08話 キルトの家
「と、とりあえず入ってみよう……」
僕は立派な両開きのドアを恐る恐る押してみた。手入れが行き届いているのか、驚くほど滑らかに開く。
「ようこそ、いらっしゃいました。二名様のご宿泊ですか?」
スッと現れる案内人。それでいて僕たちを驚かさないような配慮も感じられる。なんて気配りができる案内人なんだ! キルトの宿屋と言ったら、軋むドアの音で来客を確認して、父さんが怒鳴りながら受付をしていたのに。
「あ、あの、僕たち泊まりに来たんじゃなくて……。ていうか、僕、パチーモなんだけど」
「なんと! あなたが英雄パチーモ様であられましたか。では、ご両親のお部屋にご案内させていただきます」
「あ、なんか、すみません。よろしくお願いします」
「パチーモ、すごいところに住んでたんだね!」
「いや、もっとボロボロだったんだけどなぁ」
案内人に連れられて宿屋の廊下を歩く。歩く。歩く。ムダに広いな。食堂では音楽家たちが奏でる曲を聴きながら、優雅にお食事をしているお客さんたち。僕がいた頃は酔っぱらった冒険者たちの乱闘が日常茶飯事だったのになぁ。おかしいなぁ。育った家のはずなのに、全然間取りが分からない。
「ご到着致しました。こちらでございます」
最上階のやたら派手な扉の前に辿り着いた。案内人が扉を開けてくれる。
葉巻を吸う恰幅のいいおっさんと、猫を撫でている派手なおばさんがソファでふんぞり返っていた。
「帰ったか、パチーモ」
「あら。おかえりなさい、パチーモちゃん」
どうしよう、両親がなんだか鼻もちならない風貌になってしまった。
「た、ただいま。父さん、母さん」
「でかしたぞ、パチーモ。お前が英雄になったおかげで宿の評判が上がり、ついでに国からちょうい……ゲフン! まとまった金が貰えてな。軌道に乗って大儲けだ」
「ああ、なるほど……」
この物言い、間違いない。僕の親だ。見た目が変わっても、中身は相変わらずのようだ。
「やっぱり騎士団に入れて正解だったな。ま、お前も疲れているだろうから、今日はゆっくり休め。何、部屋は腐るほどあるからな! 好きな部屋を使っていいぞ! わっはっは!」
「父さん、母さん……」
「む、なんだ?」
「やっぱ何でもない」
「そうか、下がっていいぞ」
両親の部屋を後にする。我ながらずいぶんとあっさりとした再開だ。
「パチーモ、久しぶりに会ったんでしょ? もっと話さなくていいの?」
「いつもこんな感じだから。僕の両親、ルナちゃんに挨拶もしなくて、ごめん」
「ぜんぜん気にしてないよ~! それより、今日はパチーモの家にお泊りだ!」
「ではパチーモ様、ルナ様。お部屋はいかがなさいますか?」
「じゃあ、僕とルナちゃんそれぞれに部屋を用意して貰おうかな?」
「え~! わたしはパチーモと一緒でいいよ。わたし一人だけのために、お部屋を一つ使うのももったいないし」
「承知いたしました。それでは、お二人でもごゆるりとおくつろぎになられるお部屋にご案内致します」
……いまさらだけど、この案内人、めちゃくちゃ自然に会話に入ってきてたな。まったく違和感を覚えなかった。自然すぎてちょっと怖い。
「こちらでおくつろぎください」
「わ~! すごい~! 広い~!」
「ホントにここ、僕の家なのかな~?」
通された部屋は二人には過剰と言っていいほど広い部屋だった。ただ広いだけじゃなく、洗練された装飾の調度品が整い、豪華な雰囲気を醸し出している。バルコニーへの扉はガラス張りになっていて、部屋の中に居ながら景色を一望できた。
「御用の際はなんなりとお呼び下さい」
案内人が頭を下げて去っていく。
「ねぇねぇ! パチーモ!」
ルナちゃんがウズウズした様子で僕のほうを向いてきた。
「どうしたの?」
「ベッドに飛び込んでいいかな!?」
「いいじゃないかな?」
僕が答えるやいなや、走りだすルナちゃん。そのまま跳躍、ベッドに向かって突っ込んだ。
「やっほー! あはは! すっごいフカフカ!」
しばらくボヨンボヨンと跳ねていたルナちゃんだが、突然、うつ伏せに倒れこんで動かなくなる。
「あれ、ルナちゃん?」
「う~、疲れた~! 眠い……」
さっきまで元気だったのに、なんという切り替わりの早さ! でも、ルナちゃんが言うことにも一理ある。
「今日はいろいろあったし、もう夜だしね」
「お風呂あったから、入ってくる。覗いちゃダメだよ」
「の、覗かないよ!」
そして部屋に一人残される僕。隣からはルナちゃんが水を浴びる音……。
心を落ち着けるんだ僕、目を閉じてゆっくり深呼吸をするのだ。そうすれば聴覚だけが研ぎ澄まされて――ぼん、という低い音が部屋を揺らした。集中していた僕には分かる。今の音は確実に……お風呂からではない!
外に視線を移すと、夜のサカトラ王国を花火が照らしていた。
「あ~、花火だ、花火!」
音を聞きつけたルナちゃんがお風呂から飛び出してくる。濡れ髪で体に布一枚を巻いた姿、あまりにも刺激が強すぎる。
「うわぁ~! なにか着てよルナちゃん!」
「奥義転移お着替え! 花火には~? 浴衣! ほら、パチーモ! 外で見よ?」
一瞬で着替えたルナちゃんが、僕の手を引いてバルコニーに向かう。
「王国で祝い事とかお祭りがあると、花火を打ち上げるんだ。まさか、今日打ち上げるとは思わなかったけど……」
「いいね、いいね! パチーモのおかげで花火が見れたよ! た~まや~!」
次々と打ち上がる花火に合わせて、ルナちゃんが叫ぶ。
「ルナちゃん、そのたまや~ってなに? 魔法とか呪文?」
「わたしのいた世界で花火のときに叫ぶの! あと、か~ぎや~! って!」
「へぇ~! 面白いね!」
「なんでかはわたしも分かんないんだけどね。ほら、パチーモも一緒に! た~まや~!」
「か~ぎや~!」
締めの一発なのか、大きい花火が打ち上がる。大輪から少し外れた火花が、一際輝いて散っていった。
「終わっちゃったみたいだし、僕もお風呂に入ってくるよ」
「ごゆっくり~」
さすがに僕も眠くなってきたから、手早くお風呂を済ませて部屋に戻る。すると、ベッドの縁に座ったルナちゃんが手招きをしてきた。
「どうしたの、ルナちゃん?」
「パチーモもここ座って。ちょっとお話しよ?」
ルナちゃんの隣に、僕も腰を下ろす。
「……パチーモ、無理してない?」
「実は、こんな豪華な宿屋に泊まっていいか不安なんだ。朝、起きたら大金を払わなきゃいけないかも、って……」
「あはは、ここパチーモの実家じゃん」
「そうだった……なんてね。もしかして、僕に絡まってる糸の色が、また黒くなってた?」
「……うん」
「もし、僕に絡まっている糸がほどけなくて、完全に世界が縫われちゃったらどうなるのかな?」
「わたしも詳しくは知らない。けど、穴が開いちゃうって神様言ってた気がする。……この世界ごと、消えちゃうのかな?」
「神様の話は規模が大きいなぁ」
そんな話を聞かされたら、悩んでいる僕が馬鹿みたいじゃないか。
「……細かいことは気にしないで、もう寝ようかな」
「それなんだけどね、実はベッドが一つしかないの……」
「えっ!?」
ルナちゃんに言われて、僕は部屋を見渡した。確かに、今僕たちが座っている大きなベッドしかない。なんで気が付かなかったんだろう。
「パチーモ、細かいこと気にしないんだよね?」
「う、うん」
「じゃあ、一緒に寝ちゃお? もう、わたしげんかいなの……」
「これは細かいことじゃない気がする……って、もう寝てるし」
限界って、睡魔のことか。僕はいったい何を期待していたんだ……さっさと寝よう。
ルナちゃんと距離を取って、僕はベッドに横たわった。目を閉じる。
……うん、眠れるわけがないよね。このドキドキを収めるには、そうだ! 突進してくるイノシシの群れを思い浮かべよう!
一匹、二匹、三匹と数えていくうちに、僕めがけてイノシシが突っ込んできて――
「がはっ!」
僕のお腹に鈍い痛みが走る。ば、バカな。イノシシは僕の妄想、実体は無いはずなのに……。いや、もしかして僕が寝ぼけていただけかもしれない。気を取り直して目を閉じる。
「ぐ~……」
「ぎえっ!」
二度目の衝撃で意識が半覚醒する。今、ルナちゃんが僕に蹴りを入れた!? まさかルナちゃん――
「え~い! や~!」
「ぐふっ! げふっ!」
間違いない! ルナちゃん、寝相が悪い人だ! しかも的確に僕を狙って攻撃を繰り出している。このままじゃ僕、精神的にも肉体的にも休まらないよ!
「そ~い!」
「ごふっ!」
トドメの一撃といわんばかりのルナちゃんのかかと落としが、僕のみぞおちに直撃した。二度と覚めない眠りに落ちるかもしれない……。