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第九十七話:ころがる毛玉(前編)

こちらのお話については、書籍版2巻の追加加筆分を読んでから見るとより楽しめます

『大砲を売って家に住む事はできるが、家を売って大砲に住む事は出来ない』


 そんなジョークが交わされる程度には、大砲は高価である。

 数十門、あるいは数百門が砲火を交える会戦において、大砲一門の価値は矮小化されがちではあるが、それぞれが家一軒と同等以上の価値を持つ事に変わりはない。

 故に大砲を作る鋳物師の長などは、大砲一門の作成に並々ならぬ鋳鉄と情熱を注ぐ。大工が己の矜持を掛けて家を建てるのと、その考え方は全く同じである。

 全く同じ外観の家が存在しないのと同様に、一門一門、工房の威信の名の下に型取られる鋳造砲達もそれぞれに個性を持つ。それは彫刻であったり、装飾であったり、砲身形状であったり、砲尾形状であったりと、工房によって千差万別である。

 家が個性を持つのは大変良い事である。自分だけの家という特別感や優越感を、より一層掻き立ててくれるからだ。

 しかし大砲が個性を持つとなると、事情は大きく変わってくる。今まで個性と呼ばれていた、その砲特有の愛らしさとでも評すべき特徴が、『誤差』や『規格外』という、なんとも無味乾燥で冷淡な言葉へと置き換わってしまうのである。


「うーん、興味はありますが、ウチにはウチのやり方があるんで……」


 自身が手掛けた大砲に生じうる個性を、規格外と評されて気分の良い職人は居ないだろう。


「その作り方だと、代々やってきた手法を変えにゃならん。組長の手前で心苦しいが、暫くはこっちのやり方で作らせてくれ」


 規格化と言えば、何かにつけて非常に技術的な、あるいは理屈的な要因が根本にあると誤解されがちである。

 しかし規格化における最終関門は技術の問題ではない。

 今まで脈々と編み込まれてきた伝統や風習、価値観こそが最大の関門なのだ。


「みんな全然オッケーしてくれないねぇ」


「まぁこんなもんだ。職人の新しい物嫌いは今に始まった事じゃない」


 偏見と誤解とを巻き込んで、複雑に絡み合った伝統という名の編み物を、解き解していく方法はただ一つである。


「ずっと歩きっぱなしで足が痛いよ〜」


「流石にこの年になると足がしんどいな……」


 そのたった一つの冴えたやり方を、ヨハンとエレンは丸一日掛けて実践していた。

 要するに、タルウィタ中の鋳物師に対してドブ板営業をして回っていたのだ。


「ヨハンおじさんてタルウィタ鋳物師組合の組合長なんでしょ?みんなにグリボーバルカノンを作るように命令できないの?」


「俺の事を王様かなにかと勘違いしてるな?」


 ヨハンの工房まで足が持たない事を悟った二人は、お互いどちらが言うでもなく、路肩の手頃な段差に腰を下ろした。


「組合長なんだから、言う事聞かせるすごいパワーとか持ってないの?」


「ねぇよ」


 友人の家へ招待されたであろう馬車達が、猛スピードで道路を通り抜けていく。車輪が残雪を切り裂き、白い轍があちこちに出来上がっている。


「組合長の役目は統治じゃなくて調停だ」


 すっかり麓まで白くなったアトラの山々が、夕曇りの彼方から僅かに顔を覗かせている。


「揉め事や決め事が発生した時のまとめ役であって、組下の工房にアレコレ指図するような役職じゃない」


「今まさに揉め事が発生してるじゃんね」


「まとめ役は、発議者にはなれねえからな」


 ヨハンが漏らした鼻息は、慌ただしく駆けずり回る四輪馬車の音に掻き消された。


「タルウィタにある工房は今日回った所で全部なの?」


「いや、まだある」


 ヨハンは近寄ってきた靴磨きの青年を手で追い払った。


「あるにはあるが、残りは全部ヴラジド人がやってる工房でな」


「ヴラジド人て、サリバン市長のせいで全員街から追放されちゃったんじゃなかったの?」


 誰かの家から逃げ出したであろう鶏が、二人の後をヨタヨタと走り抜ける。夕方の大通りは大変混沌としており、そして賑やかである。


「特定の人間を、一人残らず街から消し去るなんて不可能だ。しぶとく生き残って、商いに精を出してる奴らがいるんだ」


「ならその人達に会いに行こうよ!ノールを倒す為の大砲を作ってって言えば、絶対賛成してくれる筈だよね!?」


 四六時中持ち歩いてヨレヨレになった設計図を、エレンが両手でこれみよがしに掲げて見せた。


「そう思うだろ?だが奴らは気難しくてな」


 脚絆(きゃはん)越しに膝を揉みほぐしていたヨハンがおもむろに立ち上がると、それに続いてエレンもよっこらせと腰を上げる。二人とも、尻餅をついていた部分が濡れてシミのようになっていた。


「一度迫害された奴はそう簡単に人を信じなくなる。俺の組合にも入らず、自前のヴラジド工房組合を作るくらいだからな」


「とりあえず行ってみようよ。ダメならダメでそこからまた考えようよ〜」


エレンが工房へ戻ろうとするヨハンの袖を引っ張る。


「ダメだ。行くにしても日が高い時間にした方が良い。ヴラジド人の工房はあまり良くない場所にある」


「やだ〜今日行くもん〜!」


 散歩から帰りたくない犬の如く、ヨハンに引き摺られながら抵抗するエレン。


「さっきまで十メートルおきに足が痛いって喚いてたじゃねぇか。もう治ったのか?」


 このままでは噛みつかれそうな勢いで袖を引っ張るエレンへと、彼は腰に手を当てながら呆れ顔で尋ねた。


「治ってないし痛いけど、大砲の為なら頑張るもん」


 往来の視線が二人へと集まり始める。

 意地を張ったむくれっ面のまま頑として動かずに袖を引っ張り続けるエレンは、足早に歩を進める者が大多数である往来の中で、一際よく目立っていた。


「わかったから、悪目立ちするような振る舞いはよせ。ただでさえ夕方は治安が悪いんだ」


 大変満足げな表情のエレンを連れると、彼は目抜き大通りを外れて路地裏の露地門を潜った。建物と建物の間に跨るようにして佇む露地門は、目抜通りの(かまびす)しさを、どこか羨ましげに睨んでいるように見えた。

 大通りを歩いていた時よりも、更にエレンを手近に引き寄せるヨハン。そのせいでエレンの顔はコートジャケットに半分埋まってしまっている。

 露地門の内外は、正に陽と隠の関係に等しい。大通りと路地裏とでは、まるで別世界なのだ。ましてや逢魔時の路地裏など、近道としてすら使われない。

 このような時間に路地裏へ足を踏み入れる者は、何らかの理由で大通りを歩けなくなった者か、もしくは。


「よぉ、マリッツの旦那」


 路地裏を縄張りにしている者くらいである。


「カミルか、調子はどうだ?」


 エレンの目には、何もない所からいきなり人が現れてきた様に見えた。


「オスカー・糞・サリバンが死んで以来、すこぶる好調よ。イェジーは上手くやってるか?」


「あぁ、お前の所から出てきた小僧にしては大分真面目だ。今は反射炉の火番を任せてる」


 カミルという名の青年は、影のある笑いと共にヨハンと握手を交わした。


「そこに引っ付いてる毛むくじゃらは誰だ?今日タルウィタに入ってきたヴラジド人の中に、そんなヤツは居なかったが」


 そばかすと赤髪が特徴的な彼は、ヨハンの後ろから顔だけ出しているエレンを指し示した。


「こいつはヴラジド人じゃねぇ。ラーダとノールのハーフだ」


「なるほど、じゃあ半分は親の仇で出来てるって訳だ」


 カミルはわざとらしく棘のある言い方で、エレンを睨んだ。


「おい、カミル――」


「じゃあ、少なくとも半分は許してくれるんだね。初対面なのに、半分も信頼してくれてありがとうね」


 彼女の返す刀に、カミルの眉間が僅かに緩んだ。


「……中々、見かけによらねぇもんだな」


 やや感心したような目付きのまま身を翻すと。


「お前、エレン・カロネードだろ?()()()界隈じゃ、ちょっとした噂になってるぜ。付いてきな」


 後ろ手に手招きしながら、赤髪の彼は路地の奥地へと姿を消した。


「……驚いたな」


「ね、ホントにね」


「いや、驚いたのはお前に対してだ」


「へ?わたし?」


 素っ頓狂な声と共にヨハンの顔を見つめる。


「ならず者を前にして、臆せず立ち向かう気概がお前にあるとは思わなかった」


「ううん、全然怖かったよ?」


 今の今までジャケットに張り付いていたエレンが、ここで初めてヨハンから離れた。


「ほらさ、今日行くって言っちゃったのわたしだし、何とか答えなきゃと思って……」


 うへへ、とエレンは前髪を捩りながら言を連ねる。


「それに、なんて言えば良いのか分かんないんだけど……悪そうな人だけど、悪い人ではない感じがしたから」

 

 奥へと進んでいくカミルの背中を追いながら、エレンはそう呟いた。


「……そうか、直感か。そうかもな」


 そんな彼女の背中を更に追いながら、ヨハンは呟いた。


「天才ってのは、そうなのかもな」

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久しぶりのエレンちゃんカワイイヤッター! 親方とのコンビ好き
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