東雲ニズとの出会い
いつもの寝床で、いつものように目を覚ます。
いつものように、目を覚ましてから直ぐには動かない身体が響広にまだ寝てもいいだろう?と囁く。その囁きに響広は特に抗いもせず、再び目を閉じた。
「おい、2度寝すんな!!」
聞き馴染みのある、自分以外の声。自分と全く似ている声で自分を叩き起こされ、響広は寝返りをうつ。響広は夜に強い分、めっぽう朝に弱いのだ。
少女は諦めたのか、ため息をはいてその場を立ち去る。響広は安寧の時間を守れたのか、口端が少しだけ緩ませていた。
その油断が命取りだった。
気配もなく近づいてきた少女は響広の口元で叫ぶ。
「起きろ、この駄生活常習犯!!」
これには響広も朝にも関わらず堪忍袋の緒がプチンと切れる。
「うっせぇな!まだ朝なんだよ!!昼まで寝かせろ!!」
「もう朝なんだよ!!どうせ、昨日も夜遅くに帰ってきてたから毎日まいっにち起きれないんだろうが!!」
ハーフツインの金髪の先に響広と同じ紫色が染まっている少女もまた、紫と水色とピンクで混ざりあっている瞳を怒り一色に表している。
「第一、朝から仕事なんてほぼないようなもんじゃん!!」
響広がいつもの現状をそう伝えると今日の少女は一味違うと言わんばかりに口角を上げる。
「じゃあ、私が行ってもいいってこと〜?」
「はぁ?どういう意味...」
完全に眠気の覚めてしまった身体は最早起き上がらない意味をなくし、響広はのそりと起きる。まだ寝ぼけている脳で響広は目やにを取りながら上機嫌な少女の説明をぼんやりと聞いていた。
「今日、久瀬さんが旧友の人と会う約束をしてるらしくて私たちのどちらかに旧友のお孫さんに街を案内しつつ護衛をする仕事をくれるらしいの♪その仕事を久瀬さんが戻ってくるまでにどっちがやるのか決めろって」
「街案内と護衛〜?なにそれ、くっそだる。でも、行かない方は留守番ってことでしょ〜?そっちの方がだるい...」
響広と少女ー明藤瑞姫はまだ16歳だが、この街で仕事を始めてから10年が経とうとしていた。なのでこの街で生きる者としてはかなりの常連者である。
「で、どうやって決めんの?」
響広がやっと立ち上がり、水道の蛇口を捻って水を出す。両手ですくい取り、そのまま豪快に顔へと直撃させる。顔からぽたぽたと垂れてくる水を顔に吸い込ませていると瑞姫が右手を上げる。
「まぁ...リンドンしかないよね」
響広も右手を上げて、右手を握ったまま腕を振る。
そのままお互いがお互いを見合わせてから、全く同じ声で「リンドン・リンドン・リンドン」と呪文のようにリズミカルな音程で詠う。最後に、力強く言い切らせて勝負を終わらせる。
「「リ・ン・ド・ン!!」」
ー
「それで、お前が勝ったのか」
響広と並んで歩く久瀬がそう理解した。響広が「そーです」と興味がなさそうに答える。響広は何も友達を増やしたいがために勝ちたいと思ったわけではなく、店で留守番をしたくなかったからなのだ。留守番を免れたのだから、後はどうなったって良かった。
「どっちに任せても同じことを言うが、くれぐれも逸れるなよ。運がいいのか、悪いのか...今週は“フェスティバリー”だ。しかも、年々観光客が増えてるからな。変な喧嘩は買わずに着いてこい」
「喧嘩を買ってるつもりはない」
「よく言う」
響広はぶっきらぼうに返してはいるが、ただ愛想がないだけで久瀬自体には親代わりとして育ててくれた恩義や愛情はある。久瀬が響広たちのことをどう思っているかは響広たちにも分からないものだった。
少しだけ華やかになるいつもの街。
どうせ真髄は変わらないという絶対的な根本が響広に“フェスティバリー”への興味や関心、魅力を見出させない理由であった。久瀬の言う通り、“フェスティバリー”になると年々観光客が増えていると響広も感じていた。そのせいなのか、“フェスティバリー”になると使い方も分からないが人によっては魅力を感じられる品物も増えていっている。血の繋がっている姉妹でも、響広は全く興味がないし瑞姫はその逆だ。
いつもと同じ風景、いつもと同じこと、いつもと同じ退屈さを今日も感じなければならないのか。
正体の掴めない黒いモヤはいつだって響広を退屈から放さない。出店されている品物をなんとなく見ていると、店の間にある路地裏に目が留まる。人影があったのだ。この街で路地裏に人影があるのは特別おかしいという話ではない。しかし、響広が気になったのはほんの少しだけ漂う火薬の臭いだった。
面倒だが、この街で暴れられる方がよっぽど面倒なので久瀬に気付かれぬように気配を少しずつ薄くして路地裏へと入る。
“フェスティバリー”というのに、路地裏だけは違う世界へ迷い込んだかのように静かで冷たい空気が滞っている。視界が暗闇に慣れていないのでまだ完全に道は見えていないが、臭いを頼りに少しずつ近づくと年配の男たちの声が聞こえて響広は聞き耳をたてることにした。
「おい、例の物は持ってきたんだろうな!」
やや焦り気味のところ、余裕がないようだ。それとも、こういった後暗いことに手を出し始めたのかもしれない。
「そう急かすな、旦那」
奥にいる小太りの男がトランクケースをぶらぶらと見せびらかす。そんな風に使っていれば、響広のように鼻のいい者は火薬の存在に気づいてしまうだろう。
「先に金だ。ちゃあんと金が入っていたら...」
「わ、分かった!...これでいいだろう」
余裕のない男は小太りの男より高級そうなトランクケースを小太りの男に手渡すと、小太りの男は中身を確認し始めた。小さな声で紙札の数を数えている。
「よし、ちゃんと全額入ってるな。ほらよっ!!」
小太りの男は銃が入っているのを忘れたのかと言わんばかりにトランクケースを投げつける。余裕のない男も大変驚いている。響広は慣れ始めた暗闇の中から正面に自警団が見回りをしているのを見かけると、大きく息を吸い込んだ。そして叫んだ。
「火事だ!!」
すぐ近くで声がしたのを瞬時に悟ったのであろう、小太りの男は響広に目がけて銃を放ったが響広は叫んだ後に素早くその場を後にした。自警団に響広の姿を確認されれば、久瀬に話が伝わってしまうからだ。それに、自警団がすぐ近くにいたので危険はないはずだ。この街は治安が悪くとも、各々の仕事はきちんとしている。
響広はそう油断して久瀬を探そうと辺りを見渡すと、何者かに首根っこを捕まれ身体が宙に駆られる。服がのびるのでやめてほしいなぁと思いながら響広はその人物の顔を見ると、「あ」と声を漏らした。そこには、仏頂面で響広を見据える久瀬の姿があった。そして、響広の耳がキーンと鳴るぐらいの音量で怒鳴る。
「おめぇはどこほっつき歩いてんだぁ!!着いてこい言っただろがよぉ!!あぁ!?」
「火薬の臭いがしたんだってぇ!!私言ったじゃん!!聞いてなかったのそっちじゃん!!」
全くの嘘である。しかし、一度でも言ったと騙り信じさせられればこちらの勝ちなのだ。可能性があるのならば響広はそれに全ベットだ。とにかく首根っこを掴まれるのは嫌なので暴れるも手が緩む気配は一向に感じられない。流石、暴れん坊娘の響広を10年育ててきただけはある。響広はふと、久瀬の目指している先を見た。向こうには背の小さい老父と響広と同じぐらいの歳の少女が響広を見ていた。2人とも、響広のことを驚いたような目で見る。響広の髪の色なのか久瀬が姪の首根っこを掴んでいることに驚いているのか現状では予想がつけられなかった。
「綺麗…」
少女がそう、言った。
その一言で両方のことに驚いていたのかと気付いたが、響広の呪われた髪を見て綺麗と呟かれたことに響広は動揺を隠せなかった。
だって、あんなにも宝箱を見つけたような瞳で言われたことなんて今までなかったから。
響広が急に大人しくなったことに特に気にしもしない久瀬は響広の首根っこを掴んだまま少女の目の前へ、ずいっと押し出す。そして、相変わらずぶっきらぼうな態度で響広の紹介をする。
「すまんな、この馬鹿が。こいつが、明藤響広。
ニズちゃんと同じ今年で17になるガキで、街案内をさせようとしてたガキだ」
「ガキガキうっせぇなぁ…」
(へぇ...そのあたりかなとは思ってたけど、同じ歳なんだ)
うんざりとした態度ではあったが、響広は久瀬の言葉よりも目の前の少女に何かを感じていた。運命なんてキザなことではないと信じたいが、他の観光客とは違う何かがある。
「お前はいつでもガキだろうが。…お前にも、一応紹介しておくぞ。東雲龍蔵、俺の昔ながらのダチ。東雲ニズ、お孫さんだ。お前の仕事は街案内と護衛だからな。これは今朝出る前に言ったから二度は説明しねぇ」
「はいはい」
簡易的な紹介だったが単細胞な頭をしている響広にはこのぐらいが丁度いい。きっと久瀬もそう判断してのことだろう。
「それじゃあ、後は頼めるかい?若い狂犬さん」
龍蔵が響広に穏やかな笑みを浮かべてそう語りかける。響広は龍蔵の表情を読み取ることができず、なんだか怪しいと思ったが久瀬の旧友だということを忘れていた。
(そりゃあ怪しいよな)
しかし警戒心を解かないまま響広は龍蔵とニズを交互に見る。たしかに、目が似てる。ならば本当にこの二人は血が繋がっているのだろう。響広は久瀬を見る。
顔は覚えた。
アイコンタクトだけで伝えた言葉の意味を悟った久瀬は響広の首根っこをやっと放す。響広は両足で難なく着地すると、ゆっくり立ち上がりニズの瞳をじっと見つめる。響広の髪を見た時はどんな明るい子なんだろうと思ったが、響広といざ顔を見合わせると不安に駆られたように困り眉になり俯き気味になる。響広のことが怖いのか、ニズは少しだけ身を引かせているようにも見える。
(変なやつ)
「終わったらどうするの?」
響広が振り向き、久瀬を見る。久瀬は頭を乱雑にかきながら、あー…と言葉を濁らせながら龍蔵を見る。
(ノープランだったんかい)
響広がそう突っ込むと話を振られた龍蔵は穏やかな笑みにあう声で響広とニズに話す。
「観光客用のホテルに頼むよ。道順はそこの狂犬さんに教えてもらうといい」
観光客用のホテル、と聞いて響広は「あー…あそこねぇ」と呟く。観光客用のホテルは金が無駄にかけられているようなのであまり快く思っていない。故に近づきたくないが仕事で行くことになってしまったのなら致し方ない。覚悟を決めると響広はパッと顔を上げ再びニズを見る。
「おっけ、なら行こうか。オジョウサマ」
こんな人工島に観光しにくるのは大抵物好きな富豪ばかりなので、きっとこの子も良いところのお嬢様なのだろう。
響広はそんな皮肉を込めてニズをそう呼んだ。
ニズはその皮肉が気に入らなかったのか、少しだけ固まっていたが直ぐに意を決したかのように力強く頷く。
頷いてから顔を上げた瞳には何かの覚悟を宿した輝きがあった。その輝きに響広はなんだか、可能性を感じた。
夜明けはまだ訪れない。