8:その夜
2012-09-09改変
スッキリ爽快――――!!
まさにそんな感じの目覚め。昨夜はお風呂に入り、用意して貰った寝巻き(ワンピースのみたい)に腕を通してほっとしたのも束の間、ベットに身を預けてすぐにぐっすり眠りに落ちてしまった。
与えられた部屋は思いの他過ごしやすく、体の疲れもすっかり取れていた。心なしか体が軽い様にも感じられる。
昨日目覚めた時とは違い、自分の立場などが凡そ分かったのも、気持ちが楽になるのに拍車を掛けていた。一人だったら何も分からない状態で右往左往する事しか出来なかっただろう。
顔を洗って鏡に写る自分の顔には悲嘆の色は見えない。今自分に出来る事をひとつずつクリアしていく事で、次の足がかりが見付けられる。そんな風に思えるのは、単純に自分が浅慮なのか前向きなのか、自分の事ながら呆れてしまった。――――大丈夫、私は落ち着いてる。
今日は「落し物」見学ツアーだ。
ツアーと題打っているけれど、参加者は私と陛下と王妃様とルキさんの四人+α。+αは王族二人の護衛の皆さん。流石に王族の人達は個人だけで行動は制限されてて、誰かしらが付いて回る様だ。向かう途中の王城の案内もついでに受けて、まるで社会化見学の様で、ちょっと可笑しいと思った。
本来は「落し物」が集められている場所への立ち入りは制限されてるんだけど、今回は陛下からの特許(と言っても大々的な御触れではなくて、陛下個人で許可を出して非公式に向かうので大事にはなっていない)と言う事で私も一緒に入る事が出来るのだそう。残念かは知らないけれど、護衛の皆さんは中までの立ち入りを許可されてないそうだ。
用意して貰った朝食を食べながら(この国はパンが主食の様だ)、どんな物があるのか考える。
懐中時計があった事から、私以外にも日本からこの世界に来た物がある可能性は十分に考えられる。自分が突然この世界に来てしまった理由は定かではないけれど、少しでも自分に関係する物の全てに触れておきたかった。
日本から着てきた服は、やはり王城の中でも目立つそうなので暫くは着納めだ。お風呂で手もみ洗いをして今は干してある。あまり良くは無いが、紛失したく無いので部屋干しだ。
一応部屋は王城の西側にあり、南側に窓が設置された日当たりの良い所を用意してくれたので、日当たりの良い所に干して置けばすぐ乾くだろう。私が宛がわれた部屋は、許可された人間しか立入、及び近付く事が無い様に、陛下が気を使ってくれたので、人目を気にする必要もない。これで鍵を掛けておけば大丈夫だろう。近くにルキさんの部屋もあるので、時間が空いた時にでも洗濯事情を聞いてみるつもりだ。(流石に洗濯もしない不摂生だとは思いたくない)
変わりにこの国の服を用意された。
王妃様からは貴族女性が着る服を…と嬉々として勧められたが、貴族はドレス必須と言われ喜んで辞退した。
何故なら王妃様を見ると、着ているドレスは『ローブ・ア・ラ・フランセーズ』そのまんま。コルセットで腰を締め胸を強調、パニエでスカートにボリュームを出したふんわりとしたタイプ。低身長で凹凸の少ない日本人の自分が来ても、どこのお遊戯会?にしか感じられず滑稽だろう。日本の夜会や結婚式などで着るフォーマルなドレスならまだしも、素でプリンセスラインは年齢からしてもきつすぎる。
どうやら王妃様には、最初わたしの顔は10歳前後の少女に見えたらしい。それであの女児発言である。日本でも大学新卒位に間違われる事はあったけど、どう見れば十五歳近くも若く見られるのかは疑問だが、異世界人、人種も違ければ世界も違う、きっと見方も感じ方も違うのだろう。あの真剣な目で言われたら否定出来ない。この世界の10歳はどれだけ老けているんだ、と思わなくもなかった。
流石に今は私が成人している事を理解してくれているので、子供の様な扱いはされないが、何だか私を見る目が甘いというか、小さな子を見守る様な目で見られる時がたまに、ある。
確かに王妃様を含め陛下もルキさんも長身で、彼らと並ぶと胸の位置に私の頭がくる為、いつも自然と見上げる姿勢にはなるが、中身いい年した二十五女だ。三人共口には出さないが、私を一体幾つだと思っているのか疑わしい。
実は二十五歳だと言ったら、あの三人はどんな表情をするだろうか。ちょっと見てみたいなと悪戯心が芽生えるが、いつかアッと言わせる機会があるかも知れないので取っておこう。
(そう言えば、陛下達こそ一体何歳なんだろう?)
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ここでちょっとした蛇足
セイファートの人間の平均身長は男性が185cmで女性は175cmが殆ど。
王族貴族庶民わけ隔てなくこのスペック。色白で北欧・ドイツ系の体型。
澪については↑にある通りなので想像を働かせて頂けると有難い。
今の所人物がルキ・陛下・王妃で他はモブ扱いですがいずれ本編に出るので待たれよ。
ちょっとした蛇足お終い
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用意貰った服に腕を通すと、肌触りはさらっとしており、着心地は良かった。一般女性が着る薄手のAラインのワンピースで、胸の下に絞りがあるのでお腹を締め付けないタイプだった。
この国は生命樹の恩恵により、ほぼ常春の気候で暖かい。ただ国の中心から離れれば恩恵が弱まり雪が降る地域もあるそうだが、極端に暑かったり寒すぎたりと言う事が少ないそうだ。だから自然と服も全体的に軽く薄めの物ばかり。
唯一の例外が魔導師の外套で(私が最初ルキさんの部屋で失敬したのがそう)、魔導師は外出時や移動の際に、あの外套を着るのが義務付けられているそうだ。人ごみに入ったら大変目立つ位、この国の気候や服装と一線を画している。
寧ろ一目見て魔導師だと分かる様にする為、あえて分かりやすい格好をしているらしい。話を聞く限り魔導師は国に属しているけれど、王城に勤める兵士とは権限も使命も異なるそう。ある種の独立機関の扱いの様だ。ただ一般人でもすぐ分かる様に、外套=魔導師と言う認識は広まっているらしい。
着用義務もこの気候では暑苦しいのではないかと思ったが、あの外套、温度調節機能が付いててどんな環境にも対応できて、逆に快適なのだと言われた。あの外套一つあれば極寒も酷暑も平気なのだと。
私としては、時計よりも寧ろこちらの方が凄いと思った。
そうこうしていると、ドアをノックする音が聞こえた。ルキさんが迎えに来てくれたのだろう。もう一度鏡を見て、寝癖などがない事を確認して大丈夫と頷く。
私は少しの期待を緊張を持ちつつ、ドアに向かった。
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王妃様に引き摺られる様にして歩いていた。
正確には腕を組んで並んで歩いていたのだが、王妃様の方が歩幅が広いので、自然と引っ張られる様な形になってしまっていた。ぐいぐいと引っ張られる様子は傍から見れば強引に見えたかもしれないが(何といっても身長も体型も違いすぎる)、隣に居た私には、王妃様の浮かれる空気が伝わってきて戸惑いよりも苦笑するしかなかった。それに気付いた王妃様が、すぐに歩みを緩めてくれたので楽になる。
それでも組んだ腕を王妃様は決して外さず、寧ろもっとしっかり組まれてしまう。そこから感じるのは、やっぱり何か楽しげな雰囲気。
同姓と腕を組むなんて学生時代を思い起こさせ、まるで女子高生の時の様なノリに笑いがこみ上げてきた。王妃様は朝会ってから、ずっとご機嫌で足取りが軽い。着替えたわたしを見た時も、似合うと笑って褒めてくれた。
―ちなみに王妃様の笑みは噛み付く様な笑顔が標準装備。覗く犬歯が鈍く光り、鋭い眼光はまるで肉食動物のそれ。私がインパラだったら震え上がっていただろう。
先頭を王妃様と私、すぐ後ろに陛下とルキさんと言う並びで歩いていた、間を空けて護衛の方々が少し後ろの方を付いてきている。護衛なのにいいのかなと思ったけれど、王妃様も陛下も何も言わない。本当に護衛は形式的らしい。
やって来たそこは"夢の島"かと一瞬思った。
けれど、まわりに陛下や王妃様、それにルキさんが居るので違うと分かる。
ここは日本の東京では無く、異世界セイファート。
王城内を40分近くも歩かされ、漸く着いた目的地は閑散とした場所だった。そこはコロッセオの様にぐるりと周りを塀に囲まれた、大きな広場になっていた。いや、過去広場だったと思われる場所。
周りを薄く林が取り囲み、木々の間から遠く王城の壁肌が見えた。広場に足を踏み入れたのは、私、王妃様、陛下、ルキさんの四人だけ。護衛の人達は待機を命じられ、建物周辺の警護に当たっている。
広場の中には数え切れない程の多くの様々な物が集められて、うず高く詰まれている。
懐中電灯、自転車、ギター、ガスコンロ、たわし、空き缶、洗濯機、屋根瓦、ペットボトル、割れた蛍光灯、傘、消しゴム、鍋の蓋、テント、アルカリ電池、プラスチック棚、車、バイク、整髪剤、軽量カップ、みかんの缶詰、洗剤、漫画本、パソコンの液晶、郵便ポスト、サプリメントの錠剤、文鎮、中華鍋、ホチキス、三角ポール、テレビ、ハンドバック、ヘリコプター、小さな鳥居、電柱、釣竿、イヤリング、乳母車、リモコン、泡立て機、冷蔵庫、ボールペン、スリッパ、シャワーヘッド、タンバリン、カーブミラー、水筒、櫛、ラジオ、サランラップ、タンス、ベンチ、メトロノーム、蛍光ペン、レール、カップラーメンの蓋、炊飯器、電話ボックス、大根おろし機、靴べら、マンホールの蓋、分度器、蛇口、ゲームソフト、栓抜き、ダンボール箱、時計、ビューラー、コンセント、ダンベル、ポリタンク、ビデオテープ、タイヤ、ポラロイドカメラ、掃除機、回転椅子、ハンガー、ドライヤー、アイロン、洗濯ばさみ、指揮棒、ウォークマン、某赤い服着たくまのぬいぐるみ、熊手、サッカーボール、犬小屋、なわとび、ウォーキングマシン、紐靴、しゃもじ、プランター、ちりとり、ガムテープ、看板……等等etc
今上げた物は全体のほんの一部で、まだまだ沢山の雑多な物があり、パッと見一つのごみ山の様になっていた。それこそまだ使えそうな物から使えない物まで。
それを見て真っ先に思い浮かんだのが、"夢の島"。
今は整備され植物館や各種スポーツ施設を有する、巨大な公園になっている場所が、昔はゴミの島とまで言われていたのを何かの本を読んで知っていた。
それを彷彿させるほど、それだけ沢山の「落し物」が集められていた。
「…あれ、これって」
ふとその「落し物」を見て気付いた共通点。
それはそれぞれが地球の、それも私が住んでいた日本でよく見られた物ばかりだった事。もしかしたら違う所の物も混ざっているかもしれないが、間違いなく"地球にあった物"だと断言出来るものばかり。その事に偶然ではなく、何かの整合性を感じた。
それが何かの琴線に触れ、やがてそれは体の内から熱を作り出す。この世界と地球の間には特別な関係があるのかもしれない。胸に灯った熱、―――それは希望だ。もし、それが分かり解明す事が出来れば
―――わたしは日本に戻る事が出来るかもしれない
集められた物に家電製品が多いのも気になった。時期としても恐らく私と同じ様に、現代からこの国に落ちてきたのではないかと思ったのだ。
私はこの部屋にある物を見た瞬間、誰か引き止める言葉にも気付かず一心不乱に物を見て回った。間近に見える物を一つ一つ確認する。その間に他の三人が何をしていたのかも気付かず、ただ私がしている事を口出しせずに黙って見守っててくれたのを、後で知った。
だから黙々と作業に勤しんでいる、と見られていた私に突然話を振られて驚いた様だ。
「あの!「落し物」が知られる様になったのは最近なのですか!?」
「…ん?…そうさな、私は此処の生まれで無いし詳しくは知らんが…」
「つい最近と言う訳ではないけれど、歴史としては少し昔だね。確か…わたしの祖母が王座に就いていた頃だから大体6.70年位前だと聞いているよ」
王妃様の言葉は途中で潰え、その先を紡ぐ様に陛下が口を開いた。
「……え」
(―――そんなに昔から?)
その時期だと日本は大戦中か終結後。高度成長期になってやっとカラーテレビなどが普及し始めるのだから、その時代に私が見慣れた家電が落ちて来たというのは時期が合わない。
当時はそれなりに綺麗だったそうだが、長期間放置されて劣化や汚れで正確な製造時期もラベルが剝げてしまっている。けれどただパソコンなんてここ十数年の物だ、60年も昔には存在してなかった。
(私が勝手に地球の物だと思っているだけで、本当は違う世界から流されてきた?…………ううん、多分……コレ等は私の世界の物であってる筈)
頭に浮んだ疑問を即時否定する。
(それとも、この世界と私が居た世界は時間の流れが違う?)
そんな事は確かめ様が無い。現代の物がわざわざこの世界の過去の世界に落ちただとか、そもそもそんな荒唐無稽な事あるかも分からない。やっぱり私が勘違いしているだけで「落し物」は地球から来た訳ではないのか?そんな事は無いと思うが、本当に分からない、判断するモノが足りない。
(……自分の目で見たものが信じられないなんて、疑心暗鬼になりそう)
不可解な事ばかりで頭が混乱してくる。答えは目の前にある様な気がするのに、何かが邪魔して上手く思考がまとまらない。落ち着いて考えなければいけないのに、なぜ、どうしてと、感情だけが先行してしまう。一瞬だけ浮かんだ"日本に戻れるかもしれない"と言う期待は、今はすっかり鳴りを潜めてしまった。近いと思っていた地球とこの世界の距離が、グンと離れた感じがする。
分からないと言う事が、こんなにも恐い。体が放り出されてしまった様な感覚になる。
「……ミオ、顔色が…」
そんな私を心配そうに見つめていた人が居たのも、その時の私には気を回す事が出来なかった。
ショックを隠せないわたしを見て、陛下が部屋に戻る事を勧めてくれる。
ここに集められた"物"が、わたしの世界の物だと分かっている人間は誰も居ない。そして、肝心の私にもそれを説明する気力が湧かなかった。
一体私が何に対してショックを受けているか、分からない筈。それなのに、私の表情を見て只事ではない空気を感じたのか、私に詳しい話を聞こうとはしてこなかった。ここに来るまで機嫌良さげにしていた王妃様も陛下も、今は顔が強張り目線を伏せている。
―――ルキさんだけが、無表情でただわたしをジッと見ていた。
部屋に戻って、窓から入る明かりが何故か気になって、カーテンを引く。薄暗くなった部屋の中に一人になって、やっと息を吐き出した。
(…今は考える時間が必要)
立っているのが億劫で、そのままずるずると座り込み体育座りになる。
最初に、"国の優秀な人達"が調べても、分からなかったと言われていた筈だ。
それなのに、"懐中時計"が分かると言うだけで、少し得意になっていた。
分かったからと言って、何が出来るのか、私に分かるわけがないのだ。
私たただ、"落ちて来た"というだけ。
そんなに簡単な事では無いのに、何処かで安穏と考えていた所があった。
まだ何処かで、すぐに戻れると期待していた。
この世界の"人達の不思議な力"を見て、その強力な力を見て、出来ない事なんて無いんじゃないかと期待した。
私の知識を合わせれば何か飛躍的に変わる何かが起きるのではないかと思っていた。
そんなに、簡単な事では―――ないのだ。
今日、同じ世界から来たであろう"物"を見て、初めて自分の"異端さ"に気付いた。
私はこの世界で"異端"の存在だ。
私の世界では、誰でも知っている"テレビ"や"車"を【不思議なものを見る目】で見るのだ。この国の人は。
私にとって生活の一部となっていた物を、この国の人は分からない、理解できないと言う顔をして見る。
彼等の日常が、私にとっての非日常。私にとっての日常が、彼等にとっては奇妙な物として写る。
その事が今更ながらに怖くなった。
何よりも、わたし自身もあの目で見られる様になったらと思うと、怖くて堪らない。
王妃様が昨日言った言葉が蘇る。
馬鹿だ。あの時は全然理解していなくて、今やっと王妃様が言った意味を理解した。
私はこの世界にとって……。たった一人なのだ。
その心細さと不安で押しつぶされそうだ。
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―――夢を見た
不協和音が聞こえて頭を上げようとして―――
ハッと目が覚めた。
耳の奥で木霊している音。心臓がばくばくとうるさい。視界に自分の手と床が見えたので、あの後そのまま床でしまったのだと気付いた。
部屋の中は締め切ったカーテンで薄暗い状態から、暗闇に変わっていた。いつの間にか夜になってしまった様だ。
夕食をすっぽかしてしまったが、不思議とお腹は空いていなかった。ただ体は冷えてしまったのか、小刻みに震えていた。ノロノロと体を起こし、ベットに入って体を縮める。
それなのに頭まで包まっているのに暖かくはならない。体を抱きしめるが、体の震えが止まらなかった。
(―――さむい)
その時何故か灰色の瞳が頭をよぎった。
この世界に来て始めて見た色。
* * * * * * * * * * * * * * *
何かの気配を感じた気がして目を開ける。そのまま二拍動かない。
(……)
暗闇の中、周りを見渡し部屋の中を確認するが、異常な所は何処にもない。相変わらずここには本しか置いていないが、手狭な部屋だった。
けれど本の酸化した匂いは、自分には落ち着く匂いで気にならない。やはり気のせいかと目を閉じようとして、また、何かの気配を感じた。
自室には結界を張っている、断わり無く誰かが触れれば、術が自動的に発動する様にしてある。体感としてまだ深夜。この様な時間に自分を呼びに来る者は居ない。緊急の呼び出しであれば、部屋に誰かが来る前に気付く。
けれど、それとは違う様な感覚がする。そっと触れようとして、爪先が触れる寸前で手を放す事を繰り返す様な、不安定な感覚。今までに無い、不可解な事にいぶかしむ。
特に敵意や害意を感じないので放って置いても良かったが、たまたま気まぐれが働いたのか、様子を見に行く事にした。
通路を進むと、その気配は隣の部屋――温室からしている事に気付く。少しだけ歩く速度を速めて、部屋に近づく。ドアの前で足音を潜め、息もなるべく小さくし呼吸を整えると、開いているドアの隙間から部屋に体を滑り込ませた。
無意識に気配を殺し、なるべくゆっくりと慎重に先に進んだ。
「……」
目の前にあった光景を見て、張り詰めていた息が脱力していく。結界はどうしたと思ったが、そういえば結界も効かない事を思い出した。
広場に行くと、熱心に物を眺めていたが、暫くして顔が青白く強張っていた。その時交差した瞳は、困惑に揺れていた。
その後は口を開く事なく静かに部屋に戻った。こちらの呼掛けにもほぼ反応の様に返すだけで、そのまま部屋に篭って夕食にも現れなかったと聞いている。一度様子を見に行けと言われて、部屋を訪れたが中からの反応は無かった。
それが何故今更―――と思った。
彼女は天井から降り注ぐ月明かりの下、椅子に体を預けて寝ていた。
何故それほどまで、と思うほど小さく体を縮こませている。少し開いた天蓋から風が入り込み、時々髪を揺らす。この部屋は特別に温度調整をしていたが、それでも直接肌に風を受けるのは良くないだろう。
寝入っているのか、天蓋を閉める為に近づいても、ピクリとも目を覚まさなかった。こんなに無防備に寝て、危機感が無いのだろうかと思った。
―――そして他人に対して、自分がそんな感情を抱いた事に驚いた。
人と同じ空間に居る事は苦痛だった。誰かと共有する事なく、自分の世界に篭っているのが一番だった。
―――今も変わっていない
馬鹿なことを考えた。
一瞬過ぎった考えを振り払い、寝室に戻る事にする。部屋を出る時、少し後ろが気になったが、それも気のせいだと振り払った。