第七十三話:良き指揮官(前編)
「ディースカウ騎馬砲兵隊より報告!敵カノン砲を沈黙せしめたり!」
「早いな!流石は東部帝国の砲兵大尉だ!」
イーデンが手を叩きながらメモを受け取る。
「貴隊はその場を維持、引き続き猟兵を援護しろと伝えてくれ」
「承知致しました!」
伝令は二頭の馬を代わる変わる乗り換えながら、砲兵陣地の丘を下っていく。
エルヴェット橋のすぐ南東。横たわる様に広がった台地に、オーランド砲兵陣地は築かれていた。
「中央は優勢、東西部は川を挟んだままお見合い状態か。この状態がずっと続いてくれりゃあ楽なんだが……」
イーデンが横に目をやると、エリザベスがエルヴェット橋の方面を食い入る様に見つめている。
「どうしたよベス、なんか面白いもんでもあったか?」
「面白いを飛び越えて、恐怖すら感じるわよ……」
単眼鏡から顔を外したエリザベスは、興奮と畏怖が混じった表情をしていた。
「イーデン、あのディースカウって一体何者なの!?あんなバラバラの砲で同時弾着射撃を行える人なんて、ラーダ軍でも見た事無いわよ!?」
「俺が知る訳ねぇだろ……取り敢えず有能なら願ったり叶ったりじゃねえか。味方なんだからよ」
口径や砲身長の異なる砲を同時に発射した場合、当然ながら着弾時間はそれぞれバラバラになる。着弾時間がズレるという事は、それだけ砲撃の密度が薄くなってしまう事に他ならない。
砲撃密度が薄いと、敵の対砲兵射撃や陣地転換を許してしまう可能性がある為、砲撃は可能な限り密度濃く、そして短時間で集中的に行うのが理想的だ。
その理想の極地とも言える砲兵戦術が、同時弾着射撃である。
「大砲一門一門の癖と弾速を全て頭に叩き込んだ上で、それぞれの砲の射撃タイミングを完璧にズラさないと実現出来ないわよ、あんなの……」
芸術的、達人、名人芸。その様な言葉で修飾してもなお足りない、狂気的な域まで達した指揮砲術を見せつけられ、エリザベスは完全に打ちのめされていた。
「あそこまでの腕前を持っておきながら、なんで私なんかに興味を……」
「有能で熱心なファンが出来て良かったじゃねぇか」
「良くないわよ!?逆に怖いわよ!」
オーランド軍内で、この砲兵戦術の難易度を理解しているのはエリザベスのみである。故に、彼の特異性について理解出来ているのも、また彼女のみであった。
「少佐殿〜!イーデン少佐殿〜!」
オズワルドが伝令のメモを掲げながら雪を踏み締めて来た。
「コロンフィラ伯閣下より命令です!架橋設備を有する敵軍が東部戦線へ向かっているとの事!ついては敵の渡河作戦に備え、直接砲兵支援を実施せよとの事!」
「東部に架橋設備だぁ!?ノール野郎め、中央の攻勢はハッタリか!」
メモを受け取りながら東部へ目を向けるイーデン。
「……ダメだ!視界が悪すぎる!」
中央戦線から漂ってきた硝煙と降雪により、東部戦線方面の景色は白一色となっていた。
「ベス!ディースカウに移動指示を出せ!東部戦線への配置転換命令だ!ついでにお前も東部戦線の様子を見に行ってこい!」
「了解しましたわ!」
恐らく自分に白羽の矢が立つと踏んでいたエリザベスが、輓馬の上から返事をする。
ランタンを鞍に引っ掛けると、雪深い丘陵の斜面を左右に滑り降りていく。
「こういう時は、やっぱり輓馬の方が安定するわねっ」
どっしりと一歩一歩を踏みしめながら、雪の斜面を下っていくパイパー。彼女は蹄を踏み外す事もなく、変にスピードが乗ってしまう事もなく、常に一様のペースで平地まで到達した。
「よしよし、偉いわよ」
立髪越しに頭を撫でられ、鼻を鳴らすパイパー。
「ディースカウは北西に居るはずだから……こっちね」
幸いにもエリザベスは視界の悪さに迷わされる事もなく、ディースカウ率いる騎馬砲兵隊陣地へと辿り着く事が出来た。
「ディースカウ大尉殿!」
砲列の後ろに立ち、諸元らしき紙を見つめる彼の元へ駆け寄る。
「やぁエリザベス君。何か注文かい?」
エリザベスの方は見ずに、書類に目を落としたまま尋ねる。
「コロンフィラ伯軍団長閣下より移動命令が下りましたわ。東部戦線にて渡河作戦を敢行してくる敵軍に対して砲撃支援を行えとの事ですわ」
「ほう、敵は架橋設備を所持しているのか。どおりで中央の攻勢が手ぬるい訳だ……砲兵各班、射撃停止。東部戦線へ移動の時間だ」
諸元表を凝視したまま、砲兵に対して砲の連結指示を出すディースカウ。
「……ねぇねぇ砲兵さん、ちょっと良いかしら?」
エリザベスは、大砲の撤収準備を進めている砲兵を一人呼び止めた。
「どうしたんですかい砲兵令嬢殿?」
「さっきの砲撃なんだけど。射撃時にディースカウからどんな指示を受けたか、覚えてる?」
「他の砲よりも一.五秒遅れで発射する様にとは言われやしたね。それ以外は特に普段と変わらなかったですぜ」
「そう……ありがとう、お邪魔したわね」
砲兵の返答を受け、腕を組んで考え込むエリザベス。
万が一を考えたが、やはり偶然ではない。眼前の男は意図的に各砲の発射タイミングをズラしている。俄には信じられないが、証拠を見せられては納得せざるを得ない。
「全砲門移動準備完了!」
「各員騎乗!さっさと跨れ!」
「最右翼の四ポンド砲より順次右回頭!東だ!東に進路を取れ!」
帽子を振って先導するディースカウを先頭に、一列の砲列を形成する騎馬砲兵隊。
「オーランド砲兵は優秀だね。鉄火場に慣れている」
ディースカウが、背後の砲兵達へと笑いかける。いつもと同じ、仮面のような笑みだ。
「……大尉殿、一つよろしいでしょうか?」
「なんだい?」
笑みを浮かべたまま、並走するエリザベスに向き直る。
「先程の同時弾着射撃……あれほどの砲術指揮を、一体どこで学ばれましたの?」
「おお、君なら分かってくれると信じていたよ」
薄い目を精一杯見開いて驚くディースカウ。パルマ女伯よりも更に小さい彼の瞳は、四白眼になっていた。
「あの砲術自体は僕が内戦中に編み出した物だよ」
そう言って先程まで眺めていた諸元表を見せるディースカウ。
そこには、彼の操る六門の砲の特徴が、病的なまでの密度と精細さで記入されていた。
砲身長、外径、内径、発射弾数、摩耗率、砲弾重量、試射時弾道曲線、砲口初速。そして右上には気温と風速が三分おきに記されていた。
「見ての通り、別に何か新しい技術を取り入れた訳じゃない。砲の特性さえ時間を掛けて理解すれば、後は計算と少しの勘だよ」
「どうして、ここまで……」
エリザベスは、ディースカウの偏執ぶりに対して、純粋な恐怖を覚えていた。
感情が読めない声色といい、張り付いたような笑顔といい、狂気的な偏執ぶりといい、あまりにも人間味がない。
人間の真似をしている、得体の知れない怪物と話している気分だ。
「どうしてって?勝つ為に決まってるじゃないか」
諸元表を鞄に仕舞いながら、不思議そうに答えるディースカウ。
「勝つ為なら何でも、どの様な事でも実行するのが指揮官だろう?」
得体の知れない怪物が、滅多に見ない仲間を見つけた時のように目を輝かせている。
「君だって、同じだろう?」
「わたくしが……?」
眼の前の怪物から、同族である事を告げられて言葉を失う。
「第二次パルマ会戦において、君は味方ごと敵騎兵を散弾で薙ぎ払い、勝利を手にした」
エリザベスの反応を伺う事なく、彼は言葉を続けた。
「君の進言で、パルマが焦土となり、ノール軍の侵攻を遅らせる事に成功した」
エリザベスの表情が氷の様に固まる。
「君が助けたパルマ軽騎兵を囮として使い、リヴァン市からの撤退を成功させた」
なぜ、彼が自分を同族だと言ったのか。
その理由が、漸く分かったのだ。
「戦いを優位に進める為なら何でもする。それこそが君の抜きん出た強みであり、僕が君に会いたかった理由でもあり、僕と君が同じだと判断した理由でもある」
彼の目には、私が優秀な指揮官に映っていたのだろう。
情ではなく、足し引きで人命を数えられる、優秀な指揮官に。
「……望んでやった訳じゃない」
「だが、最後には成し遂げた……あぁ、決して責めている訳じゃ無い。むしろ褒めてるんだ、君は良き指揮官に成る為の素質を持っている」
心の底から叫びたかった。
彼の喉元に掴み掛かり、自身の思いの丈をありったけ叩きつけたかった。
自分がどんな情念で、味方歩兵ごと敵騎兵を薙ぎ倒したのか。
自分がどんな覚悟で、パルマを焦土にしたのか。
自分がどんな所懐で、クリス達を見送ったのか。
その全てを彼に投げつけたかった。
だがどうしても、原動力となる怒りが湧いてこなかった。
「……この話は止めましょう。眼前の戦場に集中しませんと」
代わりに胸中へ湧いてきたのは、枯れた悲しみと、煤けて黒ずんだ罪悪感だった。




