですよ」
わたしは先程から不毛な会話を繰り広げている。
ロヴェ…何とかさんは、必死の形相でわたしに"何か"訴えているが、残念ながらわたしには解らないのだから、仕方が無い。
「…―――。―――。」
何を言ってもお互いの言葉が伝わらない為、目の前の人は途方に暮れてしまう。
それはそうか、いきなり会話していた人物の言葉が解らなくなってしまったら、誰だって混乱する。
ルキさんがあそこまで落ち着いていたのは、恐らくわたしが最初から"異世界人"と解っていたからかもしれない。
かといって慌てたあの人は想像も付かない。
「あの…ここで立ち尽くしていても何ですから…」
ロヴェ何とかさんの外套の裾を引っ張って道の先を促す、言外に「鍛冶屋に連れて行って欲しい」と伝える。
わたしの下手糞なジェスチャーでも意味が伝わったのか、コクリと頷いてくれる。
先程の無言とは別の意味で微妙な雰囲気の無言の中、只管無言で鍛冶屋への道を進んだ。
暫くしてやっと人のざわめきなどが聞こえ始め、漸くわたしの気持ちは落ち着いて来た。
(良かった。ちゃんと連れてきてくれたのか)
見知った照明店の横を通り、やっと大通りに戻ってこれた。
とにかくリリアーレさんだ。随分時間が経ってしまっている、きっとわたしが居ない事に気付いているだろう。
少し先にある鍛冶屋「オルト・ヴェルノーズ」の方に視線を向けた。
すると鍛冶屋の店先に目当ての人が佇んでいるのが見えた。
「リリアーレさん!!」
「……!ミオ――!!」
(あ、名前は解る!)
わたしの声にリリアーレさんがすぐ反応し、わたしに気付いてくれた。
そしてすぐにわたしの所に走ってきて、わたしはそのまま抱きしめられてしまう。
「ミオ――!――――!!」
彼女は半狂乱と言うのが尤もなほど、取り乱しており、周りの人にジロジロ見られてしまう。
顔は蒼褪めており、目元が赤くなっている。
(心配掛けてしまった…)
「すみません、リリアーレさん」
「ミオ――?―――!!?」
「――――。―――。」
「…?…――――??」
わたしの言葉を聞いて、やはり彼女にも言葉が伝わらなかったのだろう、目を大きく見開いている。
辛うじてわたしを呼ぶ"ミオ"と言う単語だけが理解出来る。
それさえも注意して聞かないと、ただの"音"にしか聞こえないのだ。
そこにロヴェさん(で良いや)がやってきて、会話に割り込んだ。
突然割り込んできた魔導師に、リリアーレさんは驚いた様で、しきりにわたしとロヴェさんの顔を交互に見比べている。
そして事情を説明されたらしく、さらに驚愕してしまった。
しかし突然会話が出来なくなったわたしを見て酷く心配している様だ。
わたしは安心させる様に彼女の手を握った。
「すみません、心配掛けてしまって…」
「…――。」
わたしの表情で分かってくれたのか、リリアーレさんは顔を横に振って、手を握り返してくれた。
「――――、―――?」
「――――――。」
そこにロヴェさんが加わってきて、またリリアーレさんに何かを話しかけている。
リリアーレさんは真剣な顔で何かを返している。
顔を振ったり、頷いたり、目や顔の動きで何とか何を言っているのか、理解しようとするが、全然わからないのでお手上げだ。
言葉が解らないとこんなに大変だったとは。
何かを言い合っていた二人が、今度はわたしの方をジッと見て会話している。
リリアーレさんが頻りに頷いている、――――なんだろう?
一頻り会話が交わされると、リリアーレさんは繋いでいた手を離し、そのままわたしの手をロヴェさんに渡す。その為自然と手を繋いでいる様な状態になった。
リリアーレさんは、また何かロヴェさんに一言二言伝え、相手は頷いている。
わたしが訝しんでいると、ロヴェさんに腕を引かれて肩を抱かれた。
(??一体なんだ?)
そう思った瞬間に、景色が歪み一瞬の内に辺りの景色が変わった。
「――うわっ!!」
石畳の陸橋の上にわたしは立っている。隣には魔導師が立ったままだ。
目線の先には昼前に出たばかりの王城の門が見える。後ろを見ると貴族街の通りがずっと遠くに見えた。
(今何した?いきなり王城前に…瞬間移動ってやつ?)
「――――?――――。」
腕を引かれるままに、わたし達は門を通って王城に入った。
王城に入った途端、ロヴェさんの歩調が速くなったので、わたしは走るしかなかった。
(ひぃー足がもつれそう)
回廊に居る人たちは、異様な様子のわたし達に、サッと道を譲ってくれる。
知り合いなのであろう魔導師とすれ違っても、彼は短く返事を返すだけで足を止める事は無い。
わたしは歩き出して早々に息切れしており、半分引き摺られていた。
(身長差を考えて欲しい…)
心臓の音と自分の出す息の音しか聞こえず、早くこの苦しみから開放される事だけ考える。
見知った"後宮"の回廊が見えた所で、やっと強制マラソンは終わった。
ロヴェさんが後宮の入り口で、警備している騎士に一言声を掛けると、先に促される。
そして暫くしてやって来た所は生命樹紋の彫られた大きな扉の前。
(やっぱり陛下の所に来たのか)
「ロヴェルト・ヴァン・セイグラント、―――。」
「…ロヴェルト?――――。」
ロヴェさんが声を掛けると、中から少しの逡巡の後入室許可らしい声が聞こえて来る。
「――――。」
彼が入室したので、わたしも慌てて中に入った。
ロヴェさんは執務机の所に居る、陛下と既に何か話をしていた。
後から入って来たわたしと目が合うと、「――…ミオ――?」陛下は何事か言ってきたが、やはり名前以外は何を言っているか解らない。
陛下は素早く執務机を回り込んで、こちらの方にやって来てくれた。
心配そうにわたしの顔を覗き込んでくる。
「―――?――ミオ――――。」
「すみません、さっぱりです」
わたしは首を振って、解らないと言うジェスチャーを伝える。
陛下はロヴェさんの方を見てまた何か話し掛けている。
暫く二人の間で言い合いが続いたが、二人共難しい顔をしたままだ。
その時、また外から入室許可を求める声が聞こえて来た。
「ルキウス・ベル、―――。」
陛下が返事をする前に、その人はドアを開けて入ってくる。
そして部屋の中に居る、陛下、ロヴェさん、わたしと順番に視線を動かし、動きを止めた。
この面子が居るとは思っていなかったのか、意外そうな顔をしている。
「――。」
短く何か言うと、そのまま足を外に向けて出て行こうとする。
「――ルキ!―――。」
「―――?――ルキウス・ベル―――?」
「……」
すると素早く陛下に羽交い絞めにされ、ルキさんはその場に足止めをされてしまった。
ルキさんは裏拳やら肘鉄で応戦している。
ロヴェさんは何か仕切りにルキさんに噛み付いている。
ルキさんはそれでも外に出ようとして、陛下を引き摺って行こうと足をさらに前に出す。
抵抗し合っているのか、二人して体がプルプル震えている。
(野郎三人で何してるんだろう…)
「―――ルキ、―――?」
「……―――。」
「―――――!?―――ルキウス・ベル!」
「………―――。」
「――――!――ルキ――――ミオ――?」
「――――。」
「―――――?―――――?」
―――なんだろう、わたしの名前が出て来た辺りから、陛下の声の調子が変わった。
途中からロヴェさんは、会話の内容についていけなくなったのか、わたしと同じ様に観戦側に回った。
今は陛下とルキさんだけの会話が続いている。
けれど、段々声が小さくなっていき、今では殆ど内緒話をしている様だ。
陛下はルキさんの首の後ろに腕を回してガッチリ拘束している。
そんな中わたし達は(アレ、何話してるか解ります?)(俺にも解らん)と言う会話をジェスチャーでしていた。と言っても、ただアレを指さし、肩を顰めただけではあるが。
暫く二人のやり取りを眺めていると、陛下が顔を上げてわたしの方を見た。
そして手を招いて「こっちにおいで」と言う様なジェスチャーをする。
わたしが自分を指差し首を傾げると、そうそう、と頷かれた。ボディーランゲージ様々だ。
陛下の所まで行くと、何故か陛下がいつもの笑顔で微笑んでいる。
肩に手を置かれて、体をルキさんの方に押された。
ルキさんは、もの凄く嫌そうな顔をしてわたしと後ろの陛下を見ている。
―――――そして気付いた
言葉伝わらない+ルキさん=例のアレ
まさか、まさかアレか!あれなのか!?またアレを!!?
後ろの陛下を見ると、凄くキラキラした笑顔で後押ししてくる。おい、親指立ててんじゃねーぞ。
またルキさんに視線を戻す、灰色の瞳と目が合うが、やっぱり何を考えているのかわからない。
久々に見たルキさんは、けぶるような美貌はそのままで、歩く彫刻の様だ。
ちゃんと髪に櫛を入れて、髭も剃っている。よしよしその調子で怠っちゃいけないぞ。
―――ってー違うよ!
まずい、これは不味い。気持ち的にも、実際に感じるであろう味的にも不味い。
(…………………逃げよう。)
「あっ―――――!」
わたしは大声をあげて窓の外を指差す。
突然の大声と指差しにつられて、男三人が窓の外に顔を向ける。
アッサリと引っ掛かった事にしたり顔で、わたしは急いで扉を開けて逃亡を図った。
「ミオ?」
「ミシュ!ごめんね、今は駄目!」
「―――!―――ミオ?」
廊下で侍女さんと歩いてたミシュとすれ違うが、今は拙いと挨拶もそこそこに、わたしは只管走った。
* * * * * * * * * * * * * * *
「今そこでミオと、すれ違ったがどうしたのだ?」
ハーミシュリエラが開け放たれた執務室を覗き込むと、呆然と立ち尽くしている男が三人。
「……ミオが逃げたよ。ルキ、森で意思疎通が出来る様にしたとは聞いたけど、何をしたんだい?」
「………」
「……意思疎通?どう言う事です陛下?」
「…ロヴェルト、すまないね。その事はまた後で説明するよ。」
「何だ?ミオがどうかしたのか?」
「ハーミシュリエラにも後で説明するよ、とりあえず今はミオを探そう」
ロゼウィンがルキの肩を叩き促すと、ルキは静かに部屋を出て行った。
* * * * * * * * * * * * * * *
走って走って走りまくってやってきたのは、王城の西棟だった。
やはり普段生活している建物の方が、逃げるにも身を隠すにも都合が良い。
アレだけは何とか辞退させて頂き、別の方法を考えて貰うか、頑張って言葉を覚える努力をしよう。
今なら言葉だって文字だって進んで勉強させて頂きたい所存だ。
それまでは何とか逃げ切って、アレは嫌だ!と言う事を理解して貰おう。
回廊の角に差し掛かるたびに、少し顔を出して、廊下の先に追手が居ない事を確認して進む。
気分は隠密――やみにか~くれていき~る――ってこれは違うか。
自分の部屋はすぐに足が付くので、別の場所で無ければいけない。
並んでいる部屋のドアノブを捻るが、鍵が掛かっており、中に入る事は出来ない。
(やっぱり普通は鍵掛かってるよね~掛けないルキさんが可笑しいんだって)
こうしている間にも追手が迫ってきてそうで焦る。
周りを見回して、何処か身を隠せる場所は無いかと考え、
――――あれだ!
* * * * * * * * * * * * * * *
空には二つの満月が上がり、夜の帳が落ちた。
生命樹は月光を糧にその命を育み、国に恩恵を分け与える。
王城にもその光は降り注ぎ、暗さの中にも温かみを与えていた。
その王城の中を、靴底の掏れる音が鳴り響く。
昼間は少しは居る騎士や侍女侍従も、今は役目を終えて自室に帰っている。
その中をルキは一人で歩いていた。
昼間に澪が執務室から逃亡して、かれこれ数時間、目的の人物はいまだに見つかっていない。
ルキは王城の中をそれこそ、騎士団、魔導師棟、侍従棟、後宮、西棟、東棟の全てを探して回った。
(外か―――?)とも思ったが、何故か外には出ていないと勘が訴えてきていた。
だとしたら何処に居るのか?
時間が時間だけに自室に戻ったか、もしくは"温室"かと思い、足を西棟に向けた。
静かな回廊を歩いていると、自分の内へと考えが向かっていく。
森での事、自室での事、そして昨日の西棟での事。
丁度いま自分が立っている辺りで"彼女"は倒れていた。
そして彼女と会う時は彼女が怪我をしている事がとても多い。
何故自分はそんな場所に遭遇してしまうのか―――。
崩れた壁は今は補修されている。
この崩れた壁の様に、彼女の傷も治っていく。
その事実に安堵とも恐怖とも言える感情が湧く。
そしてテーブルに置かれた手紙やバスケット、いまだに夜に温室に訪れている事。
もう構うなとも思い、その言葉を否定する感情も湧く。
この感情は、抱いてはいけないモノだ。
脳裏に浮かぶのは、あの"光景"。
このまま行けば、いずれ悪い方へと事が進みそうで、そうなる前に止めろとも思う。
気付かなければ良い、と思う。そして自分も気付かなければ良い―――。
「っくしゅ!」
聞こえて来た音に思考が中断される。
(今のは…)
足を止めて回りを見ると、回廊の横にある木々が月光を浴びて、影を回廊まで伸ばしていた。
辺りは静かなまま、自分以外に人影は見えない。
しかし"勘"は此処だと告げてきている。
足音を顰めて"木々"に近づく。木の裏側に回って人影が無い事を確認する。
しかし足元には片方だけ脱げたサンダルが落ちている。
視線をそのまま上に持って行くと、上の方に人影を見つけた。
(落ちて怪我をしたのに、自分から木に登るのか)
勇気があるのか、単純なのか、"彼女"の考える事がわからなくなる。
しかしそう思案している訳にも行かず、枝に手をかけると自身の体を上に持ち上げた。
かなり上の方に居た為、上るのに少し時間が掛かった。
そして彼女の顔を見て呆れてしまう。
(寝るか…普通)
落ちたら怪我か、下手したら死ぬ。よくもこの様な所で無防備に寝れる物だ。
幹と枝との丁度いい所に身を横たえて、バランス良く寝ていた。
ただ足が片方枝から投げ出されており、服の裾が捲れてしまっている。
その顔には"憂い"も"苦しみ"何も無く、ずっとそのままで生れば良いと思う。
何も知らず、何ににも侵されるされるなく、ただそのままでいれば良いと思う。
けれど反対に、思いきり傷付けと言う感情も湧く。
自分は一体何をしたいのだろうか。
今までは何も考えず生きて来た、これからもそうだった。
それなのに、あの"光景"を見てから、ざらついた感情が生まれた。
これは本来無い筈のものだった、それなのに、"彼女"はそれをもたらした。
「……」
森で倒れていた時の既視感を感じた。
あの時は悲痛に歪んだ顔も、今その影は無い。
顔に掛かった髪をどけてやる。瞳は閉じられ、黒耀の輝きがこちらを見返す事は無い。
体は小さくとも、彼女は"少女"ではなく"女性"である事がわかる。
髪を結んでいた紐を解くと、髪は重力に従いさらさらと下に流れた。
指先で髪を梳くと、絹の様な手触りは触り心地が良く、指に馴染み手放すのが惜しい。
「……」
頬を滑って首に手をかけた所で、"彼女"の瞼が震えた。
まだその瞳を見たくはない―――。
* * * * * * * * * * * * * * *
「…んん?」
何だか目の前がおかしい。
目を開けたのに真っ暗だ。
パチパチと瞬きをして、目を覆っている物に気付いた。
(ん?布?)
目元を覆われている物を外そうとして、手が上手く動かない事に気付く。
(あれ?動か…あれ?縛られてる)
「―――嘘っ!」
起き上がろうとして、冷たい風が吹いた事で、木の上に上った事を思い出した。
下手に動いたら、落ちる。持ち上がった頭を静かに幹に寄りかからせた。
(寝ている内に一体何が…!)
「――――。」
頭の上から"声"が聞こえてきて、ビクリとする。
(人が居る!)
その事に安堵するが、しかしどうして"その人"は今の状態のわたしを見て、何もしないのだろう。
普通こういった場合は目隠しとかとってくれるんじゃないのか。
その"声"は何処かで聞いた気がするが、やはり酷く歪んで聞こえ、"音"としての認識が強い。
でも最近聞いた事がある様な気がする―――。
「―――。」
あれ誰だっけ?っと思った時、頬に手を添えられる感触と、顎を引かれて顔を上に向かされる。
んん?なんだっけこの既視感。
そして感じた口の中への"異物感"と"味"に―――(思い出した、これはアレだ!)―――つまり、声の主は魔導師と言う事にも気付いた。
(目隠しも腕の拘束も逃がさない為か!しまった、敵は用意周到でした軍曹!)
暢気に寝こけている間に、まんまと敵の術中にハマってしまったのである。
しかしそこで気付いた、異物感の感触が何だか柔らかい事に。
そして何だか動いている。
(これってまさか!これってまさか!!!)
「…っ…ん」
唇を塞ぐモノが離れた時、自分の口から空気を吸う音が聞こえた。
しかしまたすぐに口が塞がれ、舌を絡められた。閉じれない口の端から唾液が流れ落ちる。
意識した事で"舌"の動きに頭が真っ白になり、血の味とかも何も解らなくなって、ただただ翻弄されてしまった。
漸く唇が開放された時には、息が上がってしまっていた。
離れる時に下唇を軽く噛まれた時は、お腹のしたの方が変に疼いて戸惑う。
「呼吸を止めるな」
聞こえて来た"声"に、覆われた布越しから睨み付けた。
唇が震えて、上手く閉じれているか解らないが、精一杯唇をかみ締めて。
「…誰の所為だと」
「おれだ」
(おのれ淡々と…)
次の瞬間目を覆っていた布が外され、視界が明るくなる。
急に光を感じて一瞬目の前がチカチカしたが、次第にクリアになってきた。
「って…近いっ!」
木の幹と枝の上に体を横たえているわたしの顔の横に手を置いて、覆い被さる様にルキさんがすぐ目の前に居た。
後ろから射す月明かりが、ルキさんの白銀髪を透けさせて、キラリと光っている。
月明かりの下で見ると、ますます月そのものの様な人だと思う。
そんな人が目の前に。
「…いっ今…!」
「話せる様になった」
「そっそうですが…」
やり方に問題があるのだ。前は指を突っ込んだだけだろう。
何故今回は舌を突っ込む必要があったのか。
けれど言いたい言葉は一つとして、口から発せられない。
唇がフニャフニャして、上手く口が回らない。
こちらがこんなんなってるのに、ルキさんはいつもと全く変わらない表情で。
布を外される前にされた事は、本当に目の前の人がした事なのだろうか、と戸惑ってしまう。
「あの…これ外してくれませんか?」
"アレ"は終わったのだ。もう抵抗する必要も無いし、……結局逃げるだけ無駄だった訳だが。
「いや、まだだ」
「え?」
あれ?心なしかルキさんの顔がまた近づいてきた気がする。
既に真っ赤になっているでろう顔が、これ以上なく赤くなっている気がする。
「今後もこれを続けるのは不毛だ」
「…確かにもう二度と嫌ですね」
「なら我慢しろ」
「ふえ?」
ルキさんがわたしの服の胸元を掴むと、勢いのままに服を下に下ろした。
下着が露わになって、臍の下辺りまでが外気に晒される。
「――――!!!」
あまりの驚きに悲鳴をあげる暇も無かった。
ルキさんの指はお腹の上から臍を通り、その下で止まった。
「此処に"紋"を刻む」
「……刻む!?」
―――"紋"とはあの紋の事か!?
「臍と子宮は母体との繋がりだ、馴染ませるには一番良い」
そう言った直後、ルキさんを取り巻く空気が変わった。
ピンッと空気が張り詰めた様で、周りから聞こえていた風のざわめきや草のそよぐ音の一切が消えた。
『―――其の深名を探る、応えよ』
頭の中にルキさんの名前が響いて聞こえて来た。
『わたしの…深名……ミオ・スズキ…?』
ルキさんもわたしも口が動いていない。これは何処での会話?
『違う』
素早くルキさんの声が否定する。
『わたしの……名は…』
「―――魔導師ルキウス・ベルが代理で加護を与える。其の名は鈴木 澪。」
「!!」
現実のルキさんの声がわたしの"名前"を呼ぶ。
鈴木 澪―――しっかりとした"音と意味"でわたしが認識した瞬間、臍の下が熱くなった。
「うぁっ!」
焼き鏝を押し付けられた様な熱さを感じ、お腹を抱き込み必死に耐える。
(いっったい―――!)
ジクジクとした痛みで気絶出来た方がマシと思えた。
額から脂汗が滲み、きつく握った手が真っ白になった。
漸く収まってきた時、痛みの元を見て驚いた。
臍の下辺りに、白い雪中花の"紋"が浮かび上がっていた。
やがて熱が冷める様に、"紋"は肌から消えた。
「…消えた」
「実際に肌に刻む訳ではない」
「そうですか…」
「"紋"が有れば、媒体が無くても問題ない」
「さっき一瞬浮かんだのがわたしの……うぎゃっ!!」
際どい所をずっと晒して居た事に、置いてけぼりだった羞恥心が甦った。
腕を拘束されたままのため、下げられた服を上げる事が出来ず。腕で胸元とかを隠した。
それにしたって、これは色々と拙い気がする。
事前に教えてくれれば、抵抗はしなかったのに、…多分。
漸くルキさんは、わたしの腕を拘束していた布を外してくれる。
わたしは急いで衣服を整えた。
(これは怒っても良い事だ。顔面に一発食らわしても訴えられない。寧ろ正当防衛だ)
それなのに、わたしの口も手も動いてくれず、役立たずだ。
「ばかやろう」も「ありがとう」もこの場には似つかわしくない。
そんな事よりも、わたしはルキさんがどうして、こうした行動を取ったのかと言う事の方が気になってしまった。
無言の気まずさが嫌で、木を降りようとしたが、足が震えて上手く立てない。
恥ずかしさや悔しさで自分が情けなくなる。
衣擦れの音がしたと思ったら、また目の前が見えなくなる。
気付いたルキさんがわたしを"外套"で包むと有無を言わさず抱き上げる。
やはり「嫌だ」とも「すみません」とも言葉が出てこない。
そのままわたしを抱えたまま木を飛び降りる、人一人抱えて居るのに、地面に付く時には一瞬体が浮いて緩やかに着地した。
ルキさんの肩に頭を乗せて、体に伝わる振動に身を任せていた。
「……」
わたしが与えられている部屋の前にやってきて、ドアの前で漸く下ろされる。
それまで顔を見る事が出来ず、ずっと顔を下ろしていた。どんな顔をして顔を合わせれば良いのかが解らない。
わたしが無言のため、ルキさんはそのまま場を離れようとしたが
咄嗟に手が出て彼の服の裾を掴んでしまった。すぐに手を離したが、彼が立ち去る気配は無い。
「……」
「……」
見下ろされている気配を感じる。
どうしよう。とっくに自分のキャパシティを超えてしまっている。
そしたら顎に手を添えられて、顔を上げられた。
灰色の視線と瞳が交差する。
ゆっくりと下りてくる顔に、わたしは目を閉じる事で"応じた"。
そっと触れてすぐ離れていく感触。
『もう…おれに関わるな』
そんな言葉を聞いた気がした。
目を開ける前に頬を風が撫でる様な感覚がして、目を開けると"彼"の姿は目の前から消えていた。
部屋に入り静かにドアを閉める。
そのままドアに背中を預けたまま、座りこむ。
立った今起きた事が信じられない。わたしは彼に応じてしまっていた?
顔がまた赤くなる。
心臓がうるさくて、訳も分からず叫びだしたくなる衝動に耐える。
最後のあの言葉はなんだったのだろう。
それを問いただしたくもあり、聞くのが怖くもあった。
ただ今夜は"温室"には行けない、と思った。
こんな混乱した状態では寝れないので、お風呂に入って落ち着こうと思った。
脱衣所で外套と服を脱いで、ふと違和感を感じた。
目に映るモノが何処かオカシイ?それが何なのか、考えて瞳の上にいつも掛かっている"黒い影"が今は"白い影"になっている事に気付く。
はっと思い肩に掛かった髪を持ち上げてみる。
顔を触ってみて、何でも無い自分の輪郭だとわかる。
急いで風呂場に入って、壁掛けされている鏡に自分の姿を映す。
「―――…な…にこれ」
鏡の中には白銀髪に灰色の瞳をした、"わたし"が、わたしと同じ驚きに満ちた顔で見返してきた。
そのまま鏡を見続けて数分、色が抜け落ちる様に段々毛先から髪の色が"黒"に戻っていった。
暫くすると、見慣れた黒目に黒髪が見返してくる。
―――先日の陛下とミシュのおかしな態度を思い出し、漸く合点がいった。
つまりわたしは先日もこの状態になっていたのだろう、そして恐らくそれよりも以前にも。
そして、"知っていた"であろうルキさんの態度を思い出す、一体どうして。
答えの無い問いかけに、一晩中頭を悩ました。