第四十三話:その家に産まれた者の責務
「融資を拒否ってどういう事ですの!?」
「そのままの意味です。書面上では融資するに値しない財政状況である為とされていますが、大方、オスカー・サリバンの私怨でしょう」
「国家の有事を前にして足の引っ張り合いをしてる場合じゃないでしょうに!あんのジジイめ……!」
怒り肩で部屋の中をグルグル歩き回るエリザベスと、壁にもたれかかって眉間に皺を寄せるパルマ女伯。
「せっかく毛玉……エレン輜重隊長が大砲鋳造の約束を取り付けたのに、これでは彼女の努力が水の泡になってしまいますぞ!?」
イーデンに向かって取り乱しながら叫ぶオズワルド。
「……カネの話は軍人の領分じゃねぇ。女伯閣下を始めとする領主様方の領分だ。悔しいが、俺達じゃどうにもならん」
壁際のパルマ女伯を一瞥しながら溜息を吐くイーデン。
「そもそも、なんでサリバン家がこんな嫌がらせをして来るんですの?閣下とサリバン家の間に何があったんですの?以前コロンフィラで領主様方とお話しした際にも、少し話題に上がってた様な――」
「その話は、少し長くなりますぞ」
エリザベスの質問と同時に士官詰所の扉が開かれ、リヴァン伯が彼女の質問に答えながら入室してきた。
「ランドルフ卿、全領主の融資結果を纏め終わりましたぞ……ああ良い、楽にしたまえ」
自分に対して最敬礼の姿勢を取るエリザベス達を手で宥めるリヴァン伯。
「……ふむ。ランドルフ卿、融資結果を貴卿にお伝えする前に、エリザベス嬢の質問に答えても宜しいですかな?」
部屋にいる面子を気にしながら、パルマ女伯に伺いを立てるリヴァン伯。
「構いませんよ。知っていた方が、この一件に対する理解も深まりますから」
目を瞑り、黙認の姿勢を取るパルマ女伯。彼女に軽く会釈を返したリヴァン伯は、オズワルドの席を間借りする形で腰を下ろした。
「……元を返せば六十年前の建国当時まで遡る事になるな。当初、オーランドという国のあり方を巡って、立憲君主制を掲げるランドルフ家と、議会制を掲げるサリバン家で対立が起きたのが、そもそもの始まりだ」
「その話は小官も士官学校時代に拝聴しました。ラーダを手本とするか、ヴラジドを手本とするかで、長く議論されたと聞いております。最終的には王の擁立に失敗したランドルフ家が譲歩する形で、議会制が採用されたと……」
「なるほど、士官学校ではそう教えているのですな……まぁ、無理もない」
机に置いたビーバーハットのつばを撫でながら、ふぅと一息付く。
「ランドルフ家。正確に言えば、当時のランドルフ家当主のウィリアム・ランドルフ卿は、最期まで議会制を否定していらっしゃった……サリバン家の刺客に暗殺されるその瞬間まで、ですな」
「そ、それは……初耳です……」
自分が習った歴史とは全く異なる、血生臭い真実を前にして、オズワルドの顔が青くなる。
「ヴラジド式の貴族議会は慣習上、平民が議長職に就く決まりになっておる。もし貴族議会制が導入されれば、当然発議者のサリバン家が議長職を得る事になる」
「……サリバン家は、国政への介入を目論んでいたのですわね」
左様、と深く頷くリヴァン伯。
「庶子の家でありながら、議長という名の一議席を獲得出来る……。だからこそ、王が議長を兼務する立憲君主制を唱えるランドルフ家が、邪魔で仕方なかったのだろう」
「……対話による平和的な解決の余地は無かったのですか?」
「祖父は対話での解決を望んでいましたが、サリバン家はそうでは無かった。それだけの話です」
オズワルドの青年将校らしい理想論に対して、パルマ女伯が無常な現実を叩きつける。
「……そもそも、なぜランドルフ家は貴族議会制を否定していたんですの?王の有無がそんなに重要だったんですの?」
「ヴラジドの貴族議会制度の惨状を見ていたからです」
エリザベスの質問に対し、目は閉じたまま、重く地面を這う様な声で呟くパルマ女伯。
「祖父が現役だった頃のヴラジド大公国の貴族議会は、これ以上無い程に腐敗していた様です。収賄や暗殺が公然の元に横行し、政治機構としての役割はほぼ喪失していた、と」
今まで瞑っていた目を開き、いつもの三白眼でエリザベスを見るパルマ女伯。
「ヴラジドには王族がおらず、代わりに貴族達が国を治める政体でした。王無きが故に、政情は常に不安定だった様です。ノール帝国に敗北した原因も、その政治腐敗にあったとされています」
「……あまり言いたくはないのですが、まるで――」
「まるで今のオーランド連邦の様、ですな」
エリザベスの遠慮がちな呟きを援護する様に、リヴァン伯が声を重ねる。
「王の居ない貴族議会制を採用すれば、オーランドもヴラジドの様になってしまうと、ランドルフ卿は危機感を抱いたのでしょうな。故に貴族議会を持ちつつも、その頂点に王を戴く立憲君主制を推し進めていたのです」
「我が国の現状を見るに、ウィリアム・ランドルフ卿のその懸念は正しかった様に思えます」
イーデンの吐露に対し、余も同感であると恭順するリヴァン伯。
「ここまでが、今日までのランドルフ家とサリバン家との確執を産んだ最初の事件である。そしてもう一件、サリバン家とランドルフ家の隔絶を確固たる物にした事件があってな――」
「そこからは余が直々に話します」
パルマ女伯の声に、リヴァン伯の方を向いていた三人全員が振り向く。会話の主導権が自分に移った事を確認したパルマ女伯が、再度口を開いた。
「……今から十五年前、オスカー・サリバン主導の元、連邦中央銀行法という法律が推し進められていました」
「連邦中央銀行?今のタルウィタ中央銀行とは違うんですの?」
皆が一様に察する空気の中、ラーダ人のエリザベスだけが合点が行っていない表情を浮かべる。
「そのタルウィタ中央銀行をより大規模にした物ですね。詳細を省いて結論から言えば、サリバン家が連邦中の金の流れを握る事になってしまう法律でした。当のサリバンはそれを巧妙に隠した上で、法案可決へと推し進めていましたが……」
自身の温度感が上がってきたのか、扇子を口元で仰ぎながら話すパルマ女伯。
「最終的に、真意を知った父が反対に票を入れた事によってこの法案は棄却されたのですが、その所為でサリバンの怒りを買ったのです」
「た、唯の逆恨みじゃないですの……。歳を重ねた長老の行動とはとても思えませんわね……」
連邦議会で感じたサリバンのイメージとは全く異なる狡猾な本性を見せつけられ、愕然とするエリザベス。
「そ、その後はどうなったんですの?」
「文字通り、あらゆる手を使って父を失脚させようと画策しました。命の危険をも感じた父は、自らその爵位を娘である余に譲り、国外へと逃亡しました」
「娘をパルマに残したまま国外に逃亡したんですの……!?」
「貴族社会ではそこまで珍しい事でもありません」
パシッと扇子を畳むと、理解出来ないといった様子のエリザベスに、扇子の先端を向ける。
「貴族にとっての我が子とは、言い換えれば最も近しい利害関係者に過ぎません。父は娘を置いて逃げる方に利を感じた故に、実行した。それだけの話に過ぎません」
「そんな、なんて酷い事を……!」
「おや」
珍しくキョトンとした様子で、自分を見つめるパルマ女伯。
「余の元に届けられたカロネード商会からの手紙……あれを見る限り、商家である貴女の家も、同じ様な考え方が浸透していたのでは?」
「そ、そんなっ!こと……」
『当主にとって我が子とは、最も近しい利害関係者である』
一言一句、同じ言葉をカロネード商会の教育で叩き込まれていたエリザベスは、言葉を失った。
子供を利害関係者として見る。
それは言ってしまえば、教育という名の投資に見合うだけの利益を産み出せるかどうかで、子育ての可否が決まってしまうという事に他ならない。
私はその考え方が本当に嫌いだった。それが故に、私はあの家から逃げ出してきたのだ。
そんな不幸な境遇の私とは違って。
貴き者の家柄に産まれた子は、無償の愛を注がれて育てられるのであろうと。
だからこそ、家を継ぐ意志も産まれてくるのだろうと。
漠然と、そう思っていた。
「なぜ」
動揺を気取られない様に、震えそうになる口元を手で抑えながら話す。
「なぜ、その様な仕打ちを受けてさえ、閣下はパルマ辺境伯の爵位を継いだんですの?その様な事情があれば、たとえ爵位の責務から逃れたとて、文句は言われなかったでしょうに――」
「それが生まれ貴き者の務めだからです」
考える素振りなど全く見せず、断固として言い切るパルマ女伯。
「誉れ高きランドルフ家の一員として生を受けた以上、余には偉大なる先祖達が治めてきたパルマの地を守る責務があります。そこに余個人の情を挟む余地など皆無です」
そう言うと、再び扇子を開いて、目を背けながら顔を仰ぐパルマ女伯。
「……結局の所、パルマを守れなかったのは事実ですので、どの口が言うのかと罵って頂いて構いませんよ」
「此処にいる者は、今までの貴卿の働きをよく知っている。そう易々と己から卑下する姿勢は、褒められた姿では無いぞ」
「……失礼致しました」
リヴァン伯に嗜められ、伏し目がちに謝罪の言葉を述べるパルマ女伯。
一方で、尋ねた側であるエリザベスも顔を伏せたまま、考えあぐねている。
「誉れ高き、家名に産まれた者としての、責務……」
女伯の放った言葉が、エリザベスの心を深く抉る。
『私、エリザベス・カロネードは、カロネード家の嫡女である事の責任を深く受け止め、これにあっては、カロネード商会の跡取りとして、その責務を全うする事をここに誓います』
あの日破り捨てた誓約書に書かれていた言葉の重みが、今になってのし掛かって来る。
私は、軍人になりたいと言って家を出た。それは商人としての責務を放棄した事と同義だ。
そんな事は改めて言われなくとも分かっているし、今更この選択を変えるつもりも無い。
しかし、せめて。
「せめてケリはつけるのが、カロネード商会の跡取りとしての責務……!」
拳を強く握り込みながら、顔を上げるエリザベス。
パルマ女伯も、フレデリカ大尉も、そしてクリス少尉も。己の責務に対して、自分なりの答えと矜持を以て応えたのだ。
己の責務から目を背けて逃げ回っているのは、私だけではないか。
その事を自覚した瞬間、考えるよりも前に口が動いていた。
「皆様!」
融資却下に対する打開策が見つからず、しばらく沈黙が続いていた場に、エリザベスの覚悟を纏った声が響く。
「……ラーダ王国です。ラーダ王国に対して、戦費融通の交渉を行いましょう」
「ラ、ラーダ!?」
全くの意識外にあった第三国の名前に、その場の全員が困惑の表情を浮かべる。
「エ、エリザベス嬢。他国に融資を求めるのは、サリバン家を説得するよりも遥かに難易度が高いと思うのだが……」
リヴァン伯が、目を白黒させながら尤もな意見を述べる。
「はい、リヴァン伯閣下が仰る通り、ラーダ王国そのものを動かすのは厳しいかと存じますわ」
そう言うとエリザベスは、自身の胸に手を当てながら自論を展開する。
「先に結論から述べてしまいますと、ラーダ王国全体を説得させる必要は御座いませんの。より正確に言えば、リマ市に北方大陸極東事情を一手に任されている人物がおります。この方を説得できれば、資金調達も夢では無いかと存じますわ」
「……そんなに虫の良い話が果たして?」
リヴァン伯がエリザベスへ疑いの眼差しを向ける。
「ベージル・バーク。リマ市の地主にして、王国会上院議員を務めている御仁ですわ。わたくしも何度か、お父様と共に謁見した事が御座います……。こ、ここでわたくしが嘘を付く理由などありません!信じて下さいまし!」
胸に当てた手をギュッと握りしめて、本心からの進言である事を訴えるエリザベス。
「……ベージル・バークの名前は余も聞いた事はあります。直接会った事は未だありませんが」
パルマ女伯の援護射撃もあり、少しは溜飲が下りた様子のリヴァン伯。しかしまだ納得は出来ていない様子だ。
「さりとて、ラーダ側には融資をする理由が無い。受け入れられる想像がつかぬぞ……」
「いえ、恐縮ながら……必ずしもそうとは限らないと思いますの」
首を横に振り、壁に掛けてあった北方大陸の地図を指差しながら話すエリザベス。
「ラーダ側としても、このままノール帝国がその版図を拡げる事は看過出来ない筈ですの。北方大陸のパワーバランス崩壊に繋がりかねない事項ですから……。直接の参戦は難しくとも、間接的にノールの勢いを削ぐ為に、オーランドへ融資という名の肩入れをする。という形であれば、話を聞いてくれる可能性は高いかと存じますわ」
「う〜む……まぁ、北方大陸の現情勢を鑑みれば、不可能では無いと思うが……」
ひとしきり云々と唸った後、リヴァン伯は最後の懸念事項をエリザベスへ打ち込んできた。
「こちら側の交渉材料はどうするのかね?見返りが何も無しでは、相手も聞く耳を持ってはくれんだろう?」
交渉材料はある。
幸いにして唯一の切り札が。
「わたくし自身が、交渉材料になりますわッ!」
皆が驚愕の声を上げる前に、エリザベスは自分自身の身分を高らかに、そして堂々と名乗った。
「ラーダ王国会下院議員兼カロネード商会当主、エドワード・カロネードが嫡女、エリザベス・カロネードが会いたがっていると、ベージル・バーク卿にお伝え下さいましッ!」
オーランドの為。そして、自分の責務にケリをつける為。
エリザベスは再び、自らの故郷へと歩みを向けたのである。




