冷たいお人形②
私がゼオのことを大切な存在だと認めてから、少し経った日のことだった。
いつものように図書館で本を読みながら、ゼオが勉強を習いに来るのを待っていた。その日の彼は、子供ながらに真剣な表情をしていた。
「リリオンさま、おねがいがあります」
何かをお願い事をされるのは、初めてのことだった。何か欲しいものでもあるのだろうか。ゼオは、恐る恐る話し始めた。
「ぼく、リリオンさまの騎士になりたいんですっ」
「……私の、騎士に?」
意外な内容に驚いてしまった。
以前、高貴な身分の者に仕え、その身を護る騎士の話を前に教えたことはあった。だがそれで騎士になりたいと言い出すとは意外だった。或いは、日頃教えている掃除などの雑用が嫌になったのか。
それにしても、私とゼオとでは力の差がありすぎる。今は子供だが、たとえ大人になっても実力の差は開いたままだろう。むしろ、私が守る側というほうが相応しい。
だが……悪い気はしなかった。
「……いいでしょう。私の騎士として認めます。その名誉に恥じぬよう、励みなさい」
そう告げると、彼は珍しく大声をあげながら飛び跳ねて喜んだ。ゼオの嬉しそうな様子に、私もつい頬を緩めてしまった。
だが、子供の言い出したこと。すぐに飽きることになる。そう思っていた。
それから数日後、中庭でゼオと仲間の幻魔候を見かけた。気になって近づいてみると、ゼオは全身に痣や切り傷を負い、魔法による治療を受けているところだった。
どういうことか幻魔候に問いただすと、彼女はゼオに頼まれ騎士としての稽古をつけていたらしい。
「……だからって、ここまでやる必要があるのですか?」
「この子から徹底的にやってくれって頼まれたのよ」
「それに、痛くしないと身体が覚えてくれないの。そういうものなのよ、リリオン」
彼女のことは信頼している。彼女が言うならば、きっと必要なことなのだろう。だがどうしても納得がいかない。
「……私が子供の頃にも、稽古をつけてくれたではないですか。あの時は、ここまで厳しくはしなかったでしょう?」
「リリオン、それは……」
彼女は言葉を濁し、目を逸らした。
そこでやっと、ゼオが普通の人間で、私とは種族が違うということを思い出した。きっと彼女は私もゼオも、同じように稽古をつけてくれた。だが私がなんなくこなした稽古でも、ゼオは痣や切り傷を負ってしまう。
「……ゼオ」
傷ついたゼオを見るだけで胸が締め付けられる。自分が傷つくよりずっと、辛く耐えがたい気分になる。もし自分が彼の立場ならと想像するとぞっとした。
傷は魔法で癒えはしても、痛みや恐怖の感覚は消えないはずだ。本当は痛みに泣き叫んだっておかしくないはずなのに。こんな小さな子に背負わせていいはずがない。
「あなたは、人間で……私よりもずっと、ずっと弱いのです」
「無理をしなくても、いいのですよ?痛いのが嫌であれば、止めても構いませんから……」
本心を言えば、すぐにでも止めて欲しかった。この子が傷つくところは何があろうと見たくない。だが、この子がやりたいと言い出したことだ。それを応援したい気持ちもあった。上手く言葉に出来ない自分に腹が立つ。
止めさせるか、見守るか。どちらか決められず、結局ゼオの意思に委ねてしまった。
「ぼくは、大丈夫ですから……このまま、つづけさせてください」
傷だらけの顔で、私の目をまっすぐ見据えながらゼオはそう言った。諦める、と言ってくれなかったことを残念に思うと同時に、立派な子だと誇りに思った。
私も腹を括った。この子が痛みに耐えることを選ぶのなら、私もまたそれを見守ることにした。
毎日の稽古には必ず立ち会った。彼が成長するにつれ、稽古もまた厳しさを増していった。痣や擦り傷では済まず、もっとひどい怪我を負うことも度々あった。
その治療をするたびに、私は懲りずに何度も、同じことを繰り返した。
あなたは人間で、弱い。
だから、嫌になったらやめてもいい。
彼は最後まで大丈夫です、と言い続けた。お互い、頑固なものだ。
治療が済めば、彼を浴場へと連れていき、身体の汚れと疲れを落としてあげた。背中を流しながら、ゼオの身体に日ごとに筋肉がついていくのを確認するのが密かな楽しみになっていた……ただ、ここ数年はゼオに一人で入れると強く断られてしまっている。
そうした日々の過酷な稽古の甲斐あって、ゼオは逞しい剣士に成長した。それでもなお、私に相応しい騎士を目指して日々稽古を続けてくれている。
そして私もまた、ゼオのことを以前よりずっと大切に、愛しく思うようになっていた。
それでも、私は心のどこかで彼に守られることなんてないと思っていた。
彼の成長は認める。だが私との実力差は未だ大きく、稽古を重ねてもほんの僅かに差が縮まっただけに過ぎない。
私からすれば、ゼオはまだまだ目を離せない赤子同然だった。
……或いは、よく懐くペットのようなものか。
今にして思えば、この時の自分には腹が立って仕方がない。思い上がりも甚だしい。
そう思い知らされたのは、およそ一年前、魔王である父が人間の討伐隊に討たれてからのことだった。
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