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とんでもない提案をスヴェンから受けた、その週末。
アリシアの家の前には、とんでもなく豪奢な馬車が鎮座していた。貧民街へ近い場所にあるこのアパートメントには、相当似つかわしくない光景だ。その馬車の前でアリシアを待ち受けていたのは、当然、スヴェンである。
スヴェンからの提案は、こうだった。
アリシアの技術や知識は、上司として非常に得難いものだと思っており、出来うる限り丁重に扱いたい。
そのためには、現状の環境改善が急務である。
しかし、アリシアにとって最も大事なものは魔道具製作であり、現状のままではアリシアの環境改善が難しい状態となっている。
これを打破するのに一番良いのが、スヴェンとの同居だ、というのだ。
『幸いにして、私は君に対して得難い部下という以上の感情を全く持っていない。海外から来ている私にとって、君に不埒なことをして訴えられれば完全に身の破滅だし、君にわざわざ手をだすメリットもない』
『……そこはかとなく、私のこと馬鹿にしていませんか?』
『滅相もない! それに、私の家には使用人たちもいるし、衣食住の心配は不要だ。これまで家事に充てていた時間を魔道具製作に向けられる、というだけでも、大きなメリットではないかと思うけれどね』
それに、自宅であれば多少魔道具製作に関する手助けもしてあげられるしね、とウインクまでされてしまえば、アリシアに断る理由などなかった。魔道具大国であるイエニムールの技術者から、自分の魔道具のための意見をもらえるのだ。これほど嬉しいことはない。
こうして、話し合いが持たれた日の週末に、アリシアはスヴェンの家へと引っ越すことになったのだった。
(なんだか、丸め込まれた気がしないでもないんだけど)
にこやかに大家の夫婦と話しているスヴェンの横顔を見ながら、遠い目をしてアリシアはあの日のことを振り返る。今思っても、スヴェンの言い方は失礼極まりないものであったけれど、アリシアのことを心配しての提案だということは流石にわかっていた。だからこそ、スヴェンを信頼して、頼ってみることにしたのだから。
あまり多くはない荷物を馬車に積み込んで、最後にもう一度、見送りに出てくれていた夫婦に向き直る。
「長い間、色々とお世話になりました」
「いいんだよ、大したことはしていないんだから」
「何かあったら、またいつでも帰っておいでね」
そう言って、よかったよかったと満面の笑みを浮かべてくれる夫婦に、アリシアも綻ぶような笑みを返す。隣でその様子を見ていたスヴェンが、ハッとしたような目を向けているのを感じたけれど、それよりも今はお世話になった二人へ、感謝の気持ちをしっかりと伝えたかった。
「何も知らなかった私に、生きていくための知恵を教えてくださって、本当に嬉しかったです。いつか必ず、このご恩はお返しします。……それまで、お元気でいてくださいね」
そう言って、二人にぎゅっと抱擁を送ると、スヴェンに「行きましょう」と言って、馬車に乗り込む。これ以上その場にいたら、涙がこぼれてしまいそうだったから。
二人の姿が豆粒のように小さくなってしまうまで、ずっと馬車の窓から外を覗いていたアリシアは、道を曲がってからようやく、座席に背を預けた。これまでの思い出が胸を去来していたけれど、ようやく整理をつけて、スヴェンへと視線を向けた。
「色々配慮していただき、ありがとうございました。……今日から、よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げると、気にした風もなくヒラヒラと手を振って、アリシアに頭を上げさせた。
「いいんだよ、私が好きでやっていることだ。それよりも……これから同居をするにあたって、いくつかルールを決めておかないか?」
「ルール……ですか?」
「そう。お互いに、必要以上に干渉しないこと。私は仕事で遅くなることが多いから、食事は各々で取ること。ただ、週に一度は魔道具製作の進捗報告を兼ねて、夕食を一緒にとろう。私も、アドバイスできることがあればしてあげたいしね」
「はい、ありがとうございます」
「あとは、魔道具製作に必要な材料が追加で必要になったり、衣食住に関して必要なものがあるのなら、随時うちの使用人に話をしてほしい。必要だと判断すれば、それらも全てこちらから提供しよう」
「え……いえ、そこまでお世話になるわけには」
「いいんだよ、それも立派な必要経費だからね」
にこやかにそういうスヴェンに、アリシアは不審の目を向けた。いくらなんでもそこまでは、やってもらうわけにはいかないと思ったからだ。
すると、スヴェンは苦笑混じりに口を開く。
「そのかわり、君の魔道具製作の知識の一部を、帝国に持ち帰らせてもらっても良いかな? もちろん、君の許可できる範囲で構わない」
「……? そんなことで良いのですか?」
スヴェンの言葉に、アリシアは首を傾げる。スヴェンが与えてくれる待遇に対して、自分が持つ知識だけでは到底足りないと、アリシアは考えたからだ。しかしそんなアリシアに対して、スヴェンは首をふる。
「君は、自分の知識が持つ価値を本当にわかっていないんだな……それも全て、この国の性質によるところが多いんだろうけれど……まあいい。私としては十分な対価だと思っているから、君は気にしなくて大丈夫だよ」
「そう言っていただけるなら、まあ……」
「君らしいね。あとは、そうだな……それだけでは足りないと思うなら、私のことは今後、スヴェンと呼んでくれないかな」
「え?」
「これから共に暮らすんだから、他人行儀にされてしまうと息が詰まってしまうだろう?」
「……はい、わかりました。では、私のこともアリシア、と」
条件を追加されても納得しきれていないアリシアをよそに、スヴェンはご機嫌な様子で窓の外を指し示した。
「はは、ありがとう。……ほら、到着だ。我が家にようこそ、アリシア。歓迎するよ」
その言葉に窓の外を見たアリシアは、そのまま絶句することになる。外に見えたのは、まるでお城では、と勘違いしてしまうほど立派な、大きなお屋敷だったからだ。
(え……スヴェン様って、何者?)
ここでようやくアリシアは、自分の選択を初めて後悔したのだった。
「あの、スヴェン様……お城が、見えるんですが……」
「そんなわけないだろう。どこにでもある普通の屋敷だよ、ほら。よく見てごらん」
(いや、絶対そんなわけない……!)
馬車から降りるのに手を貸してもらいつつ、目の前の建物を見上げたアリシアは、動揺を隠しきれずにいた。真っ白な石造りの建物は、歴史を感じさせる古いものでありながら、きれいに補修されている。実家である伯爵家の、領地にある屋敷よりもよほど大きなその建物は、貴族が住むエリアの中でも特に内側へ近い位置にあるのだ。庭は、今アリシアがいる場所からは端が見えないほど広く、色とりどりの花が咲き誇っている。丁寧に整えられているその庭は、常に誰に見られても良いようにと、整えられているのだろう。庭の真ん中にある噴水近くにはガゼボも用意されていて、暖かな陽気の中でティータイムを過ごせば、きっと楽しいだろうなと思わせられるものだった。
「実家が少々裕福でね。この国へ来ることになったとき、用意してくれたんだよ」
絶対に少々、では済まされないだろうと思ったけれど、もうアリシアは思考することを放棄してしまった。これは、きっと詳しく聞かない方がいい案件だ。懸命なアリシアは、わざわざ藪をつつくようなことはしない。
「おかえりなさいませ、旦那様」
重厚そうな扉の前まで来ると、内側から扉が開かれ、執事と思われる男性が大きく頭を下げた。シルバーグレーの髪を後ろに撫で付け、漆黒の制服に身を包んでいる。その後ろにも、数名の使用人が控えていて同じく頭を下げてくれるのを、自然な様子で受け取ると、スヴェンはアリシアをエスコートするように彼らの前に立たせる。
「今日から我が家で過ごしてもらうことになった、アリシア・ハリス嬢だ。私の大切な客人だ、丁重にもてなしてくれ」
「承知いたしました、旦那様。初めまして、ハリス様。私、こちらの屋敷で執事を務めております、トムと申します」
「初めまして、アリシア・ハリスと申します。スヴェン様のもとで、魔道具製作士として働いております。短い間ですが、お世話になります」
深く礼をすると、トムは嬉しそうににっこりと笑った。そして、後ろに控えている使用人たちの中から、一人の女性を紹介してくれる。
「こちらがハリス様のお世話を担当いたします、フィリアです」
「フィリアと申します。アリシア様、よろしくお願いいたします」
紹介されたのは、若草色の髪を腰まで伸ばしてゆるく三つ編みをしている少女だった。年の頃は十五歳くらいだろうか。初々しさが可愛くて、思わずアリシアの口元が緩んでしまう。
「我が家で、一番ハリス嬢の年に近い娘だ。うちの実家の侍女長の娘で、小さい頃から勤めてくれているから、なんでも気軽に相談してくれ」
「わかりました。よろしくね、フィリアさん」
フィリアに案内されたのは、先ほど見えた庭がよく見える、南側の部屋だった。これまで住んでいた部屋四つ分はあるのではないか、という広さで、床から天井まである大きな窓からは、燦々と日差しが降り注いでいる。大きなベッドはとても柔らかそうで、大きさはこれまでの三倍はある。ソファーセットも上品ながら質の良いもので、落ち着いた花柄はアリシアの好みのものだ。壁には造り付けの本棚があり、年頃の女性が気になりそうな小説から刺繍の図案一覧まで、さまざまな種類の本が並べられている。気持ちまで明るくなるような、とても良い部屋だった。
「こちらがアリシア様のお部屋になります。あちらの扉の向こうが浴室、反対側の扉が魔道具製作のための作業室となっています」
「え? も、もしかして作業部屋を別で用意してくださったの?」
「当然ですよ! こちらのお部屋は、アリシア様にゆっくりと寛いでいただくためのお部屋ですから。お仕事に関係するものが同じ室内にあったら、落ち着かないじゃないですか」
フィリアに言われて、そうかもしれないなと思い直す。思い返せばこれまでにも、寝ようとしているときにちらちらと魔道具が気になってしまったり、直前まで作業していた内容が夢の中にまで出てきたりしていた。そのせいで眠りが浅かったり、朝になっても疲れが取れていなかったりしたのだから、きっとそれが原因だったに違いない。
改めて、とんでもないところに来てしまったなと思うが、今更後に引くことなんてできなかった。こうなったら、最高の魔道具を作って少しでもスヴェンの役に立つような知識を提供できるようにしようと、アリシアは心に決めたのだった。




