第四十話:砲金の輝き(前編)
「ねぇねぇ、ヨハンお爺さんはどこから来たのー?」
椅子に座ったエレンが足をバタつかせながら尋ねるが、ヨハンは出来上がった鋳型を凝視するのみで、振り向こうともしない。
「ヨハン・マリッツって西の方の名前でしょ〜?オーランド出身じゃ無いんだよね?」
「……東部帝国だ」
大人しく座っててくれ、とでも言いたげな口調で答えるヨハン。
「東部帝国って、ラーダの西にある国だよね?ラーダを横断してきたの?」
我慢できずに椅子から立ち上がると、部屋の中に置いてある部品達を物色し始めるエレン。
「最初はラーダで仕事を探してたんだが、カロネード商会って集団に駆逐されちまってな。結局商売自体が上手く行かなかった」
「へ、へえ〜。そんな悪い人達が居たんだねぇ」
自分の古巣が出て来るとは思わず、平常を装いつつも、しどろもどろになるエレン。
「そのまま東に流れていった結果、ここに辿り着いた。もう数十年も前の話……おい、勝手に歩き回るな」
「あぅ〜」
部屋を彷徨いていたエレンの首根っこを引っ掴むと、椅子の方へ放り投げるヨハン。
「危ないからそこでじっとしてろ」
「むぅ……」
不満げな表情のまま、部屋を見回すエレン。
「……お爺さんて自分の炉は持ってるの?さすがにここには置いてないよね?」
「あるぞ。町外れに置いてある」
「炉のタイプは反射炉?」
「そうだ」
「真鍮製の物を鋳造したことある?」
「あるぞ」
そこまで聞くと、エレンはエリザベス達から頼まれていた本題を切り出した。
「じゃあ大砲も作った事あるの?」
「……大砲は無い」
含みのある言い方で答えるヨハン。しかし辺りに散らばる大砲の部品をつぶさに見ていたエレンに、そんな嘘は通用しなかった。
「そこの壁に立て掛けてある真鍮製の筒、大砲の砲身じゃないの?」
鋳型を眺めていたヨハンの手がピタリと止まる。
「ここに置いてあるのは仰俯角調節用のネジだし、そのへんに山積みになってるのは砲身補強用のリングだよね?すごい数を作ってた様に見えるけど……」
「昔、作ろうとした事があるってだけだ。コイツらはその残骸だよ。全部作りかけだ」
ヨハンの言う通り、壁に立て掛けられた砲身達は、鋳造直後の状態である。つまるところ、ただの金銅色の筒である。本来であれば、ここから彫刻印等の工程が行われる筈であるが、埃の堆積からして、もう随分と放置されている様だ。
その有様が示す意味は一つだった。
「……大砲、ずっと作ってたんでしょ?だけど、満足のいく鋳型が作れなかったから、大砲作るの辞めちゃったんだよね?」
己の技術の無さ故に、大砲が作れない。己の腕に誇りを持つ職人にとっては、口が裂けても言いたくない言葉だった。
「……鋳造式大砲の場合、鋳型の品質がそのまま砲身の精度に直結する。つまり、大砲の鋳型に歪みは許されねぇ」
諦観染みた苦笑と共に、独白を重ねるヨハン。
「何をどうやっても、鋳造後の砲身内部が歪んじまうんだ。俺の鋳型の限界なのか、鋳造方式そのものの限界なのか、結局分からず仕舞いだ」
「お爺さんの腕は関係ないと思うよ。鋳造後の鋳物が膨張したり、歪んだりするのは仕方ない事だもん……」
気遣いありがとうよ、と僅かに肩を震わせながら、鋳型の調整に戻るヨハン。
「……お爺さんっ!」
再び椅子から立ち上がり、ヨハンの元に駆け寄るエレン。
「さっきも言ったろ、危ないから座ってろって――」
振り向いたヨハンの眼前に、一枚の羊皮紙を突き出すエレン。
「私ね、昔から大砲が好きで、小さい頃から野砲の設計書だったり、製造書だったりを良く見てたの!」
鋳型を脇に置き、流されるがままに羊皮紙を手に取るヨハン。
「垂直式ドリル……?鋳造後に砲腔を掘削……?」
羊皮紙に描かれた大砲の設計図を見ながら、補記として書き込まれた言葉を音読する。
「ヨハンお爺さんの言う通り、普通の鋳造方法だと、必ず砲身内部が歪んじゃうの。これは、どれだけ良い鋳型を使ったとしても変わらない事実だと思うよ」
ヨハンと顔を突き合わせながら、設計図の各図面を指さしながら説明するエレン。
「だから私考えたの!最初に大砲の元になる円柱を鋳造して、後からドリルで砲腔用の穴を開ける方式にすれば、最初から砲身内部を鋳造するよりも、ずっとキレイな砲腔が出来るんじゃないかって……」
エレンの解説を聞きながらも、ヨハンは設計図を見つめたまま、ブツブツと独り言を呟く。ひとしきり設計図に目を通した後、彼は溜息と共に所感を漏らした。
「……この設計図は、お前が作ったのか?」
「そうだよ」
「いつ作った?」
「三年前くらい」
「試作品は?」
「ないよ」
「図面の評価者は?」
「お爺さんが初めてだよ」
矢継ぎ早な質疑の後、再び両者の間に沈黙が流れる。口に手を当てながら、食い入る様に設計図を見つめるヨハンと、その姿をじっと見つめるエレン。
己の目線が設計図の最下段に到達すると同時に、ヨハンは肩の強張りを緩めた。
「……聞いた事も、見た事もない製造法だ、夢物語に過ぎん。成功するとは思えん」
「うん、そうだね。成功するかどうか分かんないよね」
エレンが発した余りにも淡白な肯定に、ヨハンは思わず目を丸くした。
「そうだねって、お前――」
設計図から目を離し、エレンへと顔を向けるヨハン。
そこには、昼頃に見た能天気な金髪少女の姿など、どこにも無かった。
代わりに居たのは、西日に照らされた自身の金髪より何倍も紅く、そして美しく燃え上がる瞳を持った、若き大砲設計士の姿だった。
「分かんないからこそ、やるんだよ。分かってたら、そもそもやる必要なんか無いじゃん!」
ヨハンの腕をガッシリ握りながら、黄金色の瞳を輝かせるエレン。
「カロネード商会なんかよりも、立派な大砲を作って見せようよ!自分を馬鹿にしてきた人達に、目にものを見せてやろうよ!」
自分を馬鹿にしてきた人達を見返してやる。ヨハンを鼓舞する為に放ったその言葉の裏には、商会で冷遇の憂き目に遭わされたエレン自身の野望も込められていた。
「……見てくれはてんで似てねぇが、中身は腹立つ程に昔の俺と似てるな」
そう漏らすと、肩を左右に揺らしながら重い腰を上げ、戸口へと向かうヨハン。
「お前と、お前の設計図に付いてたモンが、俺にも伝染っちまった」
「え?ごめん!何か変なモノ付いてた?結構前に書いた設計図だから……」
謝罪しつつ、慌ててヨハンを追うエレン。
「いくぞ」
「……へ?どこに?」
ヨレヨレのコートを羽織りながら、ヨハンは振り返らずに行き先を述べた。
「反射炉だ。まだ大砲を鋳造出来る程の火力が残ってるか、調べなきゃならん」
何を伝染してしまったのか分からぬまま、不安な様相でエレンが後に続く。
なんて事はない。
ヨハンは彼女から熱意を伝染されたのだ。




