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第五十九話:我が故郷、第二邀撃地点

「オスカー・サリバンと手下共はその場で処刑、息子のエリック総裁はタルウィタで軟禁中か……」


 エリザベスから事の顛末を聞いたイーデンが呟く。


「何でエリック・サリバンはその場で処罰されなかったんだ?」


「ご本人の釈明(いわ)く、自分は反対していたが父には逆らえなかった、ですってよ」


「……あのコロンフィラ伯がそんな言い訳じみた釈明を信じたのか?」


 半笑いに口を開いたまま、目を皿の様にするイーデン。その間抜けな表情に思わずエリザベスは苦笑した。


「何よその顔……まぁ、信じてないでしょうね。処断しなかった理由は別にあると思うわよ」


 角のしつけ糸が取れてすっかりベコベコになってしまった三角帽を両手で弄ぶエリザベス。

 二人はラカント村の中央に据え置かれた、丁度良い高さの一枚岩に腰掛けている。


「大方、タルウィタ中央銀行の現総裁まで処断しちゃったら、オーランド経済に与える影響が大き過ぎると判断したんでしょうね。ラーダ(こっち)でも良くある話よ」


「貴族の特権を以てしても、カネの流れを抑えてるやつには勝てねぇんだな。悲しい話だぜ」


 エリザベスの制帽の惨状を目にしたイーデンが、自身の制帽を手に取って見る。やはり彼女のソレと同じく、ヨレヨレになっている。


「首都決戦を前にして憂いが晴れた事を喜ぶべきか、この土壇場でまだ内輪揉めをやってる事を嘆くべきか……」


 帽子を脇に避け、パイプを咥えながら、ボリボリと癖の付いた茶髪を掻きむしるイーデン。


「詳細な戦力をノール側に知られずに済んで良かったと考えましょうよ」


 ラカント村の地図を眺めながら、同じ様に銀髪をワシワシと掻き分けるエリザベス。


「良い加減、風呂にでも入りてぇな」


「同感よ。最近身体中が痒くてしょうがないわ……」


 邀撃戦開始から一ヶ月、休息らしい休息を取れないまま戦闘を続けてきた為、身体のあちこちから不精の数々が表れていた。

 何度も表裏をひっくり返して使ってきたストッキングは、土と煤と汗で浅黒く染まっており、所々破けた半長靴からひょっこりと、その顔を覗かせている。群青色のジャケットは色落ちが激しく、最早水色と言っても差し支えない程である。自慢の銀髪は油脂で萎びており、悪い意味で艶々している。


「このまま色落ちし続けたら、いよいよノール軍と勘違いされそうね」


 色落ちが止まらないジャケットの裾を擦りながら、エリザベスが呟く。


「完全に白くなったらスパイ活動でもしてきてくれ」


「御免被るわ」


 イーデンの冗談を鼻で笑いながら、再度ラカント村の地図に目を落とすエリザベス。


「にしても村の地図なんて良く手に入ったわね。カロネード商会でも村落規模の地図は取り扱ってないわよ」


「地図の左下を見てみな」


 言われるがままに見てみると、E.ランバートの署名が入っていた。


「……これ貴方が書いたの?」


 パイプのチャンバーに葉を詰めるイーデンを物珍しそうに見つめる。


「何だよその顔は」


「……いや、良くここまで詳細に書けましたわね。素直に凄いですの」


 農地や納屋の位置、果ては風車の高さに至るまで正確に記された地図を見ながら驚きの声を上げるエリザベス。


「まぁ、良く知ってる村だからな」


「あら、ラカント村に来た事があるの?」


 エリザベスの質問には答えずに、藁葺(わらふ)きの屋根を指差すイーデン。


「あそこに立ってんのがブランチ家、あの窓が割れたままになってるのがキャラハン家だ。夫婦喧嘩の最中に割れてからそのまんまだ。そんで――」


 先程まで指差していた農家よりも二回り程大きい家を指差す。


「あれがランバート家だ。へっ、十五年前に出て行った時と何も変わってねぇな。野良犬にぶっ壊された柵までそのまんまだ」


「……ラカント村の出身だったんですのね」


 今自分がイーデンの生まれ故郷に居る事を知り、何とも形容し難い気まずさに包まれるエリザベス。


「どうしてラカント村を出たの?立派なお家なのに」


「長女のお前と違って、俺は三男坊だったからな。家督は上二人の兄貴に持ってかれちまったよ」


「村の中に仕事は無かったの?」


 無意味に視線をあちこちに向けながら尋ねる。


「都会育ちのお嬢様にゃ馴染みも無いだろうが、村に給料貰える仕事なんて無いぞ。一生畑耕して過ごすか、村を出て食い扶持稼ぐかの二択だ」


 そんで俺は後者を選んだ訳だ、と枝を擦って火種を作り始めるイーデン。


「村を出て、そこからパルマ軍に入ったの?」


「いや、最初は軍人になる気なんて更々無かったぞ」


「え、じゃあ何の仕事をするつもりだったのよ?」


 エリザベスの問いには答えず、火種から弱々しく立ち昇る煙を見つめるイーデン。


「……そ、そんな答え辛い仕事をするつもりだったの?」


「いや、笑われるから答えねぇ様にしてるだけだ」


 彼の勿体ぶる様な口振りに、思わず眉がへの字になるエリザベス。


「いいじゃない笑われたって。いい夢であればある程、周りからは笑われる物だって、誰かさんが仰ってましたわよ」


「誰かって誰だよ」


「良いじゃない誰でも。何の仕事するつもりだったのか教えなさいよ〜」


 エリザベスにせがまれたイーデンは、火種を作っていた手を休め、ぼそりと呟いた。


「画家だよ。絵描きになりたかったんだ」


 あまりにも予想外な回答が飛び出してきて、目が点になるエリザベス。


「画材が高過ぎて諦めた、それだけだ」


「……そうなのね。絵の具は高いから、そうよね」


 どう答えて良い物か分からず、空虚な返答をするに留まるエリザベス。

 火種に息を吹き込むイーデンの姿を横目に、改めて彼の書いた地図を見てみると、戦略地図にしては過剰な程に、陰影が細かく書き加えられている事に気付いた。

 通常、戦略地図は第一に見やすさが優先される為、こういった写実的な陰影を付ける事は無い。それでもこの様な描き方になったのは、彼の故郷に対する想い故に違いない。


「それで、その後にパルマ軍に入ったの?」


 これ以上、彼の心に踏み込む事を忍びなく感じたエリザベスは、話を逸らす事にした。


「あぁ。読み書きが出来るってんで、最初は歩兵砲要員に回された」


 火種をパイプのチャンバーに突っ込むと、パイプを咥えて空気を送り込むイーデン。


「結局、読み書きの技能が活かす機会なんて殆ど無かったよ。大砲をひたすら肩で押してた記憶しか残ってねぇな」


 火種を足踏みして消火すると、ひと段落ついた様に肩を落とすイーデン。


「その後はお前も知っての通り、騎兵からの一周回って砲兵だよ。この流れは家族に言っても信じて貰えねぇだろうな」


「……そう言えば、農民を避難させる時にご家族とは会えましたの?」


 家族の単語に反応したエリザベスが、苦笑混じりのイーデンへと尋ねる。


「あー、会いたくなかったから避難はオズワルドに任せた」


「どうして?仲が悪かったんですの?」


「いや、別に悪い訳じゃない」


 パイプを吹かして、視線を巡らせるイーデンだったが、やがて諦めるように手を振った。


「年取ったらお前も、何となく分かる様になるよ」


「何よそれ」

 

 そう漏らすとエリザベスは地図へと目を戻す。

 何度見ても、非常に詳細な地図だ。普通の地図であれば無視されてしまいそうな畦道(あぜみち)まで、しっかりと描かれている。納屋に併設された物置、畑を囲う柵、各家の間取り。彼がラカント村にどんな想いを抱いているのか、この地図を見れば手に取るように分かる。

 だからこそ、どうしても聞きたい質問が私の中で燻っていた。


「……本当にいいの?」


「あ?何がだよ?」


 地図からは目を逸らさず、イーデンに尋ねた。


「……何か、やり残した事は無い?」

 

 自身の故郷が戦禍に飲まれる。その事実を前にして、思い残りが本当に無いのか、どうしても確かめておきたかった。

 もっと単純に言えば。

 クリスの二の舞になって欲しくない。その一心が搾り出した確認だった。


「邀撃地点としてラカント村(ここ)が選ばれた時点で、覚悟は出来てたよ」


 地図から目を離してイーデンを見る。彼の表情が、あの日のクリスと重なる。あの憑き物が落ちた様な表情。


「心残りは無いさ。心配せんでも良い」


 そんな訳が無い。そう言いたかった。

 ただそう言った所で、彼の心を土足で踏み荒らす結果にしかならない。

 私からはこれ以上、何も言えない。

 体の周囲が徐々に冷えて行く様な、居た堪れない気持ちになる。

 

「……なぁ、ベス」


 不意にイーデンが口を開いた。


「今から言う事は、遊撃騎馬砲兵の指揮官としてではなく、ラカント村のイーデンの発言だと思って聞いてくれ」


 彼の咥えるパイプが、口の動きに合わせて上下に揺れる。その動きは、僅かに震えていた。


「分かりましたわ」


 彼の言葉を受け止める為、背筋を正す。


「オーランド軍は、オーランドの為に戦ってるんだよな?」


「はい」


「ラカントも、オーランドの一部だよな?」


「はい」


 彼は一際大きく、息を吸った。パイプのチャンバーに盛られた葉が、赤熱して膨れ上がる。


「何で、タルウィタは守ってくれるのに、ラカントは守ってくれないんだろうな」


「タルウィタの失陥は、オーランドの敗北へと直結しますわ。ですので――」


 タルウィタの代わりに、ラカントには犠牲になってもらった。そんな言葉は死んでも言えなかった。

 

「ラカントを守る為に、戦ってた筈なんだけどなぁ」


 彼の語尾と口が震える。


「どうして、こうなっちまったかなぁ……」


 イーデンの口から、パイプがこぼれ落ちた。


「イーデン大尉!」


 パルマ軽騎兵の一人が、農村入り口から猛スピードで此方に向かって来る。


「……おぉ!斥候ご苦労!結果はどうよ?」


 すかさずイーデンは片手を挙げ、威勢よく返事をする。


「ノール帝国軍は軽騎兵と有翼騎兵を主軸とした部隊をラカント村へ向かわせております!我々の待ち伏せに勘付いている可能性大!」


「んだとぉ?白蛇らしく鼻が効くじゃねぇか!ベス!オズワルドを呼んでこい!待ち伏せ方法を変えるぞ!」


 パイプを拾い上げ、その辺りに生えていた雑草を突っ込んで無理やり火種を消すと、いつもの顔で自分を呼ぶイーデン。


「…………」


 貴方は嘗て、自分は士官に向いていない性格だと言っていた。

 正直、私もその時は同感だった。


「……了解ですわ!」


 今の貴方は、紛れもない。

 本物の士官だ。

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