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第七十九話:機動旅団、東へ(前編)

「砲を西に向けろ!退却してくる味方戦列を援護するぞ!」


 北向きに作られた堡塁(トラウト)の砲眼壁から、次々とカノン砲が引き剥がされていく。


「転回地点まで戻した砲から順次回頭させろ!テコ棒持って来い!」


 砲兵長の指示を受け、隷下の砲兵達が物干し竿のような長い棒を担ぎ出す。彼らはテコ棒と呼ばれたその竿を、砲脚に備え付けられた鉄の環へ通した。


「イチ、ニィの、サン!」


 三人一組で息を合わせ、文字通りテコの原理で砲尾を持ち上げる。砲尾が持ち上がった状態のカノン砲は、その見てくれに反して容易に転回可能である。どれだけ大型のカノン砲であれ、この特性は変わらない。

 六ポンドから十二ポンド、果ては榴弾砲に至るまで、皆一様にバレリーナの如き優雅な回転を披露して見せた。


「軍団長閣下、各砲の指向が完了しました。順次、西への退却支援砲撃を開始させます」


「上々の速さだランバート少佐、よくやった」


 コロンフィラ伯が両手に持った報告書を眺めながら答える。


「やはり、本陣をこの丘に移動させたのは正解だった。情報の鮮度が良い」


 彼は報告書に記載された時刻と、己が懐中時計の示す時刻とを交互に一瞥した。

 ノール帝国軍による氷上渡河攻勢の一報を受けたコロンフィラ伯は、西部戦線部隊への退却命令と同時に、すぐさま司令部機能の移転命令を下した。

 その移転先となったのが、エリザベス達が陣を構える砲兵陣地である。つまり、オーランド連邦軍は司令部機能を後方から前線へと置き直したのだ。

 前線に近い場所で指揮を行えば、より早く情報を伝える事ができ、より早く情報を得る事もできる。そういった、単純明快な理由が故であった。

 もっとも、態々司令部を移転させずとも、伝令役や連絡将校を増やす形で情報伝達時間を縮める事は可能である。しかしその手段は、士官定数を満たしている軍隊が取れる手段だ。

 慢性的な士官不足のオーランド連邦軍が情報伝達に掛かる時間を短縮する為には、軍団長自らが前線に赴く以外の選択肢は無かった。


「ランバート少佐、騎馬砲兵士官の二人を呼べ。話がある」


「承知致しました」


 入れ代わり立ち代わりで参上する伝令から、報告書を受け取りつつ、コロンフィラ伯は眼前のイーデンに命令を飛ばした。

 彼は数十秒ごとに届けられる戦況報告書の、その全てに目を通し、返答内容を口頭で伝えていた。彼の(そら)んじた言葉は一言一句、両隣で待機する筆記官三名の手によって文字に起こされ、伝令の手へと手渡されていく。

 三人掛かりで同一の内容を書き起こすのは、聞き漏らしや聞き間違い、書き間違いを防ぐ為である。それ程までに、総指揮官の命令は重要且つ絶対なのだ。


「軍団長閣下、ルッツ・フォン・ディースカウ大尉、並びにエリザベス・カロネード中尉でございます」


 イーデンの影を踏む位置取りで、騎馬砲兵士官の二人が姿を見せる。


「過日の東部渡河作戦の阻止、並びに先程の中央戦線渡河作戦の阻止……両々よくぞ成し遂げた。その貴様らの手腕と機動力を見込んで、一つ任務を下達する」


 折り畳み式の縁台に腰掛けたコロンフィラ伯が、足元の周辺地形盤へと指揮棒を向ける。


「東西両戦線での渡河を許した今、我が軍は東か西、どちらかに援軍を出さねばならん」


 詳解しつつ、彼は指揮棒の先端を丘の下へ向ける。丘陵下では、司令部の移転に伴って追従してきた連邦第一騎兵連隊と、パルマ軽騎兵中隊が屯していた。


「あそこの二部隊と貴様ら騎馬砲兵隊の計三個部隊を集成し、臨時機動旅団を編成する」


 彼が説明している間にも、続々と報告書を携えた伝令達が馳せ着けて来る。訓令が中断される度、コロンフィラ伯は小さな舌打ちを吐いた。


「臨時機動旅団の総指揮官は、第一騎兵連隊長のタジ=サール・キャボット少将だ。元商人のカロネード中尉には、コリードンバーグ伯と言った方が馴染み深いだろう」


 名前だけではピンと来なかった様子のエリザベスが、コリードンバーグの名に反応を示した。

 コリードンバーグは、コロンフィラから更に東へ進んだ所に位置する、オーランドの沿岸都市である。エリザベスを始めとする商人達が東の海を超えて貿易を行う際、必ず一度はお世話になる都市でもある。


「コリードンバーグ伯……あぁ、あの方ですわね……」


 コリードンバーグの単語がトリガーとなり、商人時代の記憶が想起される。どちらかと言えば、忘れたい側に属する記憶だった。


「おや、エリザベス君は会った事があるのかい?」


「ええ。ちょっとアレな御仁ですけども、有能な方ですわ」


「それは嬉しいね。僕は人見知り過ぎる所があるから、部下に顔見知りが居てくれると大変助かる」


 自分に会いたいから、という理由で海をも超えてきた人間が何を言うのか。エリザベスは彼の発言に惑乱の表情を浮かべる。

 

「……キャボット卿、並びにフェイゲン大佐とも商量を重ねた結果、臨時機動旅団は東部戦線の支援に向かう事が決定された」


「東部戦線の援軍に向かうという事は、西部戦線は捨てるという事ですね?」


 わざわざ口に出すのも気後れするような発言を、ディースカウは微笑と共に言ってのけた。


「随分と(あらた)かな物言いだな、気に入ったぞ」


 コロンフィラ伯は破顔一笑な面持ちのままに、周辺地形盤の左右端を指揮棒で交互に叩いた。


「貴様の言う通り、西部は捨てる。だがその代わりとして、東部での勝利を拾いに行く。それが結論だ」


 交互に叩いていた指揮棒を、東部戦線へピタリと差し向ける。


「東西両方へ援軍を出したとて、全戦線での優勢を取りに行ける訳がない。であるならば西を没却してでも、東で確固たる優勢を確保すべきだろう」


 述べ尽くした彼は指揮棒を翻し、両手に持った。


「先ずは一方で勝つ。話はそれからだ」


「軍団長閣下の御炯眼(ごけいがん)賛嘆(さんたん)の極みにございます」


 心からの喜びを露わにしながら、ディースカウは深々と礼を披露した。


「騎馬砲はあと何分で移動可能になる?」


「今直ぐにでも」


「ならば直ちにキャボット卿と合流せよ」


「承知致しました……騎馬砲兵各員は移動準備、丘陵下の騎兵連隊と合流する」


 微塵の難も見せる事無く、ディースカウは乗馬へ跨る。今すぐ出立と聞き及んだエリザベスが、慌てて砲兵陣地からパイパーを引き連れて来る。彼女がパイパーに跨り、書類を図嚢に突っ込み、三角帽子を深く被り直す頃には、既に丘下で待機する二部隊との合流が完了していた。


「冗談みたいに速いわねホント……!」


 エリザベスが、パイパーと共に丘を駆け下りて行く。


「あ、足場が悪い……!」


 昨晩とは打って変わって軟弱な地面が、幾度もパイパーの脚を執拗に捕らえる。

 日が昇り、気温が上昇するにつれ、砲兵陣地斜面に降りた霜が徐々に溶け始めている。既に辺りには幾つもの水溜りが発生しており、悪路に悪戦苦闘するエリザベスを嘲笑うかのようにキラキラと反射していた。


「おおエリザベス!エリザベス・カノンレディ・カロネード!あいも変わらず見目麗しい……!」


 ディースカウとフレデリカの二名と話し込んでいた青年貴族将校が、エリザベスの姿を見るなり急接近してきた。


「最後にお会いしたのは四年と三ヶ月前でしたかな!?エリザベス嬢のご活躍が耳に入って以来このタジ=サール・キャボット、貴殿にお会いできる日を一日千秋の思いで待ち望んでおりましたぞ!」


 貴族であるのにも関わらず、彼は自ら下馬してエリザベスの前に跪いた。


「少将殿、ありがとうございますわ。どうかお立ちになって?そのお美しいドルマンが汚れてしまいますわよ?」


「滅相もありません!エリザベス嬢のベルベットを思わせる滑らかな銀髪に比べれば、こんな服など炉端の小石に等しいのです!」


 布地を覆い尽くす程の金刺繍が施された肋骨服を、彼は躊躇無く泥濘に浸けて膝を折る。彼の肩越しでは色々と事情を察したディースカウとフレデリカが、生暖かい笑みでこちらを眺めていた。


「少将殿、わたくしは今貴方の指揮下におりますわ。美辞麗句の数々は謹んでお受け取りしますので、どうか指揮官として振る舞ってくださいまし」


「おぉなんと噂に違わぬ伶俐さ!相手を気遣う思慮深さ!すばらしい!」


 漸くコリードンバーグ伯が立ち上がり、恭しく腰を折って右手を差し出した。

 灰色のウィッグと顔に塗られた白粉(おしろい)、頬の付けボクロと薄い紅を差した唇。ラーダの王都で散々見かけた男性貴族のファッションだ。


「さぁさ聞きたまえ諸君!栄えあるコロンフィラ騎士団長殿から、まこと名誉ある任務を仰せつかりましたぞ……!」


 再度騎乗したコリードンバーグ伯が、大層大仰な言葉付きで命令を下していく。まるで歌劇やオペラの主役にでもなったかのような事々しさである。

 エリザベスは熱弁を振るう彼の脇をそそくさと通り抜けると、フレデリカの影に収まった。


「少将殿と知友の仲だとは思わなかったよ。流石は元商人、縁が広いね」


「別に友人じゃありませんわ。向こうが一方的に好意を寄せて来てるだけですわ」


 フレデリカの言葉に対し、エリザベスは首を横に振る。


「五年くらい前、コリードンバーグ伯に貿易の認可を取りに行ったのが発端ですわ。そこで謁見して以来、引見を願う文が毎月のように届くようになりましたわ」


「玉の輿じゃないか、どうして嫌がるんだい?」


 エリザベスは、先程よりも一層強く首を横に振った。


「優秀云々の話は置いても、五月蝿くてしつこい殿方は嫌いですの」


 不貞腐れたように彼から視線を逸らすエリザベスを、フレデリカは微笑と共に称えた。


「やはり君は、パルマ女伯閣下にそっくりだ」



【パンテルス川東部迎撃戦】


―オーランド連邦軍―


南部辺境伯義勇軍:599名

パルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊:1202名

連邦第一騎兵連隊:700騎

パルマ軽騎兵中隊:92騎

連邦騎馬砲兵中隊:6門


総兵力:2673名


―ノール帝国軍―


帝国戦列歩兵第三連隊:870名

帝国戦列歩兵第五連隊:1260名

帝国重装騎兵第二連隊:567騎

帝国榴弾砲兵大隊:6門

総兵力:2747名



【パンテルス会戦:戦況図⑤】

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 商量と事々しいは初めて聞きました! 面白い上に言葉の勉強にもなる素晴らしいお話ですわ!
[良い点] 更新ありがとうございます。 次も楽しみにしています。 [一言] 戦況図見ると、敵さん東の方が少ないっすね 劣勢だから少ない敵から確実に、ってことと、退却路の確保が目的かなぁ
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