第四十四話:姉妹になった日
いつからだろうか。
いつの間にか、自分の家に金髪の少女が住み着いている事に気づいたのは。
「お父様、稀に見かける金髪のお嬢様の名前は何と仰るんですの?ご挨拶をしないと……」
「アレの事は気にしなくて良い。勉学に集中しなさい」
いつからだろうか。
その金髪の少女と私が、意図的に引き離されていると気付いたのは。
「お父様、金髪のお嬢様を最近見かけませんの。何処にいらっしゃるかご存知?」
「知らん。さぁ次の先生がいらっしゃる、教えを乞う身として相応しい振る舞いを忘れずにな」
その少女の事を聞くと、父は決まって、見たことも無い様な険しい表情をした。それがどうしても不安で、不穏で、脳裏にこびり付いていた。
「……」
いつからだろうか。
その少女の事が気になって、夜な夜な家の中を探し回るようになったのは。
「後は、大砲倉庫くらいかしら……」
白いワンピースの裾を掴みながら、音を殺した小走りで廊下を駆け抜ける。
窓の外から聞こえてくる、パタパタという優しい雨音に身を隠しながら、お父様とお義母様が眠る寝室を猫の様な足取りで切り抜ける。この辺の動作はもうお手の物だ。
使用人の見回り時間は頭に叩き込んだ。カロネード商会の言語教育には良い加減うんざりしていたが、お陰で見回りシフト表が読める様になった事には感謝している。
一つ飛ばしで階段を下り、一階へ降り立つ。裸足のまま寝室を抜け出してきたせいで、木材のひんやりした感触が足裏へ直接伝わってくる。
床の冷たさを避ける為に踵を浮かせながら、ドアを二つ程開け、部屋を三つ程通り抜ける。そうするとやっと、我が家の倉庫に辿り着く。倉庫の扉の周りには、倉庫内に入り切らなかった長細い木箱が無造作に積まれている。大きさからして中身はマスケット銃だろう。
流石に肝心の鍵を忘れるなどというヘマはしない。錠前を開け、数センチほど扉を開いて倉庫の中を垣間見る。徐々に扉を開け放っていくと、燃え尽きた暖炉の様な、寂しい焦げ臭さが鼻をくすぐった。ゆっくりと顔を出して中を覗いてみると、倉庫中央に鎮座する巨大な青銅砲と、そのすぐ側に焚かれた小さな灯りが目に入った。
「え、火事!?」
小さく叫んだ自分の声に反応し、明かりが僅かに揺れる。
「……だ、誰?」
大砲越しに、金髪の少女が恐る恐る顔を出す。倉庫のあちこちに手を付けていたのか、顔が煤まみれになっている。
「やっと見つけた!随分と探したんですのよ?お名前は何と仰るんですの?」
握手をしようと近付くが、少女は中々近付こうとせず、大砲越しに距離を取って様子を伺っている。
「どうされたんですの?何か不都合がございまして?」
「……お母さんとお義父さんが、貴女には近いちゃダメって言うから」
自分が近付こうとすると彼女が距離を取ろうとするので、大砲を周りをグルグルと、追いかけっこの様に回り続ける形になってしまう。
暫くお互いに攻防を繰り広げていたが、三周ほど回った所で流石にその状況を可笑しく感じたのか、金髪の少女が失笑を漏らした。
「やっとご観念されたかしら?」
足を止めた彼女の前に佇み、右手を差し出しながら少女の顔を覗き込む。
「ご存知でしょうけど、わたくしはカロネード商会が嫡女、エリザベスですわ。貴女のお名前は?」
「……エレン・グリボーバル」
彼女は私から目を逸らしながら、まるで罪を自白するかの様なバツの悪い表情で、自身の名を述べた。
「グリボーバル?シャーロットお義母様の親族の方?」
「うん。私のお母さんだよ」
その言葉を聞いて思わず飛び上がりそうになった。父からは、義母には子供など居ないと聞かされていたからだ。
「お義母様の御息女が、こんなに真っ黒な姿で、どうしてこんな所に……!?」
持っていたハンカチで、煤けたエレンの顔を拭く。
なぜ父がこの娘の事を隠していたのか。なぜ父と義母はこの娘を私と引き離そうとしていたのか。
数多くの疑問と猜疑心が私の脳裏を駆け巡ったが、先ずはこの子の煤を落としてあげねばと思った。
「こんな煤まみれになって……どんな仕打ちを受けてきたんですの?」
「あ、これは違うの。暇で大砲弄ってたらこうなっちゃっただけだよ。ご飯も着替えも貰えてるよ」
首周りを拭かれて、くすぐったそうにしながら、エレンは倉庫の入り口を指差す。そこには、食べ終わった食器や着替えなどが無造作に置かれていた。
「でも、この場所に閉じ込められたままなんでしょう?鍵も掛かけられてましたのよ……!?」
「まぁ、そこは、うん。自由にお外に出れないのは、ちょっと不便だねぇ〜」
当人には何の落ち度も無いのに、申し訳なさそうに手を後ろに遣りながら答えるエレン。
自分の娘をこんな所に閉じ込めるなんて、父と義母は何を考えているのか。驚きの感情が一段落すると、今度は義憤と不信の感情が己の中で鎌首をもたげる。
「……何か、欲しい物があれば持ってきますわよ?」
「え!ダメだよ!貴女が怒られちゃうよ!?」
大声を上げるエレンの口に人差し指を立てながら、新しいハンカチを手渡す。
「お父様とお義母様には気付かれない様にしますわ。毎週一度、またこの時間に会いに来ますので、何が欲しいのか考えておいて下さいまし」
「で、でも――」
エレンが答えるよりも先に、彼女の腹の虫が返事をした。
「あぅぅ」
「ふふっ……次は何か食べ物を持ってきますわね」
微笑を浮かべながらエレンの手を握り、外の天気に耳を傾ける。徐々に雨足が弱まっている様だ。
私は急ぐ様な口振りで、彼女に最後の質問をした。
「そういえば、貴女はお幾つなんですの?」
「は、八歳だけど」
「ほ、本当に!?わたくしも八歳ですわ!何月生まれですの!?」
まさか同い年だとは思わず、今度は私が大声をあげてしまった。先ほどの意趣返しとばかりに、今度はエレンが私の口元に人差し指を立てた。
「えへへ、六月だよ〜」
「……でしたら、十二月生まれのわたくしが妹ですわね」
鏡がなくとも、自分の顔が赤くなっているのが分かった。
むず痒い気恥ずかしさから背を向けると、そのまま入ってきた扉に手を掛けた。
「ご機嫌よう、エレンお姉様」
「またね、エリザベスちゃん」
こうして、私は彼女と再訪の約束をした。
今思えば、再訪を楽しみにしていたのは私の方だったのかもしれない。外出すら厳しく制限され、ひとりぼっちだった私に突然、同い年の姉が出来たのだ。我ながら喜ぶのも無理は無いだろう。
それ以来、折を見てエレンに自分の食事をあげる様になった。元々少食気味だった事もあり、自分の取り分が減った所で大した問題は無かった。むしろ食事を隠し持つ事の方が大分苦労した。
エレンは持ってきた料理をとても美味しそうに食べてくれた。それが無性に嬉しかったのを覚えている。
時が経つにつれて、元々は週一で会うという約束だったのに、どんどん会う間隔が短くなっていった。気が合って仕方がなかったのだ。敬語が外れ、冗談を言い合う様になり、いつしか一緒に外に遊びに行く約束まで交わした。
そしてほぼ毎晩の様に会いに行く様になってから数日後のある日。
私は両親を呼び出した。
「お父様、お義母様。お願いが御座いますの」
「なんだね改まって。忙しいから手短に済ませなさい」
「ご安心くださいませ、直ぐに済みますわ」
私は直筆の契約書を机の上に差し出した。
父が無言で内容を見つめる。
「……アレといつから会っていた?」
「三ヶ月程前からですわ。あとアレではなくエレンと呼んであげて下さいまし」
「……この契約書に書いてある事は、エレンとお前で取り決めたのか?」
「はい、エレンお姉様も私も、それを望んでいますわ」
エレン・グリボーバルを、正式にエレン・カロネードとして、我が家に迎え入れる事。
エレンと私とが、同じ部屋、同じ食卓で食事ができる様、取り計らう事。
月一度の外出許可日に、エレンを連れて行くのを許可する事。
家中において、エレンに行動自由権を付与する事。
「エリザベス。なぜ、そこまでしてあの子に構うの?血の繋がりも無いのに……」
不思議そうな顔で義母が尋ねる。
「家族だからですわ。むしろ、なんでお義母様は自分の娘があの様な仕打ちを受けている現状を甘んじて受け入れているのですか?」
私からすれば、不思議そうな顔をする義母が不思議だった。
「それは……」
言い淀みつつ、父の方を見る義母。
話を振られた父は、契約書に記されたエレンの名を指差しながら淡々と話した。
「彼奴には商才という物が全く無い。礼儀を知らず、口下手で、正式な交渉の場に立とう物なら一言も話す前に恐慌を来たす。アレが利益を生み出す様な存在になるとは到底思えん」
「……お父様は――」
この人は、エレンは家族として受け入れる価値すら無い。そう判断したのか。
「――新たな家族を迎え入れようとする時に、よりにもよって損得勘定を持ち出すのですか!?」
「そうだ」
眉一つ、目線一つ動かさずに答える父。
「エレンは言わば負債だ。なるべく費用を安く抑える必要がある。食事と着替えの提供で十分だろう」
それとも。と契約書をトントンと指で叩きながら、父は苛立ち混じりに私へ質問を投げかけた。
「この契約書に署名した事で発生し得る費用を、十分に回収できる算段がお前にはあるのか?エレンを雇用して、その雇用費に見合うだけの利益を上げられる計画があるのか?あるなら今ここで述べなさい」
「……お父様は、家族を投資先と見なすんですのね?」
怒りに震える唇から、最後通牒を絞り出す。
大好きな姉に対して悪罵を吐かれた事で、今まで私が両親に抱いていた不信感が、音を立てて確固たる怨色の念へと変貌していく。
「それがカロネード商会だ。家族も利害関係者の一人として見てこそ、一流の商人たり得るのだ」
その通りだ。
「エレンお姉様を――」
私にとって、最早あなた達は両親では無い。
「――侮辱するなッ!!」
只の利害関係者だ。
「家族を値踏みするのが正しき商人としてのあり方ならば、わたくしは商人になど成りたくありませんっ!」
それは、私が今までの人生の中で、最も己の激憤を露わにした瞬間だった。
「エレンを……!お姉様を……!カロネード家の一員として認めないと仰るのであれば、わたくしにも考えがありますわ!」
椅子を蹴って立ち上がり、壁に掛けてあったサーベルを引き抜くと、鞘を両親の方へ投げつけながら、刃の切先を自分の喉に突き立てる。
「お父様!選んで下さいまし!貴方が大金を注ぎ込んで育て上げた、エリザベス・カロネードという名の投資先を失うか!それともエレンを迎え入れるか!今直ぐに選びなさい!」
「エリザベス、剣を置きなさ――」
「うるさいッ!!さっさと選べ!!」
あまりの怒りに感情の制御が効かなくなる。
泣くまいとする程に、瞳が潤む。
砕けそうな程、歯を噛み締めた。
どれほど時間が経ったのか、熱量で蕩けかかった頭では分からなかった。
父が羽ペンを走らせる音が聞こえてきた頃に、漸く朦朧とした意識が戻ってきた。
「お前を失う事による費用損失と、エレンを迎え入れる事による費用損失を比較した結果、後者の方が軽度の損失であると結論付けた。よって署名しよう」
その理由に憤りを覚える程の余力も、私には残っていなかった。
「しかし一つだけ、条件を付けさせてもらう」
「……なんですの」
逆手持ちしていたサーベルを順手に持ち直し、だらんと床に切先を付けたまま、私は尋ねた。
父は私が抜き散らしたサーベルの鞘を拾いながら、苦々しく答えた。
「嫡女であるお前を姉とし、エレンの方を妹とする」
◆
「あ、エリザベス!どうだった?どうだった!?」
倉庫に入るな否や、エレンが飛び付いてきた。
「無事、私達は正式な姉妹になれるわよ」
「ほんとー!?流石わたしの妹だね!」
よしよしと、自分の頭を撫でるエレン。
「ただ一つ、条件をつけられちゃったわ」
「え?なになに〜」
エレンの頭を撫で返しながら、私は答えた。
「私が姉で、貴女が妹になる事……わかった?」
「へ?私の方が早生まれなのに?」
ごめんね、と言うべきなのか、分からなかった。
「……うぃ!とりあえず分かったよ!よろしくね!お姉ちゃん!」
「ええ、よろしくね……」
エレンを両腕で抱き寄せて、呟いた。
「私の妹よ……」
◆
「おい……おいって!」
「んぅ……?」
窓から差し込んでくる光と、恐らく自分を呼ぶ声に反応して目を開く。
「やっと起きたか。交渉材料様が爆睡とは肝が座ってるねぇ」
声の主、オズワルドが馬車の扉を開けながら外へ降り立つ。
「着いたぜ。お前の故郷だ」
その言葉を受け窓の外へ目をやると、懐かしいゴシック様式の尖塔達が、自分を見下ろしていた。
「ん〜〜〜っ!着いたのねっ」
馬車から降りながら伸びと欠伸をする。
「大分前に着いてたぞ。パルマ女伯閣下はもう先に行ってるぜ」
目の前のリマ市庁舎を指差しながらオズワルドが話す。
「俺はここで留守番だ。後は頼んだぜ」
拳を突き出しながら、ニヤリと笑うオズワルド。
「……言われなくとも、やってのけますわ」
出された拳を突き返しながら、エリザベスはリマ市庁舎の中へ消えていった。




