2. 悪役に負けないよう頑張らなくては
そこからの俺は──違った。
あの日、自分の無力さを突きつけられた瞬間から、何かが切り替わった。
俺はその日を境に、毎日、剣を握り続けた。
まず始めたのは、素振り。
前世でほんの少しだけかじった剣道と柔道の記憶を引っ張り出して、朝は日の出前に起きて竹刀──いや、こっちの世界では木剣──を振った。
最初は100本から始めて、次の日は110、そして120……と毎日少しずつ増やしていく。
途中で握力が落ちて、手の皮がめくれて、豆が潰れても、関係なかった。
走り込みは日課。
裏山を駆け上がっては全力で下り、足がガクガクになるまで繰り返す。
体幹トレーニング、懸垂、腕立て、スクワットに腹筋背筋──
「これ、騎士じゃなくて格闘家じゃね?」ってくらい体づくりに集中した。
剣術の型も独学で磨いた。
記憶の中の剣道の構えをこの世界の剣に合わせて調整しオレ流にアレンジした『基本の構え』。それに基づき、動きに無駄がないか、鏡や水面を利用してフォームチェック。
最初は全然うまくいかなかったけど、それでもやり続けた。
だが──それでも、足りなかった。
心のどこかでわかっていた。
これだけでは、届かない。
だって、相手はヴァルガスだ。
彼は確か、伯爵か辺境伯の家柄。あくどいとは言っても、筋の通った実力主義の家系。
もし仮に努力していなかったとしても、生まれ持った基礎スペックが違う。
ゲームではチュートリアルの噛ませ犬みたいな扱いだったけど、現実では、そんなの通用しない。
むしろ、チュートリアル戦で俺が負ける未来すら現実味を帯びていた。
だから俺は、持てる全てを使った。
母方のつてをたどり、なんとか「准貴族」枠で推薦状を引き出した。
多分原作では普通に騎士枠で入学したのだろうが、一見原作より低く見られるだろうが、実は別の目的があった。
入学する前から、騎士学園の訓練場──特に上級騎士用の実践演習場への立ち入り許可と、学園の図書館での閲覧許可、この二つをえるためだ。訓練場に入り浸り、蔵書も徹底的に読み漁った。
騎士団の模擬戦は、毎日見学。
記録用の石板に自分の動きを映し、どこで隙が生まれているか、どの瞬間に詰めが甘いか、逐一確認。
単なる見学と言うより、いわゆる見稽古。
それだけじゃない。
近隣に住む引退騎士、伝説的な「剣鬼」とまで呼ばれた老人を訪ね、直談判して稽古を頼み込んだ。
最初は門前払いされたが、雨の中、三日三晩通い続けた末に「その根性だけは認める」と言って、ようやく木刀を握らせてくれた。
さらに図書館で古文書を読み漁り、魔導理論を学び直す。
属性の相性や魔力の流れ方、魔法の重ね掛けによる反動など、魔導剣術の土台となる知識をひたすら詰め込んだ。
魔法の才はない──正しくは、一度に使える魔力量の制限が大きいため、制限が多いのだ。
それはわかっていた。
でも、だからといって諦めたくなかった。
ゲームでもそうだったが、魔力が低いというのは決定的にハンデだ。ゲームではヒロイン達とパーティを組むのを前提としていると言うのもあるが……フラグが立っていない状態では、ソロでのクリアも考慮する必要がある。
簡単な補助呪文、身体強化、エンチャント、剣への魔力付与。
とにかく“使える”魔法だけでも習得しようと、試行錯誤を繰り返した。
炎を剣に纏わせる術式では手を何度も焦がし、風の加速魔法ではバランスを崩して壁に頭をぶつける日々。
でも、それでもやめなかった。
やれば伸びるなんて甘い保証はない。
それでも、やらなきゃ何も始まらないのは、間違いなかった。
俺は、原作のゲームの中の主人公より、きっとずっと多くの時間と努力を積んでいる。
この世界で、本当に誰かに勝ちたいと思ったのはたぶん、いや前世を含めても、生まれて初めてだった。
だから俺は、やり続ける。
振り続ける。
走り続ける。
探し続ける。
俺は、諦めない。
実際、騎士団の実践演習場は、朝露がまだ残る早朝から動き出していた。
俺はいつものように、軽くストレッチを終えてから木剣を構える。
模擬戦場にはすでに数名の上級騎士と訓練生たちが集まっており、互いの技を磨くように黙々と訓練に取り組んでいた。
今日の課題は「対多人数戦」と「魔導剣術の応用制御」。
ただの力比べではない、頭も使う高難度のメニューだ。
「始め!」
教官の掛け声と同時に、三対一の模擬戦が始まる。
相手は敏捷性に優れた三人組の騎士候補生。
今回は、彼らの対小型賊戦訓練に“賊役”として混ぜてもらった。
俺のような小柄ですばしこい動きは、彼らにとってもいい訓練になるらしい。
まず、一人目が斜めに踏み込んでくる。俺はそれに合わせてステップを刻み、視線で牽制しながらタイミングを見計らう。
二人目が側面、三人目が背後――
全方位からの包囲に、魔力を右脚に集中。
「力圧・風纏!」
跳躍――空中から一人目の肩口を狙って木剣を振り下ろす!
……が、寸前で横からの突きによってバランスを崩し、転がるように地面へ倒れ込んだ。
「……くそ、まだ魔力の出力が甘いか……!」
三人を相手にするには、もっと精密な制御と冷静な状況判断が求められる。
「おい、お前ら!」
怒声が飛ぶ。
模擬戦の監督をしていた騎士団の教官――ダルス・ブロイ少佐が、険しい表情で三人に詰め寄る。
「我々の目的は“制圧”だ。殺傷力のある突きをするなと、何度言わせる?」
「申し訳ありません、教官……!」
「この少年――レイだったな。彼が優れていたのは確かだが、それを上回っても“任務”を忘れてはならん。反省しろ」
三人は深く頭を下げる。
俺も、黙って一礼した。
倒されたのは俺の方だったが、明らかに手応えがあった。
一ヶ月前の自分なら、立つことすらできなかった。
確実に、俺は前に進んでいる。
汗を拭いながら、何気なく訓練場の隅へと視線を向けたその瞬間。
目に入ったのは、他とは明らかに異なる空気を纏った一人の男だった。
無駄のない動き。静かな構え。ひと振りごとに空気が引き締まるような剣の軌道。
中性的と呼ぶにふさわしい整った顔立ちと、静かで整然とした立ち居振る舞い。
「……フォーゼル、か」
名前だけは、以前から聞いていた。
貴族の出でありながら、訓練場に毎日のように通い詰め、誰よりも多く汗を流す努力家。
でも、今こうして実際に目にした彼は──噂以上に、圧倒的だった。
彼の周囲には、自然と人が集まっていた。
教官たちは一目置き、訓練生たちは密かに“本物”と呼ぶ。
けれど当の本人は、誰とも群れることなく、黙々と剣を振っているだけ。
不思議と近寄りがたく、それでいて孤高すぎない、奇妙な距離感を持つ男だった。
見ていて、わかった。
あれは──俺より、遥かに才能がある。
けど、その才能にあぐらをかくどころか、淡々と剣を振り続けるその姿には、一切の驕りも迷いも見えなかった。
俺が必死に努力してようやく一歩進むところを、彼は軽々と跳び越えていくかもしれない。
だけど、それでも立ち止まらず、愚直に剣を振っている。
……くそ。
すげえな、あいつ。
焦りとも嫉妬とも違う、もっと根の深い感情が胸を刺した。
そして同時に思った。
俺も、もっと努力しなくちゃダメだ。
こんなとこで満足してちゃ、追いつけるはずがない。
あいつのように、自分の限界なんて勝手に決めずに、もっと上を見なきゃいけない。
その時、すぐ近くで訓練用の剣を拾っていた兵士が、ぽつりとつぶやいた。
「……フォーゼル様とレイ君、どっちも将来が楽しみだな。まったく……すごい若者たちだ」
……は?
耳が勝手に反応した。
思わず顔を伏せて、照れを隠すようにうつむいた。
「そりゃ、言いすぎでしょ……」
自分でも苦笑が漏れる。
けど、その言葉は、まるで信じられない夢を聞いたみたいで。
嬉しさと戸惑いが入り混じった、不思議な感覚が胸に残った。
フォーゼルと並べて語られるなんて、恐れ多い。
けど、それでも……どこか、ほんの少しだけ誇らしかった。
その気持ちは、誰にも知られないように、そっと胸の奥にしまっておいた。
俺はまだ、英雄でも主役でもない。
でも――何者かになるための、第一歩は確かに踏み出していた。
そして、次の一歩は――
もっと強くなるために、俺が自分で選んでいく。




