第五十七話:絶対身分の高壁(前編)
コロンフィラ市。
この市は現在、オーランド中から徴兵されてきた兵士達によって、その市内人口を二倍以上に膨らませていた。
「軍団長閣下、タルウィタから酒保商人達が物資を売りたいと、行列を成して来ておりますが……」
「物資はあればあるだけ良い!相場から大きく乖離してなきゃ靴でも何でも全部購入しろ!ベージル・バークの髭野郎から借りた金で足りなきゃ余の私財と市の金庫から出せ!」
「コロンフィラ伯閣下、兵士の駐屯施設が全く足りておりません。市民の家を舎営として一時的に割り当てておりますが、当の市民達から凄まじい数の苦情が殺到しております」
「もう二週間もすれば全員居なくなる!耐えろとだけ伝えておけ!」
記入途中の編成表を机に積み上げながら、代わる代わるにやってくる家臣の報告を捌いていくコロンフィラ伯。
「歩兵が一五千、騎兵が三千、砲が全部で二十門……取り敢えず面子だけは揃ったな。後は練度と士官充足率を決戦までにどれだけ上げられるか……」
「デュポン卿、ちょっと良いですか?」
肩書きではなく苗字で呼ばれた事に反応して顔を上げると、両手で書類を抱えたパルマ女伯が自身の事を見下ろしている。
「アリ……ランドルフ卿、どうした?」
「一々言い淀むくらいならアリスと呼んで良いですよ。余は引き続きデュポン卿と呼びますが――」
「ランドルフ卿!要件を述べよ!余は忙しいのだ!」
顔を下げて机に齧り付きながら質問するコロンフィラ伯。パルマ女伯の口角が僅かに上がった。
「貴卿がもう不要と判断して捨て置いた徴兵報告書の数々についてです」
自身が両手に抱える徴兵報告書の数々へ目線を落としながら話すパルマ女伯。
「今朝方、もう要らんから捨ててくれと言うた奴ではないか」
「捨てろと余に預ける前に、しっかりと全徴兵報告書が揃っているかどうか、確認なさいましたか?」
「捨てる書類に対して全数揃っているかどうかを確認する必要などあるまい」
「いいえ、あります」
ドサッとコロンフィラ伯の机に書類の束を落とすパルマ女伯。女伯の後に順番待ちをしていたコロンフィラ伯の家臣達が、これは長くなりそうだと直感したのか、ゾロゾロと部屋を後にする。
「この徴兵報告書達は、いわばオーランド連邦軍の兵力そのものです。ノール帝国側から見れば、喉から手が出るほど欲しい情報が数多く記載されています。この意味がお分かりですか?」
「誰ぞノール軍の間謀が、その書類を求めて忍び込んで来るとでも?」
「その通りです。より正確に述べれば、忍び込んだ、が正解でしょうね」
パルマ女伯が机に置いた紙束から、幾つかの書類を抜き出して見せる。
「各書類の内、各領地の徴兵総数を記した概略のページのみが抜けています。念の為に確認しますが、貴卿がオーランド諸侯から受け取った時点では、概略のページは存在していましたよね?」
「も、勿論だ!その概略の情報を基にして、今正にこの編成表を書いているのだぞ!?」
手元の連邦軍編成表を指差しながら弁明するコロンフィラ伯。
「いつの時点まで手元にありましたか?」
「昨日の時点では確かにあったぞ!この目で見た!」
「では、昨日から今日の朝にかけて抜き取られた、という事ですね」
「お、恐らくな!」
話す度に鋭さを増すパルマ女伯の眼差しと、自分の思慮の浅さを露呈した事による焦りとで、自然と腰が引けてくるコロンフィラ伯。
「昨日から今朝方に掛けて、この部屋に入ってきた者達を憶えていますか?」
「ここ最近凄まじい数と人物と面会しているのだぞ!?一々覚えてなどおらん!」
「全てとは言いません。あの概略を共に閲覧した訪問者だけで良いのです。普段は鍵付きの引き出しに仕舞っていたのでしょう?貴卿の不在時に盗むというのは現実的ではありませんので」
無理難題に対して直ぐ辟易するコロンフィラ伯に対し、その難題を現実的な課題にまで落とし込むパルマ女伯。婚約解消した仲ではあったが、互いに相和する部分も確かにあったのである。
「概略を一緒に見た奴だと……?フェイゲン連隊長と酒保商人共、あとはウチの侍従長とお前、他には――」
頭を捻って思案を巡らしていたコロンフィラ伯の顔が、剣突を食らったかの如く強張る。
「……心当たりがあるのですね?」
パルマ女伯の問いに、色をなして頷くと、コロンフィラ伯は侍従長に向かって叫んだ。
「オスカー・サリバンだ!!アイツは今何処にいる!?」
「はっ、タルウィタへ戻ると今朝方仰っておいででしたが、念の為、小物にしばし後を追わせた所、タルウィタとは逆の方向へ馬を走らせたとの事」
「馬鹿者!なぜそれを早く言わん!」
兎角するうちに身支度を整えると、パルマ女伯に共に来るよう目で合図する。
「あんのクソジジイ!もう一度融資出来るか検討したいから徴兵内容を見せろと言ってきやがった!即金欲しさで概略を見せた余が大馬鹿者だった!」
「今朝出立したとあれば、まだそう遠くには行っていない筈です。加えて、タルウィタと逆方向に馬を走らせたのなら、奴の行く先はほぼ一択です」
壁に掛けられた北方大陸地図に目を遣りながら、こちらも身支度を整えるパルマ女伯。
「オーデル湖のノール軍と接触するるつもりか……!おい!騎士団員全員に出撃命令だ!ノール軍の内通者を捕縛する!今直ぐだ!加えて門前に余の馬を用意しておけ!」
「畏まりました」
短く一礼し、部屋を後にする侍従長。
「ラカント村に駐留している遊撃騎馬砲兵隊にも周辺捜索の命令を出した方が良いでしょう。ノール軍との接触前にサリバンの身柄確保が出来れば、内通者として正式に処罰も可能となります」
「あぁ、同感だ」
侍従長に続いて部屋を出る二人。廊下で待機していたコロンフィラ伯の家臣達が目を丸くする。
「皆、済まぬ!火急につきしばらく留守にするぞ!」
パルマ女伯の手を取りながら、足早に階段を下っていくコロンフィラ伯。そんな二人の後ろ姿を見ていた年配の家臣達が、ふと言葉を漏らす。
「まるで十年前を思い出しますな」
「全く。懐かしいお姿だ」
「あの時もああやって、パルマ女伯様を無理矢理狩りへと連れ出しておりましたな」
二人はそのまま、門前で待機していたコロンフィラ伯の馬に跨る。
「ランドルフ卿、馬の乗り方は覚えているか!?」
「えぇ、勿論です」
彼に引っ張り上げられる様にして、彼の後ろに横乗りの姿勢で跨るパルマ女伯。
「散々、貴卿に連れ回されましたから」
口調こそ不満げだったが、その表情は相好を崩していた。
◆
「急げ急げ!いつ追っ手が来るか分からんのだぞ!」
言語を解する訳でもないのに、自らが跨る馬を急かすサリバン。側を流れるパンテルス川の清流とは対照的に、彼の表情は険しかった。皺まみれの額に尚一層皺を寄せ、流れる汗までもが皺に沿って滴り落ちている。
「えぇい!オーデル湖はまだか!?」
「もう間も無くラカント村ですので、今暫くのご辛抱を!」
引き連れた僅かな手勢と共にパンテルス川を北上していくサリバン。悪目立ちせぬ様にボロ布を外套として纏い、ツギハギだらけの斜め掛けカバンを腰に回し、街道をすれ違う者達とは挨拶すら交わさず、ひたすらにノール軍との合流を目指していた。
「サリバン殿、前方に兵士です。パルマ軽騎兵が検問を敷いています。既に勘づかれた可能性が高いかと」
先んじて前方の道路状況を確認しに出ていた従者が、手を上げながらサリバン達の元へ戻ってくる。
「なんだとぉ!?既に手を回されておったか!」
「右手の側道へ入りましょう。少々荒れ気味ですが、こちらであれば追っ手の目も掻い潜れるでしょう!」
腕を右に伸ばしながら道案内人が右手に逸れると、それに続いてサリバン達も低木が茂る側道に入り込む。
「本当に……!本当に大丈夫なのかねこの道は!?」
ただでさえボロボロの外套が、あちこちに伸びた枝によって切り裂かれ更にボロボロになっていく。
「かつてはコロンフィラ伯の猟場として整備された道ですが、今では使う者は誰もおりません。この道はオーデル湖、果てはパルマまで繋がっておりますので、今回の様な道程にはうってつけです!」
「なるほど!流石は高いカネを支払っただけの事はある!期待しているぞ!」
口を開けて笑おうとした所で顔に羽虫が直撃し、悪態をつくサリバン。
「クソッ!忌々しい!……コロンフィラの小僧にはそこまで頭が切れる印象は無かったが、想像よりも大分早く勘づかれたな……」
「貴族達に勘付かれたという事は、もうタルウィタへは戻れないのでしょうね……」
サリバンの直ぐ側で馬を併せる中年の男性が呟く。
「案ずるなエリック。この書類を無事プルザンヌ公の元へ送り届ければ、我らはノール帝国内での身分を保証される」
懐に収めた徴兵報告書を手で叩きながら、サリバンが怪しく微笑む。
「オーランドなど最早泥舟よ!生まれに胡座をかき、既得権益を欲しいがままにする貴族共と一緒に、ノール帝国という洪水に呑まれて沈んでしまえ!我ら聡明なサリバン家は泥舟から脱し、ノールという新天地で更なる飛躍を遂げるのだ!」
「そ、そうですか……」
エリックという名の男が、薄くなった頭頂部を掻きながら答える。彼にはサリバンの様なギラギラとした雰囲気はまるで無く、うだつの上らない官吏の様な頼りなさが滲み出ている。
「エリック、お前もサリバン家の跡取りとして、もう少し堂々とした振る舞いを心がけるべきだな。私がお前と同じ歳の頃などは――」
サリバンの小言に対し、ますます頭を縮めるエリック。彼の小言が五分程度続いた頃、先を行く案内人が小言を遮るように叫んだ。
「不味い!追っ手だ!」
その言葉に周りを見回すサリバン。そこには茂みに紛れて左右と後方、三方向から接近するコロンフィラ騎士達の姿があった。
「おい案内人!この道は安全と言っていたではないか!?」
「大丈夫です!騎士達の足はそう早くはありません!道を選びながら進めばいずれ撒けます!」
サリバン達は、案内人の指示に従って、分かれ道を右に左にと進み始める。騎士が左から迫れば右の分かれ道に。今度は右から迫れば左の分かれ道に。
彼らはコロンフィラ騎士達を上手く撒いていた。
より正確に言えば、上手く撒いていると思い込んでいた。
「よし!振り切ったぞ!このまま――!?」
森の中にぽっかりと広がる空き地に出てきたサリバン達は、自分達の目前に広がる光景に言葉を失った。
「そんな……しまった……!」
案内人が観念した様に、馬の足を止める。
「オスカー・サリバン市長。並びにエリック・サリバン総裁ですね?」
サーベルを抜き、横一列に整列するパルマ軽騎兵達。その先頭に立ったフレデリカが、分かりきった質問を投げかける。
「ど……どういう事だ貴様!!あれだけのカネを払ったというのに!なんという体たらくかッ!?」
手綱から手を離し、両手を上げる案内人に対し、物凄い剣幕で詰め寄るサリバン。
「その者に非は無いですぞ?」
聞き覚えのある声にサリバンが振り向くと、パルマ女伯を後ろに乗せたコロンフィラ伯が、ゆっくりと近づいてきた。
「ここは余の狩場だ。他ならぬ余に追い立てられたとあっては、狐も、兎も、鹿も、ましてや薄汚いネズミなど、逃げおおせる訳が無い」
「フィリップ・デュポン……!貴様あああああ!!」
パルマ軽騎兵に縄で体を縛られながらも、呪詛のこもった言葉を向けるサリバン。
「市長殿のお陰で、久々に狩りの高揚感を味わえました……感謝申し上げます」
かくして、狩りは終わったのである。




