第七十五話:参謀の責務
「閣下、西部戦線の攻勢準備が整いました。艀を利用した急造の架橋設備ですが、渡河自体は可能かと――」
「中止だ」
「は……」
雪と硝煙に染まるパンテルス川から顔を逸らし、リヴィエールへ身体を向けるプルザンヌ公。
「西部渡河作戦を中止せよ。中央戦線の猟兵も下げよ。これ以上、いたずらに兵力を消耗させるべきではない」
「しかし閣下、それでは……」
「心得ている。しかし一先ず認めねば、先には進めん」
指揮棒を硬く握りしめ、戦場に正対する。
「我がノール帝国軍は……あろうことか、オーランド連邦軍に敗北を喫した」
オーデル湖での戦い以降、ヴィゾラ伯やベルナール、リヴィエールらの心中で鎌首をもたげてきた懸念。
『オーランド連邦軍は、我々の想像以上に手強い相手なのではないか』
ノール帝国軍の一部高級将校の間でのみ燻っていたこの懸念は、パンテルス渡河作戦の失敗によって、ノール帝国軍全体へと波及しつつあった。
◆
【第一次パンテルス川会戦:戦果】
―オーランド連邦軍―
連邦戦列歩兵第一連隊:2000名→2000名
連邦戦列歩兵第二連隊:2000名→2000名
連邦戦列歩兵第三連隊:2000名→2000名
連邦戦列歩兵第四連隊:2000名→2000名
連邦戦列歩兵第五連隊:2000名→2000名
南部辺境伯義勇軍:765名→612名
パルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊:1674名→1232名
連邦猟兵大隊『ハンター・オブ・オーデル』:500名→465名
連邦第一騎兵連隊:700騎→700騎
パルマ軽騎兵中隊:98騎→92騎
コロンフィラ騎士団:90騎→90騎
連邦砲兵大隊:14門→14門
連邦騎馬砲兵中隊:6門→6門
死傷者数:636名
―ノール帝国軍―
帝国戦列歩兵第一連隊:1122名→1122名
帝国戦列歩兵第二連隊:1345名→1345名
帝国戦列歩兵第三連隊:1419名→893名
帝国戦列歩兵第四連隊:2000名→2000名
帝国戦列歩兵第五連隊:2000名→1290名
親衛古参擲弾兵連隊『ヴィゾラ』:2000名→2000名
帝室近衛擲弾兵連隊『プルザンヌ』:2000名→2000名
第七フュージリア連隊『ラ・フズィル』:2000名→2000名
帝国第十三猟兵大隊『ヴェルディール』:332名→150名
帝国重装騎兵第一連隊:410騎→410騎
帝国重装騎兵第二連隊:567騎→567騎
帝国第一軽騎兵連隊『ローヴィレッキ』:561騎→561騎
有翼騎兵大隊『フッサリア』:98騎→98騎
帝国榴弾砲兵大隊:6門→6門
帝国カノン砲兵大隊:8門→3門
死傷者数:1468名
◆
「攻勢は無念にも失敗に終わったが、未だ損害は全軍の一割程度である!第二次攻勢を行う余力は十分に残っておるぞ!」
ドルマンの左袖を風に靡かせながら、残った右腕を振り上げるブランシャール。
「我ら重騎兵の蹄に乱れなし!」
「一度の失敗がなんの事よ!二度目で成せば良い!」
「然り!たとい三度を越えたとしても、我らが鎧に曇りは無し!」
ブランシャールが直接率いる重騎兵達から、威勢の良い歓声が湧き上がる。しかしその一方で、歩兵達の表情は沈んだままだ。
東部戦線で全滅した突撃工兵大隊。
彼らは元々、各歩兵連隊隷下の工兵中隊から集成された部隊である。
歩兵にとって、工兵は頼もしい存在である。道なき方に道をつけ、雨と散りくる弾丸を身に浴びながら橋を架ける彼らが居てこそ、歩兵は自然要害を乗り越えられるのだ。
頼もしい戦友を失った彼らの士気が、重騎兵指揮官の激励によって癒える筈がなかった。
「東部渡河作戦失敗の責は軍団長閣下に本案を提案した貴卿にございますぞ!オリヴィエ卿!」
ブランシャールが将兵を激励している裏では、プルザンヌ公が営する天幕内で責任の押し付け合いが発生していた。
「ええい喧しい!この場は敗戦の責が誰にあるかを問い詰める為に設けられた訳ではない!第二次攻勢の委細を纏める為にこそ設けられたのだぞ!」
渡河作戦に参加していた戦列歩兵第五連隊、同第三連隊の両連隊長が、渡河作戦の発起人たるヴィゾラ伯を詰問する。
「責任逃れとはいただけませんな!それでは配下の兵達が納得しませぬぞ!」
「多大なる損害を出した彼らに対して、何の釈明も無しに第二次攻勢を命ずれば、離反者や脱走者が続出する事は明白ですぞ!」
連隊長が矢継ぎ早に飛ばす口撃を受けながらも、作戦立案の為に盤上の駒を並べ始めるヴィゾラ伯。
「何度でも言おう!我らが議論すべきは、如何にしてこのパンテルス会戦を勝利するかだ!如何にして負けたのかを議論するべきでは断じてない!そんな事は会戦後に幾らでも出来るではないか!」
ヴィゾラ伯の反論に対して両連隊長が口を噛むと同時に、猟兵大隊長と砲兵隊長が落ち着いた様子で口火を切る。
「我がヴェルディール猟兵大隊も陽動作戦の結果、その兵力を約半数にまで減らしております。連隊総指揮官の提言通り、我らは今一度、オーランド連邦軍の再評価を行うべきかと……」
「私も右に同じだ。リヴィエール参謀殿から話を聞いた時は半信半疑だったが、奴らの砲兵練度は想像以上だ。特に、敵騎馬砲兵への対処法を考案せん事には、如何にしようも無い……」
両者の消極的とも取れる意見を聞いた歩兵連隊長二人が、再び吠えた。
「何を弱気な!我ら栄光のノール帝国軍が、オーランド軍如きにその様な弱腰姿勢では――」
「もうよい、それまでにせよ」
天幕の最奥に鎮座するプルザンヌ公が手で空を斬る。
「拘り合うのも大概にせよ。オリヴィエの通り、何方の責めに帰すを多とするは児戯に等しい」
僅かに両歩兵連隊長へ体を向けるプルザンヌ公。
「オリヴィエは余に提案を行っただけに過ぎん。責を取るのは裁可を行った余である。そこに議論を挟む余地は無い」
軍団長から直々に議論の余地無しと断ぜられては、歩兵連隊長といえども口をつぐむしか無かった。
「……それでは、宜しいでしょうか?」
末席で影を薄くしていたリヴィエールが控えめに手を挙げる。
プルザンヌ公が右手を軽く振り払う素振りを見せると、リヴィエールは一礼して盤上駒に手を出した。
「ダンジュー砲兵大佐殿の仰る通り、本渡河作戦を成功させる為には、敵砲兵……特に騎馬砲兵への対処法を考えねばなりません」
中央戦線、エルヴェット橋の南側に配された騎馬砲兵の駒を指差すリヴィエール。
「また砲兵か……いつも我らの前に立ちはだかってきおって」
その場に居る全員が、騎馬砲兵の駒を苦々しく見つめる。
「……ダンジュー、此度の戦にも例の銀魔女は居たのか?」
ヴィゾラ伯の質問に対し、ダンジュー砲兵大佐は首を縦に振る。
「噂には聞いておりましたが、正に砲兵令嬢と呼ぶに相応しい手腕の持ち主で御座います。あれほどまでに短時間且つ集中的な砲撃を受けた事は今までにありません」
心底参ったといった様子で帽子を脱ぎ、頭を掻くダンジュー。
「この戦、砲兵令嬢を如何にして制するかが争点か」
「まさかこの齢になってから、一人のお嬢様に翻弄される日がくるとはな……」
連隊長の誰かが呟いた冗談が、にわかに苦笑を産み、場をいくらか和ませた。
「先ほども申し上げましたが、私としても同意見です。砲兵令嬢……もとい敵の騎馬砲兵部隊の無力化が肝要点と言えるでしょう」
そう言うとリヴィエールは、中央戦線に配置されていた騎馬砲兵の駒を東部戦線に移動させた。
「敵は騎馬砲兵を縦横無尽に機動させ、我らの攻勢発起点となる場所へ配置転換を行い、速やかに砲兵火力を投射できる指揮系統を有しております。これは、彼ら騎馬砲兵が敵軍内部において高度に独立した部隊である事の証左と言えましょう」
「奴らは総司令官の直下に騎馬砲兵部隊を配置している、という事か」
「はい、あの速さで陣地転換を行えるのは、それだけ指揮命令系統が単純簡略化されている事に他なりません」
「……ではどの様にして対抗するのだ?いまもって貴殿が報告した情報のみでは、全く持って付け入る隙が見当たらんぞ?」
解決の糸口が見えてこない状況に業を煮やした連隊長の一人が野次を飛ばす。
「彼らの唯一にして最大の弱点は、一部隊しか居ない、という点です」
するとリヴィエールはパンテルス川北部に布陣している自軍駒を、同時一斉に南部へと押し出した。
「西部、中央、東部の全戦線にて一斉に渡河を敢行すれば、敵騎馬砲兵部隊も対応不能となるでしょう。歩兵同士による射撃戦、或いは白兵戦に持ち込めば、我らの優勢を確保可能かと」
「……リヴィエール。その一斉に渡河を敢行するのが難儀である、という話だったと理解しているのだが……」
ヴィゾラ伯が天幕内に広がる困惑の空気を言語化する。
「はい。通常の架橋設備を用いた渡河作戦は、渡河地点が限定される上、攻勢発起点が容易に敵へと知れ渡ってしまいます」
「貴殿が態々そう述べるという事は、何か特殊な渡河作戦でも実行するつもりか?」
「仰る通りです。敵に攻勢開始時期を悟られず、架橋設備を必要とせず、工兵の様な人力も不要であり、且つ全線戦で一斉に実行可能な渡河作戦です」
勿体振るような物言いの後、リヴィエールはポツリと呟いた。
「こればかりは、天に感謝を捧げるべきかと……」
◆
「一点、質問を宜しいでしょうか?」
「良いぞ。余に答えられる範囲であれば良いが」
第二次攻勢の作戦会議直後。エルヴェット橋の北部丘陵地帯。帝国榴弾砲陣地にて。
「失敗に終わった東部戦線の渡河作戦……なぜ、参謀である私の口からではなく、連隊総指揮官殿の口から軍団長閣下にお伝えされたのですか?」
「なんだ、そんな事か」
対岸のオーランド陣地を眺めながら、気の抜けた声を出すヴィゾラ伯。
「先の会議でも見ただろう?貴様から軍団長閣下へ作戦を提案していたら、他ならぬ貴様が作戦失敗の責を負わされる可能性があったからな」
「私は参謀です、作戦立案者としての責任を負う覚悟は出来ております。連隊総指揮官殿が敢えて泥を被る必要など――」
「あるのだ。余が泥を被っておく必要がな」
くるりと向きを変え、腰に手を当てるヴィゾラ伯。
「参謀は、ただでさえ指揮官達の輪から一歩引いた場所におるのだ。それ故に鼻つまみ者とされやすい。加えて庶子の出ともあれば、爪弾き者にされる理由は十分だ!」
腰に当てた両手を頭上に振り上げて力説する。
「その上さらに、貴様には愛想という物がまるで無い!その様な状況下で、貴様が立案した作戦が失敗したと皆々へ知れ渡ったらどうなる!?」
終いには、リヴィエールの鼻先に人差し指を突き付けた。
「参謀たる貴様が余計な敵を作る必要は無い!被れる泥はこちらで被った方が、結果的には軍の為となるのだ!」
リヴィエールは納得出来ないといった目付きで、向けられた人差し指を払い除けた。
「……関係各所との調整も、参謀の重要な役目です。至らぬ点はあると理解しておりますが、どうか私の仕事を奪わないで頂きたく――」
「アラン・ド・リヴィエール!貴様は重大な思い違いをしている様だな!」
雪も震える程の大きな声で、ヴィゾラ伯は言い放った。
「貴様の参謀としての頭脳は、関係各所の調整などというツマランものに対してではなく、良き作戦立案の為に使われるべきなのだ!いらぬ泥を被る役は、凡夫たる余にこそお似合いなのだ!フハハハハハハ!」
そのままヴィゾラ伯はリヴィエールの肩を勢い良く二度叩き、のっしのっしと大股で丘を下っていった。
「……」
リヴィエールは立ち止まったまま、暫くの間、叩かれた左肩を手で抑えていた。