第五十五話:オーデル湖邀撃戦(中編)
「敵に砲兵部隊が!?そのような事、あり得る筈が無いっ!」
木の幹に拳を叩きつけるリヴィエール。
「砲兵がラカント村から此処まで行軍しようと考えたら五日は掛かる距離だぞ!?騎兵と同等の速度で行軍できる砲兵など……ゴホッゴホッ」
木の幹に手を付き、一時激しく咳き込むリヴィエール。
「自愛せよリヴィエール。貴殿は元々、従軍も厳しい体なのだ」
「申し訳……ございません。参謀ともあろう者が、取り乱しました」
手で口を抑えながら、握り締めて皺だらけになった地図を食い入る様に見つめるリヴィエール。
ふと、彼の表情が沈着する。
「まさか、騎馬砲兵……か?」
騎乗したままの姿で報告してきたベルナール卿の方へ振り向くと、務めて従容的な口調で質問を投げかけた。
「ベルナール卿、敵の大砲は確かにカノン砲でしたか?」
「確かだ。砲撃によって茂みが晴れた際に今一度確認した。間違いなくカノン砲だ」
力強く頷くベルナール。
「敵砲の口径までは分かりますか?」
「散弾の散布界や射撃時の閃光からして、かなり小型の砲だった筈だ。少なくとも八ポンド以下だろう」
「流石は軽騎兵、得難い情報を有難うございます」
ベルナールの情報から確信を得たリヴィエールが、平常心を取り戻す。
「厄介な事に、敵は騎馬砲兵部隊を編成している様です。小型軽量なカノン砲であれば、湿地帯でも機動力を確保出来るでしょうから」
「騎馬砲兵だと!?オーランド軍風情に、その様な精鋭部隊を編成できる練度があるとはとても思えんぞ!?」
「ええ、常備軍を持たないオーランドがそんな兵種を編成出来る訳がない……私もそう考えていました」
騎兵としての技術と、砲兵としての技術。その両方が求められる騎馬砲兵は、軍の中でも精鋭部隊とみなされる事が多く、当然数も少ない。
加えて騎馬砲兵部隊を指揮出来る人材となると、その数は更に絞られる。本来、一地点から動く事の無い砲兵を、刻々と変化する戦況に合わせて機動的に且つ効果的に動かさなければならないのだ。
「しかし最早、この認識は捨てた方が良いでしょう。俄に信じられませんが、オーランド連邦軍は騎馬砲兵を編成出来る程の組織力と練度を持っており、卓越した騎馬砲兵指揮官が付いているのでしょう」
「し、しかしだな……」
リヴィエールの、余りにもオーランド側を持ち上げる様な物言いに対してたじろいでしまうベルナール。
「先程無様を晒して来た身ではあるが、それでも納得は出来んぞ……。ただでさえ烏合の衆なオーランド軍に、騎馬砲兵の指揮が出来る者など早々居るわけが――」
「残念ながら、一人。私には心当たりがございます」
今まで交えて来た会戦を思い浮かべながら、リヴィエールが呟く。
「パルマ会戦、ヨルク川会戦、リヴァン市包囲戦……。どの戦を取ってみても、必ず我が方に手痛い損害を与えてきた、一人の砲兵がおります」
「そ、その砲兵が今回の騎馬砲兵部隊を率いていると、貴殿はそう言いたいのか?」
「戦術も似通っておりますので、可能性は高いかと」
「その者の名前は分かるかね?我としても、留意しておきたい」
リヴィエールは無言で一枚の人相書きを取り出すと、ベルナールへ手渡した。
「……エリザベス・カロネード?この銀髪の少女がか?」
後悔を引きずる様な重苦しさで、リヴィエールは首を縦に振った。
「砲兵令嬢……。それが彼女の異名です」
◆
「本隊現着!」
「湿地を抜けた大隊から、順次行軍隊形から戦闘隊形へ移行!横隊を形成しろ!」
「先遣隊は既に接敵しているぞ!三列横隊だ!急げ!」
「捧げ銃の姿勢を崩すな!銃口は上に向けろ!横にすると木に引っ掛かるぞ!」
士官達の怒号の様な号令と共に、湿地を突破したノール軍戦列歩兵達の足並みが響く。泥濘を踏み締めるネチャネチャとした音から、徐々に硬い土を踏み締めるガツガツとした音へと、彼らの足音が変わって行く。
「大隊三列横隊!行進!前へ!前へ!」
泥で所々が茶色くなった白ジャケットを翻しながら、横隊を形成する歩兵達。木々によって横隊を阻まれた箇所だけが、歪に折り曲がっている。
「軍団長閣下、閣下自ら戦列を率いてくださるというご高庇、感謝申し上げます」
「構わぬ。敵勢は?騎砲兵と猟兵のみか?」
横隊前進を開始した戦列の後に続く様にして、ヴィゾラ伯とプルザンヌ公が並んで進む。
「加えて、若干の軽騎兵も擁しておる様です」
「戦列歩兵は居らぬのか」
「はい、あくまで速さを重視した編成の様でございます」
「しからば、押し通るまでよ。歩兵には戦闘隊形を維持させる様に努めよ。陣頭指揮は余が直々に執る」
味方前線へ向かおうとするプルザンヌ公を見て、思わずギョッとするヴィゾラ伯。
「猟兵による狙撃と、軽騎兵による遊撃、そして騎砲兵による牽制……。敵方に雌雄を決する気が無い事は既に明白であろう。我々の決心を遅らせ、対策を案じさせ、時間を掛けさせる事こそ、奴らの翹望よ」
そう言うとプルザンヌ公は、おもむろに馬から降りた。彼の纏う華美なマントの裾が、みるみる茶色に変わって行く。
「故に押し通る。正面戦力の無い奴らにとって、被害これ顧みず邁進する我らの姿こそ厭悪の対象よ」
流れる様な美しさでサーベルを抜き、切先を真正面に据える。
「か、閣下!?なにも軍団長閣下が直々に前へ出る必要はございませんぞ!?」
「否、軍団長こそ姿を見せねばならぬ」
ヴィゾラ伯の静止を無視し、味方の戦列に加わるプルザンヌ公。
「遠く郷を出でて、懸軍万里の末に至る将兵達の士気を今一度発揚し、敵の弄する策を根本から打倒する為には、余の自彊が不可欠よ!」
彼は味方戦列の最前列に歩み出て、行進する歩兵達の直ぐ側に並ぶと、兵達と同じ目線で、兵達と同じ速度で、兵達と共に歩み始めた。
「歩を進めながらで良い!皆聞けい!」
鏡面の様に磨き上げられた刀身を頭上に掲げながら叫ぶプルザンヌ公。真隣に軍団長が居る事に気付いた歩兵の何人かが、驚倒のあまりマスケット銃を取り落とした。
「僑軍孤進の旅、ご苦労であった!これまでの戦を、そしてこれからの戦を、勇猛の名に相応しい諸君らと共に戦えた事、余の畢生における最大の誇りである!」
最高指揮官が、自分達と同じ道を歩き、同じ様に服を汚している。その姿を見た兵達の士気が急速に回復していく。
「閣下!我らの方こそ身に余る光栄です!」
「我らと共に歩んで下さる指揮官殿と戦えて、これほど嬉しい事はありません!」
「プルザンヌ公爵閣下万歳!ラッジ・ド・オーヴェルニュ閣下万歳!」
沼地を脱した直後の彼らに漂っていた疲労困憊の空気がみるみるうちに取り払われ、代わりに闘志と熱気が彼らを包み始める。渇仰の眼差しを一身に受けたプルザンヌ公は、そのルビーの様な瞳を更に輝かせる。
「諸君らは、このような泥地で屍を晒す様な存在ではない!畏くも皇帝陛下のご威光の元に、その勇姿を晒すべきものと余は断ずる!」
バラバラだった歩調は見事に揃い、鼓笛隊の奏でる旋律は鮮やかに。彼らの顔は汚れたままだったが、その表情は最早別人だった。
ヴィゾラ伯は、彼らの熱気から少し下がった位置で、プルザンヌ公の人心掌握術を見ていた。
「軍団長閣下……」
兵達と共に進んで行くプルザンヌ公の背中に手を伸ばす。
「それは、そう何度も使えない……劇薬ですぞ」
ヴィゾラ伯の忠告は、軍歌を歌いながら前進する兵士達の喧騒によって掻き消された。
 




