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第七十八話:空を砕く(後編)

 ノール軍兵士達が、空色に凍結したパンテルス川を粛々と行進する。彼らの多くは、肩に担いだ負い紐を握り締め、口を固く結び、俯き加減で歩みを進めている。

 その一方で、中には両手を握り締め、神への祈りを捧げながら行進する者も居た。

 最前列の戦列歩兵が、敵弾に当たらぬ様に祈りを捧げる事は往々にしてある。

 我が身を狙う悪魔の弾丸が、聖なる力によって退けられん事を。

 そう祈る者はしばしば、隣の戦友達から煙たがれた。聖なる力によって曲げられた弾丸が、隣で肩を並べる自分に命中したら堪らない。そう言い合いつつ、大抵の場合はお互いに苦笑を交わすのだ。

 しかし此度、彼らが祈っていたのは敵弾に当たらぬ事ではない。その祈りは、彼らの足元に向けられていた。

 今まさに踏みしめているこの地面が、神の悪戯によって崩れる事が無きよう。

 地面が凍結している事を確かめながら。眼下の薄氷が割れぬように祈りながら。彼らは一歩一歩、すり足のような足取りで進んでいた。


「うっ!?」

 

 誰かの足元から、鋭い亀裂音が走る。

 ピシピシと神経を逆撫でする音が響き、周りの中隊兵士全員の表情が強張る。

 短い亀裂音が何度か響いた後、再び静寂が辺りを支配した。


「し、心臓が何個あっても持たねえよ……」


 前進を再開したノール軍戦列から、安堵の溜め息と独り言が漏れる。

 氷上渡河攻勢中、兵士達は幾度もこのような肝の冷える場面に遭遇していた。


「あ、あとどれくらいで渡り切れるんだ?」


「雪と氷のせいで何処から何処までが川なのか全く分からん」


 あまりの寒さに歯軋りしながら話すノール軍兵士達。昨晩から焚き火を禁じられていた彼らは、心身共に限界を迎えていた。

 

「……ッ!?砲撃音聴知!敵の砲撃です!」


 中央戦線で渡河を敢行していた帝国戦列歩兵第四連隊所属の兵士が、対岸から木霊してきた雷鳴に顔を青くする。

 カノン砲の丸弾とは違い、導火線から火花を散らしながら飛来する榴弾の姿を捉えた兵士達が、思わず足を止めた。

 

「に、逃げ――」


 幸い、榴弾は彼らの数十メートル手前で早発し、弾殻の破片が辺りにバラ撒かれるだけに留まった。


「た、助かった……」


「クソっ!榴弾が地面で炸裂したら氷なんて一溜りもねぇぞ!」


 氷上に深々とめり込む破片を横目に、怯えた表情で着弾地点を通り過ぎていく兵士達。


「歩調を乱すな!列を離れるな!貴様の乱れた歩調が原因となって氷が割れるやもしれんのだぞ!」


 戦列後方に控えていた連隊長が、動揺する戦列に向かって激と鼓舞を飛ばす。


「敵榴弾、再度飛来!」


 最大高度に到達した榴弾が落下軌道に入り、下手な口笛のような音と共に彼らの眼前に着弾する。

 深々と氷上にめり込んだ榴弾を、兵士達は固唾を呑んで見守る。しかし当の榴弾は、徐々に火花の勢いを弱め、終いには炸裂する事も無く沈黙した。


「……どうだ!そらみたことか!」


 隷下の兵士達を安心させる口実を見つけた連隊長は、すぐさま声高らかに士気発揚を実践した。


「見たまえ、この情けない敵弾の姿を!榴弾を着弾寸前に炸裂させるのは神の御加護でもない限り不可能だ!安心したまえ!」


 最早ただの()()()と化した榴弾を足で踏み潰し、中から姿を表した黒色火薬を無造作に掴み上げる。


「見よ!これが諸君らの恐怖心を生み出した元凶だ!湿気て、なんの危険も無い、唯の黒砂である!」


 人間の恐怖心とは、往々にして理解不能な物、正体不明の物に対して抱く感情である。

 翻って、恐怖心を取り除きたいのであれば、正体を明らかにしてやれば良いのだ。


「諸君らは栄えある帝国戦列歩兵第四連隊の勇士達である!榴弾(こんなもの)で戦意を喪失する軟弱な者達ではあるまい!」


 いつ炸裂するかも分からぬ榴弾という恐怖。その恐怖の根源を暴く為、この連隊長は態々大げさに榴弾を踏み潰し、恐怖の種明かしを実行したのだ。

 その効力は絶大であり、動揺していた戦列歩兵達の表情からは急速に余裕の感情が戻りつつあった。


「進め同胞(はらから)よ!我に続け!」


 戦意高揚の為、最前列へと踊り出る連隊長。その姿に引っ張られる形で、後に続く戦列歩兵達の歩速が上がっていく。今まで及び腰だった彼らの姿勢が前傾姿勢になり、担いだマスケット銃の筒先が揃い始める。

 戦列歩兵の士気とは、その隊列に現れるのだ。


「敵のカノン砲陣地が目を覚ましました!砲身が指向しております!」


 大隊長の伝令と共に、腹に響く四発の砲声が轟く。


「怯むな!氷は割れん!我を信じよ!」


 連隊長の叫び声と同時に、十二ポンド砲弾四発が氷上へ次々に着弾する。その衝撃こそ彼らの足元を震わせる程のものであったが、氷を割るまでには至らず、大きく氷を削り取るに留まった。

 その後も榴弾と丸弾が交互に飛来したが、榴弾は早発か不発、丸弾は反跳するまでもなく雪に埋もれた。


「好し!神は我らに味方しているぞ!もう少しで対岸だ!厳冬の夜を超えるに至った諸君らの忍耐力が!ついに報われる瞬間が来たのだ!」


 榴弾が不発になる度、丸弾が雪に沈み込む度、ノール軍戦列から歓声が上がる。彼らにとって、最早飛来する砲弾は恐怖の象徴ではなくなっていた。


「敵カノン砲、再度飛来!」


 少なくとも、この時までは。


「何度撃ってこようと変わらんわ!我らには神の御加護がある!」


 彼には先程までと同じ、只の丸弾に見えた事だろう。事実、今度も飛来してきたのは紛れもなく丸弾だった。


「見よ!また埋もれおったわ!我らの敵では――」

 

 着弾後の丸弾を目にした連隊長の顔が固まる。

 氷を抉り取りながら着弾した丸弾は、ブスブスという音を立てながら猛烈な勢いで周囲の雪を溶かし始めたのだ。


「ほ、ほ……」


 真っ赤に加熱された赤熱弾とは対照的に、みるみる顔が青くなっていく連隊長。


赤熱弾(Hot Shot)だ!誰でもいい!水を持て!いや雪でも良い!早く冷却しろ!」


 一気に錯乱状態へと陥った連隊長に驚きつつも、兵士達が水筒や付近の雪を赤熱弾へと(ほお)り入れる。しかし文字通り焼け石に水であった。

 移動式とは言え、鍛冶師が使う炉で限界まで加熱された赤熱弾は、そう簡単に温度を失う事は無い。


「ど、何処でも良い!氷に切れ目は!?川にこの赤熱弾を落とせ!」

 

 千度近くにまで熱られた丸弾を冷却する為には、水の中に突き落とすのが最適解である。

 つい先程までは、氷が割れぬ様に祈っていた者達が、今は大急ぎで砲弾を放り込む亀裂を探している。

 しかし皮肉にも、パンテルス川を覆う氷の厚さは、今までの彼ら自身が身を以て証明しているのだ。


赤熱弾(Hot Shot)、再度飛来!」


 大小交々の赤熱弾が、帝国戦列歩兵第四連隊の周りに着弾する。

 顔面蒼白で対処法を思案する連隊長を他所に、当の赤熱弾は容赦無く雪を溶かし、そして氷を溶かしていく。

 

「ま、まずい!」


 再び、兵士達の足元で鋭い亀裂音が走る。しかも今度は、亀裂音が徐々に大きくなっていく。


「駆け足前へ!走れ!対岸まで走るんだ!」


 駆け足の指示を出し、真っ先に走り出す連隊長。しかし後の戦列歩兵達は疲労と消耗の為、早歩き程度の速度しか出ていない。

 その間にも亀裂音はミシミシという音から、明確に氷が割れるバキバキという音に変わっていた。


「待ってくれ!置いて行かないでくれ!」


 戦列後方の兵士が走って追いつこうと、踵に重心を掛けた瞬間。ついに負荷限界に達した氷が破断した。

 地震の様な揺れが、帝国戦列歩兵第四連隊の全体へ波及する。

 氷上に稲妻のような亀裂が幾筋も走ると、そこから一気に水が吹き出した。


「た、たすけ――」


 戦列を引き裂くように氷が破断し、いよいよ大口を開けたパンテルス川へと兵士達が引きずり込まれていく。


「た、助けてくれ!引き上げてくれ!」

 

 一度川中に転落した者は、簡単には這い上がれない。氷の厚さと摩擦の所為で、川面から上半身を出すのがやっとである。


「ふ、服が……し、沈む――!」


 加えて彼らが防寒用に纏っていたウール製のロングコートは、水分を含むと一気に重量が増加する。必死で両手を氷上に乗せようとするも、徐々に重みを増すコートに引き摺られ、ノール軍兵士は次々とパンテルスの水底へと沈んでいく。


「敵カノン砲弾飛来!」


 最早今のパンテルス川に、カノン砲の衝撃を受け止める余力は無い。着弾した場所から氷が真っ二つにへし折られ、残った氷の上に身を寄せていた兵士達も諸共に川へと叩き落とした。

 定員二千名を数えるノール帝国の戦列歩兵連隊が、牙を剥いたパンテルス川に呑まれて行く。


「い、嫌だ!こんな所で……こんな死に方なんて!」


 足掻き、抜け出そうとする彼らの体力を、パンテルス川の低水温が容赦なく削っていく。

 それでも彼らの体力に余力があったのなら、無理矢理にでも這い上がる者も出てきただろう。

 しかし、パルマ、リヴァン、ヨルク、オーデル、ラカント、そしてパンテルス。その全ての精神疲労を両肩に負い、あまつさえ焚き火無しの露営を行った彼らに、再び這い上がる力など残っていなかった。


「ハァ……ハァ……!」


 命からがら対岸へ渡り切った連隊長が、肩で息をしながら後ろを振り向く。

 彼の眼前には、ズタズタに砕かれた地上の空が広がっていた。

 そこに立つ者は、もう誰も居なかった。


「わ、我の連隊が」


 頭を抱え、膝から崩れ落ちる連隊長。


「こ、こん――」


 肩を震わす彼の後頭部に、ライフル弾が叩き込まれた。

 

「……部下が待ってんだ、アンタも行ってやりな」


 うつ伏せに倒れた死体に向かってそう呟くと、ラルフ・オニールは伏射の姿勢から立ち上がった。


「一個連隊が、丸々パンテルスに呑まれるとはね」


 ライフルを担ぎ、背後の砲兵陣地へと目を向ける。


砲兵令嬢(カノンレディ)……おっかねぇ奴」


 ライフルの銃口から硝煙を燻らせつつ、ラルフは撤退を開始した。



「渡河作戦は如何相成った?」


「中央戦線で渡河を敢行した、帝国戦列歩兵第四連隊が壊滅致しました」


「損害は覚悟の上だ、余は成否を聞いている」


 ノール軍総司令部にて。

 プルザンヌ公が目を瞑りながら、リヴィエールの戦果報告を拝聴している。


「他戦線につきましては全て損害軽微にて渡河を完了しております。渡河作戦は成功と言っていいでしょう」


 一礼と共に、リヴィエールは作戦成功を伝えた。


「敵の動きは?」


「オーランド軍は水際防衛を早々に諦め、エルヴェット橋南東に位置する丘陵へと一斉後退を始めております」


「南東の丘陵地帯とは、敵の砲兵陣地だったか?」


「左様にございます」


 リヴィエールは、オーランド軍側と同じく、地形を造成して作った戦場図に目を遣る。

 

「ここに来て敵は全軍撤退ではなく、丘陵地帯を利用した徹底抗戦を選択致しました」


 戦場図の中央やや下。少し盛り上がるように造成された地形に、オーランドの旗を置き直す。


「タルウィタでの籠城戦は選択せず、あくまで此処……パンテルスの地にて決着を付ける腹積もりかと」


「なるほど」


 プルザンヌ公は目を見開き、丘の上にはためく金葉旗を一点に見つめた。


「我が軍の砲は、未渡河か?」


「はい。砲兵を渡河させるのは水没のリスクが高すぎる為、引き続きパンテルス川を挟んでの砲撃支援を実施させる予定です」


 彼は再び目を閉じ、思案に暮れた。

 

「……改めて、聞く。敵側に、旗を巻く気は、あるか?」


 プルザンヌ公は一言一句、念を押すように尋ねた。


「いいえ。降伏勧告は三度、拒否されました」


 リヴィエールが答えるや否や、彼は目を大きく見開き、そして啖呵を切った。

 

「その意気や良し。受けて立とう」

 


【パンテルス川渡河作戦:戦果】


―オーランド連邦軍―


連邦戦列歩兵第一連隊:2000名→1982名

連邦戦列歩兵第二連隊:2000名→1977名

連邦戦列歩兵第三連隊:2000名→1964名

連邦戦列歩兵第四連隊:2000名→1943名

連邦戦列歩兵第五連隊:2000名→1912名

南部辺境伯義勇軍:612名→599名

パルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊:1232名→1202名

連邦猟兵大隊『ハンター・オブ・オーデル』:465名→465名

連邦第一騎兵連隊:700騎→700騎

パルマ軽騎兵中隊:92騎→92騎

コロンフィラ騎士団:90騎→90騎

連邦砲兵大隊:14門→14門

連邦騎馬砲兵中隊:6門→6門


死傷者数:265名

残存兵力:13176名


―ノール帝国軍―


帝国戦列歩兵第一連隊:1122名→1100名

帝国戦列歩兵第二連隊:1345名→1319名

帝国戦列歩兵第三連隊:893名→870名

帝国戦列歩兵第四連隊:2000名→0名

帝国戦列歩兵第五連隊:1290名→1260名

親衛古参擲弾兵連隊『ヴィゾラ』:2000名→1985名

帝室近衛擲弾兵連隊『プルザンヌ』:2000名→1978名

第七フュージリア連隊『ラ・フズィル』:2000名→1950名

帝国第十三猟兵大隊『ヴェルディール』:150名→140名

帝国重装騎兵第一連隊:410騎→400騎

帝国重装騎兵第二連隊:567騎→567騎

帝国第一軽騎兵連隊『ローヴィレッキ』:561騎→561騎

有翼騎兵大隊『フッサリア』:98騎→98騎

帝国榴弾砲兵大隊:6門→6門

帝国カノン砲兵大隊:3門→3門


死傷者数:2209名

残存兵力:12328名

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回もいい更新でした…みんなで渡れば凍ったパンテルスも三途の川もへっちゃらだい!
[良い点] 更新ありがとうございます。 次も楽しみにしています。 [一言] 一個連隊も潰せたと見るべきか 一個連隊しか潰せなかったと見るべきか 今後に大きく関わりそう
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