35. 魔王という概念
戦場に、再び凍てつくような緊張が走る。
最初の数合――刃が交差し、魔法が飛び交い、祈りと叫びが混ざり合うその中では、まだ均衡が保たれていた。
だがそれは、ただの“序章”だったのだ。
魔王の“絶対干渉”――あらゆる魔力をねじ曲げ、構築された術式を一瞬で崩壊させる理不尽の力。
こちらの魔法は半減され、連携の呼吸はわずかな齟齬で乱され、まるで“戦わせてもらえない”感覚が押し寄せる。
それでも――
俺が加わったことで、流れは一つ変わった。
「通せ……!」
咆哮とともに、俺は魔王が作り出した干渉空間を《斬った》。
その一瞬の空白を突いて、セリナの氷魔法が一直線に魔王へと放たれる。
氷の矢が閃光のように魔王の肩を裂き、続けてリリィの回復が、全体に降り注いだ。
「ありがとう、レイ!」
ミリアとヴァルガスが、まるで呼吸を合わせるように前へ出る。
交差する二人の斬撃――雷光と疾風のように魔王の剣と激突し、
その一撃が確かに、魔王の胸に血を滲ませた。
「ノエル!」
ノエルの詩が空を震わせ、仲間の身体能力と魔力を一気に高める。
クロエの影が、魔王の足元から這い上がり、動きを鈍らせ――
フィリアの魔導剣が天より落ちる閃光となって魔王の右の角を砕き取った。
「今だ……!」
確かな手応えに、仲間たちが前に出ようとした、その刹那――
「――無ノ、波動」
低く、二重に響く魔王の声が、空気を濁す。
次の瞬間、空が割れた。
黒い波動が地を這い、灼熱のような冷気を伴いながら全方位へと拡散する。
ただ触れただけで、空気が焼け、肉が砕ける。
「ギッ……ぐああああああッ!!」
ミリアの悲鳴が響く。
脇腹を抉られ、赤い閃光と共に吹き飛んだ彼女が、遠くの瓦礫の陰に倒れ込む。
「――セリナッ!!」
俺が叫んだ瞬間、魔王の瞳が彼女を正確に捉えていた。
放たれた黒い閃光が、セリナの魔法を霧のように分解し、その余波が彼女の右腕を切り裂く。
「くっ……魔法が……消える……っ!」
リリィの祈りの光が、届く前に空気に溶けて霧散する。
それは、ただの抵抗不能な力ではない。
この世界そのものを拒絶するような――概念すら削り取る力だった。
フィリアが吼えるように斬りかかるも、魔王の鱗のような外殻は、魔導剣の刃を受け止め、火花を散らしただけ。
クロエの急襲すら、空間がゆがみ、座標を歪ませるようにして避けられる。
「くそっ……規格外ってレベルじゃねぇ……!」
俺は奥歯を噛み締め、拳を震わせた。
怒りか、恐怖か、それとも――焦りか。
「このままじゃ……潰されるぞ……!」
全員が、全力を尽くしている。
一切の妥協も、迷いもない。
それでも――届かない。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
誰も、まだ――諦めていなかった。
闇の波動に触れれば、肉体は音もなく腐食する。
視線を交わせば、意識が薄れ、記憶が歪む。
まるで言葉ではなく、存在そのものが、俺たちの世界を侵食してくる――
否、塗り潰しにきている。
黒き王、魔王。
それは名ではない。概念だ。
大地に立つだけで、空が陰る。
喉元に突きつけられるような死の実感が、息をするたびに肺を焼く。
――まさに、災厄。
魔王とは、ただの強敵ではなかった。
それは理不尽で、概念的で、抗う意思すら否定してくる終末の化身だった。
それでも。
「……まだ、終わってねぇ。
そうだろ?」
俺は、目の前の地獄から、目を逸らさなかった。
見るのも辛い。感じるのも怖い。
腕は痛み、脚は震え、肺は焼けつくように熱い。
けれど――
目の前にいる仲間たちは、もっと苦しんで、もっと傷ついて……それでも、まだ戦っている
だから――
それ以上に、胸が熱かった。
「……まだ、誰も折れてねぇ……!」
ミリアが、砕けた剣を杖にして立ち上がる。
瞳は揺れても、炎は消えていなかった。
セリナが、裂けた袖を気にもせず、血まみれの手で呪文陣を再構築している。
声は震えていても、詠唱は途切れなかった。
フィリアは唇を噛み、血を流しながらも魔導剣を構え直した。
その剣は、光よりもなお眩しく――意思の刃として輝いていた。
ノエルの詩は風に乗り、途切れず仲間に届いている。
クロエは、膝をつきながらも、まるで地を蹴るように体勢を整えていた。
リリィは両手を重ねて祈り、傷を負った仲間を、再び立たせる光を注いでいた。
そして、ヴァルガス――
鎧の下から流れる血。呼吸も乱れ、もう何度倒れてもおかしくない。
地面に叩き伏せられたその男が、静かに、しかし力強く剣を握り直し、不屈の意志で立ち上がった。
「まだ……やれる!
ボクたちは……ここで、止まれ無いんだ!」
その声が、俺の心臓を撃ち抜いた。
「なら……今が、俺の出番だッ!!」
気づけば、俺は走っていた。
痛みも、呼吸も、すべて無視して――魔王の懐に、一直線に突っ込む。
風を裂いて駆け抜け、仲間の間をすり抜けて、魔王の影へと斬り込んだ。
剣技? 戦術? 連携?
クソ喰らえだ――!
「うおおおおああああああああッッ!!」
魂ごと叩きつけるように、剣を振るった。
普段なら絶対にしないような、重心を無視した無茶な踏み込み。
だが――それが、一瞬の隙を生んだ。
魔王の動きが、わずかに鈍る。
影が揺らぎ、足がずれた。
理屈も戦略も何もない。
ただの一太刀。ただの一歩。ただの、一撃。
俺は、魔王の懐に飛び込み、がむしゃらに剣を振るった。
――風を切った。
――音が遅れてついてきた。
魔王の影が揺れ、空間がわずかに歪む。
それだけで、奴の足が――一瞬だけ、止まった。




