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第九十四話:絡み合う双頭

 刈り取られる事も、枯れる事も無く、そのまま畑に残されたライ麦達が、降り積もった雪の上から微かに顔を覗かせている。春先の収穫を切望されつつ播種された彼らは、時折とうに避難した主人達の帰りを待ち侘びるかのように穂を震わせていた。


「ジャン=ピエール・ブランシャール中佐」

「戦死」

「ヤン・クラヴィエスキ大佐」

「戦死」

「オルジフ・モラビエツスキ男爵」

「戦死」


 高級将校の戦死が伝えられる度に、薄寒い木枯らしがラカント村を吹き抜けていく。


「生き残った将校を聞いた方が早いか?」


「おそらくは」


 イーデンの生家、ランバート家に身を寄せた三人のノール軍指揮官が、自軍の損害を改めている。みな、額に手を当てていた。


「ギヨーム・ド・ベルナール少将は存命です。手傷を癒す時間は必要ですが」


 首から下を分厚い熊毛の毛布に包んだリヴィエールは、毛布と同じ厚みをもった損害報告書を脇に置き、彼の指先のように薄い現有戦力報告書を取り出した。


「砲兵指揮官のセヴラン・エンゾ・ダンジュー大佐も健在です。こちらは直ぐにでも戦線復帰可能かと」


 リヴィエールはその後、リストの上から下までを舐めるように精読したが、これ以上誰かの名前が出てくる事は無かった。


「後に残されたのは余とヴィゾラ伯、それに貴様か」


 暖炉のぼんやりとした明かりを受け、プルザンヌ公の横顔に不規則な影が落ちる。彼の目線は隣で腕を組んで座り込むヴィゾラ伯と、畑のライ麦の如く小刻みに震えるリヴィエールへと向けられた。


「軍全体の損耗率は会戦前比で六十六パーセントです。およそ七割弱の戦力を、先のパンテルスで失いました」


「……一万の兵が、パンテルスを渡れずに死んだのか」


 パンテルスの水面には、未だにノール兵の死体が漂っているのか。それとも既にオーランド兵によって焼かれているのか。自軍兵士の始末を自らの手で下す事も出来ず、こうして想像する事しか出来ない。その悔しさが彼の眉間を僅かに険しくさせていた。

 

「残った兵達は今どうしている?」


 ヴィゾラ伯が噤んでいた口を開いた。


「侵攻時と同様、パンテルスの家々に舎営させています。消耗によって、皮肉にも全兵士を家屋に収容できています」


「大農村と同じ規模の軍隊という訳か」


 窓の外、晴れ渡った青い空と降り積もった白銀の雪を見るヴィゾラ伯。家々の屋根には、藁葺きに突き刺した双頭鷲の軍旗が虚しく翻っていた。


「……今、我らが取るべき行動は」


 冬の朝に相応しい冷淡な沈黙の後、プルザンヌ公が今後の指針を言い掛けて、止めた。

 今ノール軍が取るべき行動は退却である。態々言わずとも、この場にいる三人は誰しも同じ考えだろう。しかし今の彼らにとって退却とは、その二文字程度の言葉では収まり切らぬ程の困難を内包していた。

 ラカントを脱し、オーデルを抜け、リヴァンを横目にヨルク川を渡り、瓦礫と化したパルマを踏み越え、決死の覚悟で冬の国境峠を乗り越える。

 彼らにとって退却とは、あまりにも厳しい道のりである。プルザンヌ公の口が止まるのも無理は無い。

 しかし、どれだけ困難な命令であろうと。


「退却だ。国境峠を抜け、本国へ帰還する」


それしか道が無いのであれば下達する。それが指揮官たる者の役目である。


「承知致しました」


「不服毛頭ございません」


 その命令を達成する為には、解決せねばならぬ課題が山程ある。プルザンヌ公の発言に対し、二人の脳裏には夥しい数の難題が浮かんだ事だろう。

 ただ先ずは命令を受け止め、飲み込む。課題の話はそれからである。この軌を一にする行為が、命令下達の儀において何より重要なのである。


「全員賛成とは、何よりである」


「反対する気配のあった者は、みな死にましたので」


 ヴィゾラ伯の黒い冗談に二人が歯を見せると同時に、ランバート家の戸口が開かれた。


「軍団長閣下、本国より伝令が参りました」


「おぉベルナール、傷の方は大丈夫なのかね?」


 片腕に包帯と添え木を巻いたベルナールが、封蝋付きの手紙を携えて軒先に姿を現した。ドアの開閉が除雪の役割を果たす所為で、戸口の所だけ地面の土が露出している。


「私は問題ありませんが、手紙を運んできた伝令の容態が思わしくありません。現在は軍医に様子を見せております」


 ベルナールは北の方角を見ながら話す。


「帝国軍評議会の命を受け、国境峠を単身で越えてきたようです。軍医曰く、彼の足と指はもう使い物にならないと言っておりました」


「そうか、今から我々は其処に向かって退却する事になったぞ」


 ヴィゾラ伯が片手をあげて薄ら笑いを浮かべる。


「そこしか無いのであれば、そうするしか無いでしょうな」


 対するベルナールも薄ら笑いを浮かべながら応える。彼は外套に付着した雪を手で払い落としながら、遥かアトラの向こうからやってきた手紙をプルザンヌ公へと差し出した。

 プルザンヌ公は小ナイフを懐から取り出すと、慣れた手つきで封を切り、二つ指で中の手紙を取り出した。


「…………」


 彼は左上から右下へ、Z字を描くように目線を素早く動かした後、最下部に記された署名を物憂げな表情で見つめた。


「差出人は、何方の御仁でしょうか?」


 口襟を結び、下唇を噛むプルザンヌ公へ、ヴィゾラ伯が説明を求める。彼は手紙を投げ捨てるようにして机上へ置くと、暖炉の炎へ自らの言葉を放り込んだ。


「ランフェルタン公だ」


 その名を聞いたヴィゾラ伯とベルナールの顔が凍りついた。


「ランフェ……!?アンリ・ド・オーヴェルニュ様ですか!?」


 直立していたベルナールの腰が引ける。


「閣下のご令兄様が、閣下へ直々に文を!?」


 ヴィゾラ伯が額から流れ出た汗を拭う。


「一々取り乱すな。いかな兄君といえど、現状は只の一諸侯だ。纏っている金銀の数が他の者より僅かに華美なだけよ」


 三人の中で唯一、薄青の顔色を変えずにいるリヴィエールへとプルザンヌ公は顔を向けた。


「ラーダ方面軍司令官ともあろう御仁が、如何様な内容で文を?」


「彼奴が書いた要点は二点。至って単純且つ道理な内容よ」


 線画のように美しい筆跡で書かれた文章を、頬杖を付きながら要約する。


「先ず一点目、敵地で孤立した弟を哀れに思ったのか、兄君率いるラーダ方面軍が救援に向かっているらしい」


 評議会のお墨付きでな、と兄の署名の下に押されたノール軍評議会の判を指差す。


「おぉ!それは何より素晴らしい!」


 ベルナールが手を叩いて喜ぶが、他の三人の表情は曇ったままである。


「な、なぜ皆々そのような浮かばれぬ顔を?」


「……閣下御本人が座す前で、申し上げても良い物かどうか」


 ベルナールの疑問に答えようとしたヴィゾラ伯がプルザンヌ公に伺いを立てる。彼は構わんと顎を振って見せた。


「……第二皇太子プルザンヌ公ラッジ・ド・オーヴェルニュ様と、第一皇太子ランフェルタン公アンリ・ド・オーヴェルニュ様は、共に帝位継承権を持つ御仁です」


「それは私も存じ上げている。皇帝陛下の御嫡子として、御両人共帝位を継ぐに相応しい才覚をお持ちだと――」


「それが問題なのです」


 リヴィエールがベルナールの話を遮る。彼は自身が包まっていた毛布をジャケットのように羽織り直すと、針金のような指先をランフェルタン公の署名へと向けた。


「帝位継承順位は……閣下の御前につき誠に恐れながら……第一皇太子たるランフェルタン公の方が上です。しかしながら帝国軍評議会の中にはランフェルタン公の戴冠を良しとせず、双頭鷲の冠は閣下にこそ相応しいと考える者達もおります」


 継承権争い。

 どこの国であれ発生するその問題は、金銀細工で彩られた狭き王室の内で終結する事は無い。やがて諍いの空気は王室から諸侯へ、議会へ、そして軍へと漏れ出す。

 政治の話であった筈が、いつの間にやら外交や軍事、果ては経済までを巻き込んでの大闘争となる。それはノール帝国とて例外ではない。


「同じく帝位継承権を持つ弟君相手に、素直に援軍を出すとは思えぬ。という話でしょうか?」


「概ね正解だ」


 プルザンヌ公が鼻を鳴らす。


「援軍自体は出すであろう。兄君とはいえ評議会の決定に背く事は出来ん。ただ――」


「その援軍をいつ寄越すかについては、ランフェルタン公の機嫌次第という訳ですな……」


 プルザンヌ公はベルナールの帰結に目で肯定を示すと、再び机上の手紙へと目を遣った。


「そして二点目だ、これは端的に述べよう。ストシン市でヴラジド人が反乱を起こした」


 先程のランフェルタン公に対する驚きとは違い、此度は全員が納得したように溜め息を漏らした。


「開戦当初よりの懸念事項ではありましたが、やはり……」


「しかも用意の良い事に、パンテルス会戦の終結と同時に蜂起している」


「大方、ラーダ王国からの入れ知恵でしょうな」


「ベージル・バークか。奴の指図なら十分あり得るな」


 この場に集まった四人全員が、ベージルの顔を思い浮かべる。ストシン市における蜂起によって一番利益を受けるのは誰かを考慮すれば、当然浮かんでくる顔であった。


「けだし、起こった事に対して云々述べても詮無き事よ」


 頭中に浮かんだベージルの顔を振り払いながら、プルザンヌ公は話を続ける。


「真に勘案すべき事項は、ランフェルタン公のノール方面軍が、この反乱鎮圧の任も命じられているという点だ」


 継承権争いをしている弟の救援と、自国領内で起きた反乱の鎮圧。ランフェルタン公がどちらを優先するかは、皆まで言わずとも知れた物である。


「反乱鎮圧に手を割かれた為に、弟の救援に失敗した。という筋書きを書いてくる可能性があると?」


「余も貴様と同じ結論に達した」


 リヴィエールの指摘に、プルザンヌ公は固く頷いた。

 

「だが、余は此処で廃れるつもりなど毛頭無い」


 手紙を暖炉に投げ入れると、彼は凭れていた椅子から立ち上がって戸口へと向かう。その後ろ姿からは、嘗て彼が羽織っていた筈の清廉潔白な、貴族然とした雰囲気は既に喪われていた。


「生き残った将兵に伝えよ。我らは今から、栄光の、白美(しろび)やかなノール帝国軍を、捨てる」


 しかしその代わりとして。

 幾つかの会戦を潜り抜けた者が背負う、生き意地の張った、ある種の諦めの悪さを羽織っていた。


「余はこれより、ただ生き残る為の戦いを始める。寡黙にして、ついて参れ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 次も楽しみにしています。 [一言] ははっ、嫌な予感しかしない
[一言] 大変面白いと思うのですが、 戦闘と封建制を美化しすぎているようにも思えます。 もちろん読まれていらっしゃるとは思うのですが、 どうしてもレマルクの作品と比較してしまいます。 20世紀が行き着…
[良い点] 白いノールを捨てるだけで、ノールを捨てるわけではないよね…?楽しみー!
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