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第八十九話:焼けた旗に挙りて

 砲声が止んだ。

 リトル・ラウンド・トップから、幾度も、幾回も響いていた、あの砲声が止んだ。

 今までは確かに、あの灰煙の中から、あの硝煙に満ち満ちたカーテンの向こうから、存在と精強とを誇示するかのような砲声が轟いていた。

 しかし今はどうだ。

 あの有翼騎兵(フッサリア)達が長槍を以て黒煙を切り裂き、丘上へと姿を消してからはどうだ。

 複数回に渡る断続的な砲撃音と、耳を聾する程の爆発音の後に、砲声の一度でも聞こえた事があったか。

 答えは否、断じて否である。

 硝煙で出来た雲の内々から丸弾が飛び出してくる事は無く、代わりに赤黒い炎が時折顔を覗かせている。

 それが砲兵陣地の弾薬集積所から挙がった火の手であるという事は、いかに察しの悪い兵士でも理解ができよう。


「今が勝機だ!このまま完全包囲網を完成させてしまえ!」


 察しの悪い者がようやく理解をする頃、察しの良い者は既に行動を起こしている。


「あの小丘はもはや半包囲下にある!あとは東側を包囲すれば完全包囲網の完成だ!」


 帝国重装騎兵第一連隊を率いるブランシャール。

 ローヴィレッキ軽騎兵を率いるベルナール。

 幸いにも前者には襲撃のタイミングを嗅ぎ分ける嗅覚が、後者には敵の脆弱性を探し出す視覚が備わっていた。


「あれだけ鬱陶しかった砲兵が消えた!さすればすなわち、今度は我々騎兵の番である!」


 オーランド砲兵陣地の異変にいち早く勘付いた二人の騎兵指揮官は、リトル・ラウンド・トップを迂回し、東へ東へと高速機動を実行していたのである。


「砲兵陣地の詳細は!?」

「硝煙と黒煙により視認できず!されど動きは無し!有翼騎兵(フッサリア)の突撃が成功した物と思われます!」


 純白のプリスを泥まみれにしながらも、ローヴィレッキ軽騎兵は方々からの情報を収集し、長たるベルナールへと新鮮な情報を伝達していく。


有翼騎兵(フッサリア)の消息について何か情報は?」


 速歩(キャンター)の速度を落とさずに、ベルナールが伝令メモの内容を速読する。


「消息不明です。敵砲陣地から離脱した形跡も無いとの事」


「……両雄相討、か」


 ベルナールはメモを丁重に折り畳み、それを内ポケットの奥深くへ仕舞い込んだ。


「その情報は秘する事。敵砲陣地の沈黙のみを味方へ伝えるように」


「承知致しました!」


 伝令は馬首を返し、西側へと走り去っていった。


「あのオルジフが、あろうことか砲兵と相討ちするとはな」


 ベルナールは彼らが消えていった小丘へと、二角帽を左右へ振った。


「その武勇を有らん限りに轟かせた英雄も、時代の波には逆らえんか――」


「前方に敵戦列!方陣で待ち構えております!」


 感傷に浸る間も無く、前方から敵目視の報が飛ぶ。


「硝煙のせいで視界が悪い!目視した者は距離と数を知らせ!」


 西では総勢二万を数える戦列歩兵達が互いに射撃戦を実施しているのだ。二万発の硝煙が三十秒おきに吹き上がるこの戦場において、硝煙の霧に侵されていない場所など殆どない。


「距離は五百!数はおよそ二千!複数の中隊方陣をもって街道上に立ち塞がっております!」


 目が効くローヴィレッキ軽騎兵の一人が鎧の上で仁王立ちの姿勢になりながら敵情を報告する。


「おおよそ一個連隊か!であれば我ら重装騎兵の正面突撃をもって突き崩して見せよう!」


 ベルナールの隣では、報告を聞いたブランシャールが直剣を振り回しながら吠えている。


「一個連隊の方陣如きが如何なる物ぞ!先の戦闘で我々は二個連隊を殲滅したのだ!敵は半数!我らは同数!勝つべくして勝つ戦いに他ならん!」


 ベルナールに続いて、配下の重装騎兵から雄叫びと鬨の声が上がる。

 先程のオーランド歩兵戦列撃破、そして彼らが辛酸を舐め続ける原因となった敵砲兵の沈黙。最早自分達を阻む物は何も無いと、今も昔も我らこそが戦場の主役だと、そう言わんばかりである。


「我らローヴィレッキ軽騎兵もブランシャール中佐に続け!我らの俊足をもってすれば勝機に追いつく事も容易かろう!」


 ブランシャール程では無いが、ベルナールも優勢を前にした熱気に心を浮かされていた。


「衝力は重装騎兵の専売特許では無い事を、奴らオーランド兵共に教えてやろうではないか!」


 戦列歩兵の士気高さは忍耐力に直結し、騎兵の士気高さは衝力に直結する。士気を防御力に変換する戦列歩兵とは違い、騎兵は士気を攻撃力に変換できるのだ。


襲歩(ギャロップ)!」


 彼我の距離五百を切った時点で、ノール騎兵軍が最終突撃の態勢に入る。三角形の、敵を鋭く貫かんとする穂先の一部へと、我が身を変貌させる。


「三百!」


 三百メートルを切った所でようやく硝煙が切れ、敵の様相が露わになる。


「敵の旗色は!?部隊数と部隊名を同定せよ!」


「敵は二部隊混成の模様!一部隊は南部辺境伯義勇軍!もう一部隊は……不詳!敵連隊旗、旗面の殆どを消失しており同定が困難です!」


 部隊情報を掌握している筈のノール武官が諦める程に、その連隊旗は摩耗していた。


「二百!」


 騎兵突撃の衝力をいなす為、菱形様に角度を付けた方陣達から、横一閃の輝きと白煙が吹き上がる。一度は鮮明に見えたボロボロの連隊旗が、再び硝煙のカーテンの彼方へと滲んで消え行く。


「進路そのまま!」


 幾つもの風切り音を凌ぎながら、数多ある方陣の一つへとサーベルの切っ先を向ける。


「敵が用意した空間へ馬を走らせるな!全騎一丸となって、方陣を一つずつ潰せ!」


「百!」


 オーランド方陣最前列の兵士が膝を付き、方陣の第二列が発砲する。


「第二小隊長戦死!先任が引き継げ!」

「第三中隊長落馬!第二中隊長が指揮掌握する!」

「第一、第三、第五小隊を集成!第六中隊として第一大隊長の指揮に入れ!」


 敵との距離が縮まるにつれ、徐々に無視できぬ被害がノール騎兵側に広がっていく。しかし襲歩の勢いも、隊列も乱す事はなく、指揮権が次々に委譲されて行く。


「部隊名判明!今一つの部隊はパルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊!」


 武官が、敵方陣中央ではためいていたボロボロの連隊旗を指差して叫んだ。


「古強者の民兵共か!相手にとって不足無し!」


「五十!」


「抜刀!」


 ノール騎兵達の抜刀と同時に、オーランド方陣の第三列が発砲した。サーベルを、直剣を、抜刀しながら地面へと倒れ込むノール騎兵達。


騎兵突撃に(Charge for)備えよ(horse)!」

 

 パルマ会戦の時と同じように、オーランド兵達は銃床を地面へ押し当てて槍衾を形成する。


突撃(Charrrrge)!!」


 ダイヤモンドのように敷き詰められた方陣の一角に、軽重混合騎兵軍の穂先が突き刺さる。軍馬の突撃を正面から受けた歩兵は、まるでボロ雑巾の様に吹き飛ばされ、泥濘へと叩きつけられた。

 続く第二列、第三列も、精々軍馬に吹き飛ばされる距離が短くなった程度の違いしかなく、誰も彼もが晩秋の木の葉の様に宙を舞った。


「衝力を落とすな!次の方陣へ喰らい付け!」


 ブランシャールの怒声にも似た号令が、なし崩しに白兵戦へと移行しかけた騎兵達の目を覚ます。

 方陣内において足を止めた騎兵に、刺し殺される以外の末路は無い。常に動き続ける事が何よりも重要である。

 初めに食い破った方陣をそのまま縦に貫通しつつ、続く二つ目の方陣へと突進するノール騎兵達。目指す二つ目の方陣からも、そして隣接するように配された方陣からも、容赦無く突撃阻止射撃が彼らに向かって飛んでくる。


「絶対に足を止めるな!此処を抜ければ勝利は目の前だ!」


「一騎で二人を屠れば快勝出来うる戦力差ぞ!なんの事は無い!普段通りに蹂躙せよ!」


 マスケットの十字砲火による熱烈な歓迎を受けながらも、ベルナールとブランシャールはその衝力を衰えさせる事無く、二つ目、三つ目、四つ目と、次々に方陣を食い破っていく。

 通常、折り重なるようにして配置された方陣へと放り込まれた騎兵は、方陣への突撃を避け、結果として奥へ奥へと進んでしまう。その過程で騎兵達はバラバラとなり、衝力を失い、各個撃破されてしまうのだ。

 しかしノール騎兵達は断固として隊列を乱さず、虱潰しのように方陣を一つ一つ潰して回ったのである。方陣の対抗戦術として、これ以上無い模範的な機動を成し遂げたのである。

 そして五つ目の方陣を食い破った後、二人の眼前に残されたのは、五列横隊で待ち構えるパルマ・リヴァン歩兵戦列の最終防衛線のみとなった。


「みな見えるか!?あれが勝利と敗北の境界線だ!あの青き線を貫いた者だけが勝利を掴むのだ!進め(Mars)進め(Mars)!」


 その規模を半数へと減らしつつも、突撃前に組み上げた三角隊形は未だ健在である。最先鋒を重装騎兵が務め、中段から後方にかけてを軽騎兵が務める。その陣容は皮肉にも、リヴァン市退却時のオーランド連邦軍と酷似していた。


「……!?か、閣下!敵戦列の後方です!後方をご覧下さい!」


「ええい!今度は何か……!?」


 重装騎兵が指差した方向へと、ブランシャールが単眼橋を指向させる。

 パルマ歩兵が着る群青色のコートジャケットと、リヴァン歩兵が着る薄水色のコートジャケット。二色がまだら模様に混じり合い、さながら波立つ大海原のような景色を描き出している彼らの、更に奥から。

 まるで波に乗るように、同じく群青の肋骨服に身を包んだ騎兵達が、その姿を表したのである。


「……オーランド騎兵共かッ!奴ら戻ってきおったな!?」


 古い神話のように大海原が割れ、開けた道を騎兵達が押し通る。三角形を模した密集陣形で突撃するノール騎兵達とは違い、オーランド騎兵は一枚の壁のような、薄い横隊陣形のまま突撃を敢行する。


「ノール騎兵よ!この大海原に出たくば、我ら群青の津波が織りなす波濤を乗り越えて見せよ!」


 自身の豪著な肋骨服を見せつけながら、コリードンバーグ伯が横隊の中心地で叫ぶ。まるで帆船の船首にあしらわれた金の彫像のようである。


「……ベルナール!我らノール重装騎兵第一連隊が痩せ馬共を引き受ける!貴様は脇をすり抜けて歩兵戦列へ突撃しろ!」


 ブランシャールが発した命令に、ベルナールは一瞬目を丸くした。


「……承知した!中佐殿、武運長久をお祈り申す!」


 敬礼と共に、いつもの自信に満ち溢れた表情へ戻すと、ベルナールは配下のローヴィレッキ軽騎兵達へと手を振って合図を下す。一つの三角形が上下で分離し、驚くべき速さで二つの小さな三角形へと変貌していく。ブランシャール率いる一つ目の三角形は速度を増しながら直進し、ベルナール率いる二つ目の三角形は速度を落としながら迂回の機動を取った。


「「突撃(Charrrge)!!」」


 前に突き出した直剣が、腹部を抜けて背中まで貫通する。

 すれ違いざまに振り抜いたサーベルが、首を、腕を、足を切断する。

 胸甲を纏うノール重騎兵は持久戦による粘り勝ちを、上着(プリス)を纏うオーランド軽騎兵は速攻による短期決戦を狙う。

 通常、騎兵白兵戦であれば重装騎兵に軍配が上がる。しかし方陣突破の為にその兵力を消耗したノール重騎兵と、ここまで兵力を温存してきたオーランド騎兵とでは、並々ならぬ兵力差が生じていた。

 やがて、オーランド騎兵側は数的優勢を活かした二体一の構図を各所に作り出し、ノール重騎兵を圧倒し始めたのである。


「余の名はタジ・サール・キャボット!お相手仕る!」


「名乗り口上を知る者がオーランドにも居るとはなぁ!良いだろう!このブランシャール・ド・フジュロルが受けて立つ!努々光栄に思え!」


 お互いに目立つ軍服を身に纏った二人が、サーベルと直剣で火花を散らしながら切り結ぶ。


「ふむ!流石は重装騎兵第一連隊長殿ですな!太刀筋が見目麗しい!」


「ふははは!ようやく剣の話が分かる者と出会えて我は満足なり!」


 片腕を不具にしながらも、コリードンバーグ伯と互角以上に切り結んで行くブランシャール。その表情は、今までに見た事も無い程に晴れ晴れとしていた。

 己の胸甲よりも厚い矜持を持ったノール重騎兵達にとって、此度の戦役はまこと散々な物であった。

 砲兵からは散弾をお見舞いされ、騎兵からは目眩しを喰らい、猟兵からは狙撃され。

 オーランド側の戦術により、今までまともな騎兵戦すらさせて貰えなかったのだ。なれば、ようやっと正々堂々戦える喜びを彼が噛み締めるのも無理は無い。


「オーランドにも素晴らしい騎士が居る事を知ったぞ!これは祖国の同胞達に是非伝えねば――」


「黙れ、侵略者風情が」


 だがオーランド側としては、()()()()()に付き合う道理など無いのだ。


「な、おっぐぉ……!?」


 自分の腹から突き出た血塗れのサーベルを、ブランシャールは絶望的な眼差しで見つめる。


「我らのパルマを……生まれ故郷を灰にする原因を作った下郎が、よくもそんな譫言を吐けるものだな」


 胸甲の隙間を縫って、ブランシャールの背中へと突き立てられたサーベルを、フレデリカは渾身の怨嗟と共に引き抜いた。


「ぐ、お……!剣戟の最中ぞ……!?は……背後から切りつけるとは、卑怯な……!」


「何が卑怯か。事後宣戦布告などという卑怯の極みを繰り出してきた貴様ら外道共に、卑怯などと言われる筋合いなど無い」


 フレデリカは、地面へと倒れ込んだブランシャールへ唾を吐くと、息も絶え絶えな彼の喉元にサーベルの切先を突き立てた。


「あの世で詫びろ。詫び終わるまで地獄の業火に焼かれ続けるが良い」


「――!!」


 なんの迷いも無く、フレデリカは彼の喉笛を引き裂いた。



「ブランシャール中佐殿が切り開いて下さった道だ!必ず活かすぞ!」


 ノール重騎兵とオーランド軽騎兵の白兵戦を尻目に、群青の波濤をいなしたベルナールがオーランド戦列に迫る。


射撃用意(Make ready)!ここで絶対に止めろ!一歩退けば家族が一人死ぬと思え!」


 五列横隊のオーランド戦列が、悲壮な決意と共にマスケット銃を構える。


第一列(1st Rank)狙え(Take aim)!」


「「狙え(Take aim)!」」


 それは号令復唱と言うよりも、神への祈りに近かった。


(Fi)――」


 その祈りが天に届いた。

 そう形容する他無いタイミングで、リトル・ラウンド・トップから砲声が響いた。

 一方から見れば慣れ親しんだ、もう一方から見れば心に刻みつけられた、あの砲声が響いたのだ。


「擲弾、飛来――!」


 砲声こそ慣れ親しんだ物だったが、飛来した弾丸はまるで馴染みの無い物だった。いやむしろ、弾丸と呼んで良いものなのか、それすら疑問だった。


「――ぐわぁっ!?」


 ローヴィレッキ軽騎兵の喉を切り裂いたのは、丸弾でもなく、榴弾の破片でもなく、葡萄弾の子弾でもなかった。

 それは食卓でよく見かける、真鍮製のナイフだった。


「な、なんだコレは――!?」


 彼らに襲いかかったのはナイフだけではない。

 フォーク。ノコギリの破片。真鍮のボタン。スプーン。小石。

 雑貨弾とでも形容すべき散弾が、ローヴィレッキ軽騎兵達を貫いたのだ。


「み、味方砲兵の援護だ……」


 ローヴィレッキ軽騎兵が錯乱状態に陥るのと同時に、パルマ・リヴァン戦列の士気が一気に最高潮へと達した。

 

「――突撃(Ready for)用意(Charge)!」


 時刻にして正午。

 氷上渡河攻勢開始から数えて六時間。

 両軍将兵の間を、一言一句同じ内容の言葉が駆け巡った。


『オーランド砲兵は、未だ健在なり』


【パンテルス会戦:戦況図⑫】

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 次も楽しみにしています。 [一言] 戦場の女神ですねぇ
[一言] うぉぉぉ、フレデリカちゃん辛辣ですね~ 練度はともかく、パルマとリヴァンの兵士の士気はもはやナポレオンの古参近衛隊並みでは? そして最後の砲撃。弾薬庫が爆破されてもゴミでさえ弾として使う…
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