停滞する刻 その③
夜空を切り裂くように、ユウセイは蒼いオーラを噴射させて急上昇した。
愛衣をしっかりと腕に抱え、風圧で髪が激しくなびく中、彼女は兄の胸に顔を埋めて小さく笑った。
「昔みたい……お姫様抱っこ、久しぶりね。お兄ちゃん、意外と力あるじゃない」
「うるせえ、今は黙ってろ! あいつが追ってきてる!」
背後から、冷たい気配が急速に迫ってくる。
見上げると、イーシァの姿が月明かりを背に浮かんでいた。
銀髪が夜風に舞い、杖を軽く振るだけで空気が凍てつく。
彼女の周囲に淡い青白い粒子が渦を巻き、まるで雪の結晶のようにきらめきながら広がっていく。
「逃げるのですか? 十の忘れ形見……いえ、生き残り」
イーシァの声は静かで、感情の起伏がほとんど感じられない。
それなのに、言葉の一つ一つが重く、ユウセイの背筋を凍らせる。
「忘れ形見じゃねえよ。父さんはまだ生きてる。……お前みたいな停滞野郎に、簡単にくたばるような男じゃねえ」
ユウセイは愛衣を抱えたまま、空中で急旋回。
オーラの剣を両手で握り直し、魔王に向かって突進する構えを取る。
だが、イーシァは動じず、ただ杖を軽く地面――いや、空に向かって掲げた。
「停滞とは、動きを止めること。
時間も、熱も、命も、すべてを凍てつかせ、永遠の静寂を与えること」
次の瞬間、空間が歪んだ。
ユウセイの周囲の空気が一瞬で白く凍りつき、蒼いオーラが軋む音を立てて薄れていく。
まるで時間が遅くなっているかのように、動きが重くなる。
「くそっ……! なんだこれ!?」
「これは私の領域。『停滞の刻』。
貴方の力は確かに強い。ですが、動きが止まれば、何の意味もありません」
イーシァの瞳が、氷のように冷たく光る。
彼女の左手がゆっくりと上がり、ユウセイと愛衣を指差した。
「貴方たち兄妹は、面白い。
血の繋がりなどなくとも、互いを守ろうとする。
そんな絆が、どれほど脆いかを教えてあげましょう」
凍てつく風が吹き荒れ、ユウセイの足元から氷の柱が無数に伸び上がる。
愛衣が小さく悲鳴を上げ、兄の首にしがみつく力が強くなった。
「ユウセイ! 危ない!」
「離すなって言ったろ! 絶対に!」
ユウセイは歯を食いしばり、全身のオーラを一気に爆発させた。
蒼い炎のようなエネルギーが炸裂し、周囲の氷を粉砕。
一瞬の隙を作り、愛衣を抱えたまま急降下――ソドムシティのネオンが輝く街並みへと向かう。
「逃がさないわ」
イーシァの杖が弧を描き、巨大な氷の槍が夜空を貫いて飛来する。
ユウセイは咄嗟に剣を振り上げ、槍を弾き飛ばすが、衝撃で体勢を崩す。
そのままビルの屋上へと着地し、膝をついて愛衣を優しく下ろした。
「愛衣、大丈夫か?」
「うん……でも、お兄ちゃんの腕、冷たくなってる」
確かに、ユウセイの左腕は白く霜が降り、感覚が鈍くなっていた。
停滞の影響が徐々に体を蝕んでいる。
「チッ……時間稼ぎか。
ここで決着つけるしかねえな」
ユウセイは立ち上がり、黒豹の仮面の下で唇を歪めた。
愛衣が心配そうに兄の背中を見つめる。
「お兄ちゃん……無理しないで。私も、戦えるよ?」
「バカ言うな。お前は下がってろ。
俺が守るって、昔から決めてんだろ」
愛衣は少しだけ唇を尖らせたが、すぐに頷いた。
そして、そっと兄の背中に手を置く。
「……わかった。でも、約束して。
絶対に、生きて帰るって」
「ああ。約束する」
その時、空からイーシァがゆっくりと降りてきた。
足音もなく、まるで雪が舞うように。
「感傷に浸る時間はありませんよ。
さあ、始めましょうか。
貴方たちの『日常』を、永遠に停滞させてあげる」
ユウセイは剣を構え直し、蒼いオーラを最大限に膨張させた。
愛衣は一歩下がり、でも目を逸らさず兄を見守る。
夜のソドムシティに、冷たい風が吹き荒れる。
兄妹の絆と、魔王の停滞が、激しくぶつかり合う瞬間が――今、訪れた。
夜空の下、ビルの屋上。
冷たい風がコンクリートを叩き、ユウセイの左腕に霜がさらに深く食い込んでいく。
感覚がほとんどない。
それでも剣を握る右手は、絶対に震えさせない。
イーシァが静かに着地する。
ドレス状の衣装が月光を反射し、まるで氷の彫像が動いているようだ。
杖の先端から淡い粒子が零れ落ち、足元に小さな氷の花を咲かせる。
「約束、ですか。
生きて帰る……それは、とても美しい言葉ですね。
ですが、美しいものは、すぐに色褪せ、凍りつきます」
彼女の声は穏やかで、まるで子守唄のように優しい。
それが逆に恐ろしい。
ユウセイは愛衣を背後に庇うように一歩踏み出し、剣を低く構える。
「綺麗事はいい。
お前が何を言おうと、俺たちは止まらねえ。
――お前を、ここで止めてやる」
蒼いオーラが再び膨張するが、左腕の霜がそれを抑え込むように疼く。
イーシァは小さく首を振る。
「無理をなさらないで。
貴方の体は、もう私の停滞に侵されつつあります。
少しずつ、動きが、熱が、命が……奪われていく」
愛衣が兄の背中を強く掴む。
「お兄ちゃん……!」
その声に、ユウセイの瞳が鋭く光る。
「愛衣。
少し離れてろ。
ここから先は、俺一人で――」
「嫌!」
愛衣の声が、鋭く響いた。
彼女は兄の背中から離れず、代わりに一歩前に出る。
「お兄ちゃん一人で戦うなんて、許さない。
私だって……十の、家族なんだから!」
その瞬間、愛衣の胸元――首にかけた小さなペンダントが、淡くサファイアブルーに輝き始めた。
母の形見。
父が「守ってくれ」と言って渡した、ただのアクセサリーだと思っていたもの。
粒子がゆっくりと広がり、愛衣の周囲に小さな魔法陣のような光の輪を描く。
イーシァの瞳が、初めてわずかに揺れる。
「……ほう。
あれは……『加速』の欠片?
いえ、もっと純粋な……『逆行』の兆し?」
ユウセイも驚いて振り返る。
「愛衣……お前、それ……」
「わからない……でも、感じるの。
お母さんが、いつも言ってた。
『時間は、止まらないものよ』って……
だから、私……止めたくない!」
愛衣の声が震えながらも、力強く響く。
光の粒子が爆発的に広がり、ユウセイの左腕の霜を押し返すように溶かし始める。
凍てついた感覚が、熱とともに戻ってくる。
「これは……!」
ユウセイの蒼いオーラが、愛衣の光と共鳴する。
黒く混じっていた影が薄れ、純粋な蒼がより鮮やかになる。
イーシァが杖を握り直す。
「面白い……本当に、面白い兄妹です。
ですが、絆が強ければ強いほど、
それを失う痛みは深い」
彼女の周囲に、再び氷の柱が無数に生え上がる。
今度はより鋭く、より速く。
「来い!」
ユウセイが叫び、愛衣の手を強く握る。
二人の力が重なり、蒼とサファイアの光が一本の剣のように融合する。
「――『蒼嵐剣』!」
ユウセイが跳ぶ。
愛衣も同時に小さな跳躍をし、兄の背後にぴたりと付く。
二人の動きが、まるで一つの存在のようにシンクロする。
剣がイーシァの杖に激突。
衝撃で屋上のコンクリートがひび割れ、氷の柱が一斉に砕け散る。
イーシァが後退し、初めて明確に表情を歪める。
「……この力……停滞を、拒絶する……」
愛衣が息を切らしながら、兄の隣に並ぶ。
「お兄ちゃん……私、もっとできるかも」
ユウセイは仮面の下で、優しく笑った。
「ああ。
一緒に、終わらせようぜ」
二人の光が、夜空を切り裂く。
停滞の魔王と、超天変地異のような日常を守る兄妹の戦いが――
本当の意味で、今、始まる。
その頃、遠くの空から複数の光点が急速に近づいてくる。
ガーディアンの援軍だ。
ブルーの声が、風に乗って届く。
「ユウセイ! 愛衣ちゃん! 待ってろ!」
戦いは、まだ終わらない。
――でも、もう一人じゃない。




