9:その決意
顔に当たる眩しさに、寝返りを打つ。
(うーん…眩しい。でもまだちょっと眠い)
布団を持ち上げて、日差しを遮り、二度寝の体制を取る。
布団の中はぬくぬくで、ずっと出たくなくなる。でもそろそろ起きないと会社に遅刻してしまう――――――――…………
そんなわけない!
ガバッと身を起こして天窓を見上げる。
(もう朝――――!!)
天窓のほぼ真上から当たる日の高さから、結構な時間まで寝てしまっていた事になる。
昨夜寒さのあまり寝れず、歩けば少しは疲れて無理やり寝れるかもしれないと、城の中を歩いていた。
そしたら無意識の内にそちらの方向に向かっていたのか、着いたのはこの部屋の前だった。
特に顔が見たいとか、話がしたいと思っていた訳ではないが、何故かあの灰色の瞳がちらついた。
けれど夜遅く、もう既に人は寝ている時間だ。どう考えても非常識だ。
どうしようと思って扉の前で行ったり来たりし、やっぱり引き返そうと思った所で、肘が扉に当たりドアが開いてしまう。
(鍵を掛けてないの…?)
あまりにも無用心ではないかと思ったが、まだ起きているのかも知れない。
意を決してドアを開けて中に入る。部屋の中は真っ暗で、起きている人の気配は感じない。
「…ルキさん?」
小さく声を掛けてみて、自分の声の弱々しさに不安になった。
けれどやはり返事は無い。寝ているか、まだ部屋に戻っていないかのどちらかだろう。
わたしはどちらでもいいやと、後ろでドアを閉める。
(ごめんなさい。不法侵入ですが、何も取ったりなんてしませんから!)
頭の中で、部屋の持ち主に謝罪を入れて、そのまま廊下を先に進む。
夜に見た温室は、少し物悲しさもあったけれど、月明かりに照らされて光る木々には暖かみがあった。
奥に進んでみると、変わらない場所に先日使ったテーブルと椅子を見つける。
吸い寄せられる様にして椅子に横向きに腰掛けると、思った以上に居心地が良くて体を丸める。
一人掛けだかわたしが膝を曲げても、まだ十分隙間があった。丁度いい位置を調節し、肘掛部分に頭を乗せて目を閉じた。
(ほんの少しだけ)
―――少ししたら、持ち主に気付かれる前にすぐに部屋に戻るつもりだった。
今―――部屋の中は明るくなっている。サアーと頭から血の気が引いた。
少しだけの筈が本格的に寝入ってしまい、予定を大幅に寝過ごしてしまっている。
(傍から見たら、不法侵入者が被害者宅で寛いでいる図だ)
まだ寝ているのか、今日はまだこの部屋を使っていないのか、分からないがどう考えても不味い。
とにかく部屋を出、
―――ようとして、そう言えば何故布団があるのだと疑問に思った。
顔を見下ろして見て、自分に掛けられた"モノ"を見て、穴があったら入りたくなった。
口から鋭く息を呑む音がした。
ついでに顔も真っ赤に染まっているに違いない。
―――わたしはルキさんの外套に包まれて寝ていた
あのぬくぬくはこれの所為か。
こんな事が出来るのは、部屋の持ち主だけだろう。
恥ずかしさでつい、呻いてしまう。不法侵入はとっくにバレていたらしい。
その上で、こういった優しさは不意打ちで、ずるいと思った。
この世界で初めて目にした時から、その色は安心する色だった。
起きている時の態度や言葉は無愛想なのに、その他の時はとても優しいと感じてしまう。
そのギャップに本当に同一人物なのかと思う。
顔に上った熱は全然さめず、逃がす方法が分からない。
なんて人だ、と思った。
わたしは随分な時間を掛けて、熱を覚ます事に専念した。
その間温室には誰も来なかった事は、非常にありがたかった。
* * * * * * * * * * * * * * *
一晩寝た事で、昨日の事にも心の折り合いを付ける事が出来た。
まだこの世界に来て3日。
まだまだ何も始まっていない、何かが変わるとしたらこれからだ。
だから気落ちするのは、まだ早いと気付いた。
もう自分勝手に気落ちするのは止めた。見ない振りも止めた。
わたしは異世界に居る。そこで変わらず、生きている。
ちゃんとこの世界に、自分は居る、と言う事を何度も何度も繰り返し納得させた。
そうする事で、止まっていた自分の気持ちを前に進める事が出来る。
寧ろ、前に進めなくてはいけない。
だからこれからの事を考えよう。
元の世界に戻るのに時間が掛かる場合―――、そうなった時の為に考えていた事があった。
顔を上げると異世界の太陽がわたしを優しく照らした。
わたしの考えに同意してくれている様な気がした。
* * * * * * * * * * * * * * *
「…今、何て言ったんだい?」
「王城を出て暮らす為に力を貸して下さい」
陛下が聞き返してくる。
突然来訪したわたしにも、陛下は時間を割いてくれた。
―――今、わたしは陛下の執務室にいる。
後宮ではなく王城内にある方だ。
自分なりのケジメの為にそちらを選んだ。
あれからはわたしは、自分の中でまとまたった事を、陛下に伝える為に陛下の執務室を探していた。
気まずいのでルキさんには、声を掛けずに一人で。
途中で騎士の人に呼び止められる事はあったが、わたしの顔を見ると直ぐに開放された。
その後も道を遮られる事もなく、陛下の部屋の位置を聞くと簡単に教えてくれ、容易にやってくる事が出来た。
あまりの呆気なさに、呆れてしまう。
一体陛下はわたしに関してどんなお触れを出しているのか。
部屋の事やその他の事を思い返してみても、わたしは気を使われ過ぎている気がした。
確かに何も分からない状態で、気を使って貰えるのは心強く嬉しい。
けれど、そんなのは自分が気を使える様になってからじゃないと、ただの依存だ。
そんなのは小さな子がすれば良い。わたしはそんな事望んでいない。
異世界に向き合おうと、自分の意思で決めたのだ。
だからわたしはこの世界で最初の答えを出した。
それは王城を出て、この"世界"その中で暮らそうという事。
お城は異世界だけど居心地良く過ごさせて貰っている。
あくまでも、貰っている、だ。
そんな中で過ごしても、この世界の事なんて、分かる筈が無い。
その為には外に、出なくてはいけない。
「理由を聞いてもいいかい?」
「わたしの願いを叶えるには、この世界を知る事が大条件だからです」
「それは…ここでは無理…か」
「はい、わたしはこの世界を知りたいのです」
言外にここでは出来ない事を伝える。
流石は支配者だ。たった少しの会話でこちらの意図に、陛下は気付いてくれている。
この人が治めている国なら、さぞ暮らしやすかろう。
それでも陛下は思い悩んでいる様で、すぐに肯定の意を示さない。
「ここは居心地悪かったかい?」
「いいえ、ここ程過ごし易い場所をわたしは知りません」
「ならば「けれど、ここでは駄目なんです」
陛下が引き止める前に、素早く言葉を続けてしまう。
人の言葉を遮るのは嫌だが、ここは引けない所なので、わたしも強気になる。
「ハーミシュリエラが寂しがる」
「すみません」
「わたしも、寂しいと思うよ」
「すみません」
「…ルキも、哀しむ」
「……す…み、ません」
最後に上がった名前に、一瞬言葉が詰まったが最後まで言い切る。
動揺が伝わってしまっただろうか。
けれど、最後に言われた事はなんだか、腑に落ちない気がした。
「哀しむ」何て事を、あの魔導師がするのだろうか。
わたしも、あの人に関してはよく分からない。
「考えを変えるつもりは?」
「ありません」
そんなつもりは無いが、声が硬く突き放す様になってしまう。
陛下は深く長いため息をついて上を見上げている。
お互い何も話さず、無言の時間が流れる。審判を迎える被告人の気持ちはこんな気持ちだろうか。
数秒の様にも、数時間にも感じた時、陛下が口を開いた。
「…わかったよ」
「……ありがとうございます」
「けれどすぐには無理だよ、こちらにも準備をする時間が欲しい。それにミオも、自分で考える時間が必要だろう?」
「…お手数をお掛けします」
「構わないよ。そうだね、3.4日時間を上げるから、それまでに必要な物を考えておくんだよ」
「はい。ありがとうござます」
しっかりとお辞儀をして、わたしは執務室から外に出た。
時間は3.4日間しかない、その間にわたしはこの世界で生きていく為に必要なものを考えないといけない。
けれど何も分からず、考えていなかった時よりも、ずっと気持ちは晴やかだった。