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帝国からやってきた新しい上司を迎えたその日の夜。アリシアは、重い身体を引きずって、ようやく家に辿り着いた。
壁にかけられた時計を見れば、もう日付が変わろうとしている。今日もよく働いた……と自嘲の笑みを浮かべて、アリシアは狭い部屋の約半分を占めるベッドにぼふっと倒れ込んだ。
ここに暮らしてもう五年になるが、未だに室内はほとんど生活感がない。ベッド以外で室内にあるのは、数着しか衣類のかかっていないクローゼットと、かろうじて書き物ができる程度の小さなカウンターテーブル、そして魔道具製作のための作業場くらいだ。
重怠い身体を少しの間だけ心地よい毛布の感触で甘やかしてから、無理やり体をベッドから引き剥がす。そして、作業場の真正面となる壁に作った簡素な祭壇へ体を向けて、アリシアは祈りを捧げた。
「……お祖母様、ただいま帰りました」
見上げた先にあるのは、五年前にアレックスが持たせてくれた祖母の姿絵だ。アリシアによく似たプラチナブロンドを持つ穏やかな笑顔を見せる老女は、幼い頃からアリシアの心の支えだった。
前世の記憶を取り戻してから程なくして亡くなってしまった彼女は、アリシアの母親代わりでもあり、魔道具製作士を目指すきっかけとなった人物でもある。そんな女性に、今日も無事に一日を終えることができた感謝を捧げると、いつもの習慣で作業場に腰をおろした。
アリシアの目の前にあるのは、作りかけの魔道具だ。一抱えほどもある立方体型の動力部からは細いホースのようなものが伸び、その先に円錐型の金属が取り付けられている。前世の人間たちが見れば、サイコロ状の電子レンジからシャワーヘッドが伸びているように見えるだろう。
その動力部部分の蓋をぱかっと開けて、魔石でできた石板を取り出す。表面には、上から半分くらいまで淡く光る線が描かれていて、ところどころに小さな魔石が嵌め込まれていた。これが、魔道具の動力部分だ。
アリシアがその石板に軽く魔力を流し込むと、左上から強い光が石板に描かれる線を伝って右下に向かって移動していく。最後まで来たところで、ふっとその強い光は消えた。光が消えていった部分から、光の粒子が余韻のように浮かび上がる。
「……うん、ここまでは大丈夫そう」
誰もいない部屋で小さく呟くと、アリシアは魔力を込めた指先で石板の空白部分に記号のような線を描き始めた。少し描いては、先ほどと同じように魔力を流し、光の動く過程を用心深く観察する。途中で光が消えてしまった場合、その少し前までの線を、同じく魔力の宿る手のひらで撫でて消し、また別の記号を描き……を繰り返した。
ところどころで、傍に置いてある小さな魔石を手に取っては、そちらにも魔力の宿る指で何かを描き、石板に触れさせる。溶けるように、つぷ……と音もなく埋め込まれた魔石は、安定すると淡い光を放って、まるで最初から石板の一部だったかのように同化した。もう一度魔力を流してみて、光の軌跡を真剣な眼差しで見つめる。しかし、そんなアリシアを嘲笑うかのように、新たに描いた部分の途中で、突然光は消失してしまった。
「……ん? あー……そっか、ここが違うのか……」
ポツリと呟きながら、アリシアが魔力の籠った手のひらを魔石の上に滑らせると、あっという間に魔石は石板から離れ、ころんと転がり落ちた。それをひょいっと摘み上げると、もう一度魔石に魔力を込め、別の記号を描き込んでいく。
アリシアが住む世界の魔道具製作は、前世でいうところのプログラミングによく似ている。前世でSEとして働いていたアリシアにとって、今のこの仕事は、天職とも言えるものだった。
前世ではパソコンでひたすら言語を打ち込んでいたが、この世界では基本的に、記号と魔石を使って処理を組む。魔力をどのように動かすか、どのように変換するか、どうやって処理を終わらせるのか。それを、魔力の宿った指先で石板に刻んでいくのが、魔道具製作士の大きな仕事の一つだった。
しかも、この世界の魔道具製作のための考え方は、前世の考え方にまだまだ及ばない。元からそういう仕組みなのか? と思い、学生時代に研究と称して色々試してみたが、どうやらそういう訳ではなく、単純にまだ誰も思いついていないようだった。
前世のプログラミングの知識が活かせて、しかも自分の夢を叶えることができるかもしれない。魔道具製作士の道を選んだときには、絶対に夢を叶えるんだという意気込みで胸がいっぱいだった。しかし、現実を一つ知るたびに、その希望はどんどんとしぼんでいく。
最終的に、アリシアは自分の生活費を削り、睡眠時間と体力を削ることにした。自腹で魔道具製作に必要な材料を少しずつ買い溜め、自力で夢の魔道具を作るしかなくなっていってしまったのだ。
アリシアが所属する魔道具省は、今や軍本部を差し置いて武力の頂点を担う存在だ。当然、他省に増して男尊女卑思想の傾向が強い。
アリシアの魔道具開発に関する企画は全て却下され、お茶汲みや雑用、他の職員の尻拭いばかりさせられた。入省して数年は、下積みも大事だと我慢してこられたが、同僚の男性たちがどんどん昇格していく中、自分だけまだ入省時と同じことをやらされていれば、職場にこれ以上の希望など持てるはずもない。
アリシアは仕事として自分の作りたい魔道具を開発することを諦め、全て自費で魔道具を作るという道を選んだ。
とはいえ、魔道具を作るには、時間や技術だけでは致命的に足りないものがある。それが、材料だ。そもそも、魔石そのものがまず高い。小さな魔石を一つ購入するのに、平民が裕に三ヶ月は暮らせるほどの値段がかかるのだ。
いくら生まれが伯爵家だとは言え、今や実家を勘当されている身。自分の夢のために、プライドを捨てて実家に泣きつくこともしたくないし、ましてや弟にお金の無心をするわけにもいかない。アリシアは、食費や生活費を極限まで削り、少しでもお金になりそうなものは全て売り払って、ひたすら貯金をしながらコツコツ材料を集めていったのだ。
ようやく数ヶ月前、必要だと予想される全ての材料を集め終えたが、肝心の術式がなかなかうまく動かない。少しずつ手直しをして、ようやく今三割くらいだろうか。
(……まだまだ、先は長いわ)
深いため息で無理やり眠気をやり過ごしながら作業を進めていたアリシアだったが……どれくらいそうしていただろうか。アリシアがふと集中力を途切れさせて傍らの時計を見やると、気の早い鶏たちがそろそろ起き始める時間になってしまっている。
「っ、もうこんな時間……!? ああ、一日が早すぎる……」
今日もまた寝不足か、とがっくり肩を落とし、アリシアは一メートル先のベッドへと這っていった。もう、寝巻きに着替える時間すら惜しい。明日の朝一番で眠気覚ましの水浴びをしようと心に決めると、目を閉じてわずか一分で、アリシアは夢の中へと旅立ったのだった。