20
そうして、スヴェンのいう「決着」をつける日が、とうとうやってきた。
アリシアは豪奢なドレスに身を包み、窓の外に見える王城の壁をぼんやりと眺めながら、彼の所有する馬車に揺られていた。
実に五年ぶりとなったドレスは、鮮やかな紫に黒の唐草模様の刺繍が入った、大人っぽいドレスだ。形こそAラインというシンプルなものだが、首元から胸元、二の腕にかけて非常に繊細なレース地となっていて、肌の露出は多いはずなのに浄心な印象を与えていた。裾にいくにつれ濃くなっていく刺繍は、まるで紫から黒のグラデーションを描いているようで、さらにスカート部分に散りばめられた宝石たちが光を集めて輝いている。初めてこれを目にしたときには、自分が本当にこれを着るのかと、感嘆のため息が漏れた。
一週間前にこの話をスヴェンから聞いたときには、心臓が止まるのではないかと思うほどの衝撃があった。けれど今は、不思議と気持ちが凪いでいる。あまりの緊張に、もしかしたら感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
「浮かない顔をしているね。もしかして、迷っているのかな」
ぼうっとこれから起こることに思いを馳せていると、向かいに座るスヴェンから気安い声がかかってくる。あまりにも普段通りのスヴェンの様子に、アリシアも少し肩から力が抜けた。
アリシアの視界に入ったスヴェンは、濃い紺色に黄色味が強いゴールドの刺繍が入ったフロックコートを身につけている。背中にはイエニムール帝国の紋章の刺繍が施され、それは同時に彼の身分を保証するものでもあるようだ。髪もいつものような無造作なものではなく、整髪料を使って後ろに撫でつけられている。手には純白の手袋が嵌められ、そこにも帝国の刺繍が精緻に描かれていて、スヴェンの美しさを引き立てていた。
「いえ、迷っているわけでは……ただ、うまくいかなかったらどうしようと、不安で」
「不安?」
「はい……もし交渉が決裂して、スヴェン様に迷惑がかかったら……」
言いながら、胸の前でぎゅっと手を握り合わせるアリシアに、スヴェンは苦笑いをこぼす。そのまま立ち上がり、アリシアの横に座り直すと、アリシアの両手の上に自らのそれを重ねた。
「……アリシアは、私が失敗すると思ってる?」
「! ……いいえ、そんなわけでは……!」
「そう? よかった。……大丈夫だよ、いざとなったら無理やりにでも君を攫っていけばいいだけだ」
「まあ、どっちにしても攫っていくんだけどね」とおどけたように肩をすくめて答えるスヴェンに、アリシアはようやく笑みをこぼす。その表情に安堵したようにスヴェンも笑み返すと、そっと肩を抱き寄せた。
「大丈夫だよ。アリシアのことはもう、絶対に離さないからね」
「…………はい」
鼻腔をくすぐるスヴェンの香水の香りを胸いっぱいに吸い込んで、力強く頷く。と同時に馬車の揺れが止まり、外から「到着しました」という御者からの声がかかった。
「時間だ。行こうか、アリシア」
「はい、行きましょう! スヴェン様」
そうしてスヴェンにエスコートされながら、アリシアは初めてとなる王城に足を踏み入れた。
先導する騎士に案内されたのは、謁見室に続く控えの間だ。
社交界デビューもせず家を追い出されてしまったアリシアにとっては、初めて踏み入れる部屋であり、王族との謁見すらも初めてとなる。
どくどく、と高鳴る心臓の音と向き合っていると、控えの間と謁見室を区切る重たい仕切り布の向こうから声がかかる。真紅のカーテンが王城の侍従たちの手によって開かれたことを確認し、アリシアはスヴェンの腕に手を添えて、ゆっくりと足を踏み出した。
豪奢な謁見室の様子に圧倒されつつ、それと知られないよう胸を張る。その視線の向こうには、大きく重厚な椅子に座る国王と大臣の面々、そして驚くべきことにアリシアの両親とアレックスの姿もあった。
父親は顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけており、母親はアリシアの隣に立つスヴェンに媚びるような視線を向けている。唯一こちらを心配そうに見つめるアレックスに、アリシアはわずかに顎を引いて頷いた。
そして国王に向き直り、スヴェンと共に見事なカーテシーを披露する。
「スヴェニエール・ルーカス・イエニムール、ただいま参上いたしました。この度はお時間をとっていただき、ありがとうございます」
「かまわぬ。他でもない殿下のためだ。……さて、まずはそちらの娘を紹介してもらおうか」
まずは謁見を申し出たスヴェンと国王が挨拶を交わし、早速と言ったようにちらりとアリシアに視線を移す。緊張を隠すようにこくりと息を飲んで、アリシアは再び深く腰を下げた。
「初めてお目にかかります、アリシア・ハリスと申します」
「ハリス……なるほど、だからハリス伯爵を呼べとスヴェニエール殿下が言っておったのか。しかし、確かハリス家に娘はおらんかったと思うが」
「彼女は五年前、父親から家を追い出されていたようです。私が彼女と知り合った当時は、貧民街に程近い小さなアパートメントで、一人暮らしをしていました」
スヴェンからフォローが入ると、国王は納得したように頷き、アリシアの両親は汚いものでも見るかのようにアリシアを睨みつけていた。かつては慣れていたはずのその視線も、スヴェンと暮らすようになってからは心が弱くなってしまったのか、突き刺すように痛い。
少しだけ肩を揺らすと、スヴェンが励ますように背中に手を添えてくれた。そのぬくもりに勇気をもらうように、再びアリシアは背筋を伸ばす。
「現在は魔道具省にて、魔道具の開発や修復などを行なっております」
「ほお、女のくせに魔道具省へおるのか。少しは役に立っておるのだろうな」
魔道具省、と聞いた途端、国王を初めとした男性陣の目つきが鋭くなった。きっと彼らの中では、アリシアが給料泥棒のように映っているに違いない。一気に空気が悪くなったことで、アリシアの両親が優越感に塗れた表情でアリシアをにやにやと笑っていた。そんな視線から隠すように、スヴェンがアリシアの眼前に立ち塞がる。
「彼女は、非常に優秀な魔道具製作士です。それは、一緒に働いている職場の者に聞けば自ずとわかることでしょう。……そうですよね、局長?」
スヴェンにすっと冷たい視線を向けられたことで、大臣の面々の中にいた者の一人が、びくりと身体を震わせた。アリシアは数回しか会ったことがないが、確かアリシアが働く建物を取り仕切っている人物だったはずだ。スヴェンだけでなく、他の上司たちが話をしているのを何度か目にしたことがある。
局長と呼ばれたその男は、オドオドとした態度で一歩前に出ると、震える声で皆に向かって声を上げた。
「は、はい……殿下に申しつけられ、ここ一ヶ月ほどの彼女の業務量と品質、職場での評価などを調査しました。業務量は他の者たちの二・五倍、品質は最高級のもので、納品先にも非常に評判の良い製作士です。職場の評価も良く、特に同僚たちからは意見を求められるほどだと、聞きました」
その言葉にスヴェンは満足そうに頷き、アリシアはその背後で驚きに目を見開いた。
(なんてこと……全然気づかなかったわ)
まさかわざわざ調査報告まで上げさせるとは。大袈裟なと思うと同時に、その局長の言葉で幾人かの視線が和らいだり、憮然としたものに変わったことで、確かに一定の効果は得られているのだと知った。こう言ったところが本当に抜かりない。少し部屋の空気が変わったことに、アリシアの視界の端でアレックスが誇らしげに微笑み、対照的に両親がぎりぎりと歯軋りしているのが映った。
国王も、まさか風向きが変えられてしまうとは思いも寄らなかったのだろう。苦虫を噛み潰したような顔で二人を睨みつけたが、そんな視線を気にする風もなく、スヴェンは続ける。
「八ヶ月前、私がこの国に技術協力で一年間滞在することになった際、いくつか帝国からも条件を出しました。覚えておいででしょうか」
「ああ、もちろんだ。……貴殿は、こちらからの条件を忘れておるようだがな」
話の冒頭で身分を周囲に明かしたことを、暗に当てこすっているのだろう。しかしその嫌味にもスヴェンは一歳動じない。
帝国が、パレスームに対して出した条件は全部で三つだ。
一つ、技術協力はするが、実際の魔道具製作業務には携わらず、あくまで知識を共有するだけに留めること。
二つ、パレスーム滞在中、和平協定に相反する事案が起こった際、帝国の人間は速やかに自国へ戻ること。
「そして三つ目……パレスーム国内で書かれた、ある論文の作者が不当な待遇を受けている場合。その人間をイエニムールに連れていくことへ同意すること」
スヴェンは静かにそう告げると、挑むように室内の面々を見渡した。
「彼女……アリシア・ハリス嬢は、私が出会った当時ぼろぼろの状態でした。押し付けられる業務量が尋常ではなく、常に帰宅は日付を超えていた。食事もろくに取れず、睡眠不足と栄養失調でぼろぼろの状態で……実家からは追い出され、今も心配する様子は微塵も感じられない。これが、不当でなくなんだというのか」
スヴェンの手がぐっと握りしめられ、怒りに小さく肩を震わせる。アリシアは、自分のためにこれほど怒ってくれる人間がいることに、不謹慎ながら喜びを隠しきれずにいた。
「この国の者たちは、彼女の書いた論文を『女が書いたものだから』と、よくに読みもしなかったのだろう。だから簡単に、帝国の出した条件へ同意した。魔道具製作に関心のあるものが見れば、この論文の価値は誰にでもわかる。そんな貴重な人材を、性別を理由に『価値のない者』と決めつけて不当な扱いをする国に、彼女を繋ぎ止める価値などない……!」
スヴェンの怒りが放つ威圧感に、誰もがその場で息を呑む。その怒りを体の外に追いやるように、スヴェンは肩で大きく息をついた。そしてアリシアを振り返り、一瞬だけ泣きそうな顔を見せる。そしtて、ぐっと唇を噛み締めると、再度国王に向かって振り返った。
「……私はパレスーム国内滞在中に、彼女のことを見つけた。彼女の境遇を調査し、イエニムール帝国へ連れ帰るべきだと判断した。そして準備を進めていた一ヶ月前、ユガレン伯爵子息が起こした事件の際、アリシア嬢が襲われた倉庫内で、和平条約に定められている以上の威力を持った攻撃用魔道具が大量に発見された。このことはすでに帝国にも報告済みであり……即刻、帝国へ帰る理由に足る事案であると、判断されている」
スヴェンの言葉に、パレスーム国王が呻き声のようなものをあげ、真っ青な顔でスヴェンを睨みつける。その他の誰も、声を発することができない。スヴェンの告げた言葉は、今後パレスームとイエニムールが敵対関係になる、と宣言したのと同義だからだ。
「この場で私が身分を明かした理由は、すでに私が技術協力のためにやってきた技術者という立場ではなくなったことに他ならない。また、もし私と彼女を含む帝国の人間が、自国へ帰るまでの間に危機に晒された場合、即刻帝国から報復があるだろう。この話し合いの後、私たちはすぐ帝国への帰路に着くが……余計なことはしない方が身のためですよ、パレスーム国王殿」
威圧的な態度で一方的に宣言したスヴェンだったが、最後はいつもの彼らしく、おどけたように肩をすくめてみせた。そのまま誰も、一言も発せる空気ではない中、スヴェンはアリシアの手をとって、共に深く礼をする。そのまま踵を返し、部屋を後にしようとしたスヴェンだったが……扉の前で一度だけ、立ちすくんだ様子のハリス伯爵夫妻に、声をかけた。
「ああそうだ、ハリス伯爵夫妻。アリシア嬢はこのまま、私が貰い受けますので、今後のことは私にお任せください」
「なっ……アリシアが、王弟殿下の妻になるということですか!?」
「ええ、そのとおりです。……まあ、すでに縁を切られているあなた方には、一切関係のないことだとは思いますがね」
スヴェンの言葉に、一瞬歓喜の声を上げた両親が、その後に続く言葉で顔を真っ赤にする。そのままアリシアの名前を叫びながら、何事か喚いていたようだったけれど……スヴェンにエスコートされ、早々に部屋を出たアリシアには、ほとんど聞き取ることはできなかった。
次回、最終回です




