時を超えて
ゼオの勝利を祝う集まりも、二十時を回る頃には解散となった。食堂の営業時間もあるし、学生の身分で酒が出るわけもない。
レヴンはまだ話し足りないようで、ゼオに部屋に来ないか誘った。
だが昼間の激闘で疲れ切っていたゼオはそれを断り、風呂に入って寝るつもりだった。
「ふぅぅ~~~……」
ゆっくり湯船に浸かって疲れを落としたゼオは気分よく自室に向かっていた。
「ご機嫌だなァ、ゼオ」
隣で歩くファンガルが言う。彼から見ても、今日の友人は機嫌が良さそうだった。
ゼオもああ、と返す。
それだけ、彼にとって今日の祝勝会は楽しいものだった。
ご機嫌に鼻歌でも歌っていると、あっという間に自室に着いた。
ファンガルに別れを告げ部屋に入る。背負っていたリュックサックを下ろし、中からぬいぐるみを取り出すとテーブルの上に置いた。
続けて箱を取り出す。中身は部屋で食べるために取っておいたアップルパイだ。
「おお、これこれっ」
ヒューグは憑依しているぬいぐるみを動かし、器用に箱を開けアップルパイにぱくっと噛り付いた。ぬいぐるみがモノを食べられるとは驚きだが、まあそういうものなのだろう。
「しかし、良かったな。勝つことが出来て」
あっという間に一切れ目を食べ終え、次に手を伸ばしながらヒューグは言った。
その言葉に、ゼオはふっと冷静になった。身体は風呂上りの熱が籠ったままだが、さっきの機嫌の良さが嘘のように引っ込んでいく。
「……そう、ですね」
祝勝会でレヴンが言っていたように、ゼオは彼に試されていたにすぎない。ゼオにとっては価値ある勝利だが、浮かれてもいられない。
ベッドに腰かけ、ゼオは自分の掌を見つめた。
あの時、勝敗を分けるきっかけとなった『剣で魔法を使う』感覚はまだ手に残っている。土壇場でヒューグの助言があって初めて発揮できたあの力を、いつでも扱えるようにならなければ。
ゼオは口には出していなかったが、真剣な表情と目線から考えていることの大体はヒューグに伝わっていた。
力を身に着けたいと焦る気持ちは理解できる。だが、今のゼオは身体が限界だ。
今日は休んで、明日に備えたほうがいい。ヒューグがそう伝えようとした瞬間。
ふわっ、と風が流れた。雰囲気が変わる。
ベッドに腰かけていたゼオの目が閉じ、そのまま崩れるようにベッドに倒れ込んだ。
穏やかな寝息を立てる彼の身体を、どこからともなく現れた女性が優しくベッドに寝かせ直した。
「……失礼。今からでも特訓すると言い出しかねなかったので」
振り返ったリリオンはヒューグにそう話す。
いつから話を聞いていたのか疑問が浮かぶが、恐らくはずっとこの部屋の様子を見守ってきたのだろう。
だが、彼女は自らの騎士であるゼオに姿を見せ、正体を明かすことはない。魔界の反乱軍との戦いにゼオを巻き込まないためである。
「ゼオは勝ったぜ、姫さんよ……よかったじゃねぇか」
ヒューグの言葉には皮肉が込められていた。彼女はゼオが負けることを半ば望んでいたからだ。
「……そうですね」
いつもの無表情で目を閉じたまま、静かに彼女は返す。
「私は、この子を侮っていました。記憶を失っても尚、自らの信念を貫くとは」
「この子は本当に……私の知らないうちに、どんどん強くなっていきますね」
自虐するように彼女は笑い、そっとゼオの頬を撫でた。ゼオに対しての認識を改めはしたようだが、やはり全てを明かすつもりはないらしい。
納得はできないが、仕方がない。ゼオの身を案じる彼女の言い分も理解できる。
「ヒューグさん」
話が終わったと思っていたところに声をかけられ、ヒューグは顔を上げた。リリオンは続ける。
「今日は貴方に会わせたい人を連れてきています」
会わせたい人?
ヒューグには心当たりがない。三百年前から今に蘇った彼には知り合いもいない。
全く見当がつかなかった。
ドアが開いた。
「彼女の名はヴァーミリア。説明は……不要でしょうね」
そこに居たのは、忘れるはずがない───三百年前、ヒューグを死に追いやった炎を操る女の幻魔候だった。
その姿は三百年前と何一つ変わっていない。
「……」
思いもよらぬ相手が現れ、ヒューグは何もできなかった。
「久しぶりですね。まさか、お互いこんな形で再開するとは」
彼女の声音は優しく、親しみがあるものだった。三百年前の敵意と威圧感に満ちたものとは違う。
「……ああ」
なんと返していいか分からず、ありきたりな返事しかできなかった。そんなヒューグを見て、彼女はふふふと笑いだした。
「意外と落ち着いているのですね。私の攻撃で、貴方は命を落としたというのに」
言われてみればその通りだ。自分を殺した相手を前にしても、怒りはまったく湧いてこない。
「……あの時トドメを刺せなかったのは、残念かな。だが、アンタに恨みはないさ」
「そういうアンタは、俺を恨んでるのか?」
ヒューグの問いにヴァーミリアは首を横に振る。お互い、戦場で起きたことを今更蒸し返すつもりは無いようだ。
「彼女も本来であれば魔界で反乱軍と戦っているのですが……今は余暇を利用し、私の手助けをしてくれています」
「リリオンから話を聞いた時は驚いたわ。ゼオに取り憑いた幽霊が、まさか貴方だったなんて」
リリオンの言葉にヴァーミリアが続けた。
「少し、話があるんです。どうですか?」
彼女の言葉にヒューグはひとまず頷く。少なくとも敵意は見せていない。リリオンの仲間ということなら、信頼もできる。
ベッドの傍でゼオに寄りそうように座るリリオンから距離を取り、ヒューグはヴァーミリアと相対していた。
流石にぬいぐるみから離れ、霊体で彼女と向かい合っている。
「まず、お礼を言わせてください」
「……ありがとうございます。ゼオを助けてくれて」
彼女はそう言うと、深く頭を下げた。
その姿はかつての強敵とはかけ離れたものだった。ヒューグにとっての彼女は冷酷にその猛火で全てを焼き尽くす恐ろしい相手だった。
確かに魔王城では見逃してくれるような発言もあった。だが、その後の戦いでは一切の容赦がなかった。
とにかく頭を上げるよう言ったあと、ヒューグは率直に今の気持ちをぶつけることにした。
「なんというか、意外だな……アンタはもっと、冷酷なものだと」
その言葉にヴァーミリアはふふふと笑う。
「私は、こっちが素ですよ。ただ、三百年の間に色々と変わったのも事実ですが」
「全ては、貴方のおかげです」
俺の?
彼女は頷き、ゆっくりと話し始めた。
「私は……生来、戦いを好みません」
「三百年前、当時の魔王に人間界への侵攻を命じられた時も、手を汚すのを避け自ら魔王城の守備を選びました」
「あの時、戦いの前に貴方たちに逃げる選択肢を用意したのも、出来れば手を汚したくなかったためです。ただ、あの時貴方に言われた一言で……私は目が覚めました」
あの時ヒューグは彼女の行為を偽善、と言い放った。それは彼自身覚えている。
「私は戦争そのものから、目を逸らしていたんです。本当に戦いが嫌なら、どこかに逃げるか……いっそ、魔王を説得すればよかった。なのに私は、保身のためにそうしなかった。仕方ないと自分に言い聞かせていたんです」
「貴方の剣を受け、その傷を癒している間に……私は自分に素直に生きることにしました」
そう話す彼女の表情は険しさが薄れ、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「今、リリオンの下に付き反乱軍と戦っているのもそれが理由です。再び人間界を戦火に巻き込むわけには行きませんから」
「そのことも含めて……ありがとうございます。あの時、目を覚ましてくれて」
ぺこり、と彼女は再び頭を下げた。
ヒューグからすれば吐き捨てたに過ぎない言葉が、彼女にとっては変わるきっかけになっていた。それが回りまわって人類のためになっているのだから不思議なものだ。
「……どういたしまして」
何と言えばばいいかわからず、ヒューグはぎこちなくそう返した。その様子がおかしかったのか、ヴァーミリアはふふふと笑っている。
照れ臭さを誤魔化そうと、ヒューグは話題を逸らした。
「そういえば、妹さんはどうした?」
三百年前の戦いでは、彼女の傍には冷気を操る幻魔候がいた。彼女はヴァーミリアを『姉様』と呼んでいたのを覚えている。
「あの子は……ザフィーリアは、数年前から消息不明で」
「えっ?」
思わぬ返答に思わず声が漏れた。
「ああ、大丈夫。心配いりません」
「あの子も幻魔候だもの。連絡が付かないだけで、きっとどこかで元気にしているわ」
彼女はそう話しているが、妙な空気になったのは間違いなかった。ヒューグはまた雰囲気を変えようと話題を変えた。
「ゼオのことだが、アンタも仲いいのか?」
「ええ、私も赤ん坊の頃から時々面倒を見ていたんです。あの子は昔から可愛くて……」
そう話すヴァーミリアの表情は明るい。彼女の話す思い出を聞いていると、まるで実の姉弟のように仲が良い。
人間界で捨てられた孤児が魔界で愛情を注がれ育つとは、皮肉なものだ。
話がひと段落ついたところで、リリオンの様子が目に入った。
彼女は相変わらずゼオの枕元に座り、穏やかにその寝顔を眺めている。
そんなに大事なら、傍で守ってやればいいのに。
そうすれば、お互い寂しい思いをせずに済む。
「……納得できませんか?」
ヴァーミリアにそう聞かれ、ヒューグは彼女の方を向いた。更に言葉は続く。
「彼自身の安全のため、記憶を奪い姿を見せず孤独に封じ込める……そんな彼女のやり方に」
ヒューグの心を見透かしたように、彼女は彼の心情を言い当てた。
ゼオが記憶を封じられてからの数日間、最も彼の傍に居たのはヒューグだ。表に出していないだけで、きっと心の内では孤独を感じることもあるだろう。
リリオンとゼオの絆は単なる主従を超え、家族に近いようなものだ。だからって、そんなことが許されるのだろうか。
「……アンタはどうなんだ?」
上手く言葉に出来ず、ヒューグは質問をそのまま返した。
「私は……正直に言えば、納得していません」
「私自身寂しいし、それはゼオも……リリオンだって同じことだと思います。だからこうして、隠れて会いに来てるんだと思うんです」
「だったら、なんで……」
そう聞くと、彼女はふっと笑った。
「彼女が一生懸命悩んで選んだことだから、尊重してあげたいんです」
「ゼオが来るまで、彼女は孤独でした。そうさせたのは彼女の気持ちを理解してあげられなかった、私たちのせい……これはその償いでもあるんです」
それは、ヒューグの考えと似た返答でもあった。
彼はリリオンの真剣な様子を見て、彼女のやり方に納得できないとは言えなかったのだ。
「……甘いこった。お互いに」
そうですね、とヴァーミリアも笑う。
「……そういえば」
「初めてリリオンと会った時、彼女は俺のことを知っていたが」
ヒューグの疑問に彼女が応えた。
「ええ、私が教えたんです」
「幻魔候を複数倒した人間の実力者であること。それに、命を奪った者として背景に何があったのか知りたかったんです」
「資料が少なく苦労しましたが……まさか、こんなことになるなんて」
まったくだ、とヒューグは笑う。自分の記録は何故か人間界に残っていない。
魔王の討伐に失敗した自分は称えられるべきではない。それは分かっているが、やはり寂しさは拭えない。
そんなヒューグの雰囲気を感じ取ったのだろうか。
「……これは、私の考えなのですが」
ヒューグは顔を上げ、彼女の話に耳を傾けた。
「貴方の主であるランメア様は……敢えて、貴方の記録を残さなかったのではないでしょうか」
「……どういう意味だ?」
意味が分からず問いかける。
「魔王の討伐に失敗した貴方たちは帰還後、人間たちから迫害を受けたと聞きます」
「魔王の下に辿り着く前に戦死した貴方の存在を人間たちが知れば……貴方の名誉は貶められることになる」
「ランメア様は、それを避けるために……貴方の名誉を守るために口を閉ざし、歴史に残さないことにしたのではないでしょうか」
それは、ヒューグが想像もしなかった説であった。
だが確かに、異論を挟む余地もないほど、筋が通っていた。
もちろん、今となってはそれが正しいのか確かめる術はない。
「……もちろん、勝手な想像ですが」
そこまで言って、ヴァーミリアは口を閉じた。
ヒューグは肩を震わせていた。霊体の涙が彼の目から溢れ、テーブルに落ち濡らすことなく消えていく。
三百年の時を経た主の思い遣りに、ヒューグの心は震えていた。
ご愛読ありがとうございました。お疲れ様でした。
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