第四十二話:白蛇に睨まれしモノ
「馬鹿者!なぜもっと早くそれを伝えに来んのだ!?」
「も、申し訳ございません……」
リヴァン市の領主邸宅に、ヴィゾラ伯の怒号が響き渡る。
「オーランド連邦正規軍の編成が始まったとあっては、侵攻計画そのものを大きく修正せなばならんのだぞ……!」
執務室の中を行ったり来たりしながら、苛立ちを表立って表情に出すヴィゾラ伯。
「さ、先の臨時連邦議会以来、私へ向けられる疑いの眼がより厳しくなっておりまして、中々ご報告へ伺う事が出来なかった次第にございます……」
執務室に足を踏み入れて直ぐの場所で、深々と頭を下げながら謝意を述べる一人の老人。
「軍団長殿、如何いたしましょうか?」
ヴィゾラ伯が目線を執務室の奥へ向ける。そこには、リヴァン領主の椅子に腰掛けたプルザンヌ公の姿があった。
「オスカー・サリバン」
「は、はいっ!」
その老人、サリバンが恐る恐る、顔を表へ上げる。
「編成予定の連邦軍の総兵力は?」
「それは、実際に集結せんことには、何とも申し上げられず……」
頼りなく、煮え切らない返答を受けたプルザンヌ公は、口を噤んだまま鼻から息を漏らすと、宙空を見つめながらサリバンを詰問し始めた。
「……貴様の国は、領主共が己の所領から兵を取り立てる方法で軍を成すのであろう?」
「は、はい」
「所領の数は三十八だったか」
「左様で」
「一つの所領に対して徴兵出来る兵数は大凡どれほどだ?」
「所領の規模にも寄りますが、平均するとおよそ一個大隊程度かと……」
「であれば平均して三十八個大隊、兵数にして約二万だ」
そこまで述べると、プルザンヌ公は宙空から目を落とし、氷のような眼差しでサリバンを刺した。
「ノール軍人である余ですら、然る可き予測を云々と論う事が出来るのだ。なぜ当のオーランド人である貴様が、深慮も無しに何も分からんなどと嘯くのだ?」
「そ、それにつきましては……」
目線を部屋のあちこちへと向けるサリバン。意図を聞かれてから意図を作ろうとする、何とも滑稽な老人の姿がそこにはあった。
時計の長針が振れる音と同時に、ハッと思いついた様な表情でサリバンは理由を述べ始めた。
「……か、仮に私が申し上げた数字が実態と大きく乖離していた場合、閣下に多大なる迷惑をお掛けすると感じた故にございます。私は軍人ではなく一市長ですので、予想が外れる事も多分にあると鑑みました。不確定な兵数を讒言として流布するくらいであれば、一切不明と申し上げた方が閣下の御為に――」
「言辞を弄するな」
暫く無言でサリバンの言い訳を聞いていたプルザンヌ公が、椅子を引いて立ち上がる。その所作からは、明かな不満と苛立ちが見てとれた。
「余は敵の兵力が一万四千なのか、一万五千なのか、一万八千なのか貴様に問うたのではない。我が軍と比べて、甚だ少数なのか、同数なのか、数的優位なのかを問うたのだ。はなから詳細な兵数など貴様に求めてはおらん」
壁に立て掛けたサーベルを無造作に掴み取ると、鞘の先端をサリバンへ向ける。
「大まかな兵数すら答えられぬばかりか、その愚にも付かない無思慮を、あろう事か余の為などと言い切る貴様の愚劣さに反吐が出る」
「も、申し訳ございません……!」
もはや言い逃れ出来ぬと判断したサリバンが、腰を折って深々と頭を下げる。
「陳謝は無用。他に何が出来るのかを述べよ。貴様の出来ぬ存ぜぬを聞きたいが為に、余は銀貨をくれてやった訳では無い」
「も、勿論ですとも!まだ私めに出来る事はございます!」
「申せ」
と言いつつサーベルの柄に手を掛け、余計な言い訳を封殺せんとするプルザンヌ公。
「げ、現在オーランド連邦軍は編成途中の段階に御座います。閣下も仰った通り、その徴兵責任は各領主が負う形になる為、被服や銃の調達も領主が手配致します」
そこまで言うと少し顔を上げて、プルザンヌ公の様子をおっかなびっくりに伺うサリバン。
顎に手を遣り、続きを促す素振りを彼が示すと、幾ばくか安心した表情で口を開いた。
「その際、充分な資産を持たない領主は、兵士への装備充足を目的に、我が中央銀行へ融資を依頼する筈です!」
「……貴様の強権を以て融資を断り、連邦軍編成を阻害して見せると?」
左様にございます!と顔を上げ、額に滲んだ汗を拭うサリバン。
「あくまで書面上は融資するに値しない資産状況であると結論付けますので、私と閣下との関係性が知れる事もございません!如何でしょうか!?.」
最早、提案という名の命乞いをするサリバン。
プルザンヌ公は数秒硬直した後、サーベルの柄部分を左手で撫でながら、ゆっくりと先程まで自分が座っていた椅子へと戻っていく。
「善し、やってみよ」
壁際に誂えたガラス窓の方に体を向けながら、背中でヴィゾラ伯へ命令を出すプルザンヌ公。命令を受けたヴィゾラ伯が、執務机に置かれていた小袋を摘み、サリバンへと手渡す。
「次回からは一層に報告を密にすること。手紙でも構わんから兎にも角にも連絡を寄越せ、良いな!?」
「しょ、承知いたしました!それでは、早速段取りを進めてまいりますので……」
背中を丸めると、その年に見合わぬ足早さで、サリバンは執務室を後にした。
「……」
サリバンが居なくなり、今度は先程とは別種の緊張感が部屋を包み込む。
「あ奴は、まだ泳がせておくに値する人物か?」
椅子に座り直しながら手に持っていたサーベルを抜刀すると、抜き身の刀身を机上に置くプルザンヌ公。
「はい。まだ寝返るような真似はしないかと」
「そう推察する理由を述べよ」
シルクのハンカチを手に取り、神経質な手触りで刀身を拭いていくプルザンヌ公。
「あの平民爺は、オーランドの貴族達を殊の外恨んでおります。特にパルマを治めるランドルフ家に対する意趣は、錚々たる物かと。あの老獪の行動力の源泉が怨恨である限りは、我々の敵に回る事は無いでしょう」
「……貴様が先程袖の下を渡した様に、あの老人が再び買収される可能性は?」
拭き終わったサーベルを鞘に戻すと、座ったままの姿勢でヴィゾラ伯へサーベルを手渡すプルザンヌ公。
「その可能性も低いかと」
サーベルを受け取り、元の壁に掛けながらヴィゾラ伯が答える。
「どれほど銀を積まれようとも、消える事の無い恨み。あの老人が抱いているのは、その様な恨みでございますので」
「……善し、疑義は晴れた」
己の中で合点が行ったプルザンヌ公が、わずかに頷く。
「して、今後の戦略ですが……如何致しましょうか?」
プルザンヌ公と対面する形で、執務机の前に立つヴィゾラ伯。彼は机の脇に寄せていたカロネード商会謹製の地図を広げながら、概略を説明する。
「現在我々が駐屯しているリヴァン市が此処にあたります。当初の予定では、連邦軍が編成される前にコロンフィラへ進軍。その後速やかに首都タルウィタへ侵攻する予定でしたが……」
タルウィタの地点に赤の盤上駒を乗せるヴィゾラ伯。
「部分的とは言え連邦軍が編成されつつある今、侵攻先について今一度考える必要があるかと――」
「タルウィタだ」
聞くまでもない。
「タ……」
初めから決まっていたかの様に、プルザンヌ公は次の進軍先を指し示した。
「タルウィタと仰いましたか!?」
「そうだ。二度も言わせるな」
「お、お待ち下さい軍団長殿!」
地図上のリヴァン市とタルウィタを交互に指差しながら、物理的な距離をアピールするヴィゾラ伯。
「リヴァン市からタルウィタまでは直線距離でも百キロは御座います!補給が持ちません!」
「行く先々の村々から徴収しろ。略奪でも買収でも構わん」
「我が軍は総勢二万の大軍です!現地調達で全軍を養うのは不可能ですぞ!せめてコロンフィラを落としてから首都攻略を行うべきかと!」
必死に説得するヴィゾラ伯に対して、プルザンヌ公は無言でアトラ山脈付近の国境峠を指差した。
「……半年だ」
「は、半年?」
冷徹な声につられて、ヴィゾラ伯の熱も冷める。
「此度のオーランド戦役は、当初半年の戦期間で完遂する事を是としていた。何故半年なのか、答えられるか?」
「半年と定めた理由……?」
若いとは言えども、ヴィゾラ伯は連隊総指揮官を拝命している傑物である。彼はそれほど労せず答えに辿り着くことが出来た。
「……半年後には冬季が到来し、国境峠が積雪で使用不能になるから、でしょうか?」
「そうだ」
そう言うと、プルザンヌ公はリヴァン市からコロンフィラへと線を引き、続けてコロンフィラからタルウィタへと線を引いた。
「開戦当初に想定していたこの進軍経路、どれ程掛かる?」
「か、仮に戦闘が最も順調に推移したとして、お、恐らく二ヶ月強かと……」
指折りで行軍距離と進軍速度を数えながら、辿々しく答えるヴィゾラ伯。
「……開戦から現時点で、既に三ヶ月弱の月日が経過している。仮にコロンフィラの奪取に三ヶ月以上の時を要した場合、我々はタルウィタを目前にして、本国からの補給路を失う結果になるのだ。敵地で孤立した軍の末路など、余が言うまでも無いだろう」
そうい言いながら、国境峠に赤でバツ印を入れるプルザンヌ公。
「現状に於いて、優勢たるは間違いなく我が軍だ。しかし時間は我々に仇なし、敵に与している」
腰掛けていた椅子から立ち上がると、ヴィゾラ伯に背を向け、後ろ手を組みながら窓の外を眺めた。
「時が過ぎれば過ぎるほど、我々の優位は削がれて行く。連邦軍の編成、ラーダ王国の介入、そして国境峠の封鎖……悠長に事を構える暇は無くなりつつあるのだ」
「それは、そうですが……!」
「異論があるなら申してみよ。余はこの優勢を維持したままタルウィタへ侵攻し、短期決戦で降伏させるのが最も適切と見た。貴様であればこの戦況をどう見る?」
振り返らずに話すプルザンヌ公の背中と、卓上の地図を交互に眺めながら、声にならない呻き声を上げるヴィゾラ伯。
「~~~ッ!」
数分の懊悩の後、観念した様子でヴィゾラ伯は口を開いた。
「現状につきまして、勘案いたしました……。軍団長閣下の案が、最も適切かと存じます」
「……善し」
振り返ったプルザンヌ公は、僅かに欣快の表情を浮かべていた。
全ての情報が出揃った状態で戦略的判断を下せる機会など無い。指揮官が行うべきは、限られた判断材料から信頼に足る物を選別し、次善の策を考案する事である。
戦場の霧が晴れる瞬間は、永遠に来ないのだから。




