第三十九話:大砲を求めて(後編)
「……」
その老人はいつものように、薄暗い工房の中に腰を下ろし、鋳型を作っていた。
調理器具や農具を模した木の模型を用意し、その周りに鋳型となる粘土を塗り固めて行く。下半分の型取りが終わったら、ひっくり返して上半分の型取りを行う。最後に二つのパーツを組み合わせれば、晴れて鋳型の完成である。
「……チッ」
老人の短い舌打ちが部屋に響く。言葉に直すと簡単ではあるが、当然ながら鋳型の成形には熟練した腕が必要である。そして熟練した腕があったとしても、満足の行く鋳型を作るまでには幾つもの失敗作を越えなければならない。老人は、何度目かも分からぬ失敗作を前に、何度目かも分からぬ舌打ちを漏らしたのである。
しかし今回の失敗に限って言えば、当人の腕とは全く別の原因があった。
老人は作業をしていた手を休め、分厚い嵌め込み窓へと目を向ける。彼がイマイチ鋳型作りに集中出来ない理由が、窓の外から顔を覗かせていたからである。
数日前から、自分の仕事場を覗き込んでくる謎の金髪少女がいるのだ。最初は商売敵かと思ったが、特に技を盗もうとする素振りは見せず、ひたすら此方の様子を伺っているのみである。むしろ、話し掛けられるのを待っているかの様な素振りだ。彼女は毎日外から仕事場を覗き込みにきては、無言で去っていく。その意図の不明さが、彼の集中力を奪っていたのだ。
「全く……」
重い腰を上げ、入り口の扉を開け放つ老人。少女は慌てて物陰に隠れたが、長い癖毛のブロンドが盛大に物陰からはみ出ている。
「小娘、何の用だ?」
「……あはは〜」
物陰から謎の金髪少女――つまりエレンが恥ずかしそうに顔を出した。
「何日も前から俺の仕事場の前をウロウロしおってからに、気が散って敵わん。用か仕事があるならさっさと言え」
「ごめんなさーい!話しかけようとしたんだけど、話し掛けられるような雰囲気じゃなかったから〜」
老人へ近付きながら頭を下げるエレン。
「……まぁいい、要件は何だ?」
話しかけられたくない雰囲気を作っていたのは事実である為か、その部分は不問に付しながら尋ねる老人。
「ちょっとお爺さんの仕事ぶりを見てみたいの!邪魔はしないから見学させてほしいな〜」
「弟子は採ってない」
「あ、違うの。見せてくれればそれでいいの〜」
怪しすぎる発言ではあったが、唯の物好きな町娘である可能性も捨てきれず、老人は厳つい顔で腕組みを始める。
「……何日も通い詰める程度には興味がある事は認めてやる。だがお前の素性が分からん事には、仕事場に入れてやる事は出来ん。名前は?」
「エレン・カロ……グ、グリボーバル!エレン・グリボーバルだよ」
カロネード姓を名乗るとエリザベスとの関係がバレてしまう可能性がある為、エレンは旧姓を名乗る事にした。嘘は言っていない。
「グリボーバル?お前、ノール人か?」
「半分だけだよ。もう半分はラーダ人だよ」
「……ノールとラーダのハーフか」
老人はしばし考える素振りを見せた後、エレンに背を向けて工房内へと戻っていく。
「あー待ってお爺さん!本当に邪魔しないから!お願い!」
背を向けた老人の前に回り込み、今一度手を合わせてお願いするエレン。老人は大きくため息を吐くと、工房隅の椅子を指差した。
「見るな、とは言わん。ただ邪魔はするな、わかったな?」
「本当!?わーい!ありがとうお爺さん!」
「あともう一つ、言っておくことがある」
手を叩きながら飛び跳ねて喜ぶエレンへ釘を刺すように、言を連ねる老人。
「……ヨハン・マリッツだ。お爺さんじゃねぇ」
そう言うと、老人は手に持っていた金槌をエレンへ手渡す。そこには、同名の作者名が彫られていた。
「わかったー!よろしくねヨハンお爺さん!」
だからお爺さんと呼ぶな、と言おうとしたヨハンの脇を素早く通り過ぎると、エレンは工房の中へ突入していった。
◆
「そんなに上手くいくモンかねぇ?」
「エレンは私なんかより、よっぽど人当たりの良い性格してるわ。少なくともあのお爺さんに対して悪い印象は与えないと思うわよ」
エレンをヨハンの元へ送り出してから数日後、オズワルドとエリザベスの元に、無事彼女が工房内に入る事を許された旨の報告が届けられた。
「んで、この後はどうするんだ?結局の所、大砲を作ってもらえる様に説得するって点は変わらないだろ?じゃなきゃ俺達、大砲無しで戦う羽目になっちまう」
何一つ集積されていない大砲集積所の有様を指差しながら、オズワルドが尋ねる。
先日、タルウィタ近郊の練兵場へと根拠地を移した臨時カノン砲兵団の面々は、リヴァン退却戦で全損した兵器及び装備の再補給に追われていた。
砲身、砲架、前車、弾薬、弾薬車、曳き馬、装填具。砲兵として必要とされる殆どの装備を破棄していた為、臨時カノン砲兵団は、砲兵とは名ばかりの少数歩兵部隊と成り果てていた。
「そうね、まずはあの鋳物師組合長……ヨハン・マリッツ爺のやる気を取り戻してあげる事が大事ね。あれだけの大砲の失敗作が並んでたって事は、裏を返せばそれだけ情熱を注いでた時期があったって事よ。何とかその時の情熱を復活させてあげる事が出来れば、行けそうね」
「その何とかの部分にアテはあるのか?」
「無いわよ」
その言葉にガクッと頭を落とすオズワルド。
「こればっかりはエレンの手腕に期待するしか無いんだから仕方ないでしょ。アナタの方から一任してきたんだから、今更方法に文句を付けるのはナシよ?」
「流石にそのくらいは弁えてるよ……毛玉ちゃんの力に期待だな」
オズワルドのその言葉を最後に、二人は兵舎の壁に背中を預けたまま、黙り込んだ。
二人の眼前に広がる練兵広場では、つい先ほど編成されたばかりのオーランド兵達が、覚束無い足取りで行進を披露している。
「……士官の数がやけに少ないわね」
士官は通常、兵階級と区別する為に、肩や袖に視認性の高い階級章を付けている。しかしエリザベスがざっと見回した限りでは、それらしい人物は殆ど見当たらなかった。
「職業軍人が居ない弊害だよ」
独り言を聞き取ったオズワルドが答える。
「兵階級は徴兵しさえすればまぁ、数は用意できるが、士官はそう簡単に集められないからな。正規軍編成!って叫んだ所で、士官がその辺からワラワラ生えてくる訳でもあるまいし」
短く笑いながら、単眼鏡で新兵達の顔色を観察し始めるオズワルド。
「それ、前にも大尉殿から聞いた気がするけど、そんなにオーランド軍って士官不足なの?」
「全然居ないぞ。連邦士官学校に居る俺の同期が確か……全部で三十人とかだったかな」
「三十!?」
あまりの士官候補生の少なさに、素っ頓狂な声を上げるエリザベス。
「そんな輩出数で各部隊内の士官定数を確保出来るの……?」
「平時は常備軍の規模も小さいからな。ギリギリ何とか定数を維持出来てたんだが……今は見ての通りだ」
眼前で訓練に励む、殆ど兵階級しか見当たらない歩兵大隊を指差しながら、乾いた笑いを漏らすオズワルド。
士官の充足率は、そのまま軍隊の柔軟性に直結する重大な指標である。士官、特に前線で戦闘指揮を行う尉官の数が不足すると、部隊間での相互援護や、小隊毎の前進命令といった、複雑で柔軟な機動が不可能となってしまう。もっと平たく言えば、部隊全員での前進、停止、射撃といった、極めて単純で硬直化した行動しか取れなくなってしまうのが、士官不足の最も致命的な点である。
「逆に、お前ん所のラーダにはどれくらい居たんだよ?そっちにも王立士官学校ってのがあったろ?」
「王立士官学校には、全部で七百人位は居た筈よ。七ヶ年制だから、毎年百人くらいが少尉として部隊に配属される計算ね」
「そっちは七ヶ年もやるのか。ウチは三ヶ年だから、割と速成コースだな」
「三ヶ年って事は、在籍生徒全員合わせても百人行かないって事よね?何でそんなに人が集まらないのよ?」
頭に被っていた三角帽子を指でクルクル回しながらエリザベスが尋ねる。
「単純に人気が無いってのもあるが、士官学校の入校条件が厳しいってのもある。読み書き計算が出来ないと、入校すら認めて貰えないからな」
「うっわ厳しいわね……。普通、その辺は入学してから学ぶものなんじゃないの?」
「その辺の部分を教える人も予算も無いんだ。連邦士官学校は連邦諸侯からの共同出資で成り立ってるから、予算を増やすのも色々と課題があって難しいらしい――」
二人の会話の背後で、中央広場が喧騒に包まれる。
目を向けてみると、士官不在の所為で統率が取れないままフラフラと行進していた中隊が、不幸にも他の中隊と衝突し、バタバタと一部の兵士達が将棋倒しになっている。
「あちゃー、ありゃ怪我人が出そうだな」
そう言いながら単眼鏡を覗き込むオズワルドを見たエリザベスは、ふと疑問に思った事を聞いてみる事にした。
「何でアンタは士官学校に入ったの?元々読み書き計算が出来たんなら、他の職に就く選択肢もあったでしょうに」
「……それもそうだな。この戦争も勝てそうにねぇし、さっさと辞めちまうかなと思ってる」
「は、え!?ちょ、ちょっと待ちなさいよ!?」
「冗談だ冗談。そんな本気にする奴があるか」
「何よもう……笑えない冗談はやめなさいよ、全く」
本当に居なくなってしまうのでは無いかと、一瞬でも心配した自分が馬鹿らしい。
三角帽子を目深に被って、フンと他所を向くエリザベス。
「……困る人達がいるんだろうな、と思ったからだ」
エリザベスの後ろ姿を横目で見ながら、自身が職業軍人を目指した理由を話すオズワルド。
「お前の言う通り、軍人よりも給金が良くて、且つ命を危険に晒す必要の無い仕事だってあったさ」
だけどな、と足下の砂利を蹴り上げると、彼は一拍置いてから、言葉を選ぶ様に答えた。
「言葉にすると難しいんだが、多分、誰かがこういう役回りをやらないと、困る人達が沢山居るんじゃないかと思ったんだ……。俺はその人達の名前は知らないし、何人いるのかも知らねえんだけどさ」
「困る人達……」
オズワルドの言葉を反芻する。
家族や友人、故郷といった、身近なモノの為にではなく、もっと大きな、不特定多数の人々の為に軍人になったと、彼は言っているのだ。
「……立派ね」
軍団長になるという、エゴの実現の為に軍人を目指した自身の姿が、ひどく矮小な物に思えた。
公の為に軍服を着た者と、私の為に軍服を着た者を、西日が平等に照らす。
二人の考え方が重なる事は無いのだろう。
しかし、西日が作り出した両者の長い影は、遥か遠くの場所で、確かに重なっていた。




