第七十話:オーランドの支柱
「男爵閣下、僭越ながら恰も好しに御座います」
コロンフィラ伯の仕業によって大きく凹んだ兜を、両手に抱えつつ従士が答える。
「些か頭は重いが、余儀無い事か」
他の有翼騎兵とは違い、鉄のバケツをひっくり返した様なグレートヘルムを被るオルジフ。
「幸い、閣下の頭角にはさしたる外傷も御座いませんでした。これも白鷲のご加護でしょう」
片膝を付いて十字を切る従士。
「……いよいよもって、この時が来たか」
その上から、兜越しのくぐもった声が響く。
「はい。灰色の記憶より、冤を注ぐ事二十余年。漸くこの時が参りました」
「ミロスワフから、文は届いたか?」
「はい。能事終われり、と」
その言葉を聞いて、オルジフは大きく肩を上下させる。
「……騎兵士官各騎、並びに大尉へ伝達」
グレートヘルムの面表に開けられた二つの穴から、灰色の双眸が覗く。
「旗を掲げよ」
背後に控えた有翼騎兵達が、静かに赤地に白鷲の旗を掲げる。布がはためき、旗竿が垂直に立てられる。
同じく付近で待機しているノール重装騎兵の面々が、ポカンとした顔で有翼騎兵を見つめる。
「奴らは何をしているのだ。突撃命令はまだ出とらんぞ?」
ノール重装騎兵を率いるブランシャール中佐が、上着の通せぬ左袖をたなびかせながら怪訝な表情を向ける。
「突撃喇叭の幻聴でも聞こえてるのではないかね」
士官の誰かが発した冗談に、騎兵の何人かが噴き出す。それでも有翼騎兵達は、無言で雪降る空へと旗を掲げ続ける。
「時は来たれり」
オルジフが騎馬と共に翻り、配下の有翼騎兵と、その御供である槍兵達を見据える。
「ヴラジドの兵として、最期の責務を果たせ」
部下から目線を外し、遠くを見つめるオルジフ。その目はパンテルスより遠く、オーデル湖よりも遠く、リヴァン、パルマよりも遠く。アトラの彼方にある祖国へと、向けられていた。
◆
【パンテルス川会戦】
―オーランド連邦軍―
連邦戦列歩兵第一連隊:2000名
連邦戦列歩兵第二連隊:2000名
連邦戦列歩兵第三連隊:2000名
連邦戦列歩兵第四連隊:2000名
連邦戦列歩兵第五連隊:2000名
南部辺境伯義勇軍:765名
パルマ・リヴァン駐屯戦列歩兵連隊:1674名
連邦猟兵大隊『ハンター・オブ・オーデル』:500名
連邦第一騎兵連隊:700騎
パルマ軽騎兵中隊:98騎
コロンフィラ騎士団:90騎
連邦砲兵大隊:20門
総兵力:14,562名
―ノール帝国軍―
帝国戦列歩兵第一連隊:1122名
帝国戦列歩兵第二連隊:1345名
帝国戦列歩兵第三連隊:1419名
帝国戦列歩兵第四連隊:2000名
帝国戦列歩兵第五連隊:2000名
親衛古参擲弾兵連隊『ヴィゾラ』:2000名
帝室近衛擲弾兵連隊『プルザンヌ』:2000名
第七フュージリア連隊『ラ・フズィル』:2000名
帝国第十三猟兵大隊『ヴェルディール』:332名
帝国重装騎兵第一連隊:410騎
帝国重装騎兵第二連隊:567騎
帝国第一軽騎兵連隊『ローヴィレッキ』:561騎
有翼騎兵大隊『フッサリア』:98騎
帝国榴弾砲兵大隊:6門
帝国カノン砲兵大隊:8門
総兵力:16,254名
◆
「敵軍を補足しました」
酷使し続けて、所々に破けが見られる司令部テントの中からフレデリカの声が漏れ聞こえる。
「既にパンテルス川は超えているか?」
「いえ、未渡河の状態です」
「それは何よりだ。急いでエルヴェット橋までやってきた甲斐があった」
ラカント村の時の甲冑姿ではなく、深緑のコートジャケットに身を包んだコロンフィラ伯が素っ気なく答える。
「渡河地点は他にもありましょうに、なぜノール軍はエルヴェット橋に拘ったのでしょうか?」
地面を造成して造られた簡易な周辺地形盤を眺めながら、歩兵連隊長の一人が尋ねる。
「清流なヨルク川とは違い、パンテルス川は急流です。平瀬を見つけるのも容易ではありません」
本会戦から作戦会議の末席に加わったイーデンが口火を切る。
「加えてノール軍は野砲を保有しております。簡素な木造橋を渡るリスクは冒せなかったのでしょう」
「ほぅ、下士官上がりの少佐の割には理知的ではないか」
「お褒めの言葉に預かり恐縮で御座います」
嫌味を最初から相手にしないイーデンの姿勢に、面白くないといった様子で鼻を鳴らす連隊長。
「……歩兵連隊の当面の任務は、敵の渡河を阻止する事になりますかな?」
座長のコロンフィラ伯から数えて三番目、騎兵連隊長の次席に肩を並べるフェイゲンが尋ねる。
「そうだ。歩兵連隊の総指揮は貴様に任せる、他の連隊長共も異論は無いな?」
幸運にも、緒戦から戦い続けてきた彼の人事に対して文句を付ける愚か者は居なかった。
「不肖、このパトリック・フェイゲンにその様な大役が務まるかどうか……」
「フェイゲン、貴様は防衛戦をリヴァンで経験済みだろう?此度はあの時の十倍の味方が居るのだ。出来んとは言わさんぞ」
「……軍団長殿にそう仰られては、重い腰を上げざるをえませんな」
「何が重い腰よ。今までさんざ遊撃部隊として走り回ってきただろうに。有能がそう簡単に休めると思うな」
最終的にコロンフィラ伯から褒められ、一礼するフェイゲン。
「ついでにランバート、貴様の砲兵部隊は橋を渡ってくる敵兵を狙え……橋自体は落とすなよ?渡ってきた敵を狙うように」
「はっ、承知致しました」
直立の姿勢で敬礼するイーデン。
彼に限らず、地形盤を囲む佐官達は皆直立の姿勢で一堂に会している。椅子が用意されているのはコロンフィラ伯ただ一人のみだ。
「しかし、僭越ながら、橋を落とせば敵の唯一たる進軍路を潰す事が出来ます……それでも、あくまで橋は残されるのですか?」
「少しは考えを頭の中で巡らせてみろ。唯一の進軍路だからこそ、残す意味があるのだ」
テントの裂け目から落ちてきた雪が、コロンフィラ伯の肩に音も無く着地する。それを忌々しそうに手で掃くと、彼は言葉を続けた。
「唯一の進軍路が落ちたとあれば、奴等はアレコレと第二案、第三案を勘案してくるだろう。リヴァンの時の様に、架橋設備を用いた渡河作戦を実行してくるやもしれん。目下、統制役となる士官を欠いている我が軍は、そういった意表を突いた小細工に対して甚だ脆弱だ」
やや身を乗り出し、周辺地形盤の中央、パンテルス川に掛かる石橋を指揮棒で指差すコロンフィラ伯。
「故に、奴らの関心と執着をエルヴェット橋に縛り付けておく必要がある。橋を生かし、唯一の選択肢を敵に押し付け、他の手段を奴等の脳裏から消し去るのだ。川を渡る為の策略ではなく、橋を渡る為の策略を延々と敵に練らせ続ける事が出来れば、最高だな」
「敵軍そのものを視野狭窄に陥れるという事ですか……大変、勉強になりました」
深く礼をするイーデンに右手を挙げて不問に付すコロンフィラ伯。
「それで、ランバートの隣にいる嬢ちゃんだが……」
末席であるイーデンの向かいに佇むフレデリカへと顔を向けるコロンフィラ伯。
「そっちは遊撃だ。アレコレと牽制の指示を出すからそれに従え。騎馬砲のディースカウとはもう顔合わせは済んでるな?」
「はい。お望みとあらば、正面からでも不意打ちを成し遂げてみせましょう」
「その意気だ。伊達にあの女の部下を長年やってる訳じゃないらしい」
今まで退屈そうに話していたコロンフィラ伯の表情に、初めて色が宿った。
「それで猟兵大隊だが――」
「はっ!!何用でありましょうか!?」
筋骨隆々にして金髪、一繋がりとなった口髭と顎髭、そして鳩胸。何も言わなくとも東部帝国の軍人だと分かる風貌の中佐が返事をする。
「……シュトイベン男爵殿でしたかな?先だっての新兵共の訓練、ご苦労だった」
「滅相も御座いません!!私の功績ではなく、パルマ・リヴァン連隊の古参兵士達の功績による物でしょう!!勲功は私ではなく、彼等にこそ相応しいと言えましょう!!」
シュトイベン男爵の隣に立っていたフレデリカが、思わず耳を塞いだ。
「貴卿は最前線にて敵戦列歩兵士官の狙撃、並びに敵猟兵への対狙撃任務を言い渡す。高度な練度を要求されるが、貴卿ならば成し遂げてくれると信じている」
「無論に御座います!東部帝国は猟兵誕生の地!!散兵戦術の真髄をお見せしましょう!!」
その声量に天幕までもがビリビリと揺れる。シュトイベン男爵が口を閉じるのを確認したフレデリカが、漸く塞いでいた耳を開けた。
「……最後に、騎兵連隊だが」
「その言葉をお待ちしておりました。我ら騎兵連隊、如何な鉄火場にでも飛び込んで見せましょうぞ」
集った佐官達の中でも、一際豪著な肋骨服に身を包んだ青年連隊長が恭しく一礼する。
「騎兵は待機だ。コロンフィラ騎士団と同じく本陣に居ろ。虫の息で渡河してきた敵軍の掃討のみに徹する様に」
「なんと……!閣下は、このわたくしめに残党狩りを申し付けるのですか!?」
ほら来た、と言わんばかりに両手で顔を覆うと、首を天蓋に向けるコロンフィラ伯。
「……あー、諸君は虎の子の中の虎の子だ。それこそ、コロンフィラ騎士団と同等に重用したいのだ」
「コロンフィラ騎士団と、同等に……?」
不満げだった彼の目が一気に輝きを取り戻す。
「承知致しましたぞ!他ならぬ閣下の命、確かに承りました」
片足を引いて右手を差し出す、貴族特有の一礼をする騎兵連隊長。
「よし、これ以上余から述べる事は無い。与えられた任務を粛々とこなしていれば勝てる戦いだ、冷静に対処する様に!」
「「了解致しました!!」」
「各隊別れ!」
コロンフィラ伯の一声で、地図片手に各々の部隊の元へと戻って行く隊長達。
「ランバート少佐」
歩兵連隊長達に続いて天幕を後にしようとしたイーデンを、フェイゲンが呼び止める。
「はっ、小官に何か?」
「いや、君ではなく、君の部下についてだな」
二人揃って天幕から外に歩み出で、降り積もった雪を踏みしめて行く。
「部下?どの部下ですかね?」
「他におるかいな。砲兵令嬢についてだ」
「あぁ、ベスに何かありましたか?」
するとイーデンに対し、声のトーンを落とす様手振りで合図するフェイゲン。
「今や、彼女はオーランド連邦軍の精神的支柱に成りつつある……要するに、あんまり無茶な事はさせないで欲しいのだ」
フェイゲンの意図を理解したイーデンが、僅かに頷く。
「それについては小官も懸念しております。彼女に何かあれば、我が軍の士気に少なからず影響が出るでしょう」
「おぉ、理解しているのであれば特に問題は無い……あぁ、後もうひとつ」
イーデンと別れようとしたフェイゲンが、再度彼を呼び止める。
「エリザベス・カロネード、彼女はああ見えて結構な寂しがり屋だ。なるべく、側に居てあげるように」
「そうですかね。地上最後の一人になってもしぶとく生きて行けそうなもんですが……」
そんなイーデンの返答を聞いたフェイゲンが、無言で目を丸くする。
「まぁ、要件は分かりました。下手な真似はせんように見張っておきますよ」
手を振って砲兵達の持ち場に帰って行くイーデンを、フェイゲンは半目で見つめていた。
「全く、子供心の分からん奴め……」
本会議から三時間後。
午後一時に、ノール帝国軍は第一次攻勢を開始した。
第一次パンテルス川会戦の幕開けである。




