第九十六話:並ぶ星々(後編)
「なんでお前らと組まなきゃいけねぇんだ」
「部隊ごと消滅するよりか大分マシだろ。俺達に吸収されただけ有難いと思え」
南部辺境伯義勇軍の兵士と、パルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊の兵士が交々に集っている。皆それぞれ青いコートジャケットに身を包んではいるが、その濃さや鮮やかさは千差万別である。パルマの群青、リヴァンの水色、そして南部辺境伯達の私兵も皆、それぞれ異なる青色のジャケットを羽織っていた。その光景はまるで青の見本市のようである。
「南部辺境伯義勇軍がパルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊に合流したんだよな?なら部隊名も『パルマ・リヴァン・南部辺境伯義勇駐屯戦列歩兵連隊』に変えないとおかしくねぇか?」
「長過ぎるだろ。名乗ってる最中に舌噛んで死ぬ奴が出てくるからダメだ」
オーランド連邦軍内において、南部辺境伯達義勇軍は長らく微妙な立場を過ごしてきた。
正規の連邦軍でもなければ、一つの領地で徴兵された市民軍という訳でもない。南部それぞれの地域から少数ずつ派遣されてきた同軍は、指揮系統や士気の面で数々の不安要素を抱えていたのだ。統一されているのは使用言語ぐらい、と言った方が適切だろう。
「南部のナの字も残らず吸収されるなんてな。派遣元の領主様方は何も言ってこなかったのか?」
元南部辺境伯軍の将校が、やや渋い顔つきのもと、木椅子に腰掛ける。空色の生地と黄色のボタンカフスを備えたコートジャケット。そして僅かに浅黒く日焼けした肌は、彼が南部出身者である事を物語っていた。
「今の連邦議会で、北部二大辺境伯にモノが言える諸侯なんて居ねぇよ」
隣で焚き火を弄りながら相槌を返す将校も、同じく空色のコートジャケットを着てはいた。しかしボタンカフスの色は赤、肌色もパルマ・リヴァンの者達と大きく変わらない。微妙に異なる出自や門戸の人間達が寄り集まっているのが、南部辺境伯義勇軍という集団である。
「ノール軍の攻勢初期から連邦軍の編成を訴えて、編成が否決されたとあれば少ない戦力で遅滞戦術を完遂し、ついにはラーダ王国からの融資まで取り付けたんだ。誰も何も言えねぇよ」
その後も出自の異なる二人の間で、良い意味で遠慮のない会話が繰り広げられた。
言うまでもなくこの友好関係は、ノール帝国という共通の外敵がいるからこそ成り立つ物である。対外戦争の存在は、往々にして内向きの紛争を鎮める効果を持つが、これは一時的な物である。
「……南部の部隊と北部の部隊が一緒くたになるなんて、五年前の自分に言ってもぜってえ信じねぇぞ」
「過去の自分の感想なんてどうでも良いじゃねぇか」
しかし仮初であろうと、一時的と言われようと、確かに今はオーランド連邦として連帯している。この事実は戦争が終わろうとも消える事は無いだろう。
「どうせ戦争が終わったらまたいがみ合う仲に戻るんだ。今のうちに他領地の友人を作っとこうぜ」
嘗て連帯していた、という前例は、この先現れるであろう連帯を求める政治家が放つどんな美辞麗句よりも、強固な説得力を持つのだ。
そして、異なる出自を持つ物達が集う部隊という意味では。
「カロネード少佐殿、現有戦力についてご説明差し上げます」
オーランド砲兵も同じ事である。
「……オズワルド、その呼び方やめてって言ったでしょ」
つい先日までエリザベスも付けていた、小さな二つ星を両肩で揺らしながら前を歩いていくオズワルド。
「階級差は絶対ですので。小官が少佐殿に対して軽率な口を利く事は、周りの砲兵達に対しても悪影響を及ぼします」
エリザベスが少佐に昇進してからというものの、オズワルドの態度は打って変わって冷淡なものになっていた。
「オズワルド、一体どうしちゃったのよ?ま、まさかわたくしの大昇進に嫉妬してるのかしら?」
先回りしてオズワルドの顔を覗き込むと、彼はまるで赤の他人のように怪訝な顔で覗き返してきた。
「……ど、どうしたのよ?わ、わたし何か気に障る事言った?もしそうなら謝るから――」
「いえ、部隊長殿の付き人として、相応しい振る舞いを心掛けているだけです」
彼はエリザベスから視線を外すと、手元の書類に目を落とした。
どれだけ仲の良かった戦友であっても、階級差が生まれれば一線を引く。他人行儀とも、記憶を何処かに落としてきたとも取れる彼の振る舞いは、軍人という特性から考えれば真っ当なものである。
しかしエリザベスの心情は、それを受け入れられなかった。
「説明に戻ります……パンテルス開戦当初は二十門を擁していた我が大隊ですが、有翼騎兵による騎兵襲撃を受け、現状は騎馬砲が六門を有するのみとなっております――」
オズワルドがこの振る舞いを初めた当初、エリザベスの心中には確かに優越感があった。
見返してやったぞという気持ちが、彼女の中に充満している内は幸福だった。
しかしすぐに、優越感よりも寂しさが勝ってきたのである。
オズワルドとは、イーデンと同じくらい長い付き合いである。紛れもなく戦友である。エリザベスから見れば、イーデン亡き部隊内において、同じ立場で気兼ねなく話せる間柄は、オズワルドしかいなかった。
「現在、エレン・カロネード輜重隊長殿がヨハン・マリッツ氏と共に新規大砲の鋳造を進めております。完成した物から順次我が部隊へ納品される形となりますので――」
つい先日まで、あんなに親しく話していたではないか。
なぜそんなに他人行儀なのか。
士官学校を経験していないエリザベスにとって、その豹変ぶりはあまりにも異質に映った。
上官になったから、という理由だけでは片付けられぬ思いが、エリザベスの中で膨れ上がる。
「つきましては部隊長殿には、新規鋳造するカノン砲の口径を含めた諸元について指示を頂きたく――」
イーデンだけではなく、オズワルドまで、どこか遠くに行ってしまった。
そんな、痛烈な孤独感が押し寄せていた。
「オズワルド、ちょっと来て」
エリザベスは、報告を続けるオズワルドの腕を引っ掴むと、無人の天幕へと連れ込んだ。
「如何されましたか?」
無表情で礼儀正しく問いを投げるオズワルドを、エリザベスは今にも泣き出しそうな顔で見つめていた。
「なんで、そんなに他人行儀なの」
「……何度も申し上げますが、階級差は絶対です。貴殿は少佐、小官は中尉です。いくら仲の良い――」
「従軍経験では貴方の方が上でしょう!?」
天幕から声が漏れない様に、絞り出すような小声で私は問い詰めた。
「同時に少尉になった時はあんなに食い下がってきたのに、なんで今はそんなに大人しいのよ……!?」
私を見下ろすオズワルドの表情に、僅かに感情が乗る。
「お願いよ、今は貴方の喧しさが必要なの……!貴方まで遠くに行かないで……!」
思いの丈を吐き終え、顔を伏せた。
どうか今だけは、その明るさで支えてほしい。
たとえそれが、軍人の本領から外れる願いであったとしても。
「……イーデン隊長からの、指示だったんだ」
イーデンの名に、思わずエリザベスは顔を見上げる。そこには以前と同じように、やや照れくさそうに後ろ髪を掻くオズワルドの姿があった。
「『俺の身に何かあったら、必ずベスはオズワルドを頼ろうとする筈だ。そうなったら一度、敢えて突き放してみろ』ってな」
「……どうしてイーデンはそんな事を」
知っている人物が戻ってきた安堵感から、彼女の目尻に涙が溜まる。
「お前がちゃんと独り立ちできるかどうかを、確かめたかったんだろうよ」
オズワルドは指でエリザベスの涙を拭うと、笑みと共に自身の胸を大きく叩いた。
「ま!その様子じゃ、まだまだ俺が必要みたいだな!」
彼の調子良さを目の当たりにしたエリザベスは、泣き笑いのような表情で彼の胸をポカポカと叩いた。
「こんのっ……おバカ!こっちはただでさえ心細いんだから!そんな事しないでっ!」
「俺じゃねえって!イーデン隊長の依頼だって!」
「亡き人を盾にするなんて卑怯よ!バカ!」
ひとしきりオズワルドをポカポカと殴り、落ち着きを取り戻した所で、エリザベスは片手を差し出した。
「見せて、その資料」
「ほいよ」
オズワルドから新造大砲に関する資料を受け取ると、次々に捲って内容を確認していく。
先程までとは違い、スルスルと内容が頭に入って来る。
「……新規鋳造するカノン砲は全て二ポンド騎馬砲にして。追撃に必要なのは大口径な砲じゃなくて高機動な砲よ」
「了解。あともう一点、俺達の制服の色について、兵站将校から確認依頼が入ってる」
「制服の色?」
資料から目を離すと、オズワルドは自身のジャケットを親指で示していた。
「パルマ・リヴァン連隊に南部辺境伯軍が合流するだろ?その際に、奴ら軍服を新調する事になったらしい」
「……あぁ、そのついでに私達の軍服も新調されるのね」
オズワルドの頷きと同時に、エリザベスは腕を組んで考え始める。
コートジャケットの色は、その部隊、ひいてはその部隊が所属する国を表す記号となる。ラーダの赤、ノールの白、オーランドの青、ヴラジドの朱、オストライヒの濃藍。どの国の軍も、それぞれ色合いに個性を乗せている。
であればオーランド砲兵も個性を出したい所ではあるが、先述の通り、目ぼしい色は既に使われてしまっている。敵と同じ色を採用するのは誤認も発生する為、なるべく避けたい。
誤認を避けつつ、個性のある色。そう考えたとき、エリザベスの脳裏に一つの色が浮かんだ。
「黒よ、黒にして」
「く、黒?」
しばしその色を選択した意味を考え込んでいたオズワルドが、恐る恐る訪ねた。
「まさか、喪服か?」
「そんなわけ無いじゃない」
彼の懸念を鼻で笑いながら、エリザベスは天幕を捲って外へと繰り出していく。
方々に焚かれた火の明かりが、彼女の頬を臙脂色に染めた。
「このわたくしに一番似合うのが黒色だからですわ!」
その後エリザベスの指示通り、オーランド砲兵には漆黒のコートジャケットが支給される事となった。
通称『ブラック・コート』の誕生である。




