5. うーまずい、もう一本!
彼の工房を訪れたのは、その日の夕方のことだった。
体中がギシギシと軋むたびに情けない音がする。
階段を登るのも一苦労で、息を整えてからようやく扉をノックした。
正直、ポーションには少し抵抗があった。
「頼りすぎちゃダメ」と言われたし、きっとエナジードリンク的な、短期的に回復するけどあとで反動がくる系だと思ってた。
前世でギリギリ中毒一歩手前だった頃を思い出す。
……まさか“例のやつ”みたいに疲労がポンと消える、なんてことはない……はずだ。
扉が開いて出迎えてくれたのは、銀髪に丸眼鏡、白衣がよれよれの老錬金術師だった。
「おやおや、噂の修行バカが来おったな」
口の悪さもキャラどおり。
この人がグラッド。騎士団の一部からは“爆薬ジジイ”なんて呼ばれてるらしいけど、実力は本物だ。
「どうせ無茶してぶっ倒れたんだろ? 見りゃわかるわい」
そう言って、奥から取り出してきたのは──
どう見てもヤバい色した、紫がかったポーションだった。
「これが最新作の疲労回復ポーションじゃ。副作用のデータは……まだじゃがな。
実験台になってくれるなら、格安で分けてやるぞい?」
「喜んで」
即答した俺に、部屋の隅で棚を整理していた少女が驚いたように振り向いた。
「……なんでそこまで頑張るの?」
声をかけてきたのは、彼の弟子らしい少女。
俺と同年代くらい。栗色の髪を三つ編みにまとめていて、白衣の袖がちょっと長すぎる。
見た目こそ優等生タイプだけど、目つきにはどこか好奇心と毒気が混ざっていた。
「ん?
ああ、そりゃ決まってるさ!」
俺は胸を張って、即答……
しようとした瞬間、言葉が止まった。
……あれ?
「……なんで、だろう?
……いや、決まってるはずなんだけど……何でだろう?」
自分でも驚いた。
いつもなら即答できるはずの問いに、なぜか答えが出てこなかった。
少女はぱちぱちと瞬きをしてから、小さく笑った。
「変な人。
答えもわからないのに、そんなに一生懸命なんだ」
「……変……
そう、変かな?
やっぱり変だよな。
うん、自分でもそう思うよ」
そのあとは、なぜか自然と会話が続いた。
「いま試作してるのは、魔力安定ポーションっていうの。
魔法の暴走を抑える効果があるはずなんだけど……配合がすごく繊細で。
ちょっとでも比率がズレると、むしろ逆効果になっちゃうのよね」
「へえ……魔力量じゃなくて、制御側に作用するのか?」
「そう。魔力そのものの流れに干渉するの。
だから、魔法陣じゃなくて身体に直接使うタイプ。
回復ポーションよりも、ずっと調整が難しいのよ」
俺はその理論の断片を聞いて、ピンとくるものがあった。
「もしかして、それって……魔導剣術の補助にも使えたりする?」
「えっ? 魔導剣術って、あの“魔力を剣に通すやつ”?」
「そう。俺、それやってるんだけど……魔力制御が下手でさ。
ちょっとでも集中切れると、剣がビリビリ言い出して、手から落ちそうになるんだ」
「それって、完全に過負荷。多分、魔力経路が安定してないのよ」
「だよなぁ……特に光と風の混合術式がヤバくて。
出力は高いんだけど、めっちゃ不安定になる。
なんていうか、手の中で風船がパンパンに膨らんでるみたいな感覚で──」
「うわ、それ完全に爆発寸前じゃない。よく手ぇ吹っ飛ばなかったわね……」
彼女は呆れたように笑いながらも、興味深そうに身を乗り出した。
「でも……光と風の複合って、属性相性は悪くないはずよね。
もしかして、流れの位相がズレてるのかも。
それぞれの術式を発動するタイミング、完全に同調してないんじゃない?」
「……位相か……なるほど、時間差って意味でもあるんだな」
会話のテンポはどんどん早くなって、まるで訓練とはまったく別の世界に踏み込んでいるようだった。
彼女が語る魔力理論の複雑さに目を見張り、
俺の現場的な感覚に彼女が感心して、
言葉のひとつひとつが刺激となって、
お互いの知りたいを引き出していく。
気づけば、空がすっかり赤く染まりはじめていた。
部屋の中に射し込む夕陽さえ、どこか夢の続きのようだった。
やがて、窓の外が赤く染まり始めたころ。
彼女が立ち上がろうとしたタイミングで、俺は唐突に言った。
「……さっきの答え、わかったかもしれない」
「え?」
くるりと振り返る彼女に、俺はまっすぐ言葉を向けた。
「俺が頑張ってる理由。
それは──諦めないって能力を育てるため、かもしれない」
「……諦めない、能力?」
「うん。才能とか、血筋とか、運命とか。
そういうのに勝てないって思ったときでも──
俺だけはやめないって決めたことなら、信じられる。
それを積み重ねていくことが、俺にとっての強さなんだと思う」
彼女はしばらく黙っていたが、やがてふっと笑った。
「……やっぱり、変」
「変人って言ってくれていいぞ。ちょっと嬉しいから」
「じゃあ、言い直すね。変わり者くん」
いたずらっぽく言いながら、彼女は例のポーションを手渡してきた。
「これ、効き目は強いけど……味は保証しない」
「効けばいいさ」
瓶を受け取り、俺は軽く頭を下げた。
彼女はひらひらと手を振って、そのまま奥の作業室へと消えていった。
……それが、最初の出会いだった。
その後、何度か彼女とは顔を合わせた。
俺が訓練帰りにふらっと立ち寄ると、だいたい工房の奥で何かしらの調合をしていた。
煙を上げて咳き込んでいたり、瓶の中身が爆発しかけていたり──正直、錬金術って大変なんだなと思わされた。
「また疲れた顔してる。はい、ポーション一号試作品」
「いや、実験用の試飲対象はやめとこっか……」
そんな他愛ないやりとりが、俺にはなんだか心地よかった。
彼女は相変わらず名前を名乗らなかったし、俺も名乗ってくれとは言わなかった。
けれど、不思議と会話は自然に続いた。
ある日は魔力の流れについて、またある日は失敗談で笑い合った。
訓練ばかりの日々の中で、彼女との時間はどこか異質で──けれど、確かにあたたかかった。
だがある日、工房を訪れても彼女の姿はなかった。
グラッドに聞くと、「息子の伝手で、魔法の専門家に弟子入りした」とのことだった。
爺さんの息子って事は、彼女の父親だろう。伯父とかかも知れないけど。
「しばらくこっちには戻らんだろうな。あいつ、研究に入ると没頭するからのう」
名前も聞けないままだった。
告げられた別れの言葉もなければ、約束もなかった。
でも、それが彼女らしいと思った。
ぽっかりと空いた工房の一角を見ながら、俺は思った。
寂しさは確かにある。けれど、それ以上に、また会えるような気がしていた。
またどこかで会えたら──そのときこそ、ちゃんと名前を聞こう。
そして、胸を張ってこう言いたい。
「俺は、あのときの言葉を、ちゃんと証明してる」って。
諦めない。やめない。信じる。
それが、俺の強さだ。
今はまだ見習いでも、未完成でも、足りないものだらけでも。
あのときの言葉は、たしかに俺自身に向けたものだったんだ。
だから、きっといつか。
もう一度「変わり者君」の言葉で彼女と笑い合える日が来ることを信じて。