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——アリシアがスヴェンの屋敷で暮らすようになって、早三ヶ月。
全てにおいて大きな変化があったことを、アリシア自身がひしひしと感じていた。
まず顕著に現れたのが、外見の変化だ。
元々容姿は非常に整っていたアリシアだが、家を追い出されてからは食事もろくに取らず、睡眠時間も削って……という生活を長らく続けていた。そのため常に目の下には大きなクマが縁取っていて、肌はくすみ、髪もパサパサだった。
しかしスヴェンの家でお世話になり始めてから、明らかにアリシアは肌艶が良くなった。特に何か手入れをしてもらっている、ということではない。毎日就寝時間になると、フィリアが作業部屋にやってきて知らせてくれるようになったのだ。初めの頃はもう少し、あと少しだけ、と粘っていたアリシアだったが、それもすぐになくなった。家事をしなくてよくなったことで、休日をまるまる作業時間へ当てられることに気づいたからだ。
そうしてしっかり睡眠時間を取り、毎日プロの料理人が作ってくれる栄養満点の食事をとっていれば、アリシアの本来の美貌が輝き出すのは当然のことだ。普段は自分の容姿に一ミリも興味がないアリシアだったが、この変貌ぶりには自分で驚いてしまったほどだった。
次に目立ち始めたのが、業務における変化だった。
たっぷり睡眠を取るようになったおかげで、常に感じていた頭の中のモヤのようなものが消え、日中の作業も以前より集中して行えるようになり始めた。以前からアリシアの手は早いと言われていたけれど、作業への集中度合いが跳ね上がったおかげか、スピードも品質も、以前よりさらに改良されていったのだ。
結果として、これまで以上に仕事でも評価されるようになり、上司たちがアリシアを見る目まで変わってきたのは、嬉しい誤算というほかない。
業務効率が上がったことで残業することは滅多になくなり、時折ベルと夕食を共にできるほどにまでに時間の余裕ができた。スヴェンの屋敷での食事ももちろん美味しいけれど、美食家のベルはいろんなお店を知っていて、そこでの料理も絶品だった。毎日たっぷりとごはんを食べるようになったので、アリシアの食事量も多くなり、ベルとの食事で胃薬を常備するようなことももうない。骨と皮のようだった身体には、少しずつではあるが女性らしい肉もついてきて、アリシアと食事を共にするたび、ベルは心から嬉しそうに笑ってくれた。
今まで、こんなに楽しいことを全て放棄して仕事に打ち込んでいたのだなと、アリシアはしみじみと過去の自分を振り返ることができるまでになったのだ。
また、同僚たちからの嫌がらせのような仕事の押し付けも、スヴェンが直属の上司になったことで嘘のようになくなった。押し付けられるような真似をされることはもちろんないし、そもそもあちらから話しかけてくることすらもない。ちらちらと、時折こちらを伺うような視線を向けてくることはあったけれど、それだけだ。
スヴェン本人から直接話を聞いたことはないけれど、きっとうまく調整してくれているのは疑いようがなかった。
「なんだか……本当に、全部夢のようです……」
今週最後の仕事が終わってからのこと。いつも通り定時で仕事を終わらせたアリシアは、ベルに誘われてとある料理店にやってきていた。貴族も時折利用するようなお店で、かしこまった雰囲気ではないものの、格式ばったところもない、居心地のよいお店だ。スヴェンが住んでいる屋敷にもほど近く、これまでにも何度か利用していて顔を覚えてもらっている。
そんなお店の片隅で、アルコールの強くないお酒を一口飲んでから、大きく息をつくようにアリシアはこぼした。
「いい変化じゃない。何か不満でもあるの?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、こんな生活、いつまで続けられるんだろうって……」
不安そうに視線を揺らすアリシアに、ベルは苦笑を漏らしてアリシアの肩を励ますようにぽんぽん、と叩く。
ベルには、スヴェンの元で暮らしていることを早々に伝えていた。休んでいる間、本当に心配してくれていた彼女に、アリシアは隠し事をしたくなかったからだ。
アリシアがこれまで、相当スヴェンを警戒しこき下ろしていたことをベルは知っていたから、どんな風に思われるだろう……と心配しなかったわけではない。でもベルは、そんなアリシアに優しい笑みを向けるだけで、決して非難めいたことは口にしなかった。あまつさえ「よかったね」と言ってもらって、涙ぐんでしまったのはベルにも秘密だ。
「……それは、アリス次第だと思うけどね」
「?」
「ううん、なんでもない。こっちの話よ」
ぽつりとベルがこぼした言葉を聞き取れず、もう一度言ってもら得ないだろうかと視線を向けたが、ベルは教えてくれる気はないらしい。仕方なく、持っていたグラスの中で揺れる赤い液体に視線を戻し、独り言のように思いをこぼした。
「スヴェン様のこと、私すごく勘違いしてました。ちゃんと話してみたら、人のことを思いやれる心優しい人だったのに……人となりを全然知らないまま、遠ざけちゃって」
本当に良い上司を持ったと思うと同時に、アリシアはこれまでスヴェンに抱いていた悪感情を全面的に反省していた。
スヴェンは宣言通り、週に一度は共に食事をとり、魔道具に関する的確なアドバイスをくれていた。そのおかげで、アリシアは魔道具製作を焦ることなく続けていくことができたのだ。
それだけではない。アリシアの数少ない荷物を心配してくれたのか、アリシアが何も言わなくてもクローゼットにはいつの間にか衣服が増え、参考になりそうな書籍を与えてくれ、少しでも疲れた様子を見せれば職場でもなにくれとなく世話を焼いてくれる。
これだけしてもらって、スヴェンへの悪感情を維持し続ける方が難しいだろう。
「後悔してる?」
「……はい。というか……ここまでよくしてもらって、どうやってこれだけの恩を返していけるか、わからなくて」
アリシアが目下気にしているのは、そこだ。スヴェンは、あと九ヶ月もすれば帝国に帰ってしまう。それまでに、どうやってこの恩を返せば良いのかわからないのだ。そもそも、いつまでスヴェンの元にいられるのか、今作っている魔道具が完成した暁に、その後の生活がどうなってしまうのか……全く想像ができない。もし家を出ることになった後、アリシアの方から声をかけて良いのかどうかすら、わからなかった。
(今はきっと、鉱石病を治すための魔道具を作るという目的があるから、暫定的に部下としておいてくれているだけ。じゃあ、その後は……? その後もまだ、スヴェン様の部下でいられるの?)
考えれば考えるほど、今のアリシアではスヴェンの元にいられないと感じてしまう。
理由のわからない焦燥感に唇を噛んでいると、そんなアリシアの顔をじっと見つめていたベルが、ふと小さく笑い声を漏らした。その声にアリシアが顔をあげると、ベルがにやにやと揶揄うような笑みを向けてきた。
「……なあんか……今のアリスってば、スヴェン様に恋しちゃってるみたいだなあって」
「っ!? な、そん……!!」
突然のベルの言葉に、アリシアは反射的に否定の言葉を口にする。しかしその言葉とは対照的に、アリシアの頬はみるみるうちに真っ赤に染まってしまった。わかりやすすぎる反応に、ベルはその笑みをさらに深くし、頬杖をついてアリシアを追い詰めていく。
「だって、さっきからアリスの話聞いてるとそう思えちゃうんだもの。要は、スヴェン様から離れたくない、ってことでしょう?」
「なっ……そ、それとこれとは、別に……!」
「いいじゃない、認めちゃえば。その方が楽よ? 色々と」
揶揄うような口調とは裏腹に、優しい視線を向けてくるベル。アリシアはしばらくはくはくと口を開閉させていたけれど、やがてウロウロと視線を彷徨わせ、最後はテーブルの上で祈るように両手を組んでから、小さくこくりと頷いた。
「……で、でも、私なんかが……そんな、そんなこと言うのは……」
俯いたまま小さく漏らされた本音は、アリシアの自信のなさの表れだ。両親からも疎まれ、婚約者を遠ざけた賢しい人間であるという自覚。さらに、前世でも男性に捨てられたという記憶が、無意識のうちにアリシアを恋愛から遠ざけてしまっていた。
(こんな私に好かれたって、きっとスヴェン様は迷惑してしまう)
そのまま黙り込んでしまったアリシアに対して、大袈裟なほど大きなため息をついたベルは、目の前にあるアリシアの頭を乱舞なほどにぐしゃぐしゃと撫でまわし、殊更明るい声でこう言った。
「だーいじょうぶよ、きっと。今アリスが気にしてること全部、きっとうまくいく!」
「え……」
「ほら、私が今まで嘘ついたこと、あった?」
「それは……ない、ですけど……でも、それとこれとは……」
ベルにしては珍しい、根拠のない励ましに戸惑ったような顔を見せたアリシアだが、ベルはそんなアリシアに気づかないふりで、自分の持っているビールのグラスを掲げた。
「ほらもう、そんな辛気臭い顔してたらお酒がまずくなっちゃう! お腹空かせてるからそんな変なこと考えるのよ、ほら食べましょ!」
かちん、とグラスを軽くぶつけ合って乾杯してみせると、ようやくアリシアの顔に笑みが戻る。
「そう……ですよね。よーし、食べちゃいましょう! お腹空きました!」
そうしてアリシアは、胸によぎる苦しさをアルコールと美味しいごはんとで飲み下したのだった。
最後までの予約投稿完了しました!
3/25の22時で、一旦完結予定です。
明日からは20時と22時、1日2回更新で進んでいきます。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ!




