14. 悪役転生したら会社でなく社会の社畜でした
日々、鍛錬と勉学に励みながらも、俺の学院生活はそれなりに穏やかだった。
……まあ、例の三人組――グレイ、バルド、ノアが「訓練してくれ!」と鼻息荒く押しかけてくるのを除けば、だけど。
あいつら、揃いも揃って暑苦しい。
ヴァルガスの隣にいる時は妙に爽やかな笑顔を振りまいてるくせに、俺の前だと妙に体育会系のノリになるのは何なんだよ。
……いや、女っ気が無いせいか?
それでも、無碍にするのも寝覚めが悪いから、仕方なく相手をしてやっていた。
たとえば「正面突き一日百本だ!」とか、「よし、こんな感じで、やってみよう」とか、雑に見えて案外効く稽古を教えると、妙に感動してついてくるんだからチョロい。
おまけに三人で連携技とか勝手に名前つけて練習してるし。
……お前ら、何目指してんだ。
でも――そんな穏やかな日々の中、やっぱり気になるのは、ヴァルガスの存在だった。
表向きは完璧そのものだ。
昼休みにはヒロインたちに囲まれて笑い、講義では常に最前列で成績トップ。
模範的な生徒、まるで理想の主人公。
悪役転生して人生やり直してる主人公そのもの……だけど、その完璧の裏にあるものが、ふとした瞬間に見え隠れする。
誰もいない廊下の片隅で、ヴァルガスが壁にもたれていたのを見たのは、たしか講義の合間の昼下がりだった。
「……おい、ヴァルガス?」
声をかけると、彼は肩で息をしながらも、無理に笑顔を作ってこちらを見た。
「はは、大丈夫。ちょっと疲れただけさ」
そう言う割に、明らかに膝が震えていた。
咄嗟に俺は、彼の腕を取って肩を貸した。
驚いたように目を見開いていたが、それでも素直に体を預けてきたのが、逆に印象に残ってる。
「……たまには、人に寄りかかるのも悪くねぇだろ」
「ああ……少しだけ、な」
そうぽつりと漏らした声が、やけに小さかったのを今でも覚えている。
また別の日、朝まだきの訓練場。
俺は早朝のルーティンで素振りをしていたが、その端の方で、同じ型を延々と繰り返している男がいた。
それが、ヴァルガスだった。
ただの剣の稽古じゃない。
一つ一つの動きに、信念と意志を込めたような、異様な集中力。
踏み込み、振り下ろし、戻し――その一挙一動に、一点の淀みもなかった。
……いや、そう思っていたのは最初だけだ。
時間が経つにつれて、剣の軌道にわずかな乱れが混ざり始めた。
呼吸が浅くなり、足元がわずかにふらつく。
(限界が近いな……)
俺は剣を鞘に戻し、素振りから腹筋・背筋・体幹トレーニングに切り替えた。
あえて声もかけず、距離も詰めない。
彼が自分で限界に気づき、止まるのを待った。
……だが、止まることはなかった。
その頑固さに呆れる一方で、少しだけ自分と重ねてしまったのは、きっと気のせいじゃない。
「おい、頑張ってるな」
声をかけるとヴァルガスはこちらいに向いた。
「ああ、レイか。そろそろ上がろうとしてたとこなんだ」
「おっ、タイミング良いな。俺も朝トレが終わったとこなんだ」
タオルを投げてやると、軽く笑いながら顔を拭き、洗濯して返すよって言ったので、良いよと言って奪い返した。
そして、決定的だったのが――夜明け前の中庭だった。
その日、何となく早く目が覚めて散歩に出た俺の目に飛び込んできたのは、薄闇の中、魔法陣を描くヴァルガスの姿だった。
その指先は震え、動きは鈍い。
肩で荒く息をし、足元は不安定。
顔色は青白く、唇も乾いていた。
もはや魔力切れ寸前――いや、限界を越えていた。
「……ったく、馬鹿かお前は」
そう呟きながら、俺は腰のポーチから小瓶を取り出して、無言で放った。
ポーションの瓶がヴァルガスの足元に転がる。
彼はそれを見て、驚いたように顔を上げた。
「……レイ?」
「俺の使いかけだけどな。飲め。死なれても困る」
少しの沈黙のあと、彼は苦笑してそれを拾い、わずかに礼を言った。
「……助かる」
そう一言だけ呟いて、ポーションを飲み干す姿は、どこか頼りなくて――それでも、やっぱり強かった。
――ヴァルガスは、今も戦っている。
悪役として生まれた運命に抗い続け、他者の期待に応えようと、限界を超えてなお足を止めない。
それは、ただの努力じゃない。
狂気に近い信念だ。
……まあ、俺には真似できないけどな。
俺なんて、好きな時に筋トレして、ポーションも定期的に摂ってるし。
たまたま見かけたら手を貸すけど、それ以上を求められたら――たぶん、断る。
だって、俺はあいつみたいな主人公じゃない。
今となってはただの努力系モブだし、裏方にいるのが性に合ってるんだよ。
でも、そうはいっても今のままじゃあ、早い段階で身体が悲鳴を上げるに決まってる。
そんなこともあり、このことをフィリアに告げ口した。
「あなたにそんなこと言われるなんてよっぽどよ!」と、ちょっと待てって言いたくなる怒り方こそしていたが、おかげで、朝練でもヒロイン達の誰かが一緒になってペース配分してくれるようになって少し安心していた。
だが、それが早計だった。
最近の彼は、明らかに顔色が悪い。
頬は少しこけ、目の下にはうっすらと隈。
口元の笑みはいつも通りだが、目の奥に滲んでいた疲労の色は、誤魔化しきれていなかった。
「……なんか、大変そうだな。兆候でも出たのか?」
思わず、そんな言葉が口から漏れた。
彼は悪役として生まれながらも、その運命を拒み、努力で捻じ曲げてきた。
感情を抑え、立ち居振る舞いを整え、誰よりも律して生きている。
ただの優等生じゃない。命を削るような努力を、当然のように積み重ねている。
……どこか、前世の俺を思い出す。
ブラックとまでは言わないけれど、灰色の濃い会社。
理不尽な残業に、深夜の報告書。誰かの顔色を読み、期待に応えようと必死で走って、それでも心が削れていく日々。
「期待されるから応える」――そう言えば聞こえはいいけど、現実は違った。
たぶん、今のヴァルガスも、似たような感覚を抱えてるのかもしれない。
誰にも気づかれないところで、自分にしかわからない課題に取り組み続ける。
完璧の裏に、誰にも見せない努力という積み重ねがある。
その日の夕方、訓練場で偶然彼と鉢合わせた。
誰もいない砂の上、ヴァルガスは黙々と剣を振っていた。
その動きは研ぎ澄まされていて、まるで無駄がない――はずなのに、どこかぎこちない。
剣の切っ先が少し揺れていた。
足の運びに微かな迷いがあり、汗は額からポタポタと落ち、地面に染みを作っている。
「……おい、最近、顔色悪いぞ。ちゃんと寝てんのか?」
思わず声をかけると、ヴァルガスは振り向いて、少しだけ驚いた顔をして、すぐに微笑んだ。
「はは……心配されるなんて、珍しいな。ありがとう、レイ。……なんとかやってるよ」
その笑顔は、たしかに爽やかだった。
でも――目の奥にあるものは、疲れそのものだった。
「ったく、無理しすぎなんだよ。もっと手抜けっての」
その時、見学に来ていたミリアがずかずかとやってきて、腕を組みながらヴァルガスを睨んだ。
「手を抜いたら……どこかで誰かが困るかもしれないからね」
即答。迷いがなさすぎて逆に怖い。
「……ほんっと、あんたって、時々キレイすぎてムカつくのよね」
セリナも、近くのベンチから本を閉じて近づいてきた。
口調は相変わらずクールだけど、その表情には微かな心配の色があった。
「それは……褒め言葉で受け取っておくよ?」
ヴァルガスが苦笑すると、今度はクロエが背後からバンッと背中を叩いてきた。
「さすが兄貴!
……でもな、たまにはアタシにも背中預けろよな?
兄貴ばっかり頑張ってたら、アタシたちがサボってるみたいじゃん!」
その一言に、ヴァルガスの目が、少しだけ緩んだ。
それを見て――ふと思った。
本当に、いいやつらだ。
そして、その中心にいるヴァルガスもまた、間違いなくいいやつなんだ。
完璧であろうとしながらも、誰にも見せず努力を重ねる彼を、俺は――心から尊敬している。
……ただ。あいつほどじゃないけど。
俺だって、それなりには頑張ってるつもりだ。
いやまあ、努力の量だけなら、もしかしたら――って、それは違うか。
まあ、彼女の数や勉学では適いっこないけど、それくらいは上回っていて欲しいって思いはあるけど。
……まあ、ともかく。
いつか、あいつが本当に倒れそうになった時は。
その時だけは、俺が――支えてやる。
別に主人公じゃなくたって、それくらいのことはやってみせるさ。




