第七十二話:エルヴェット散兵戦
「良いか貴様らよく聞けェ!」
「良く聞かなくても十分聴こえています!」
エルヴェット橋に陣取るオーランド猟兵達を前にして、シュトイベンが拳を振り上げている。
「緑一色という微妙極まる色の服に身を包んだクソ共が、この橋目掛けて突進中だ!」
「私達の服も緑一色です!」
シュトイベンの眼前。石橋の欄干にライフルを委託していたリサが、彼の声量に目を白黒させている。
「そこで二百メートル先のケワタガモを撃ち抜く貴様ら猟師共の出番だ!楽しい散兵戦の時間だぞ!各隊配置に付け!」
「配置先はどこでも良いんですか!」
「やかましいわ!さっきから水を差しおってこの女ァ!貴様どこの隊だ!?」
「第一小隊長のリサ・ホーキンスです!」
第一小隊長の言を聞いたシュトイベンの眉間が、いよいよ渓谷の様に険しくなる。
「小隊長なら自力で配置を考えんかこの馬鹿者ォ!貴様それでも猟兵士官か!」
「自力で考える為の情報が足りません!教えて下さい!配置先はどこでも良いんですか!」
委託していたライフルから手を離し、気を付けの姿勢で尋ねるリサ。その姿を見たシュトイベンは、眉間に皺を寄せつつも顔を綻ばせた。
「良い度胸だ女ァ!その足りん頭を限界まで回転させながらよぉく聞け!」
片足を大きく踏み込み、石橋を踏みつけるシュトイベン。
「我々は今何処に居る!?」
「エルヴェット橋です!」
「なぜ我々はこの橋に陣取っている!?」
「この橋しか渡る所が無いからです!」
「なぜ敵の猟兵はこの橋に進軍している!?」
「この橋しか渡る所が無いからです!」
「同じ答えを二度使うなァ!」
「痛ァ!?」
シュトイベンから理不尽な平手打ちを喰らうリサ。
「敵猟兵の目標はこの橋の確保だ!故に敵は猟兵戦力のほぼ全てをこちらに傾けてきている!」
「そ、そうなんですね!……でも、なぜ敵は普通の戦列歩兵を使わないのでしょうか?」
「良い疑問だ!今の衝撃でやっと頭が回り始めたか!」
ニンマリと笑いながらも、眉間の皺は緩めずに捲し立てるシュトイベン。
「今回の様な橋梁!河川!山岳や村落!今挙げた地形は戦列歩兵にとって不向きな地形だ!なぜ不利か答えろ!」
「えぇと」
「三秒以内に答えろ!」
「え!?あ!えーと……兵士を綺麗に並べるのが難しい地形だからですかね?」
「その通りだ女ァ!喜べ、これで貴様を引っ叩く理由が一つ減ったぞ!」
「まだ幾つかは残ってるんですね……」
ヒリつく頬をさすりながら半目になるリサ。
「故に散開陣形が取れる我ら猟兵がこの橋を確保しており、同時に散開したまま前進出来る敵猟兵がこの橋へ向かって来ているのだ!分かったか!」
「ハイ!ワカリマシタ!」
ぶつかる寸前までリサに額を近付けながら凄みを見せるシュトイベンに対し、気圧されて発音が変になるリサ。
「そして貴様の田分け極まる質問だが……橋の中なら何処に陣取っても構わん!だが肝に命じておけ!死にたくなければ橋の外に陣取るな!」
「はい!橋の外に陣取ってはいけない理由はなんですか!」
「士官なら少しは自分で考えんか馬鹿者ォ!」
「あ痛ァ!」
右の頬に続き、左の頬に平手打ちを受けるリサ。
「だが恐れず挙手をする姿勢に免じて教えてやろう!橋から離れれば敵砲兵の餌食となるからだ!」
「敵兵を視認!大隊旗より帝国第十三猟兵大隊『ヴェルディール』と認む!横隊散開陣形!横は約五十!縦深は六列です!」
猟兵の報告と同時に、雪原の向こうから雷鳴の様な轟音が響く。
「敵砲撃!来ます!」
「狼狽えるな!ここには落ちん!そこ、伏せるなァ!次に伏せたらその頭ごと踏みつけるぞ!」
シュトイベンの言葉通り、発射された敵弾はエルヴェット橋の上空を通過し、散兵線の後方へと着弾した。
「おぉ!本当に落ちなかったですね……!」
弾丸が頭上を飛び越えようとも、シュトイベンの前で直立不動を堅持するリサ。
「良いぞ女ァ!他のタマナシ共と違って伏せなかった事は褒めてやる!」
「最近までカロネード砲兵中尉と一緒だったので、砲弾の飛翔音には慣れてます!」
シュトイベンが、敵弾に怯えて伏せてしまった猟兵達の尻を蹴り上げながら叫ぶ。
「白蛇共の目的はこの橋の確保だ!破壊ではない!橋にへばり付いている分には安全だ!少なくとも砲撃とは無縁になる!これが橋に陣取る理由だ!分かったらさっさと配置に付けェ!」
「りょ、了解致しました!あ!最後に一つ!一つだけ聞いても良いですか!?」
「アレもコレもと強欲な女め!なんだ!?」
「敵弾!再度飛来!」
再び雷鳴が響き、リサ達の頭上を敵弾が通過する。冬の寒空を切り裂く大砲の飛翔音は、夏のそれと比べ、どこか冷淡に聞こえる。
「この砲弾は私達を狙ってる訳じゃないんですよね?じゃあ一体何処を狙ってるんですか?」
「貴様にはアタマどころか耳も目もついとらんのか!?砲弾の行く末を良く見ろ馬鹿者が!」
シュトイベンが雪原に着弾した敵弾を指差す。
着弾した敵弾は、まるで雪にはしゃぐ子供の様に転げ回りながら自軍後方へと突き進んでいく。
リサがその軌道を目で追っていくと、細雪のカーテンの奥から、馬と、砲と、人のシルエットが、徐々に浮かび上がってきた。
「……騎馬砲兵隊!」
「漸く理解したか女ァ!敵砲兵はディースカウの小僧に任せて、貴様らは目の前の猟兵に集中しろ!」
リサに向かって放ったシュトイベンの剛声は、雪のカーテンを掻き分け、ディースカウの元にまで届いた。
「……シュトイベン男爵殿、あいも変わらず、良く通る声ですね。羨ましい限りです」
馬上で、糸目を僅かに開くディースカウ。
「さて、僕達も仕事をしなくてはね」
夜空よりも真っ黒な双眸を覗かせると、彼は右手を挙げた。
「騎馬砲兵各員、展開準備」
◆
【パンテルス会戦:エルヴェット散兵戦】
ーオーランド連邦軍ー
・連邦猟兵大隊『ハンター・オブ・オーデル』:500名
・連邦騎馬砲兵中隊:6門
ーノール帝国軍ー
・帝国第十三猟兵大隊『ヴェルディール』:332名
・帝国カノン砲兵大隊:8門
◆
「ぐあッ……!」
前進していたヴェルディール猟兵の一人に弾が命中し、そのまま前のめりに倒れる。
「……やっと初弾で命中しやがった」
橋の欄干部分に身を隠しながら、ライフルの再装填を始めるラルフ。
「順次発射!各個に撃て!」
リサの号令が響き渡ると同時に、橋上から噴煙と火花が次々に迸る。
彼我の距離は三百メートル以上も離れていたが、それでもマスケット銃とは比べ物にならない速度で敵がバタバタと地に伏していく。
「応射だ!応射用意!」
初撃に耐えたヴェルディール猟兵達が前進を止め、膝射の姿勢に入る。
「敵射間もなく!屈んで下さい!」
リサの指示で、猟兵達が姿勢を低く、石橋の欄干部分に身を隠す。前屈という、再装填に不向きな姿勢をものともせず、器用にライフルの再装填を進めていく。
「本当に石橋なんかが敵弾を防いでくれるんですかね隊長!?」
半信半疑な猟兵の一人が、欄干から顔だけを覗かせているリサに尋ねる。
「大丈夫です!多分!」
頼りないリサの返事と同時に、ヴェルディール猟兵の部隊長がサーベルを高らかに掲げる。
「構え!」
「よし!見つけた!」
「放てェッ!」
部隊長の号令で、雪原の白銀が、さらなる白煙で塗りつぶされる。一斉発射の衝撃で雪が空中に舞い、黒色火薬の白煙と混じり合う。
「良し!前へ!前へ!応射で敵が怯んでる隙に――」
再びサーベルを掲げようとした部隊長の体が突然、糸が切れたかの様に崩れ落ちた。
「……ノールの偉い人は頻繁にサーベルを掲げてくれるので、分かりやすくて助かります」
欄干に銃身を委託したまま、リサが呟く。
「ラルフ、負傷者は?」
「ウチの小隊は全員無事ですね。他の小隊も被害は軽微みたいです」
「了解!射撃を継続してください!」
「言われなくとも」
槊杖を使って、ガシガシと丸弾を施条内部に叩き込むラルフ。自身の身長とほぼ変わらない長さのライフルを、まるで自分の手足のように操っている。
「……クソッ、ただでさえ降雪で見辛いってのに」
引き金に手を掛けたラルフが舌打ちを漏らす。
「硝煙と雪が混じって標的が滲む……奴らの服が戦列歩兵と同じ灰色だったら、本気で見えなくなってた所だぞ」
しかめっ面のまま撃鉄を落とすラルフ。本人の苦言とは対象的に、彼の放った弾丸は分隊長らしきヴェルディール猟兵の眉間を的確に撃ち抜いた。
「交互躍進射用意!隣接小隊は互いに躍進を援護せよ!奇数小隊が先攻だ!」
ヴェルディール猟兵達が、伏射で援護射撃を行うグループと、素早く前進を行うグループとに分かれて前進を再開する。
「交互躍進が出来るとは利口な奴らだ!火力を前進中のグループに集中させろ!躍進しようと立ち上がった瞬間を狙え!」
シュトイベンの命令と同時に、彼の背後から砲声が響いた。
「ディースカウの奴め、やっと対砲兵戦を開始しおったか!」
ノール軍の雷鳴の様な一斉発射とは異なり、射撃間隔を不規則にズラした砲撃音が断続的に響く。
エルヴェット橋の上空で、敵味方の砲弾が交差しながら両砲兵陣地へと降り注いだ。
「これで戦況は五分五分だ!敵と対等になった以上、これ以上の泣き言は許さんぞ!」
味方砲兵の援護砲撃が入った事で、オーランド猟兵達から焦りの顔が消えた。どれだけ雪と硝煙が視界を遮ろうとも、大砲の勇ましい砲声を掻き消す事は出来ない。
砲兵援護を受けた双方猟兵達による、散発的で、しかし鋭い射撃音の応酬が繰り広げられる。
次第にオーランド猟兵が陣取る橋上に硝煙が立ち込め、煙幕のようにお互いの視界を遮り始めた。
「煙幕で前が見えねぇ!ロクに狙いが付けられんぞ!」
「散兵の癖に橋の上で密集射撃なんてするからこうなるんだ!」
「不満のある奴は橋から離れてもよいぞ!好きなだけ榴弾なり榴散弾なりを浴びてくるが良い!」
シュトイベン男爵の激が飛ぶと、皆一様に押し黙る。
猟兵達はシュトイベンの威圧感故に押し黙っているのではない。シュトイベンの言葉が正しいと分かっているから押し黙るのである。
「シュトイベン男爵閣下!ディースカウ砲兵大尉殿より協力要請です!」
騎馬砲兵の一人が、エルヴェット橋へと走り込んでくる。
「あの小僧が一丁前に協力要請とはな!随分偉くなったものだ!」
伝令の手からメモを毟り取ると、殴り書きで記された要請内容を読み取る。
「ふむ……」
手紙から目を逸らすと、顎髭をいじりながら応戦中の猟兵達を見回す。
「女ァ!……と、そこのチビ助!今すぐ此処に来い!」
「はいっ!」
担え銃の姿勢でシュトイベンの前に立つリサとラルフ。
「ディースカウの小僧から砲兵観測の要請だ!雪と硝煙で敵砲兵への効力射が確認できん!二人で前線観測に行ってこい!」
シュトイベンが、持っていた単眼鏡をリサへと投げ渡す。
「りょ、了解しました!」
観測には不要なライフルを地面に置くと、二人は手ぶらで橋の北側へと走り出した。
「なんでシュトイベンさんは私達を指名したんでしょうね!?」
「砲弾の飛翔音には慣れてます!とか要らん事を言うからです!指揮官の前では余計な事を言わないのが長生きするコツですよ!」
緑色のジャケットを脱ぎ捨て、白のシャツ姿で進む二人。味方猟兵が発する硝煙に上手く溶け込みながら、橋を北に抜け、中腰姿勢で小丘に到達する。
幸いにも、敵散兵線からそう遠くない位置に砲列を敷いているノール帝国軍砲兵の姿を確認できた。
「……エルヴェット橋を起点に北北西六百メートルって所かな」
雪の上に寝そべりながら、単眼橋を構えるリサ。
「カノン砲が計八門、間隔は五メートル、結構な密集砲列ですね……ラルフ、伝令頼めますか?」
「了解です。伝令行ってる間に死なんといて下さいよ」
そう言うとラルフは丘を滑り降り、エルヴェット橋へと足早に戻っていった。
リサの背中にちらほら雪が積もり始めた頃、自軍側から再び砲撃音が響いた。先程と同じく、疎らで断続的な砲撃である。
砲撃から約十秒後、ノール砲兵陣地にカノン砲弾が一斉に着弾した。
「どうですか?」
伝令から戻ってきたラルフが、匍匐姿勢でリサの隣に並ぶ。
「すごく良いと思います!敵カノン砲一門が大破しました!同じ諸元で砲撃を継続する様に伝えて下さい!」
「了解です」
息が上がった状態のまま、再び丘を滑り降りていくラルフ。
「……射撃音は疎らなのに、着弾は全部同時なの、なんか変な感じですねぇ」
砲口径の異なるカノン砲を、同時に着弾させる。
異種口径砲を用いた同時弾着射撃という離れ技を、彼はやって退けているのだ。
不幸にも、このパンテルス会戦において、この戦術の難易度と効果を正確に把握出来ていたのは、たった二人のみであった。
「口径も、砲身長もバラバラの砲で、同時弾着射撃を成功させるなんて……」
一人は、今まさに同時弾着射撃を受けているノール帝国軍砲兵。そしてもう一人は。
「嘘でしょ……」
エリザベス・カロネード。
オーランド連邦軍の中で彼女だけが、ディースカウの恐るべき技能を正確に見抜いていたのである。
【パンテルス会戦:戦況図②】




