第八十話:機動旅団、東へ(中編)
パンテルス川東部戦線。
そこには、過日同様に戦列を組む二個歩兵連隊の姿と、過日同様、彼ら目掛けてジリジリと距離を詰めるノール帝国軍戦列の姿があった。
オーランド戦列は既に射撃準備を整えており、その筒先を白蛇の群れへと向けている。
「また前回みたいに逃げ出す準備は出来たか?」
パルマ・リヴァン戦列の左端を担う兵士が、南部辺境伯義勇軍戦列の右端を担う兵士へと軽口を飛ばす。
「三度目の正直だ、今度は逃げねぇ」
「二度ある事は三度あるって話聞いた事ねぇのかよ?」
お互いに銃を前に構えている為、目線と声だけで応酬を交わしていく。
「死なないように祈るんなら今のうちだぞ」
「あいにく、俺の両手は祈るようには出来てねぇ。銃を構えるように出来てんだ」
皮肉と嫌味が連隊越しに幾度も飛び交う。悪友同士がじゃれ合うような、小気味良いやり取りが寸時続いた。
しかし、ノール戦列の背後から重装騎兵連隊がその姿を表すと、彼らの表情から余裕の笑みは消え去った。
「……敵に騎兵が居るなんて聞いてねぇぞ」
「お、俺だって聞いてねぇよ」
彼らの構える筒先が小刻みに震えだす。足元からジワジワと、疲労と恐怖が這い上がってくる。
ノール重装騎兵の纏う胸甲が持つ役割は、なにも防御だけではない。着用者の心から慄然を取り払い、相手へ恐怖を押し付ける。
威圧という、ある面では防御よりも重要な役割を担っているのだ。
「……」
重装騎兵の霊気に気圧され、軽口すら出せなくなっていく兵士達。
足元から這い上がる恐怖が、彼らの喉元にまで差し掛かった頃。
「味方騎兵だ!援軍だぞ!」
戦列最後尾の兵士が背後を指差しながら叫んだ。
「我ら第一騎兵連隊は東へ!ランチェスター少佐率いるパルマ軽騎兵は西へ!作戦通り、味方戦列の側面を援護しますぞ!」
一瀉千里の勢いで急行する機動旅団が、満を持してその姿を現したのである。
「ディースカウ大尉の騎馬砲兵は前進配備!戦列歩兵の前方三百メートル地点にて砲列を敷くように!」
コリードンバーグ伯が左右にサーベルを振ると、機動軍はまるで竹を割くかの如くに左右二手へ分かれた。
「見ろ!パルマ軽騎兵だ!」
「それだけじゃない!砲兵令嬢の騎馬砲兵部隊もいるぞ!」
兵士達は前に構えていた銃を天に突き上げ、戦列の左端を駆け抜けていくエリザベス達に歓呼の声を送った。
彼らの脇を通り過ぎ行く間、エリザベスは自身の三角帽子を頭上高くに掲げた。
英雄としての立ち振る舞いを、彼女なりに考え、実践してみた結果である。
「砲兵令嬢!貴女と三度共に戦う事ができて光栄だ!」
「砲兵令嬢の御前だ!何が何でも耐え抜くぞ!」
鹿毛や青鹿毛といった乗馬に跨る騎馬砲兵達の中において、巨大な芦毛の重輓馬に跨るエリザベスは非常に良く目立つ。ともすれば帽子を掲げるだけで、あの砲兵令嬢が来たと周りにアピール出来るのだ。
戦列を通り過ぎた後も、戦列歩兵の兵士たちは帽子を振ってエリザベス達を見送っていた。中には戦列を離れてまで声援を送ろうとする兵士達も現れ、小隊指揮官が槍を以て統制へと乗り出す始末になる大隊も居た。
「ディースカウ大尉!カロネード中尉!」
自分と上官を呼ぶ声に振り返ってみると、第一騎兵連隊から一騎が分離し、手を振りながらエリザベス達の元へと駆けてくるのが見えた。
「第一騎兵連隊所属のエドガー・ストックウェル中尉です!コリードンバーグ伯閣下より直々に派遣されて参りました!」
何処かで見聞きした憶えのある青年騎兵士官が、コリードンバーグ伯の命令書を見せながら二人の前へ躍り出る。
「ディースカウ大尉殿。つきましては、貴隊の展開地点は本官が指示します。三部隊協同を実現する為、どうかご容赦の程を!」
「構わないよ。我々を上手く使ってくれたまえ」
エリザベスの隣で、ディースカウがひらひらと手を振る。
「そしてエリザベス・カロネード中尉。同期のオズワルドから活躍の程は聞いている。君の手腕を部隊の内側から拝見できる事、大変うれしく思う」
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ。オズワルドからは、平民の出自ながら騎兵士官へと成り上がった大変志高い方だと聞いておりますわ」
オズワルドの同期という発言で、ようやっとエリザベスの記憶が繋がる。パンテルスへの行軍中に、オズワルドと話していた青年だ。
「覚え良くなにより!」
赤毛の青年は、敬礼と共に進行先を指し示した。
「貴隊は当初の計画通り、現地点より二百メートルほど前進、しかるのちに砲を展開して頂きたく!」
「平地に砲を置くのは不安だが、背に腹は代えられないね。砲兵各員、砲撃地点到達間もなく!砲展開用意!」
不安だとはこれっぽっちも思っていない表情で、ディースカウは砲展開準備命令を出した。
「砲展開地点到達!」
「奇数小隊は右へ!偶数小隊は左へ展開せよ!」
「砲列を揃えろ!前車切り離せ!急げ!」
早駆けの勢いを殺さず、地面へ滑り込むようにして砲兵達が下馬していく。地面の霜を足で踏み割り、姿を見せた土に杭を打ち込み、左腕に巻き付けた手綱を杭に結び付ける。
「目標三百!障害無し!直射用意!」
砲を前進配備することによる利点。その一つが、味方戦列により射線を遮られる事が無い点である。
パルマの際も、リヴァンの際も、そして本パンテルス会戦の際も、砲兵陣地は小高い丘の上に築かれてきた。砲兵がそのような高所を好むのは、戦況の把握を容易にする為だけでなく、前線を行く味方戦列に射線を遮られないようにする為でもある。
その点、歩兵戦列よりも前に砲を配備すれば、彼らの射界を遮る物は何も無くなる。平地であろうと何処であろうと、砲列の展開が可能となるのだ。
「敵重騎兵の一団が本隊から分離しました!こちらへ向かっております!」
「放っておけ!敵が何してこようと騎兵が守ってくれる!敵の方見てるヒマあったら葡萄弾持って来い!」
砲兵小隊長から矢の催促を受け、砲兵卒が慌てて前車から葡萄弾を取り出す。
親指大の子弾を布で包む事によって作られたそれは、なるほど九個の実を付けた一房の葡萄に見える。あるいは、散弾の親分と言った所だろうか。
「……分離した敵重騎兵は、約二百か」
騎馬砲兵の後方三百メートル。味方戦列の左翼地点で待機していたフレデリカが、白い息と共に呟いた。
「やはり、ノール重騎兵は勲功を得ようと躍起になっている。コリードンバーグ伯の仰る通り、敵の足並みを崩すとするなら、先ずは重騎兵からだろうな」
砲兵の前進配備に釣られて突出した敵重騎兵を、パルマ軽騎兵と砲兵の直射で粉砕する。
コリードンバーグ伯が提示した作戦内容は、有体に言えば囮作戦であった。
「少佐殿。敵重騎兵を釣り上げる為とはいえ、流石にもう少し騎馬砲兵に近付いておいた方がよろしいのでは……?」
クリスの代わりとして、新たに第一小隊長の任を受けた青年騎兵が、憂色を帯びた顔で尋ねる。
彼が述べた通り、前進配備された砲列は敵から見れば格好の標的である。歩兵の援護が間に合う位置に居る訳でもなく、攻め難い高所に位置している訳でもない。今回のように敵重騎兵が戦功を得ようと浮足立っているのであれば、尚更である。
確かに囮と言えば聞こえは良い。しかし囮役を担う砲兵達の視座から見れば、囮と孤立はほぼ同義である。味方の救援があると頭では理解していても、徐々に迫り来る敵重騎兵の圧力や、要害の無い平地に砲列を敷いているという不安が、囮の思考を鈍らせ、慄かせるのだ。
「少尉。新たに部隊長となった貴官へ、一つ教えてやろう」
しかれども。
囮役となる砲兵指揮官が、卓越した戦術眼を持っているのであれば。
援護をする騎兵指揮官が、縦横無尽に隷下の騎兵を操る指揮力を持っているのであれば。
そしてお互いの部隊間に、強固な信頼が存在しているのであれば。
「砲兵と我々は、幾度もの死線を共に潜り抜けてきた戦友同士だ」
先程挙げたリスクなど、取るに足らない物になるだろう。
「この三百メートルという距離は、我々が救えると確信した距離であり、彼らが救ってくれると確信してくれた距離でもある」
フレデリカが、群青と金のプリスを翻す。胸に佩用した飾緒が、冬の朝日を浴びて宝石のような輝きを放った。
「戦友が信じて託した距離だ。全速力を以て駆け付ける事以外に、我らがすべき事は無いだろう?」
彼女はにこやかに、そして何よりも誇らしげに、同意を求めた。
「葡萄弾!射撃用意!」
青年騎兵が発した恭順の声は、砲兵達の射撃号令によって掻き消された。
「射撃用意!」
ディースカウの射撃号令を受け、エリザベスが復唱する。隷下の砲兵達が号令を目視できる様、指揮棒に見立てた導火棹を空へと目一杯に伸ばす。
既に重騎兵との距離は、一騎一騎が目視で区別できる程にまで近づいていた。
「撃てェ!」
渾身の大声と共に導火棹を振り下ろす。隷下の砲兵達が自分の所作をなぞるようにして、導火棹を火門へと振り下ろした。
六門の砲口から、実り良い黒葡萄が放たれる。実を包んでいた布は発射早々に破れ、中から九つの子弾が次々に顔を出した。
計五十四個の子弾が、まるで雪ウサギのように雪原を駆け抜けて行く。
「中隊総員!突撃用意!」
葡萄弾の砲撃音を合図に、フレデリカがサーベルを引き抜いた。
「襲歩!」
突撃喇叭の音色を受け、隷下の全軽騎兵が抜刀、切先を敵へと向ける。
「突撃!」
パルマ軽騎兵中隊の突撃開始と同時に、葡萄弾がノール重騎兵達へと襲い掛かる。
葡萄弾の子弾は、散弾の子弾とは比較にならない程の大きさを誇る。騎兵一人を食い破った所で、その勢いを失う事は無い。
第一線で直剣を抜き散らしていた重騎兵に子弾が命中し、彼の左脚が鎧諸共食い千切られる。子弾は血と肉をその身にこびり付かせながら、続く第二線の重騎兵から右腕を捥ぎ取り、第三線の重騎兵の頭を吹き飛ばした。
たった一個でこの戦果を生み出せる子弾が、計五十四個も放たれたのだ。
第一線の重騎兵達が悉く摘み取られたのは、改めて言うまでも無い。




