言葉が聞こえる——それだけの力を持つ頼は、陰陽師の母と鎌倉・極楽寺で「あやかし便利屋」を営む。言葉を話す動物やあやかしたちの未練に寄り添い、目の前の命を救うため奔走する、温かく切ない現代ファンタジー!
第一章:プロローグ 極楽寺のあやかし便利屋
江ノ電の小さい極楽寺の駅を降りると、今日も人が溢れていた。 一年中人の往来が激しい。夜中、仕事をしていた自分は、いつもここで辟易する。人の流れと逆の動きで観光客の人並みを掻い潜りながら、駅横の小さな橋を渡る。
「おかえり、頼。この後雨になるわよ」
駅の横から「武蔵丸」が俺に話しかけてくる。
「ホントに? もう一件、迷子を探しに行かなきゃ行けないのに……。ありがとな! 武蔵丸!」 「ちょっと! 止めてよねその呼び方! あたしは女子だって言ってるじゃない!」 「ああ、ごめんごめん(笑)」 「もう。何度言ったらわかるのよ。ムサリーって呼んでちょうだい! これでも、2歳の女の子なんだから。ふん!」 「全く、女の子って意識がなかったのかしら! うちの主人は!」
かなり怒っているのは、川沿いの大きなお屋敷に住んでいる、メスの甲斐犬だ。
「そんなムキムキした乙女はおらん!」
頭の上の方から話しかけるのは、【ライデン】だ。 多分、雷電だと思うけど、漢字でどう書くかも分からない。ただ、そう呼ばれている黒い羽がとても漆黒で美しい、この辺に一人(一羽?)で住み着いているイヌワシだ。
「仕方ないでしょう! 主人の趣味はドッグショーなんだから!」
ほんとにプンプンという吹き出しが付きそうな勢いで武蔵丸……ムサリーは怒っている。 俺は笑いながら家の方に向かった。
「ありがとな。いつも助かるよ、天気予報!」
俺の名前は、酒井 頼。 もう分かってると思うが、俺は生まれてからずっと、動物と話ができる。 どんな立派な超能力かと思うが、ただ喋れるだけで、それ以外は何もできない。 生きている動物もそうでない動物も意思疎通ができる。だから人に取り憑いてる動物とも話ができる。それに関しては、あまり話が通じないものが多いが……。
山側に進むと、ぽつんと小さな古民家のカフェがあり、ここが俺の家だ。 母の櫻子が経営する古民家カフェ「さくらこ」。
美味しい紅茶とスコーンが自慢のカフェで、占いもやってる店だ。よく当たる占いが有名で、いつもなんとなく店が賑わっている。
櫻子さんは(そう呼ばないと怒られる)、よく当たると評判の占い師で、本当は陰陽道を生業としている。先祖代々の陰陽師の家系とか何とか……。
だから、俺は俺の「聞こえる力」を使わせてもらって、櫻子さんの助手をやりつつ便利屋をやっている。俺の「力」は生きていない動物にも話しかけられるので、そういう案件には持ってこいらしい。世間で言う、狐憑きとか動物憑依のものだ。何が原因で取り憑いているのかを俺が探り、櫻子さんがそれに基づいて祓う。 自分の母ながら、そっちの力は確実なものがあると見ていて思う。
「ただいま」
店の入り口から入って、櫻子さんに声をかけた。
「おかえり……」
櫻子さんが、俺を怪しい笑顔で迎えながら答えた。 ハイハイ、仕事が入ったのね。この怪しい笑顔が仕事依頼の合図だ。親子だからか、すぐに違いがわかるんだよね……。
「櫻子さん、今度はどんな件?」 「山田さんの奥さん(節子さん)からよ。今朝から旦那さんが突然『家を探さなきゃいけない、崩される前に』って錯乱して仕事をすっぽかし、山の方を彷徨っていたんですって。パニックになった奥さんが、ご近所の噂で『さくらこのオーナーなら当たる占い師だし不思議な相談にも乗ってくれる』って聞きつけて、保護した旦那さんを連れて駆け込んできたの」
「……旦那さん、病気じゃなくて『憑かれてる』のか」
「ええ。あたしが見立てと占いをしたら、旦那さん自身も愛猫を探していた最中だったみたいなのよ。でも、そこにかなり強い未練を持った動物の霊が重なっちゃって、パニックで声がうまく届かなくなってるの。詳しい概要は箱に入れておいたわ」
奥の神棚の横には、小さな木箱が置いてある。 これは櫻子さんが古流陰陽術の術式(結界)をかけた特別な木箱で、普通の人には開けられない。櫻子さんが持ち込まれた相談や霊の思念を読み取り、俺が現場で動きやすいように毛筆で和紙に書き起こして入れておくためのものだ。
俺は木箱の前に立ち、解呪の真言を唱えた。 『カチリ』と乾いた音を立てて重厚な蓋が持ち上がる。
——陰陽道って便利だよな……。
中には一枚の和紙。そこには流れるような櫻子さんの文字が走っていた。
『件名:迷子の迷子 依頼主:極楽寺三丁目・山田節子様 内容:飼い猫(黒猫・メス)の捜索。ただし、夫の山田様ご本人に正体不明の動物霊が取り憑いており、錯乱状態』
「……またややこしそうな案件だな。迷子の迷子ってなんだよ……」
そう呟くと、櫻子さんが後ろからにゅっと顔を出した。
「奥さんにはお茶を飲んで落ち着いてもらってるわ。旦那さんは奥の個室で休ませてあるから、頼、あんたの出番ね」
「わかった。見てみるよ」
俺は立ち上がり、奥の個室のふすまをそっと開けた。
第二章:取り憑かれた依頼人と嵐の予感
中にいたのは、四十代半ばほどのスーツ姿の男性——山田さんだった。髪はボサボサで、両手で頭を抱えて激しく震えている。 探している愛猫への心配と、覆いかぶさる思念の濁流に呑まれ、自分でも何をしているのか分からなくなっているのだろう。
そして、その男の背後に——薄ぼんやりと、しかしはっきりと「それ」が視えた。
男の背中に覆いかぶさっていたのは、ずっしりと重みのある老犬の影だった。泥に塗れ、目からは涙を流している。
「おい、あんた。なんでその人に憑いてるんだ?」
俺が低く呼びかけると、背後の老犬がピクリと反応し、ゆっくりとこちらを振り向いた。
『……聞き届ける者が……来たか……』
かすれ、途切れ途切れになった声が脳内に直接響く。
『探してくれ……俺たちの「家」を……! あそこが工事で潰される前に……! あいつが……この男の探している小さな黒猫が、俺の使っていた古い祠に迷い込んで出られなくなっているんだ!』
「何だって……?」
『俺はもう死んだ身だ……助けたくても手が届かない! だからこの男に知らせようと取り憑いたが、うまく伝えられなくて……お願いだ、急いでくれ! あそこは今夜の雨で土砂に埋まる……!』
老犬の叫びに同調するように、外で一閃の稲光が走り、激しい雷鳴が極楽寺の山々に響き渡った。ムサリーの予言通り、本格的な雨が降り始めたようだった。
「……櫻子さん、事態が分かった」
俺は櫻子さんにあらましを早口で伝えると
ふすまを開け放ち、外に向かって口笛を高く鳴らした。
「山田さん、あなたの探してる猫の居場所がわかりました。でも時間がない……山が崩れる前に救い出します!」
雨煙の向こうから、漆黒の羽を羽ばたかせたライデンが、電信柱のてっぺんに舞い降りてくるのが見えた。
『頼! 風が強くなってきたぞ、何の用だ!』 「ライデン、裏山の不法投棄されてる古い祠のあたりだ! 土砂が崩れる兆候がないか上から見てくれ!」
『フン、人(鳥?)使いが荒い。だが……あの老いぼれ犬の無念が混ざった声なら俺にも届いている。すぐ行く!』
ライデンが黒い疾風となって雨の空へ舞い上がった。
「山田さん、俺についてきてください!」 「あ、はい……っ!」
山田さんは恐怖と混乱で震えながらも必死で俺の後を追ってくる。その背中には、泥に塗れた老犬の霊がぴたりと寄り添い、悲壮な眼差しで前方の闇を見つめていた。
第三章:崩落の山道と老犬の未練
山道へ入ると、雨はすでに豪雨と化し、足元がぬかるんでいた。 少し進むと、木の影から一頭の甲斐犬が駆け寄ってきた。
「ちょっと頼! 山の方で重機の音がしてたのよ! こんな雨の日に怪しいと思わない!?」 「重機……!? ムサリー、案内してくれ!」 「あたしはムサリー! 頼むからちゃんと言いなさいよ! こっちよ!」
ムサリーの誘導で木々を掻い分けると、本来なら立ち入り禁止はずの山腹が開けていた。そこには防護柵が破られ、ショベルカーが一台放置されていた。
『頼! 上だ!』
上空からライデンの声が落ちてくる。
『誰かが意図的に排水溝を大きな土嚢で塞ぎ込んでやがる! 水を行き場のない斜面に集中させて、人工的に土砂崩れを起こそうとしてるぞ!』
背中の老犬が、悲痛な声で叫んだ。
『……あいつらだ……! あの山肌にある古い祠の周りに、夜中にコソコソ泥やコンクリート片を投げ捨てていた連中だ……! 俺が生きていた頃から、あの祠は俺とあいつ(黒猫)の雨宿りの場所だったのに……!』
俺は山田さんに、ライデンと老犬から聞いたあらましを簡単に伝えた。
山田さんが息をのむ。
「じゃあ……最近噂になっていた、悪徳地上げ屋の……!? そうか!……土砂崩れを起こして近隣に危険を煽り、土地の価値を暴落させて買い占める気か……!」
『早くしてくれ……!』
老犬が涙を流す。
『投げ捨てられた瓦礫のせいで祠の入口が塞がれて、あの子が閉じ込められているんだ! もうすぐ祠ごと土砂に埋まってしまう……!』
「山田さん、俺が祠の瓦礫をどけます! あなたは警察と櫻子さんに連絡を! 櫻子さんなら、この不正な崩落を一時的に食い止める“護符”を打てるはずだ!」
俺は足の取られる泥の斜面を駆け登った。 土砂降りの雨が視界を奪う。泥水が滝のように斜面を流れ落ち、足元が削られていく。
老犬の霊が示した場所には、崩れかけた小さな石造りの祠があった。苔むした祠の入口は、悪質な地上げ屋が投げ捨てたコンクリート片で容赦なく塞がれていた。
「ミーちゃん! 聞こえるか!?」
「……ニャ、ニャー……ッ!」
中から、細く引きつった小さな鳴き声が返ってきた。無事だ!
祠の屋根を押さえつけるように重なっているのは、大人の胴体ほどもある巨大なコンクリートの塊だった。俺は素手で冷たいコンクリート片を掴み、がむしゃらに取り除き始めた。泥と何度も掴んだコンクリート片で血が滲んで滑って上手く力が出ない。俺の力だけではピクリとも動かない。
「くそっ……! ここまで来て……! 俺にできることなんて、何もないのかよ……ッ!」
第四章:届いた声と希望の光
その時——
「——天に星あり、地に気あり。伏して命ずる、土石の怒りを鎮め給え!」
背後から、雨音を切り裂くような鋭い声が響き渡った。 振り向くと、雨合羽を羽織った櫻子さんが駆け登ってくるところだった。手に持った数枚の朱色の護符を斜面の上目掛けて勢いよく投げつける。
護符が空中でバシッと音を立てて弾け、淡い金の光の網となって斜面全体に広がっていく。途端に、ズズズ……と不気味に蠢いていた土砂の揺れがピタリと収まった。
「櫻子さん……!」
「頼! 護符で土砂の滑落を一時的に止めたわ! でももってあと三分よ!」
櫻子さんが息を切らしながら駆け寄り、俺の隣で腰を落とす。
「このブロックをどけるわよ! 頼、せーのでめいいっぱい押すわよ!」
「おう!」
俺と櫻子さん、そして——見えないはずの老犬の霊もまた、巨大な前足をコンクリートの塊にかけ、魂の底から咆哮した。
『うおおおおおっ! 助けろぉぉぉっ!!』
「せーのっ……いっけえぇぇぇ!!!」
俺自身にすごい大技があるわけじゃない。だけど、目の前で命が消えそうになっているなら、仲間のためなら——俺の身体は自然と限界を超えて動く! 生きている者の執念と、死してなお小さな命を守ろうとする老犬の強い思念が重なり合い、巨大なブロックが『ズズ……ッ』と音を立てて横に転がった。
ぽっかりと空いた祠の暗闇。そこから飛び出してきたのは、泥まみれの小さな黒猫だった。
「ミーちゃん!!」
遅れて登ってきた山田さんが泣き叫びながら黒猫を抱きしめる。 直後、頭上で『パンッ!』と乾いた音が弾け、櫻子さんの護符が限界を迎えた。
「全員、下がって!!」
俺たちは黒猫を抱えた山田さんを庇いながら、一気に斜面を駆け下りた。直後、大量の泥水と不法投棄の瓦礫が、轟音と共にさっきまでいた斜面を呑み込んでいく。 重機の横まで逃げ延び、全員が肩で息をついた。
第五章:黄金の旅立ちといつもの日常
山田さんは黒猫を胸に強く抱きしめ、泥だらけになって泣いている。
ふと山田さんの背中に目をやると、泥と傷に塗れていた老犬の姿からすうっと汚れが消え去り、太陽の光を浴びたような、豊かな黄金色の毛並みを持つ大きなゴールデン・レトリバーの姿が現れていた。
ゴールデン・レトリバーの霊は、山田さんの腕の中で安心しきって喉を鳴らす小さな黒猫を、目元を細めて愛おしそうに見つめていた。
『……よかった。あの子が助かって、本当によかった……』
「あんたのおかげだ。ありがとうな」
俺が静かに声をかけると、老犬はゆっくりとこちらを振り返り、尻尾を一度だけ大きく振った。
『……聞いてくれて、ありがとうな、お兄ちゃん。これで……やっと眠れるよ……』
黄金の毛並みが、温かい光の粒子となって雨の空へと溶けていく。成仏していくその誇り高く優しい佇まいは、まるでこの山を守っていた山神のようだった。
山道の麓から、赤色灯の光が見えた。警察が到着したらしい。
「ふう……一件落着、ね」
櫻子さんが雨合羽のフードを払いながら微笑んだ。
「さ、頼。山を降りたらスーパー寄るわよ。約束のオムライス、特大サイズ作ってあげるから」
「……へいへい。感謝しますよ、陰陽師様」
俺は苦笑いしながら空を見上げた。雲の切れ間から、雨上がりの極楽寺の町にスーッと一筋の夕光が差し込んできていた。
言葉が通じる。それだけの能力。すごい陰術も使えないし、大層な力があるわけでもない。
だけど、言葉を届けることで救える命と、救える魂が確かにある。 目の前で誰かが泣いているなら、見捨てることだけはしたくないんだ。
「帰るか、俺たちの家に」
俺は泥を払い、濡れた坂道を歩き始めた。




