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第八十一話:機動旅団、東へ(後編)

「陣形を維持せよ!衝力を失ってはならんぞ!差し違えてでも騎馬砲兵を討ち取れ!」


 ノール重騎兵も、たった一度の砲撃で瓦解するほど駄弱ではない。

 瓦解した梯団と無傷の梯団を瞬時に組み替え、速力と衝力の双方を維持したまま突進を敢行する。


葡萄弾(Grapeshot)再装填(Reload)!」


再装填(Reload)!」


 そして対峙するオーランド砲兵もまた、怯まぬ重騎兵に恐慌する程脆弱でも無いのだ。


射撃待て(Hold)!わたくしの号令を待ちなさい!」


 後方から猛スピードで迫るフレデリカの部隊と、前方から疾風怒濤の勢いで迫るノール重騎兵を、エリザベスが交互に見やる。

 敵に葡萄弾を最大威力で叩き込むには、散弾同様、敵を限界まで敵を引き付ける必要がある。しかし引き付け過ぎれば、自分達を援護しにきたパルマ軽騎兵まで葡萄弾の餌食になってしまう。第二次パルマ会戦の二の舞いは御免だ。

 

射撃待て(Hold)!」


 決して射撃を急いてはならない、敵の衝力を削げないからだ。

 決して射撃を臆してはならない、味方を巻き込んでしまうからだ。

 一瞬でも目を瞑れば、音もなく過ぎ去ってしまうであろう微小なタイミングを、エリザベスは必死で見極めんとしていた。


射撃待て(Hold)!」


 ノール重騎兵との距離が更に縮まり、一人一人の顔や軍服の装飾までもがはっきりと判別できる様になる。


射撃待て(Hold)!」


 ついに、敵騎兵の黒目がはっきりと見えた。


撃てェ(Fire)!」


 自身の号令から寸毫の間も置かず、全砲門が火を吹いた。

 砲口から発せられた爆風が、エリザベスの銀髪を後ろへ靡かせる。


「見事だ砲兵令嬢(カノンレディ)!我が戦友よ!」


 自身の真隣を、フレデリカが一陣の風となって走り抜けた。一時後ろに靡いた髪が、今度は勢いよく前へと靡く。


「我が戦友は成した!ならば次は我らが成す番だ!」


 フレデリカに続いて、その速度を全く殺す事なく、パルマ騎兵達が次々に砲列の合間を駆け抜けていく。


「ほ、砲列の隙間を縫って突撃だと――!?」


 葡萄弾が直撃し、ノール重騎兵の陣形が再び大きく乱れる。

 葡萄弾が切り開いた重騎兵隊列の隙間へと、馬体を捩じ込む様にして斬り込んでいくパルマ軽騎兵。

 亀裂に水が染み込んで行くかの如く、灰色の中を群青色が荒らし回る。ひとたび密集陣形の内部に食い込まれた騎兵は、甚だ脆弱である。あまつさえそれが二度に亘る葡萄弾の直射を受けた重騎兵部隊であるならば、何をいわんやである。

 一時、美しき灰の一枚布と化していたノール重騎兵部隊は、十分と経たずバラバラに引き裂かれた。残った布の切れ端部分も、忽ちパルマ軽騎兵に追い立てられ、戦場の露と消え去った。


「……ぜ、全軍突撃!あの騎馬砲兵を生かして返すな!」


「ノール重騎兵の仇を取れ!砲兵令嬢(カノンレディ)を討ち取れば勲章物ぞ!」


 重騎兵突撃の失敗を察知した帝国戦列歩兵第三連隊長と同第五連隊長が、その全軍を以ってオーランド砲列目掛けて前進を開始する。


「敵が動いたね」


「そうですわね」


 ディースカウとエリザベスが、同時にエドガーを一瞥した。


「……御二方とも、ご明察!」


 彼は大きく腕を振り、味方戦列で待機していた騎兵へと合図を出す。すると合図を受けた騎兵がまた大きく腕を振り、リレー形式で合図が東へ東へと伝わっていく。


「エリザベス・カノンレディ・カロネード殿!貴殿のご活躍、このタジ=サール・キャボットが確かに見届けましたぞ!」

 

 その合図の終着点、第一騎兵連隊の先頭に立つコリードンバーグ伯が、サーベルを振り下ろす。

 敵が他目標に向けて移動している今この瞬間こそが、絶好の騎兵突撃タイミングなのだ。

 コリードンバーグ伯を先頭に、黒き騎兵の波が波濤となってノール軍戦列へと迫る。七百にも及ぶ大量の騎馬が疾駆し、地面の雪が大量に空中へと舞い上がる。

 エリザベス達から見れば、さながら意思を持った雪崩のようだ。


「ノール重騎兵の残存部隊が分離しました!我らと対峙するつもりの様です!」


 味方戦列へと迫る黒白の雪崩を食い止めようと、残存のノール重騎兵がコリードンバーグ伯の前に立ちはだかる。


「その意気や良し!」


 不敵な笑みを浮かべつつ、コリードンバーグ伯がサーベルを左右にゆっくりと薙ぎ払う。

 徐々に彼の率いる騎兵部隊の隊形が、縦長から横長のそれへと変貌していく。


「しかしてこの第一騎兵連隊の暴風が!貴様ら重騎兵を一切の慈悲無く飲み込んでくれようぞ!」


 ノール重騎兵全体を包み込むように、大きく横へ広がった隊形で突撃して行く第一騎兵連隊。

 胸甲騎兵がどれだけ白兵戦に優れていようとも、二百に満たぬ兵力で七百の騎兵を受け止められる訳が無い。

 彼らはそのまま濁流と波濤に飲み込まれ、第一騎兵連隊の青と混ざり合い、終には泡沫となって消えた。


余徳(よとく)頼りの坊々(ぼんぼん)かと思いきや、中々に良く動かすものだね」


 ノール軍歩兵戦列の側背面へと突撃していく第一騎兵連隊を眺めながら、浩然とディースカウが言い放った。


「変ではありますけども、優秀な御仁である事は保証しますわよ」


 エリザベスが前車に腰掛けながら応える。

 第一騎兵連隊の突撃を許した時点で、あるいはノール重騎兵による砲列の蹂躙が失敗した時点で、既に大勢は決していた。

 騎兵の脅威が消え去った今、オーランド戦列歩兵達は最後の一押しを成し遂げようと前進を開始している。即背面から騎兵突撃を受けているノール戦列の息の根を止めるには、十分過ぎる戦力だろう。


「カロネード中尉!」


 前方からフレデリカ率いるパルマ軽騎兵が戻って来た。


「見事な砲撃だったぞ。ひょっとしたら我々の援護すら要らなかったのかもしれん」


「いえいえ、ランチェスター少佐殿の援護があると確信していたからこそ、我ら砲兵は前だけを見る事が出来たのですわ」


 砲口清掃が完了した大砲と、自身が腰掛けていた前車との連結を完了させたエリザベスは、馬上で右手を差し出してきたフレデリカと硬い握手を交わした。


「つい先程、コロンフィラ伯閣下より新たな任務を授かってね。このまま東部パンテルス川を渡河し、対岸に築かれた敵榴弾砲陣地を制圧するように言われたよ」


 フレデリカが、凍ったパンテルス川の先に佇む丘を指差す。オーランドの砲兵陣地がエルヴェット橋南部の丘に築かれているように、ノールの砲兵陣地はエルヴェット橋北部の丘に築かれているようだ。


「我々騎馬砲兵は氷上を渡れませんわ。ランチェスター少佐の部隊だけで任務を遂行するんですの?」


「我々とコリードンバーグ伯閣下の二部隊で実行する。砲兵令嬢(カノンレディ)とはここで一旦お別れだ」


 フレデリカは、鍾愛の籠もった手振りをエリザベスへと送る。

 まるで年の離れた妹へと送るように。


「承知しましたわ……どうかご武運を」


 対するエリザベスも、欽慕の念を込めて彼女の背中を見送った。

 まるで年の離れた姉へと送るように。


「騎兵指揮官と仲が良いのは何よりだね。騎馬砲の活躍には、騎兵との協同が必要不可欠だ」


 二人のやり取りを遠巻きに見守っていたディースカウが、いつもの笑顔を貼り付けながら近付いてきた。

 エリザベスも良い加減、この仮面のような笑顔に慣れつつあった。

 単純に薄気味悪いのは事実であるし、彼の行き過ぎた功利主義的価値観とは相容れない事も頭では理解していた。しかし貼り付けた仮面の裏にどのような本性が潜んでいようと、自分に危害を加えるつもりが無いのであれば、特段心を割く必要は無いと判断したのだ。


「前進配備された砲兵の直射によって敵戦列を崩し、すかさず発生した亀裂へと味方騎兵を突入させる……騎兵指揮官との強固な信頼関係無しには提案出来ない戦術だ」


 彼は自分の中で納得するように、大きく二度頷いた。


「良き戦術の為に、良き信頼関係を築く。やはりエリザベス君は良い指揮官になれるだろう」


 彼は褒めている対象に目を向ける事は無く、遠目に戦況を観察していた。丁度ノール帝国軍戦列の方陣が、コリードンバーグ伯の騎兵によって食い破られている最中だった。食パンにカビが広がっていくのと同じ様に、敵戦列が徐々に黒ずみ、瓦解していく。


「……ありがとうございますわ」


 良き信頼関係とは、良き戦術の為にある。

 彼の目には、自分が打算的な理由でフレデリカと仲良くしている様に映っているのだろう。

 出世の為。軍内政治の為。より良い戦術の為。その他損得勘定を背景とした極めて利己的な理由で、フレデリカと自分は付き合っているのだろうと、彼は見なしているのだ。


「おぉ、旗が揚がったね」


 俯き加減に考え込んでいた顔を前に向けると、完全包囲されたノール戦列の中から、力無くヒョロヒョロと白旗が上っていくのが見えた。


「ノール軍を降伏に追い込んでやったぞ!」

「この戦争が始まって以来の快挙だ!」

「軍国に白旗を上げさせてやったぞ!」


 白旗が掲げられるなり、周りの騎馬砲兵達から咆哮が上がった。導火棹を天へと掲げ、三角帽を空へ投げ、装填棒を振り回しながら戦友と抱き合う。

 東部戦線のノール軍という、あくまで敵の一部が降伏したに過ぎないが、ここで水を差すのは無粋である。戦勝の熱気に包まれた砲兵陣地の外縁で、エリザベスも小さく手を叩いて祝福した。


「エリザベス君。此度の戦い、敵の失策は何処にあったと思う?」


 エリザベス同様、熱気の外にいるディースカウが彼女に問題を投げつけた。


「前進配置された砲兵に釣られて、重騎兵を二分したのが失策でしょうね。先ずは重騎兵全軍でコリードンバーグ伯の騎兵に当たるべきでしたわ」


 事後評価も甚だしいと、エリザベスは苦笑混じりに話した。

 

「そうだね、僕も同意見だ」


 ディースカウの目が、僅かに開かれる。


「しかし騎兵戦の決着が着くまで、戦列は砲撃に晒され続ける事になる。この被害は許容できるかい?」


「出来ますわ、勝利の為には必要な損害ですわ」


「被害を被る戦列の中に、先のランチェスター少佐や君の妹が居たとしても、許容できるかい?」


 その質問が飛び出してきた瞬間、エリザベスは厭悪に満ちた顔で彼を睨みつけた。


「わたくしにどう答えて欲しいんですの?それとも苦悩する姿を見て楽しむおつもり?」


 この男は、初めからこの質問に持って行きたかったのだろう。

 親しい人間と、赤の他人を同じ一人の人間として扱えるかどうか。指揮官としての適性を見る為に自分を試したかったのだろう。


「赤の他人と親しい間柄とで、命の重みが異なるのは当然ですわ。これ以上、その質問に対する答えは持ち合わせて居ませんわ」


「……元商人と言うからには、功利主義的な考えを持ってると踏んでいたが……残念だね」


 ディースカウが、心底惜しいといった表情で首を横に振る。

 初めて、彼の仮面の下が見えた気がした。


「わたくしは商人のそういう考え方が嫌いで今此処にいますの。ご意向に添えずごめんあそばせ?」


 普通の人間相手であれば『貴方が同じ選択を迫られたら?』と問う事で、幾らか建設的な議論も出来た事だろう。

 しかし眼前のディースカウという男は、怪物だ。

 

 彼は親兄弟の誰が犠牲になろうと、何の躊躇いもなく作戦を実行するだろう。

 対して自分は、散々迷った挙句に、第三の道を探そうとするのだろう。

 紛れも無く、彼の方が指揮官としては優秀だ。


「いやいや、君が謝る必要は無いよ」


 瞼から僅かに瞳をのぞかせる彼の目付きが、父のそれと重なる。

 彼の価値観は、父に似ている。

 戦果の最大化と利益の最大化を同じ意味として捉え、個人を見ずに、軍全体の利益となるような指揮を行う事を、期待されているのだろう。


「これからの、君の成長に期待だね」


 しかしどうしても。

 私はまだ人間でありたいのだ。



【パンテルス川東部迎撃戦:戦果】


―オーランド連邦軍―


南部辺境伯義勇軍:599名→580名

パルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊:1202名→1136名

連邦第一騎兵連隊:700騎→624騎

パルマ軽騎兵中隊:92騎→84騎

連邦騎馬砲兵中隊:6門→6門


死傷者数:169名


―ノール帝国軍―


帝国戦列歩兵第三連隊:870名→0名(降伏)

帝国戦列歩兵第五連隊:1260名→0名(降伏)

帝国重装騎兵第二連隊:567騎→0名(降伏)

帝国榴弾砲兵大隊:6門→6門


死傷者数:2697名



【パンテルス会戦:戦況図⑥】

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 次も楽しみにしています。 [一言] 東の敵を撃滅したことで、縦深を確保?包囲の危険は排除できましたね 西の戦況が気になりますねぇ
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