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第五十四話:オーデル湖邀撃戦(前編)

「チッ!あの野郎動きやがった……」


 舌打ちを吐きながら、白煙燻るライフルを担いで走り出すラルフ。


「第二射!」


 茂みの中で姿勢を低くしたリサが、大木に銃身を委託していたもう一人の輜重兵に射撃号令を下す。

 降り積もった落葉達が、射撃の衝撃に驚いて飛び上がり、宙を舞う。発射された弾丸は、標的の部隊長らしき人物を捉える事無く、近くの木の幹に命中した。


「命中ならず!敵は遮蔽の裏です!」

 

「後退!追手を撒きます!この場所から離れますよ!」


 リサとラルフを含めた三人の輜重兵が、ライフルを担ぎながら背後へ走り出す。


「ラルフ、標的の風貌は?どの兵科の部隊長なのか分かる?」

 

「先日交戦した軽騎兵と同じ装いでしたよ。多分軽騎兵の部隊長じゃないですかね。後は猟兵らしき奴等もいましたよ。多分猟兵と軽騎兵主体の先遣隊でしょう」


 落葉を跳ね上げながら走る三人。倒木や草木、泥濘を物ともせず、驚く程の速さで道なき道を駆けていく。


「軽騎兵と猟兵ですか……。なら追手もその二兵科を差し向けてくる可能性が高いですね」


「逆に言えば、それ以外の戦列歩兵や砲兵はまだ後方という事になりますな。敢えて分ける意味も無いので、単純に部隊の足並みが揃っていないのでしょう」


 もう一人の輜重兵の推測に、頷きで応えると、リサは気持ち程度足を早める。

 鬱蒼とした木々で日光が遮られ、日中でも足元が薄暗くなるこの森は、その気味の悪さから、地元の猟師以外が立ち入る事は少ない。


「……改めて聞くような話じゃ無いけれど、二人はオーデル森林の地理は把握してますか?」


 枝を避け、苔むした倒木を飛び越えながら、リサが尋ねる。

 

「無論ですな」

「パルマで猟師やってて、この森を歩けない奴は居ませんよ」


 地元の猟師以外が立ち入る事は少ない。それは裏を返せば、猟師達のテリトリーである事を意味する。リサ達をはじめ、パルマ猟師にとってこの森は仕事場であり、遊び場であり、通り道なのだ。


「それを聞いて安心しました。ではスピードを更に上げますね!」


 肩に担いでいたライフルを背中に背負い直すと、リサは更に走るスピード上げる。続く二人もさほど労せず、同じ様にライフルを背負って追従していった。

 一キロ程度走り続けると、木立が少し疎らになり、僅かながら日光が差し込む広場へと辿り着いた。


「点呼!」


「リサです!只今戻りました!」


 自分達の前方から聞こえてきた鋭い声に、敵では無い事をアピールする。


「……おバカ!出発する前に合言葉を言えって伝えたでしょ!」


 ガサガサと茂みを掻き分けながら、怒り顔のエリザベスが現れた。彼女の背後には、蔦や葉で隠蔽処置が施されたカノン砲の横列が、リサ達を捉えていた。


「す、すいません!すっかり忘れてました!」


「勘弁してくださいよ隊長。一歩間違えたら僕らまで散弾で蜂の巣にされるんですから……」


 自分に向けられた四門の砲身に、思わず両手を上げるラルフ。


「で、指揮官狙撃の任務は上手く行ったのかしら?」


「も、申し訳ありません、その、失敗しました……」


 いまいま合言葉を忘れた事と合わさり、言い辛そうに報告するリサ。


「言い辛い報告こそ明瞭に、且つ大きく言いなさいな。別に敗北が決定した訳ではないんですのよ?」


 体に付いた小枝や葉っぱを払い落とすと、エリザベスは両手を腰に当てる。


「……加えて失敗したとは言え、折角生きて帰って来たのだから、何を見て来たのかくらいは報告して下さいな。指揮官からすれば、それこそ最も欲しい情報ですわよ?」


「は、はい!敵軍の先遣隊は既に湿地帯を脱している模様です!」

「先遣隊?本隊はまだ後方って事ですの?」

「はい、確認出来たのは敵の猟兵と軽騎兵部隊のみになります!戦列歩兵と砲兵はまだ湿地帯を脱していない様です!」

「追手は?」

「振り切りました!この森でパルマ猟師の足に追いつけるノール人などいません!」

「それはそれは。貴女をこの任務に付けて正解でしたわ」


 腰に当てていた手を腕組みに回すと、右足で地面を何度か踏み鳴らすエリザベス。

 

「……なるほど。であれば、敵は軽騎兵と猟兵を使って捜索を始める筈ね。であれば、このまま手筈通り、貴女達は迎撃位置に付く様に」


「承知致しました!」


 エリザベスへ敬礼を返すと、リサは隷下の輜重兵十人と共に、再び来た道を引き返し、深い森の中へと入って行った。


「フレデリカ少佐殿、少し宜しいかしら?」


 木陰で待機していたパルマ軽騎兵達の元へ駆け寄るエリザベス。


「オズワルドとイーデン大尉の部隊状況について、何か続報はございまして?」


「いや、特に無いな。引き続きラカント村で第二迎撃拠点を構築中だ。今の所、予定通りに進んでいるぞ」


「承知致しましたわ。こちら側も予定通り、本格的に動きますわよ」


「お、いよいよ出番かい?」


 フレデリカが、待ち侘びたかの様にプリスを羽織い直す。


「はい。貴隊と輜重兵達から(もたら)された情報により、敵軍の本隊と先遣隊が大きく離されている事が理解出来ました。予定通り、輜重兵達と共同して、敵先遣隊をこの場まで釣り出して頂きたく」


「承知した。輜重兵と言うより、最早猟兵(イェーガー)だな彼女らは……。名前も変えてあげたほうが良いんじゃないかい?」


 フレデリカの苦笑混じりの提案に対して、同じく苦笑を返す。


「遊撃騎馬砲兵隊が持つ歩兵戦力は、現状輜重兵しか居ませんので、どうしてもアレコレと色々な任務を押し付ける形になってしまいますわね……」


 手を頬に当てて溜め息を漏らすエリザベス。


「通常の歩兵部隊を引き連れると、肝心の部隊機動力が低下してしまいますし、いっそ歩兵全員を馬に乗せた部隊を編成するようにコロンフィラ様へ相談してみようかしらね」


竜騎兵(ドラグーン)、とかいう奴か。大陸の西の方では一般的な兵種だと聞いているが……いかんいかん、君と話しているとつい止まらなくなってしまう」


 馬の手綱を握り直し、サーベルを抜くフレデリカ。


「さて諸君!猟兵(イェーガー)達に森案内をしてもらいながら、存分に敵を翻弄してやろうでは無いか!」


 フレデリカの発破に騎兵達が力強く歓声で応える。

 隘路も泥濘もなんのその。四十騎程度の集団は、まるで草原を走るかの様に、森の奥へと消えて行った。



猟兵(Chasseur)前進(mars)前へ(Avant)!」


 奇襲を受けたノール軍は、エリザベスの思惑通り、猟兵(シャスール)軽騎兵(ユサール)による敵の炙り出しを開始していた。


「深追いはするな!歩兵騎兵双方、共に前進する様に!」


 緑の飾り羽をあしらった黒の三角帽子と、動き易く丈を短く取ったグリーンジャケットを身に付けたノール猟兵達が、前傾姿勢でジリジリと前進する。

 そしてその直背には、対照的な白の軍服に身を包んだノール軽騎兵が続く。


「最初の狙撃以降、動きが全く無いな?」


「えぇ、不気味な程に静かです」


 ノール軽騎兵達の更に後方には、騎兵の指揮を取るベルナールと、猟兵の指揮を取る中隊長が控えていた。


有翼騎兵(フッサリア)の援護は、やはり見込めないと?」


「うむ。有翼騎兵(フッサリア)は森林泥濘地帯では上手くその衝力を発揮出来ない、とオリヴィエ卿並びにリヴィエール参謀は判断された様だ」


 制帽を取り、やや赤みがかった茶髪を掻き分けながら話すベルナール。


「左様ですか……しかしながら、ローヴィレッキ軽騎兵(ユサール)大隊が居るのであれば安泰です!兵の士気も、否が応にも上がる事でしょう!」


「良き返事だ!期待して――」


「敵騎兵数騎を視認!」


 前方からの接敵報告に、思わず顔が強張る両名。しかしその続報は何とも気の抜けた物であった。


「敵軽騎兵、散発的に発砲!その後、後退中!」


「軽騎兵数騎で単独行動……発砲後、後退……?もしや斥候か!?」


 猟兵中隊長が閃いた様に叫ぶ。


「中隊全員へ!軽騎兵を追跡しろ!奴等の後退先に敵の部隊がいる筈だ!ベルナール閣下、敵が突撃を敢行して来た際にはどうか援護を!」


「承知した!共同して敵を追い詰めようぞ!」


 敵の尻尾を掴んだと確信した二人は、意気揚々で追跡を開始する。現に、退却していく敵軽騎兵の姿を見てみれば、おぼつかない足取りで、何とか逃げようと必死な背中を呈している。

 

『オーランド連邦軍は烏合の衆である』

 

 ノール軍将兵達の士気向上の為、繰り返し伝えられて来たその言葉が、囮と見破るべき彼等二人の眼をも曇らせてしまっていたのだ。


「へっ!パルマ軽騎兵がなんだ!俺達の足でも余裕で追跡出来るじゃねえか!」


 先頭を進むノール猟兵の一人が笑いながらパルマ軽騎兵を追跡する。


「よし!ここからなら……」


 この距離でなら射撃可能と判断した彼がライフルを構えた瞬間。


「ぐっ……!?」


 何処からか飛来した弾丸に右胸を貫かれ、構えていたライフルと共に地面に崩れ落ちる。


「敵だ!撃て!撃て!」

「撃てって、何処に向かって撃てば良いんだよ!?」


 反撃しようにも、何処から撃たれたのかすら判らず、銃口を彼方此方に向ける猟兵達。


「えぇい!何をしている!とにかく撃たんか!前方で良い!」


 中隊長の号令で、漸く一斉にライフルを射撃する猟兵達。彼等が放った百五十を超える弾丸が、岩を削り、木を抉り、枝を折る。合わせて落葉と共に、次々と硝煙が立ち昇ったが、戦列歩兵と違って散開している事もあり、前が全く見えなくなる程の視界不良にはならない。


「再装て――」


 最前線で手を挙げて再装填を促そうとした小隊長の眉間に丸弾が命中し、右腕を挙げた姿勢のまま、背後へ倒れた。


「クソっ!どっから撃って来てやがんだ!」

「潜む場所が多すぎる!何処からでも撃ってくるぞ!」


 自分が思う怪しい場所へ、次々にライフルを打ち込むノール猟兵達。しかしそのどれもが虚しく植物を傷付けるのみで、まるで手応えが無い。加えてひとたび再装填に入れば、その隙を狙って飛来した弾丸が、隣で装填している戦友の命を無慈悲に奪って行く。追っていた筈のパルマ軽騎兵も、硝煙に紛れていつの間にか姿を消していた。

 

「左右からも弾が飛んできてるぞ!敵は前だけじゃ無かったのか!?」


 後退しようと後ろを振り向いた兵士の首元に弾が命中し、気道から空気と血を漏らしながら倒れ、もがき苦しむ。

 後退すら出来ないと錯覚状態に陥った彼等は、次第に進む事も戻る事も出来なくなって行く。

 

「一体なんなんだこの森は!?こんな所に足を踏み入れるべきじゃなかったんだ!」

「視界が悪すぎる!一旦伏せるか遮蔽を取るんだ!」

「な、何をやっている!?進め!前進しろ!!」


ノール猟兵達は部隊長の指示を無視し、木や岩の背後に隠れ、またある者は頭を抱えながら地面に伏した。

 被害そのものは十五名程度ではあったが、何処から撃たれているのか判らない恐怖と、敵の数も位置も判らない焦燥感、加えてこの森そのものが醸し出す不気味さも手伝って、中隊全員が一歩も動けない状況に陥っていた。


「な、なんという体たらくか!貴様らそれでも猟兵(シャスール)かッ!」


 中隊長がいくら怒号を投げ掛けようとも、猟兵達は隠れたまま一向に出て来ようとしない。


「中隊長殿、ここは我ら軽騎兵(ユサール)にお任せを!速歩(trot)前進(mars)!」


 やや背後で待機していたベルナール率いる軽騎兵達が、猟兵の壁になる様にして前へ踊り出る。


「さぁ立て同胞(はらから)よ!諸君らはここで膝をつく様な存在ではあるまい!我らローヴィレッキ軽騎兵(ユサール)が付いているぞ!進めい!」


 純白と金の軍服を纏う彼等が、壁の様に立ちはだかり、前進を開始する。その白き壁の姿を目にした猟兵達の瞳に、戦意の炎が再び戻ってくる。


「み、皆立つんだ!俺達にはローヴィレッキ軽騎兵(ユサール)が居るぞ!」


 徐々に頭を上げ、姿勢を低くしながらも前進を再開するノール猟兵達。


行進(feu de)射撃(marche)!歩きながら撃て!足を止めるな!」


 中隊長の号令で、行進しつつの射撃を継続する猟兵。依然として敵弾に倒れる猟兵や騎兵は増え続けたが、それでも前進を止める事は無かった。

 そして、前進を止めなかった彼等に対する褒美、見方を変えれば報いが、目の前に現れた。


「居ました!敵猟兵です!前方の開豁地(かいかつち)へと向かっています!数は極少数!」


 猟兵の一人が、遠くに見えるオーランド兵の青軍服を視認したのだ。


「良くやった!敵の姿が見えたのならこちらの物だ!敵は不可視でも何でも無い!我に続けぃ!」


 ベルナール率いる軽騎兵を追い越す勢いで、開豁地(かいかつち)へと一心不乱に突撃する猟兵達。


「ま、待たんか!足並みを揃えよ!」


 他でも無い中隊長が、自ら先陣を切って突撃する猟兵達に、ベルナールの静止は最早届いていなかった。

 一度強いストレス下に置かれた彼等は、とにかくこの状況から抜け出したい一心で、中隊長に続いていた。あの十名程度のオーランド猟兵達さえ排除できれば、この恐怖から脱することが出来ると、信じ込んでいたのだ。

 それこそが、エリザベスの描いた理想図だった。


開豁地(かいかつち)に出るぞ!総員抜刀!」


 腰に下げた曲剣を引き抜くと、次々に広場へと躍り出る猟兵達。

 オーランド猟兵達が、予め掘られていた塹壕へと頭から飛び込んで行く。


突撃ィ(charger)!」


 曲剣を振り上げながら、彼等が飛び込んだ塹壕へと猛進する。


(canister )(shot)


 塹壕の更に奥。

 鬱蒼と繁茂する茂みの中から、小さな射撃号令が響く。


発射用意(present)――」


 アメジストの様な輝きを放つ紫の双眸が、真っ直ぐに突撃して来るノール猟兵達を見つめる。


「――放て(fire)


 ノール猟兵達の目には、茂みが突然発火した様に見えた事だろう。

 彼等は血気迫る表情のまま、何が起こったのかを理解する間もなく、散弾の雨に晒された。

 砲列まで到達できた猟兵は皆無。唯一、穴だらけの曲剣のみが、カラカラと不規則な軌道を描きながら、エリザベスの足元まで到達する事が出来た。


「馬鹿者……!」


 立ち並ぶ木々によって、幸運にも散弾を防ぐことが出来たベルナールが苦悶の表情を浮かべる。


「て、敵に砲兵戦力あり!閣下!速やかに無力化を――」


「退却だ!戻れ!全隊引き返せ!」


「し、しかし閣下、砲撃後の砲兵が目の前に……」


「皆まで言わんと判らんのか!?敵が大砲を温存していた場合、第二射で我らも散弾の餌食だ!それに見よ!」


 ベルナールが指差す先には、今にも飛び掛からんとするパルマ軽騎兵達の姿が並んでいた。


「我らは、してやられた。ならば、下がるのみよ……!」


 後退を意味する喇叭の音が響くと、まるで白い波が引いて行くかの様に、ノール軽騎兵達は消え去った。


「……し、死ぬかと思いました」

「同感です」


 塹壕から顔出したリサとラルフが顔を見合わせる。


「良い誘導でしたわよ、輜重兵の皆様」


 和かな顔のままに、輜重兵達を褒め称えるエリザベス。


「中尉殿は、全く動じないんですね……?」


「動じた所で何も良い事はありませんもの。さぁ!誠に恐縮ですが、もう一仕事、残っておりますわよ」


 エリザベスが、塹壕内のリサへ手を差し伸べる。


「ま、まだ何かやるんですか……?」


 差し出された手を掴みながら、塹壕から這い上がるリサ。


「当然ですわ!今撃退したのは敵の先遣隊……本隊に対しては何の打撃も与えられていませんもの」


 砲兵達に前車連結、陣地転換の指示を出しながら、地図をリサに手渡すエリザベス。


「敵本隊戦力の漸減……。その為には、貴女達の射撃技術が必要不可欠ですわ」


 ノール帝国軍の悪夢は、まだ終わらない。

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