39. 第四の男
激闘――そんな言葉すら、生易しい。
これはもはや、生存を賭けた抗いだった。
直前に繰り広げられた死闘――四天王の一角、《大淫婦バビロン》リリティナとの戦いで、すでに限界を超えていた。
脇腹は深々と裂け、動くたびにズキリと臓腑が引き裂かれるような激痛が走る。
左脚は踏み込みのたびに鈍く音を立て、骨にヒビが入っているのが自分でもわかった。
右肩の筋肉は、リリティナの爪による裂傷でまともに剣を振るえない。
それでも――それでも俺は、剣を手放さなかった。
そして、今、目の前にいるのは――
魔王をも凌駕する存在、暗黒竜。
だが最も厄介なのは、俺には通ってしまうという事実だった。
ヴァルガスの闇の魔力は、同質であるがゆえに干渉を受けにくく、一部の魔力波動を相殺する属性的耐性を持っていた。
彼は傷つきながらも、なお戦えていた。
――だが、俺は違う。
リリティナから一時的に受け取った魔力の欠片は、この暗黒竜には歯牙にもかけられない。
俺は、ただの人間だ。
ゲームの中で主人公だったとはいえ、それは「設定」の話。
現実となったこの世界では、オルファスにとって俺はただの餌、あるいは塵屑だ。
オルファスの吐息と共に放たれる腐食の瘴気が、肌に触れた瞬間、皮膚が爛れ、神経を焼いた。
地を揺るがすような重力崩壊の咆哮は、耳を裂き、鼓膜の奥で脳が震えるような感覚を残した。
ただ近づくだけで、呼吸が困難になり、視界の端が黒く染まり始める。
それでも俺は踏み込んだ。
踏み出すたびに、血の滴る音が自分の耳に届く。
斬り込むたびに、肩の傷口が裂けて剣の柄が血に濡れる。
一撃受けるごとに、世界が遠のき、意識が霞む。
防御は通じない。
回復も、追いつかない。
誰かが囁く。「もう無理だ……」
――でも、俺は耳を塞いだ。
「――おーい、兄貴たち!」
戦場の端から聞こえたその声に、思わず振り返る。
来た。例の三人組――グレイ、バルド、ノア。
誰よりも泥臭く、誰よりも無鉄砲に、そして誰よりも熱く仲間に向かって走ってくる男たち。
「ったく、こんなとこでカッコつけて死ぬつもりかよ、兄貴ッ!」
「こっちはまだ一発もカマしてねぇんだ、オルファスとかいう化け物、遠慮なくぶっ叩いてやらぁ!!」
「兄貴に続く背中がある限り、俺たちは何度でも立ち上がるんだよッ!!」
三人とも、得意の武器を携えながら突撃する。
グレイの大槍がオルファスの尾を絡めとき、バルドの戦斧がその鱗の継ぎ目を叩き割り、ノアの投擲刃が翼膜の隙間を正確に射抜く。
「お前ら……!」
最初は無視していたオルファスだったが、三人の見事な連携により、尻尾による広範囲攻撃が完全に封じられる。
圧倒的な存在に対して、無謀でしかなかったはずの一歩が、戦場を切り開いた。
――そしてその隙に。
「ッらああああああああああッ!!」
全身の筋肉を無理やり叩き起こすように跳び上がる。
内臓の痛みも、裂けた脇腹も、今だけは黙らせろ。
空中で反転し、雷鳴のように咆哮をあげながら放った渾身の一太刀。
刃が、オルファスの左翼を真正面から叩き裂いた。
鈍い衝撃音とともに、黒曜の鱗が砕け、深紅の血が宙に舞う。
空を焦がすような咆哮が天を割り、巨大な翼がたわんで揺れた。
「効いた……効いたぞ、今の!」
ヴァルガスの驚きと歓喜が入り混じった声が、戦場に響いた。
たった一撃。されど一撃。
絶望の中に穿たれた、小さな希望の光。
それは、戦いの流れが「変えられる」と証明する一閃だった。
「――まだ、やれる……! 俺たちは、まだ……立ってるぞ!!」
叫んだ声が、空に響いた。
そしてその声に呼応するように、仲間たちの表情が――再び、闘志に染まっていく。
そこから、まるで堰を切ったように――
仲間たちの連携が、怒涛のごとく繋がっていった。
「セリナ、右翼の裂け目だ!」
俺の叫びに応え、セリナがすぐさま詠唱を完了させる。
「――氷穿!」
氷槍が五発、血の流れ出る隙間へと正確に突き立ち、冷気がオルファスの傷口を凍てつかせる。
そこへリリィの祈りが重なり、光の刃が形成されて浮遊し、仲間たちを守る盾となり、同時に刃として飛翔する。
「お願い……みんな、これ以上は傷つかないで……!」
クロエが影のように地を這い、オルファスの足元に滑り込んだ。
「こっちはアタシが抑えるから、今のうちに叩き込んでッ!」
跳躍一閃、ブーツの金属装甲で膝裏を蹴り上げ、バランスを崩させる。
そこへノエルの詩が流れ込むように響いた。
「――響け、鼓動。今、力を灯せ……!」
その瞬間、魔力が一気に脈打ち、全員の魔力密度が二倍、三倍に膨れ上がる。
戦場に旋律が走る――まるで命のうねりのように。
フィリアの魔導剣が、ヴァルガスの闇のエネルギーと共鳴し、黒と銀の輝きを帯びて解き放たれた。
「終わらせるわよ、これで……!」
その剣閃を合図に、ミリアが一陣の風となって斬り込む。
「任せなさい……あたしの剣が通じない相手なんて、いるわけないッ!」
二人の斬撃が交差し、巨大な漆黒の鱗を斬り裂いた。
その刹那――
「今だぞ、レイ兄ィ!!」
三人組の声が、空気を震わせた。
グレイが突き出した槍が、オルファスの右腕を貫きかけて止まり、
バルドの斧がその重さで骨ごと断ち切らんとする一撃を打ち下ろす。
「行け、兄貴! 次、合わせるぞ!」
ノアの投げた投刃がタイミングを測るように宙を舞い、俺の視界に“道筋”を刻んだ。
それが俺の踏み込みの合図になった。
「おうよ!!」
全身の痛みが霞む。
血を噴きながらも、俺はまた一歩、オルファスに向かって踏み込む。
ヴァルガスの闇は通じない。
だが、俺は違う。
俺の刃は、通る。通せる。通してみせる。
だから――
「まだだッ!! まだ終わらんよッ!!」
怒声とともに剣を振り抜く。
連撃の渦中、ひときわ鋭く、鋭角に――
俺の斬撃が、オルファスの傷口を更に深くえぐった。




