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第五十八話:絶対身分の高壁(後編)

 

「無礼な!私を誰だと思っている!オスカー・サリバンだぞ!」


 パルマ軽騎兵に身柄を拘束されたまま、身体検査を受けているサリバンが罵声を飛ばす。


「あまり激しく動かれない方が宜しいですわよ?貴方の手足を捉えている輜重兵達の狙いが、不幸にもズレてしまう恐れがございますので」


 ラカント村へと連行されたサリバンとその手勢達は、エリザベス率いる輜重兵達に銃口を向けられたまま、麻紐で縛られていた。


「……有りました!徴兵報告書の概略(サマリー)です!」


 サリバンの訴えを無視して体を(まさぐ)っていたパルマ軽騎兵が、彼の懐から抜き出した書類を天高く掲げる。


「早まった馬鹿者め!その書類を途中で書き換え、ノール帝国に嘘の概略(サマリー)を手渡す算段だったのだ!」


「往生際が悪いな。であれば、余の机から書類を盗み出した事は認めるのか?……縄を解いてやれ。最早此奴に逃げる手段は残されていない」


 姑息な嘘を吐いてしまう程に彼が追い詰められている事を理解したコロンフィラ伯が、彼の縄を解く様に指示する。


「……コロンフィラ伯領において、領主の私書を盗み出した場合、処罰は如何程になりますか?」


 取り戻した書類の内容を確認しながら、パルマ女伯が尋ねる。


「アリス・ランドルフ――!」


 パルマ女伯の姿を目視したサリバンの目の色が変わった。

 今まで彼の目に浮かんでいたのは、自身の扱いに対する不服の念だった。その目が彼女を捉えた瞬間、(まなじり)を裂く様にその瞳を大きく見開き、解けかけた縄を腰から引きずったまま、老人とは思えない速さでパルマ女伯に駆け寄った。


「――ッこのバカ野郎が!自分の置かれてる状況ってモンが理解できねぇのか!?」


 当然、パルマ女伯の首元を目掛けたその腕が届く事は無く、側に居たパルマ軽騎兵に両手を取られ、地面へと組み伏せられる。


「貴様かァ!?貴様がデュポンの糞若造に入れ知恵をしおったのか!?」


 地面に顔面を叩きつけられ、額と頬から血を流し、顔を砂利と土塗れにしながらも、パルマ女伯に憤懣(ふんまん)遣る方ない眼差しを向けるサリバン。


「貴様!いや貴族のバカ共はいつもそうだ!我々の邪魔ばかりしおって!そんなに庶子の家が世に憚るのが気に食わんのかッ!?」


 軍人二人掛かりで押さえつけられながらも、パルマ女伯に呪詛を吐き続けるサリバン。


「貴方も変わりませんね、それこそ我が祖父の時代から。齢九十を超えてなお、貴族を敵視するのですね」


 跪いて、なお頭が低い所にあるサリバンを見下すパルマ女伯。


「たとえ脳天を鉛玉で撃ち抜かれようとも、貴様ら貴族に思いを寄せる事など有り得んわ!」


 地面に這いつくばりながら、なおも顔をもたげ、パルマ女伯を睨み返すサリバン。

 

「黄金の屋根の下で産まれたというだけで、あらゆる特権が保障される貴様らとは違い、我々は一から!いやゼロから!ここまで成り上がったのだ!肘掛け椅子にふんぞり返っているだけで何もかもが許される貴様らとは違う!指一つで庶民の首を飛ばせる貴様らとは違う!我ら平民こそ、自らを治めるに相応しいというのにッ!なぜ邪魔をするかッ!?」


 平民が貴族に対して抱える恨み、嫌悪、劣等感、その全てをない混ぜにした感情を、悔しさと共にぶちまける老人の姿を目の当たりにして、次第にエリザベスは怒りの感情よりも、同情とも取れる哀れみの感情が増していくのを覚えた。


「ランドルフ卿、こいつに耳を貸す必要は無い。貴族を恨んでいると(うそぶ)くこの老骨は、あろうことかノール帝国の貴族を頼ろうとしたのだ。その時点で此奴の言い分は破綻している。所詮は私利私欲に塗れた私怨よ」


 コロンフィラ伯が吐き捨てるように助言を差し出すが、パルマ女伯の姿勢は変わらない。


「オスカー・サリバン、一つ貴方に問います。貴方は貴族と平民を分け隔てる物は何だと考えますか?」


「き、貴族と平民を分け隔てる物だと……!?」


 自分に対する罵詈雑言では無く、至極単純な質問を投げかけられたサリバンの目から、一瞬怒りの感情が消え失せる。


「そんな物、特権と金!土地!財産!いくらでも挙げられるだろう!故に我らは貴様らを凌駕する程の金を稼いだのだ!絶対身分という高壁をも超える力を!」


「はて、そうでしょうか」


 パルマ女伯は自身の纏うドレスを眺めながら呟く。パルマが焦土と化したその日から延々と纏い続けたその白いドレスは、継ぎ接ぎにまみれ、裾は見苦しくほつれていた。


「貴方が言う、家も、領地も領民も、金も財産も権利も全て失った余の事を、貴方は変わらず貴族と認識してくれています」


「――ッ!?」


 パルマ女伯の指摘を受け、表情が固まるサリバン。


「であれば、貴族が貴族たる所以(ゆえん)は今挙げた物以外にあると。そうは思いませんか?」


 暫くサリバンに回答の猶予を与えたが、彼は何も答えずに睨むのみであった為、再び口を開いた。


「貴方は土地を捨て、逃げようとした。これこそが、貴族と平民とを分け隔てる物の一つでしょう……彼を離してあげなさい」


 パルマ女伯の命令で、組み伏せていた軽騎兵がサリバンから手を退ける。彼は激しく咳き込んだ後、胡座を搔いた。曲がった背骨の所為で、前に俯く様な姿勢になっている。

 

「平民は住み慣れた土地を捨て、逃げ仰る事も叶いましょう。しかし貴族は……より正しい言い方をするのであれば……誇り高き貴族は、逃げる事などしません」


 乗馬によって乱れた髪を、改めて後ろで纏めるパルマ女伯。日に焼けて、やや小麦色に染まった(うなじ)が露わになる。


「先祖より受け継ぐ地を守る為に、万難を廃し、断固として立ち向かい、その地で死ぬ。その為に与えられたのがこの特権であり、この爵位です」


 ここで、今まで黙って聞いていたサリバンが口を荒げた。


「そんな物は詭弁に過ぎぬわ!領民を搾取し、能力のある平民を意図的に(おとし)め!才能に蓋をする!醜悪な者達が、自らを正当化する為に(のたま)う詭弁だ!」


「……残念ではありますが、自らに与えられた特権に溺れ、その様な強権を振るう貴族が居ることは否定しません」


 短く息を吐くと、サリバンと同じ視座に立つ様にして座り込むパルマ女伯。


「……貴方がもし、余と同じ裁量を持ったとしたら、能力のある者は上へ、無能な者は下へと送る治世を行いますか?」


「あ、当たり前だ!それが平等という物だろう!?」


 地面に拳を打ち付けながら、断固として譲らないサリバン。エリザベスの目にはいつしか二人の姿が、罪人とそれを裁く貴族の姿から、対等な討論を交わす二人の論者の姿に映っていた。


「そう言えるのは、貴方が有能側の人間だったからなのでしょうね」


「で、では何だ!?貴様は違うとでも言いたいのか!?」


「無能は際限無く下に落ちるべき、という考えこそが、治世を行う者として相応しく無いのです」


 パルマ女伯の返答に対して、徐々に言葉に窮する場面が出てくるサリバン。


「なんの……なんの理由があって無能を救おうとするのだ!全くの無駄ではないか!?」


「それが貴族(noble)らしさ(obligation)です」


 貴族(noble)らしさ(obligation)。そう述べた彼女は、どこか誇らしげだった。


「我ら貴き者に課せられた責務であり、矜持でもあります。己になんの利益も(もたら)す事のない無能者も、隔てなく救おうとしてこその貴人なのです」


「そ、その……その!救おうとする基準があまりにも主観的だと言っているのだ!貴様らの胸先三寸ではないか!」


「そうですね、確かに主観的です。では、貴方を始めとする庶民が、余を始めとする貴族よりも客観的な基準を下せるという根拠は何処にありますか?」


「ぐぅッ……!」


 地面の土ごと拳を握り締め、肩を振るわせるサリバン。

 窃盗と売国の罪を重ね。

 それでいて縄を解かれ。

 弁明を設ける機会を与えられ。

 その上で舌戦で敗北し掛かってる己に対する情け無さと悔しさが、滲み出ていた。


「……エ、エリザベス!エリザベス・カロネード!」


 急に自分の名前を呼ばれ、思わず顔が強張る。


「平民出身のお前なら、私の言い分が正しいと分かるだろう!?お前も元商人なら、この不平等が!この無念が理解できるだろう!?」


 手を広げ、自分に賛同を求めるサリバン。


「……わたくしも、絶対身分の不平等を感じた事は何度もありますわ」


 貴方の言う通り、商人として働く上で、領主の存在を、貴族の横槍を、目障りに感じる事など数え切れぬほどあった。あんな奴等など早々に居なくなって仕舞えば良いと、歯を食いしばりながら何度も思った。


「おぉ!そら見た事か!平民に貴様らの味方など――」


「違いますわ!わたくしが言いたいのはそうじゃありませんわ!」


 胸に手を当てて、断固として(いな)の声を張り上げる。サリバンの勝ち誇った様な表情が、みるみる萎びていく。


「リヴァン伯様、コロンフィラ伯様、そしてパルマ女伯閣下……。今の世に貴族(noble)らしさ(obligation)を掲げる方々と接する内に、もう少しだけ……貴族という身分を信用したいと思いましたの」


 いま名を挙げた者達は、貴族の中でも取り分けて希少な存在だ。貴族が皆こうなら苦労はしない。

 しかし僅かながらでも、貴族の責務を果たそうとする者が残っているのならば。

 その矜持を護ろうとする気概が残っているのならば。

 それに賭けてみたいと願う自分が居たのだ。


「お……お前は今を肯定するのか?貴族による属人的で恣意的な法に縛られながら、届かぬ自由を見上げ続ける日々を甘んじで受け止められるのか……?」


 自分と同じ身分の者から同意を得る事すら叶わず、ついに憔悴を露わにするサリバン。


「……今までの歴史がそうであった様に、この絶対身分制度という高壁も、いつか音を立てて崩れる時が来るのでしょう」


 拳を握り締め、顔を上げ、サリバンの瞳を真っ直ぐ見据える。


「ですが今はまだ、この古臭い、苔むした制度に縋る他無いと考えておりますの。わたくし達は、これを越える制度を未だ知らないのですから」


 話し終わった時、サリバンの表情から生気が消えて行くのが分かった。今や自分の前にいるのは、今にも死にそうな、只の老体だった。

 冬の干からびた風が、一団の間を足早に駆け抜ける。コロンフィラ伯が口を開いたのは、そんな風が二、三度駆け抜けた後だった。


「……余の領地から軍事機密書類を盗み出した上、戦争当事国であるノール帝国へその情報を売り渡し、あまつさえ亡命を企てんとした罪、誠に許し難い」


 コロンフィラ伯が片手を挙げると、騎士団員の一人が短銃を構える。


「タルウィタ市長、オスカー・サリバン。コロンフィラ伯領の法に従い、貴様に極刑を命ずる。他の者の処罰に関しては、追って下す物とする……」


 騎士団員二人に抱え上げられたサリバンは、最早立つ気力も残っていないのか、項垂れたまま佇んでいる。


「最期に何か言い残す事はあるか?」


 コロンフィラ伯の温情に対し、フラフラと挙手を示すサリバン。


「……アリス=シャローナ・ランドルフ。一つ聞きたい」


 俯いていた顔を上げるサリバン。そこには野望と復讐の炎も消え失せ、今にも消え入りそうな灰色の光を帯びた、弱々しい老人の双眸があった。


「何故、私と対話の機会を設けた?恨みもひとしおだっただろうに……何故、問答無用で私を殺さなかった?」


 パルマ女伯は扇子で口元を隠すと、サリバンから目を逸らしながら答えた。


「六十年前の祖父がそうした様に……余も、あくまで対話による決着を望んでいましたので」


 そう述べるパルマ女伯の目尻には、ほんの微かに、雫が宿っていた。


「もう……何もかもが手遅れです」


 初冬の乾いた風に乗って、一発の銃声が響いた。

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