護るものと護られるもの⑥
四肢を失い、抵抗する術を無くした【ヴァンドノート】を【ヴァルガテール】は静かに見下ろしていた。
ファンガルに憑依し、【ヴァンドノート】を侵食し攻撃してきたバレオスは姿を見せていない。未だファンガルに取り憑いたままなのか。
念のため剣を向けているが、何の反応も示さない。
「……っ、はあ、はあ」
背後のシートに座る、リリオンと呼ばれた女の呼吸が荒くなっていることにヒューグは気づいた。
振り返ると冷たい無表情の印象が強い彼女の額に汗が浮かんでいた。顔色も心なしか悪い。
大丈夫か、と声をかけると彼女は冷静に問題ありません、と返した。深呼吸を繰り返し、少しは楽になったようだ。
「つい、怒りに任せて魔力を解放してしまいました。私の魔力を以ってしても全力を出すに至らないとは、恐ろしいものです」
目を閉じふふふと笑う彼女に対し、ヒューグは冷静に言葉の内容を理解していく。
「つまり……アンタが、コイツを動かしているのか?」
ええ、と当然のように返してくる。
「祈機騎刃は本来、契霊杖に宿る精霊の魔力を動力としています」
「しかし、この【ヴァルガテール】には動力となる精霊が不在でして……私が外部から魔力を注ぎ、動かしています」
ようするに、荷馬車を引く馬がいないのを、後ろから手で押して無理やり進めてるようなものです、と彼女は付け加えた。
「……」
なんといっていいかヒューグは言葉に詰まった。
女の実力は痛感している。
真っ向勝負になれば、まず一人では勝てない。姫様にエルジランにユーセトラ、あの時の仲間たちが集まってなんとか勝機があるかどうかというレベルだ。
そんな相手が魔力を注ぎ込んで、なお足りないとは。とんでもないものを動かしているものだ。
「……なら、本当はこんなもんじゃねえってことか」
「すげぇもんだな、精霊ってのは」
ヒューグの呟きに彼女は頷く。
精霊というものについて、ヒューグはよく分かっていない。なんとなくイメージは湧くが、詳しいことはさっぱりだ。
「精霊とは熱あるところに火を起こし、水を清め、地を富ませ、風を吹かせる……世界を維持する機能のことです」
「精霊は膨大な魔力を持ちますが、そこに善悪の意思はありません。恵みの雨と地を浸す洪水が両立するように、ただ現象をもたらすだけ」
「……ですが、人間は精霊の力を借りる手段を作り出したのです」
「それが契約か」
彼女がすらすらと言葉を並べるので、釣られてヒューグも答えた。
リリオンは静かに頷く。
「契霊杖により精霊の力を取り出し動かす祈機騎刃の力は、人間の枠を遥かに超えています」
「使い方によっては神にも悪魔にもなれる……或いは、神を殺し、悪魔を従えることすら可能でしょう」
彼女の話す内容には現実味がないが、否定することもできない。
今まで見てきた数々の現象が、それを裏付けている。
召喚すれば空間を超越し現れる巨神。見かけ倒しではない圧倒的な力。
そして、異空間から自在に魔力を取り出すことができる、その能力。
もし、悪用する人間が居ればとんでもないことになるだろう。
「いや……」
更に最悪の想像が浮かぶ。人間が操ってこれなのだ。
より魔力の扱いに精通した魔物が精霊の力を扱えば……。
その時だった。
コックピット内でも分かるほど大きく地面が揺れはじめた。振動により砂が動いていく。
「これは……!?」
次第に揺れは大きくなっていく。こういった揺れに、ヒューグは心当たりがあった。昨日、ゼオと初めて出会った時にも体感したものだ。
だが、今回は更に揺れの大きさが激しい。振動の原因が複数いるかのように。
あちこちで砂が巻き上がり、振動の原因が正体を現した。
やはり昨日遭遇した、魔龍と呼ばれる芋虫に似たグロテスクな怪物。それが視界のあちこちに出現している。
だが、おかしい。
魔龍が現れたのに揺れが止まない。収まるどころか、更に激しさを増していく。
また砂が巻き上がり、芋虫が現れる。その隣でも、奥でも。数の把握が追い付かないほどに。
レーダーは周囲に夥しい数の芋虫が現れていることを示していた。
「なんだなんだ、なんなんだ……!?」
「ッ、ヒューグさん、奴を」
リリオンの声で、ヒューグは咄嗟に【ヴァンドノート】に視界を戻した。するりと黒い影が抜け出し、逃げ去る瞬間を目撃した。
恐らくあれがファンガルに憑依していた魔物、バレオスだろう。
「ヴァンドノートは避難させます。今はアレを追ってください」
リリオンがそう言うと、【ヴァンドノート】の姿が消えた。
「待ちやがれっ!!」
剣を抜き、バレオスを追う。
【ヴァルガテール】のスピードならすぐ追いつける。そのはずだった。
『ハハハハハ!油断したな、油断したなぁっ!!』
芋虫の白くぶよぶよとした身体が視界を覆う。
斬り伏せた瞬間には既に別の個体が迫っている。その首を斬り飛ばしてもまた別の個体が。
「っ、なんで、こいつらが……!」
「魔龍は魔物たちが魔界に去る前に嫌がらせのため人間界に残したもの……恐らく、奴は魔龍を操る方法も知っているのでしょう」
「その隙に自分は逃げようってワケか!クソ野郎がっ!」
気づけば360度、周囲を芋虫に包囲されてしまっていた。
体当たりを喰らっても大したダメージはないが、一度取り付かれればそのまま圧殺されかねない。
両手の剣を縦横無尽に振るい、押し寄せる怪物の群れをなぎ倒し続ける。
もはや、バレオスの位置は把握できなかった。
埒が明かない、どうする?
そう聞こうとした瞬間、既に【ヴァルガテール】は翼を広げていた。鋭利な翼に触れた芋虫の身体が裂け、飛翔の衝撃で吹き飛ばされる。
上空から地上を見下ろし、ぞっとした。砂漠は芋虫の白い身体に覆われ、地面がほとんど見えない。
「357体。この一帯の魔龍を残らずかき集めたのでしょう」
「繁殖力しか取り柄がない、喰らうしかできない怪物をこんなに生み出して……」
手の届かない上空に逃げた獲物を、芋虫たちはじっと見上げていた。
そして、何か命令を受けてか、今度は一斉に散り散りになって動き出した。
【ヴァルガテール】という獲物めがけて全個体が一点を目指していたのが、逆に【ヴァルガテール】から離れていく。芋虫の描く白い円が、その大きさをどんどん広げていく。
「……まさか、あのバケモノどもにこの近くの街を襲わせる気か!?」
非道な手段に操縦桿を握る手に力が籠った。
一刻も早く止めなければならない。だが剣では芋虫を倒すのにどうしても時間がかかる。
犠牲は避けられない。
(どうする……!?)
ヒューグが思考を巡らせようとした時、ふと、両手の剣が光を放っていることに気づいた。
これもまた、覚えがある。ゼオが自らの剣、契霊杖の力を解放する時、同じように光を放っていた。
「ヒューグさん、頼みがあります」
リリオンの無感情な声に振り向く。彼女はいつも通りの無表情で淡々と告げた。
「今から私は、私の魔力の全力をもって契霊杖の力を解放します」
「あなたはその力で魔法を使い、あの魔龍どもを倒してください」
「んなっ、待てって!」
リリオンと裏腹に、ヒューグは感情的に言葉をぶつけていく。
「確かに俺は魔法は使えるが、素人に毛が生えたようなもんだぞ!?」
「あのバケモノどもを何とかするような魔法、俺には……」
「技術や素養は必要ありません。大事なことは目に見えない魔力を見えるものとして扱う想像力と、それを力に変える意志の強さだけです」
「あなたの、三百年の時を経てもなお主人を思う意思の強さがあれば……きっと魔力も応えてくれるでしょう」
言葉に詰まった。姫様のことを持ち出すのは卑怯だ、とヒューグは思った。
一切の反論ができなくなる。
「……さっきは、魔力切れであんなに苦しそうにしてたじゃないか。平気なのか?」
苦し紛れに呟いた言葉にも、彼女は冷静に返す。
「自分のことはよく知っています。多少動けなくはなるでしょうが、なんとかなるでしょう」
それに、と目を閉じ頬を緩めながら自嘲するように彼女は言う。
「ゼオが……あの子が命を賭けているのに、私が怖気づくわけにはいきませんから」
彼女は覚悟を決めているようだ。
似ている。ヒューグはそう思った。
ゼオもリリオンも、目的のためなら命さえも惜しくないらしい。
「……騎士が騎士なら、主人も主人か。お似合いだよ、アンタら」
呆れながら呟いたヒューグの言葉に、リリオンは目を丸くし……彼女には珍しく嬉しそうに笑った。
頬を緩めたまま、彼女は告げる。
「あなたの忠義に、この神の如き力を貸しましょう」
「ああ、任せろ……!」
既に芋虫の群れは大きく広がっていた。【ヴァルガテール】は空中に留まり剣を構え、ヒューグは目を閉じ意識を集中させた。
感じる。両手の剣に力が満ち溢れている。それだけじゃない。
太陽から降り注ぎ、砂に反射し上る熱気。
渇いた空気にほんの少しだけ残った水分。
枯れ果てた砂漠で僅かながらに草木を育む大地。
長い時間をかけ岩を削り、石を砕き、砂を運ぶ風。
その全てに魔力が宿っている。
そして、その全てが掌の上にあるかのように、自分の影響力の下にある。
この場の支配者は紛れもなく自分であると言えるほどに。
今の自分なら、何でもできる。何にでもなれる。
そんな神の如き万能感が心にふっと現れる。
そして、その力を思うがままに振るえと悪魔が囁く。
ヒューグはそれを無視した。
彼は主であるランメアの騎士であれば、それでよかった。それだけでよかった。
姫様が守り、愛したこの世界を護りたい。
両手の剣が、直視できないほど眩い光を放っていた。
【ヴァルガテール】はすっと腕を動かし、十字に剣を振った。
空間が切り裂かれる。魔力の飽和した異空間が開いた。星々の浮かぶ夜空に似たその空間に、ヒューグの意思が干渉する。裂け目の向こう側、地上にいる芋虫の群れに向け、凄まじい魔力が迸った。
「龍壊''轟''起嵐ッッッ!!!」
ヒューグとリリオンの声が重なる。
雲一つない晴天が一瞬で淀んだ曇天に覆われた。
直後、吹き荒れた烈風に芋虫どもの巨体が木の葉のように空中に巻き上げられた。一匹残らず。
ある個体は風に巻き上げられた砂に身体を削られた。
またある個体は竜巻の中で他の芋虫と衝突し、引き裂かれた。
また別の個体は、雷雲から降り注ぐ無数の稲妻に身を焼かれた。
芋虫に紛れ潜伏していた元凶であるバレオスもまた、絶叫を上げる間もなく消滅した。
攻撃というより、災害に近いほど一方的に……それでいて終わってみれば呆気なく、357体からなる芋虫の軍勢は消滅してしまった。
死骸も風がどこかへ運び去り、空は青く澄み切っていた。初めから何も起きていなかったかのように。
「……やった、のか」
信じ切れずにヒューグが呟く。それと同時に、凄まじい力に困惑もしていた。
リリオンの言葉を、今なら心から信じることが出来る。これはまさしく、神を殺し悪魔を従えることが出来る力だ。
「……これで、一件落着ですね」
後方のシートでリリオンはそう呟きながらふうと息をついた。汗が浮かび顔色も悪いが、ひとまず無事なようだ。
彼女はするりシートから身を乗り出し、ヒューグの前に脚を出した。
「っ、な、なんだぁ!?」
驚き素っ頓狂な声を出したヒューグに、リリオンは不思議そうな表情を浮かべた。
「外に出るんです。言ったでしょう、全てが終わったら話をすると……ここは狭いですから」
そういいながら、彼女はヒューグの前に移動した。リリオンの背は意外と高く、狭いコックピットの中で肌が触れそうになるのをヒューグは必死になって避けた。
「外って……外は砂漠だろ。ここに居たほうがいいんじゃないか?」
ハッチから前かがみになって外に出るリリオンから目を逸らしながらヒューグは誤魔化すようにそう言った。
リリオンは何も言わず出ていった。呆れながらヒューグも続く。
「……は?」
外は砂漠などではなかった。青い空に白い雲、遠く山々が見えるのどかな草原だった。すぐそばにぽつんと小さな小屋が建っている。
魔力の存在から、ここが魔法で作られた空間であることはかろうじて分かった。
「祈機騎刃の空間跳躍能力を応用して作った、私の隠れ家です」
リリオンは既に地上に降りていた。彼女が指を鳴らすと、ヒューグの身体もハッチのある【ヴァルガテール】の胸部から地面に移動していた。
「……アンタは一体」
彼女と邂逅してからずっと抱いていた質問をヒューグはぶつけた。
彼女もまた、じっとヒューグの目を見つけその質問に答えた。
「……申し遅れました。私の名は、イクシオリリオン」
「ゼオの主人であり、幻魔候の一人であり……魔界を統べる魔物の頂点、魔王の娘です」
ご愛読ありがとうございました。お疲れ様でした。
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