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第五十三話:不死鳥の翼


 リヴァン市包囲戦の直後まで、時を遡る。

 

 リマ市庁舎。

 壁高く、掲げるように配されたステンドグラスから西日が差し込む。そのグラスを通して七色に分かたれた光が、エドワードとベージルの両名に降り注ぐ。

 エドワードには市民の色を示す青光が、ベージルにはラーダ王室の色を示す赤光が、それぞれの頭上を照らしていた。


「貴卿の待ち人とやらは未だ来んのか」


 左脚を揺すりながら懐中時計に目を通すエドワード。対してベージルは落ち着き払った様子で両手を広げる。


「貴殿に限らず、商人殿は時間に隷属されていて大層窮屈そうですなぁ。もう少し余暇を持った生き方を心掛けてみては如何ですかな?」


「肘掛け椅子に腰を下ろしているだけで良い貴族殿と違って、我々は日銭を稼がねばならん身分でしてな」


「カロネード商会の当代ともあろう御仁が日銭などと、貧乏臭い言葉を仰るとは。己の食い扶持など、とうに一生分を稼いでおられるでしょうに」


「金は有れば有る程良い物なのです」


 懐中時計の蓋を開閉させながら話すエドワード。


「時に金は、絶対身分の高壁をも飛び越える力を持ちます。故に我ら平民には、カネが必要なのです」


「身分の壁を越えるとは、この私を前にして中々思い切った発言をなさいますな?」


 そう述べるベージルの顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。


「現にこうして平民たる私が、上院議員たる貴殿と同じ席に座る事が出来ているのです。これを金のお陰と言わずして何と申しましょうか?」


「ほっほっほ!同じ席に座る事が出来れば同列などと!いかにも形式、型式、様式ばかりに目を向ける平民出身者らしい思考で御座いますなっ!」


 細長く伸びたヒゲの先端を指で摘みながら、両目をカッと見開くベージル。エドワードが何か言い返そうと口を動かした瞬間、二人の眼前にある両扉が殊更に大きな音を響かせながら開かれた。


「……漸くか」


 揺すっていた左脚を組み替えながら、エドワードが呟く。


「遅参、誠に恐縮の極みにございます」


 入室者は直立不動の姿勢で、形ばかりの謝意を述べる。そして全く悪びれる様子も無く、空椅子の側まで歩を進める。

 ベージルが無言で空椅子を指し示すと、その男性は微かに頭を傾け、腰浅く着席した。


「お久し振りですな。第一次パルマ会戦以来ですから……えぇと大体、半年振りになりますかな?」


 空中に数字を描きながら、ベージルは対談相手の名前を述べた。


「――オルジフ・モラビエツスキ殿?」


 その男、オルジフは眉ひとつ動かさない。


「彼は世間話をしに此処へやってきた訳ではありますまい。本題を伺った方が宜しいでしょう」


 時間と本題を気にする素振りを見せながら、エドワードが話を切り出す。


「御留意、痛み入ります」


「最近は世間話も観光も無しに本題へ切り込もうとする輩が増えて、ベージル・バークは非常に悲しいですぞ……」


 ハンカチを目元に寄せながら、わざとらしく涙声になるベージル。そんな彼の事は全く気にも留めずに、オルジフはベージルに向き直った。


「オーランド・ノール戦争の最中である今、改めて十五年前の約束を服膺(ふくよう)頂きたく、参上した次第でございます」


「……約束?」


 此処にきてエドワードの表情が興味を示す。


「バーク卿、彼と何の約束を交わしたのだ?」


 特に覚えのない約束を引き合いに出されたエドワードが、ベージルへと尋ねる。


「……えぇ、えぇ勿論!存じ上げておりますとも!」


 ベージルの口角が上がり、目が狐の様に細くなる。


「カロネード当代殿はご存じなくとも無理はありません。この約束は私とオルジフ殿の二者間で結ばれたモノですので……」


「二者間……?私が当事者に含まれていない口約束の話など、聞いている暇は無いのですが」


「まぁまぁ、先ずは内容を聞いて頂きたいですな。興味を持つか否かは、それからでも遅くはありませんぞ?」


 そう言うとベージルは、約束の内容を端的に、そして明確に言い切った。


「オルジフ男爵殿は、ノール帝国への反乱を画策しております」


 反乱。

 その言葉を聞いたとしても、エドワードの表情は全く動かなかった。

 その代わりに、一筋の汗が彼の頬を伝い、床へと滴り落ちた。


「……反乱の目的は?」


 エドワードの問いに対してベージルは何も答えず、目線をオルジフに移す。

 自分の口から答えを述べるよう目線で促されたオルジフは、エドワードを一瞥し。


「大公殿下の御国――」


 これまた端的に答えた。


「――ヴラジド大公国の再興です」



 現在に時を戻して。


「オルジフは信用出来ない、とな?」


「左様です。先達のリヴァン市包囲戦で疑念が確信に変わりました。今後は彼奴ら、有翼騎兵(フッサリア)に要職を任せるのは避けた方がよろしいかと」


 泥濘に足を取られない様、踏み固められた地面を探して歩こうとするヴィゾラ伯に声を掛けるリヴィエール。


「しかし泥濘が酷いな!地質までは地図に描き切れんとは言え、忠告の一言くらい書いておいても良いではないか……!」

 

 オーデル湖を南下中のノール軍は、湖畔の湿地帯へと足を踏み入れていた。

 沼地に差し掛かったノール軍の進軍速度はイーデン達の目論見通り、確かに鈍化してはいた。しかし結論から言えば、行軍の知識経験を豊富に積んでいたノール軍にとって、沼地の泥濘は一時的な障害でしかなかったのである。

 軽騎兵を先行させ、行軍に適した道を探し出す。

 その土地の領主へ納める額よりも高額で農作物を買い取り、行軍時の兵糧とする。

 近隣の農村から有志を有償で募り、先行部隊が探し出した道が本当に行軍路として適しているかどうか、村民に評価させる。

 想定外の戦費の捻出や、行軍隊形の大幅な乱れといった代償を払いながらも、ノール軍は湿地帯の出口へと差し掛かっていたのである。


「それで、砲兵と歩兵はまだ湿地帯を脱出出来んのか!」


「大砲は車輪が沼に沈み込んでおり、歩兵は足を泥濘に取られております。湿地帯を脱するにはまだ時間が掛かる様子でございます」


「ここまで良い感じに進軍できていたのにも関わらず、最後の最後で味方砲兵に足を引っ張られるとは……なんとも締まりが悪い話だ」


 低身長故に、歩幅を目一杯取らないと泥濘を避けられないヴィゾラ伯と違い、リヴィエールはその長足でひょいひょいと乾いた地面を渡っていく。


「話を戻しますが……今回の斥候任務もそうですが、重要な任務を有翼騎兵(フッサリア)に任せるのは止めて頂きたい。リスクが御座いますので」


「またその話かいな」


 コートジャケットの裾が泥に浸からない様に持ち上げながら嫌々答えるヴィゾラ伯。


「貴殿も知っての通り、我が軍の騎兵部隊は伝統的に重騎兵を重用している。高機動の軽騎兵はそもそも数が少なく貴重なのだ。だからこそ、旧敵国の兵とは言え機動力に優れる有翼騎兵(フッサリア)を使っているのではないか。元よりある程度のリスクは承知の上であろう」


「はい、その事情は重々承知しております。しかしお言葉を返す様で恐縮でございますが、リスクは常々変動する物です。当初目を瞑る程のリスクであった有翼騎兵(フッサリア)の存在は、今や看過できない獅子心中の虫へと変貌を遂げております」


「その根拠として、リヴァン市包囲戦での一件を貴殿は挙げたいのだろう?」


「左様にございます」


 乾いた地面へたどり着いたヴィゾラ伯が、近場の木に背を預けながら手持ちの地図を開く。

 

有翼騎兵(フッサリア)は、コロンフィラ方面へ逃走するオーランド連邦軍を追撃せず、敢えて見逃した……。他ならぬ貴殿の報告だ、余としても全く信用しないでもない」


 しかしな、とリヴィエールから受け取った報告書を手に持って見せつけるヴィゾラ伯。


「オーランド軍との確たる内通の証左が無い事には、軽率に冷遇する事は出来ん」


 報告書をリヴィエールに返しながら、広げていた地図に目を落とす。


「ノール帝国軍がここまでの規律と、練度と、規模を誇っているのは、(すべから)く軍人への公平な待遇があってこそだ。疑いがある、という理由だけで不当な扱いをしていては他部隊への不満にも繋がり得る。特に今の我が軍は優勢とは言え、余裕は無い。ここで(わだかま)りの原因を作るのは下策だろう」


 ヴィゾラ伯の主張に顔を曇らせるリヴィエール。

 完全に間違っているのであれば、堂々と訂正すれば良いのである。つまる所、ヴィゾラ伯の主張にも一理あると踏んだリヴィエールは、それ以上何も述べる事は出来なかったのである。

 沈黙する二人の元へ、一人の将校が馬を駆って馳せ参じてきた。


「オリヴィエ卿!斥候任務の報告に参ったぞ!」


 ヴィゾラ伯にも負けない豪著な軍服に身を包んだ一人の将校が、下馬しながら叫ぶ。その者の自信が形となって現れた様な厚い胸板。純白と金の外套(プリス)と二角帽子を備えた彼は、とても良い歯並びを見せながら、ヴィゾラ伯に近寄る。


「おぉ、ベルナール卿!収穫はあったか?」


「勿論だ!敵の位置が大体掴めたぞ!」


「流石はノールが誇る貴重にして精鋭の軽騎兵(ユサール)よ!詳しく教えてくれ!」


 ベルナールと呼ばれた彼は、ヴィゾラ伯の持っていた地図へ勝手に加筆していく。


「貴卿が命じた通り、我々ローヴィレッキ軽騎兵(ユサール)大隊は、有翼騎兵大隊(フッサリア)と共同し、二日間、自軍を中心とする放射状の捜索を行った」


 自軍の現在地点を中心とした巨大な円を描くと、円の中心から外側へ、等間隔に計二十四本の放射線を描くベルナール。


有翼騎兵大隊(フッサリア)も含めた二十四個偵察部隊を展開した結果、二十三個部隊は何の成果も得ずに帰還した。しかしだ、ラカント村方面への偵察を行なった一部隊のみが、現在も消息不明の状態だ。この意味が分かるか?」


「敵軍と接敵した可能性が高いという事か」


「その通りだ!未帰還故に敵戦力までは分からぬが、こちらも迎撃準備を整えた方が良いと思うてな!こうして報告しに参ったのだ!」


 ふむ、とヴィゾラ伯は加筆された地図をひとしきり眺めた後、リヴィエールへとその地図を手渡した。


「リヴィエール。貴殿から見て、オーランド軍と自軍とが接敵するまで、どれくらい時間的猶予があると考えるかね?」


 顎に手を当てながら、受け取った地図を眺めるリヴィエール。


「ベルナール卿、偵察隊はどれくらいの規模に分割しましたか?」

「一部隊につき、十騎前後だ」

「偵察期間は?」

「帰還まで含めて二日間だ」

「未帰還の一部隊が道に迷った可能性は?」

「ローヴィレッキ軽騎兵(ユサール)大隊の名誉に誓って、その様な可能性は無い」

「無粋な質問、大変失礼致しました」


 謝罪しつつ、恐らく交戦があったであろうラカント村付近の街道と、自軍の現在地点との間に線を引き、彼我の距離を導き出すリヴィエール。


「……戦列歩兵を含む主力部隊が行軍する場合、その縦隊行進列はかなりの長さになります。もし仮にオーランド軍が全軍で移動していた場合、その被発見性の高さから、必ず複数の偵察部隊から発見報告が上がっていた筈です」


 戦列歩兵は、非常に長い行軍列を形成しながら移動する兵種である。それこそ万を越える大軍であれば、街道の彼方までその縦隊が続く事も珍しくは無い。

 事実としてノール帝国戦列歩兵達も、長蛇の列を成しながらここまで進軍してきているのだ。

 

「しかし事実として、発見報告は未帰還の一部隊を除いて皆無。であれば、敵はそれだけ小部隊で移動していると考えるのが自然でしょう」


 あくまで想像の範疇を出ませんが、と付け加えるリヴィエール。


「想像で一向に構わん。想像し、予測するのが参謀の仕事だろう。続けたまえ」


 腕を組み、無言で頷くベルナールと目線を合わせながら続きを促すヴィゾラ伯。


「はっ!では、私の予測を述べさせて頂きます。敵部隊の編成ですが、恐らく騎兵戦力を主とした、機動力重視の部隊である可能性が高いと思われます」


「そう述べる根拠は?」


「敵から逃れられる早い足が無ければ、小規模部隊など編成しても無意味です。オーランド軍は、我々がタルウィタへと到達するのを少しでも遅らせる為に、即応部隊を編成した。と、私は予測しました」


 地図上の自軍進軍ルート上に、大きくバツ印を描くと、一つ息を吐くリヴィエール。


「ここにきて漸く、連隊総指揮官殿が最初に尋ねられた『いつ接敵するのか』という問いに舞い戻って来るのですが……。正直、小規模部隊は進軍速度が読み辛く、明確な接敵地点を決められずにおります」


「うぅ〜む。リヴィエールにそう言われてしまうと、余としてもお手上げと言わざるを得ないぞ……」


 膨れた腹の上に腕を置き、しばし難しい顔をしていたヴィゾラ伯だったが、一つ思い立った様に片目を開けた。


「では聞き方を変えよう。リヴィエール、お前なら我が軍を何処で奇襲するか?」


 リヴィエールは、一瞬考える素振りを見せた後、ふと周囲を見回した。


「……まさか」


 リヴィエールの顔が、にわかに強張る。

 ノール軍は、この湿地帯を一刻も早く抜け出す為、隊形を無視して半ば強引に進軍してきているのだ。

 リヴィエールは自軍の置かれている状況。

 この状況こそが、最も奇襲に適していると、導き出したのである。


「……ベルナール卿、斥候から帰還した軽騎兵達は今何処に?」


「うん?余の少し後方で休ませているが……」


「直ちに隊列の周辺警戒に回して下さい!今直ぐに!今この瞬間が最も危険です!」


「ど、どうしたのだリヴィエール。貴様らしくもな――」


 甲高いマスケット銃の発砲音。

 そして、落ち着かせようと近寄ってきたベルナールの頬を、一筋の銃弾が掠めた。


「なッ――!?」


 銃声を聞いたヴィゾラ伯が身を屈めるよりも一手早く、ベルナールが頬を抑えながら叫んだ。


「全軽騎兵(ユサール)再集結!敵襲だ!!」


 今この瞬間。

 遊撃騎馬砲兵隊による第一邀撃作戦が開始されたのである。

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